名付け、それから屋敷へ
衝撃と喜びの一報から一夜が明けた朝、僕はラタン姉と話し合いまずはスズちゃんとこの喜びを分かち合うことにした。
この報せに、スズちゃんは昨夜の僕のように目を見開きラタン姉へと抱きついた。そして、ラタン姉が精霊石を持たせてあげると言って手渡されると、わなわなと震え「どっ、どど、どうしてあげればいいですか!?」と取り乱す。
ラタン姉はクスリと笑い、「そんなに心配しなくてもまだ大丈夫なのですよ」と落ち着くように宥めると、ようやく少し落ち着いたのであろう。しみじみとした様子でその子を見つめた。
「まさか結婚より先にラタン姉とキルヴィ様の間に子どもが生まれるなんて、思ってもいませんでした」
スズちゃん、それは僕も思ってもいなかった。精霊について、僕達はまだまだ理解が足りていないのだろう。生まれてきたこの子の為にももっと勉強しなければ。
「でも、半年間欠かさずとはいえ魔力を供給してあげる必要があるんですよね。あ、本当だ吸われる吸われる……」
どうやらスズちゃんも魔力を吸われているらしい。それを聞いていたラタン姉と、共に宿を追い出された為に相席していたリリーさんは「えっ?」と驚いた反応を示した。
「驚いた……間違いなくキルヴィも魔力を吸われたんだよね?それに加えてスズもだなんて」
「た、確かにあの時スズとも抱き合っていましたのです!これはなんという事でしょう……スズ!この子はスズの子でもあるみたいです!」
「えっ?ええっ!?」
どういう事かと戸惑う僕らに、精霊の2人が教えてくれる。どうやらこの精霊石が生み出された時、精霊と感情がリンクしていた人を親と認識するらしい。そして、親以外の魔力は普通ならば吸収しないのだそうだ。
今回の場合は僕、ラタン姉、スズちゃんの3人がちょうどリンクしていたらしく、この子に親だと認識されているという事だった。
「はわぁ……!私達の、子……!」
目をキラキラさせ、うっとりとした様子でその子を撫で回すスズちゃんに、ラタン姉も負けじと「ボクもお母さんですよー」と話しかける。……果たして聞こえているのだろうか?
「しかし、水をさすようで悪いけれど2人はまだ子供だから心配ではあるね」
とリリーさん。それもそうだ。加えて僕が父親……実父がアレな以上、自分がああならないかととても不安に感じてきた。この中で唯一実父の事を知っているラタン姉はボクの顔を見て、「大丈夫ですよ」と微笑みかける。
「あなたはアレでは駄目なんだと理解しているのですから、そうなりえないのですよ。それに、あなたが例え道を踏み外そうとしてもボク達がいるのです!」
「私自身両親の事をよく覚えてないですけども、それでも良い人達に囲まれてこうして育ったんですから、この子だって大丈夫です!」
2人にこう言われてしまっては、僕だけが不安がっているわけにもいかない。2人の手に包まれている我が子に自分も手を重ね、良い子に育ちますようにと想いを込めながら撫でる。
「ラタン姉、この子って石から成長したらどうなるの?赤ちゃん?それともある程度育ってるの?」
ふと生じた疑問を尋ねてみる。ラタン姉はリリーさんの方を向き、2人してうーんと考え込む。
「ボク達、知識として精霊石が子供になるって知ってはいるんですけれどもその辺はわかってないんですよね」
「正確には個体差がある、らしい。いくつかの例が知識として挙げられてくるんだが、赤子だったり今のキルヴィくらいだったり的を得た正答がないみたいなんだ」
どうも、精霊石からの子どもは性質的にはだいぶ精霊寄りらしい。もう一つの方は母胎を通してちゃんと赤ちゃんからだというので、どちらに寄せたかによるものなのだろう。
「じゃあ……この子の事も、それからグリムの事もあるんだからしばらくは旅はお休みかな?」
子を育てるのにも、グリムの皆の先行きを良くするのにも時間がかかる事だ。しかし、それは悪い事ではなくとても喜ばしい事。少しばかり我慢しないといけないとしても、全然苦痛ではない。
僕がそんな事を思っていると、ラタン姉が僕の袖をクイっと引っ張り俯きがちに呟いてきた。
「で、でももう少しだけあなたと、いつもと変わらない日々を過ごしてみたいのです」
ああ、恥ずかしそうな顔をしたラタン姉のこの言葉にいじらしいとつい感じてしまう。そんな僕へとリリーさんは「はいはいご馳走様」と苦笑いをこぼした。
「落ち着けるところがあった方が良いだろうけど、身重ってわけじゃないんだ。肉体を持つまでは君達の好きに過ごせばいいよ。ところで他の連中には教えてやらないのかい?」
どうするのかと顔を見渡すリリーさんであったが、ラタン姉が「い、いずれ」とまだ恥ずかしいのか口籠ったのでそれに頷く。一方でスズちゃんはウズウズしていたので、誰かに話したくて仕方がないのだろう。
「しかし、いつまでもその子この子と名前がないのは不憫だね。名前を考えないと」
僕がぽつりと呟くと、2人は片手を勢いよく挙げる。……いや、別に挙手制じゃないんだけど。バランスが崩れ落ちるといけないのでこの子を抱えて2人から少し離れる。
「スズ?流石のスズでもここだけはボクに譲って欲しい所なのですよ」
「それを言うならラタン姉、私はこの秘密をすぐにでも皆に広げようと思いますよ?せっかくの良い話なんですから」
ぐぬぬ、とお互いに譲らず睨み合いが続く。よし、ここは僕からも案を出そう。なんだかんだ2人は僕に甘いのだから、それで決まれば安泰だ。
「ルクス、なんてどうかな?光って意味の」
僕の案に、2人の睨み合いは止まった。でも、2人の様子が変で、「どうする?」といった表情をしながら目で会話をしている。やがてまとまったのだろう、2人で頷いて僕に向き直った。
「「却下で」」
「ええっ、どうしてさ?」
我ながら良い名前だと思っていた分、2人合わせての却下にショックを受ける。そんなにダメなものであっただろうか?
