一夜が明けて
忘れられない、楽しかった式から一夜が明けた。そろそろいいだろうかと訳あって切っておいたMAP機能をONに切り替えると視界が戻ってくる。ふぅ、やはり普段から使っているものだけに落ち着く。
朝早くという事もあり、起きている人は少なかった。今動き回っているのは僕を除いてはクロムとスズちゃんの2人だけだ。
昨夜スズちゃんは僕達と一緒に夫婦3人で寝ていた筈だけど、誰も起こすことなく布団を抜け出して普段通りの仕事へと足を運んだのか。……仕事なのだし僕達のためだと言うのは分かってはいるけれど。ちょっとだけ寂しいのは単に僕のわがままだと飲み込む。
隣に寄り添って寝ているラタン姉の頭を優しく撫でる。本来寝る必要がないので眠りが浅いのかそれとも寝ぼけているのか、僕の名前を呼びながら抱きついてきた。何だこの可愛い生き物、僕の妻か。
「妻、かぁ」
その言葉を口の中で転がして、自分が結婚した事を改めて認識する。これまでだって血は繋がっていないものの家族ではあったつもりだけれど、これからは本当に、誰に気兼ねする事なく本物の家族なのだ。
昨日は2人に対してかっこつけて幸せにすると言ったものの、正直不安がないわけではない。なにせ夫であり父親というのは、これまで通りのポジションではないのだ。
姉と弟、主人と使用人、そして恋人であるならば、まだ多少のなあなあが通ったかもしれないがここからは違う。一家を導き、支え、守るのが僕の仕事になる。僕だけの考えで軽率に行動するのは、彼女達を悲しませる原因となるのだ。何かを成すときはこれまで以上に相談するべきだろう。
「……だめだめ、結婚した次の日から不安な顔なんて見せられない」
こそりと独り言を呟く。こんな時は森の中で朝の空気を吸って気分を変えよう。ラタン姉からの抱擁を名残惜しくも解き、寝室を後にする。扉を閉める時にチラリと見えたラタン姉の眉が下がっていた気がする。
縮地で行ってもよかったが、特段慌てる事でもないのでゆっくりと歩いて外に行く事にした。階段を降り、玄関に向かうとクロムが近づいてきたので振り返る。
「おはようキルヴィ」
「クロム。うん、おはよう」
「いやー、昨晩はモーリーとお互いに盛り上がってしまったよ」
彼はどうやら興奮冷めやらぬ状態だったらしく、挨拶もそこそこに昨晩の様子を語り始めた。これでは折角意識しないようにとMAP機能を切っていた意味がない。
「クロム」
話を変えようと呼びかけるが、まだまだ話し足りないのだろう、適当に流されそうになってしまう。
「クロム!」
もう一度強く呼びかける事でようやく口が止まった。どうしたんだといった表情をしているので溜息をついてしまう。これまでのカッコよくて出来る使用人は何処に行ってしまったのかと嘆きたくなる。
「クロム、確かに結婚したんだし、惚気るのだってお互い様だ。僕だって男なんだから興味がないわけでもないんだけどさ……朝から下世話な話はやめよう。クロムだってスズとラタン姉の体が云々なんて聞きたくはないでしょう?」
「それは……うん。ごめん」
僕の例えを想像したのだろう、すぐに謝ってくれる。危なかった。聞かされ続けていたら確実に次モーリーさんと顔を合わせた時に気まずくなる所だった。
実際のところ、皆で馬車旅していたのだから知らない訳でもないのだが、それは問題ではないのだ。
……僕達の昨夜?まだ、子供ができるような一線は越えていないとだけ、言わせてもらおう。いや、誰に言うつもりはないけど。
「あ、それはそうとキルヴィ。こんな朝早くからどこに行くつもりだったんだい?」
「ん、森に散歩しに行こうかと思ってさ。なんか採ってこようか?」
「そうだなぁ……強いて言うならばランスボアかな?キルヴィだから言う必要ないだろうけど、気をつけてね」
了解、とクロムに手を振り、戸を開ける。庭先ではスズちゃんが洗濯をしているようであった。手伝おうかと足を止めかけて、やめる。まだ僕の顔には不安が残っていそうだったからだ。この憂いを晴らす為に散歩に行こうとしているのに、それでは本末転倒になってしまう。
「また後で、ね」
今日は独り言が多い日になりそうだなぁ、とどうでもいい事を考えつつ、僕は家の敷地から森へと足を踏み出したのであった。
森はいつもと変わらず動物や魔物が跋扈している様子であった。気配をできるだけ抑え、弱者に見せかけているだけで次々と向かってくる始末。まるでこの森の生き物全てが僕に襲いかかってくるかのようであった。
それらを適当にあしらいつつ、目当てのものが出てきたところで抑えていた気配を解放。
まだ離れていた者は逃げる事ができたが、攻撃する為に近づいてきていた魔物達は僕の気に当てられ、昏倒してしまうのであった。
「ん?」
なんとなく、ではあるが。今ので場の支配の感覚が掴めた気がする。確かにこの状況、襲ってくる者の形は違えどあの時のウルの立ち位置だ。思わぬところで閃きを得た。
「で、どうしようかこれ……」
想定よりも多くの戦果を前に、途方に暮れる。狩った以上は持ち帰るのは確定としても、運び方を考えねば。
こんな不要不急な事に転移を使うのは論外として、縮地で帰ると想定しよう。多少力には自信があるが、それでも抱えられる荷物に限度はある。何十回も往復しなければならないだろう。せめてソリさえあれば……待てよ?
設置魔法、戸の生成を念じる。すると指定した場に扉が現れた。念の為開けてみるがもちろんどこにも繋がっていない。
「えい」
少し力を加えると、バキリ、という音とともに蝶番部が破壊された。これで丁度いい板の完成だ。後はこれを引く為の綱が欲しいところだが……これでいいかな?
太めの鉄線を設置、破壊して束ねる。また鉄線設置、破壊、束ねる。繰り返す事でそこそこ丈夫な鋼鉄製の綱が完成した。これに皮で作った持ち手を取り付け、さっきの板に括り付ければ即席のソリの出来上がりだ。これで数回運べば済むようになったぞ。
悩んでいた事などすっかりと忘れ、せっせか家へと運び込む。最後の往復を終えた時、クロムがやや呆れた顔をして出迎えてくれた。
「お疲れ様。これだけあれば見習いの子達にもちゃんと振る舞えるだけの肉がありそうだね。……だけど保管が少し大変か?」
「あ、それなら離れの地下に保冷室を作ったからそこに入れて保管しよう!」
「……まってくれ、できた時に中を確認したけどそんなものあったかい?」
僕の発言に記憶を逡巡したのであろう、顎に指をかけながらクロムは尋ねてきた。
「見てないと思うよ?なにせ今できたところだからね」
「はっはっは!……はぁ、君ってやつは。敷地内に何か作った時は私達家族にちゃんと教えておくれよ?見習いの子達の為にも、さ」
乾いた笑いの後諭すように言われる。むぅ、これも相談が必要な事だったか。反省せねば。
「まあ、これを片付けたら朝食としようじゃないか。処理するにしても昼以降にしようと思っているし」
との事だったので、ちゃっちゃと保冷室へと運び込む。魔法陣設置のおかげで、保冷室の中は息が白くなるほどの冷気を帯びていた。
「凄いな……これ、夏もこれくらい冷やすことができるのかい?」
「流石にこれよりは暖かくなっちゃうかな?でも肉のイタみはだいぶ防げると思うよ」
冷気の力様々である。旅をしている時にできるようになっていれば馬車の旅も快適なものになったに違いなかった。
「そういえば明日からクロムとモーリーさんはこっちで寝泊まりするんだっけ?」
「ああ、その予定だね。もう使用人頭なんだ、ちゃんとまとめてみせるさ」
そう。人数が増えるということもあり、クロムは正式に僕の使用人頭となる。女の子の方はスズちゃんが僕の妻になったこともあり、しばらくトップが不在となるが、指導ついでにちゃんと面倒を見てくれる予定になっている。
「私もスズも、今まで上に立って何かをする事がほとんどなかったから、上手く立ち回れるか少し不安だな」
と零すクロムに、「ああ、誰しも不安を持っているのか」と少し気が楽になった。
食卓につくと、クロムがすぐに食事を持ってきてくれた。ありがとうと声をかけ、いただく事にする。
自分の食事を終えて少しのんびりしていると、皆次々と起きてきたのだろう、MAPの点が各々動き始めた。暫くするとグミさんが寝ぼけ眼を擦ったカシスさんを連れてやってくる。
「あれ、セラーノさんは?」
「夫なら、昨日の祭りがよほど疲れたのか、まだ寝ていますよ」
そう言って「夫って言っちゃいました!」とはしゃいでいるグミさん。確かに昨日はあんなパフォーマンスしてたし大変だったろうなぁと思い、じゃあ丁度時間もあるからと食事を届けにいく事を告げる。
クロムから食事を受け取り、起こさないようにセラーノさん達にあてがった部屋の戸を静かに開ける。呻き声が聞こえることからセラーノさんは起きていたようであった。
「セラーノさん?」
「あ、あ、キルヴィさんか……頼む、水を、下さい」
「えっ、ちょセラーノさん!?」
見るからに顔色が悪く、体が萎んですら見える状態になっていたので、慌てて水さしとコップを差し出す。セラーノさんは水さしだけを受け取ると、なりふり構わない様子で直接がぶ飲みし始める。飲み干したものの、まだ足らなそうだったので魔法でおかわりを生成すると、ようやく人心地ついたようであった。
「ありがとうキルヴィさん、危うく死ぬ所でした」
「そんなになるまで、何があったんですか!?」
「はっはっは……ちょっとそれは答えられませんねぇ」
彼はそう言葉を濁したものの、察してしまった。そういえば今日のグミさんは心なしかツヤツヤしていたようにすら感じたのだ。悟られたと分かったのだろう、セラーノさんはまた水を一杯飲み干した後溜息を吐いた。
「ふぅ……キルヴィさん、数年後は覚悟しといた方がいいですよ」
「う……ご忠告、しかと受け取りました」
たった一晩でやつれた姿を見せられては、覚悟せざるを得ない。僕はセラーノさんの言葉に頷くしかなかったのであった。