「いえ、名前単体で見るならば良い案だとは思いますよ?でも、キルヴィは他にも考えないといけない事があるのを忘れてますのです」
考えないといけない事?いったい何のことを言っているのだろうと首を傾げたら、分かっているらしいリリーさんがやれやれとヒントをくれた。
「今、キルヴィの家には誰が帰りを待っているか考えれば自ずと分かるはずだよ」
待っている人……留守番してくれているのはアンちゃん、グミさん、カシスさん、トトさん、ニニさん、それからルルちゃんの筈。
……ルルちゃん?
「分かったかい?同じ空間に、同じような歳の生まれの子がいて、名前も似ているとなったら私達はともかく分別のつかない小さなその子達は混乱しちゃう事になるのさ」
「……勉強になりました」
そうか。危うく誰も幸せになれない空間を作ってしまう所であった。僕と違い、2人はすぐに思い至ったのであろう。だからこそ却下されたのだ。
「そうですね……私はスーテラを提案します。この子はまるで、そう、私にとっての希望の星のようなので」
とはスズちゃんの案だ。悪くないと思う、意図したかはわからないがスズちゃんとラタン姉から一文字ずつ取られている形になるし。
「くっ、なかなかやりますね、スズ!ボクはモニカを挙げますのです。特に深い意味はありませんが強いて言うならばまた朝が来るように、と言った所でしょうか」
ラタン姉の案。こちらは名前に擦りはしていないものの可愛らしい名前だ。女性名である事に疑問に思ったのでリリーさんに尋ねると、精霊の殆どが女性型だから大丈夫だろうとのこと。……確かに知ってる精霊は女性ばかりか。
「さあ、リリーさんの番ですよ!」
「えっ、私もかい!?いやいやいや、親になるあんたらで決めなさいな」
突然の巻き込み発言に目を白黒させたリリーさんであったが、2人は譲る姿勢を見せなかった。いや、そこで譲り合いの精神を見せるのであれば名前は決められたような……おそらくこの過程を楽しんでいるのだろう。
「えー?そ、そうね……トワちゃんとか、どうかしら?」
あまり見慣れない、照れた様子のリリーさんが尻すぼみ気味にそう言うと、手にしていたこの子が強く瞬いた。
「みっ、見ましたかスズ!まだ生まれてもいないのに反応してましたよ!この子は天才かもしれません!」
「見たよラタン姉!本人が気に入ったんならもうこれは決まりだよ!君の名は、トワちゃんだよ!」
高いテンションで互いを抱きしめ合いながら喜ぶ様は、既に親バカの片鱗が見えているようであった。それに困惑し、置いてけぼりになったのは当のリリーさんであった。
「親同士で喜んでるのは結構だけど、本当に良いのかい?私は赤の他人なんだよ?」
「何言ってるんですかリリーさん、あなたもこの子の親なのですよ?トワという名前をつけた、名付け親なんですから」
ラタン姉の言葉を聞いて、リリーさんは目をぱちぱちして「そっか……名付け親かぁ。私も親になれたんだ、ふふ」と嬉しそうに笑ったのであった。
そうか、名前をつける楽しみもあるのか。トワの次が待ち遠しいなぁと思いながら何気なく2人の方を見ると、ラタン姉は恥ずかしげに俯き、逆にスズちゃんはグッと握り拳を固めてみせる。……そ、そういうのは大人になってからだからね?
「さて、私は一旦隊の所に戻るよ。トワにも会いに、またすぐ来ると思うけれどね」
そう言ってリリーさんは僕らに背を向け、朝日に照らされた街中へと紛れていった。僕達はそれを見届けるとこれからのことに想いを馳せる。
「今日は家に帰るんですよね?グリムには顔を出していきますか?」
スズちゃんが小首を傾げながらそう尋ねてくる。
「ハドソン達には会いたいけれど、あと少しで契約が切れる面々からしたら厄介者だろうし行かないでおくよ。僕も昨夜はあんまり寝てないから、疲れたしね」
「そうですか、わかりました。ではツムジさん達に挨拶したら帰りましょうか、私達の家に……ふふっ」
自分で言ってから今の状況を鑑みたのだろう、照れ笑いをしてみせるスズちゃんであった。
「何だか賑やかだが、何か良いことでもあったのかい?」
僕達が話していると、昨日死んだ様に眠っていたツムジさんがのっそりとした様子で現れた。
「もう起きても大丈夫なんですかツムジ?」
「ああ、まあな。いつまでも寝てるわけにもいかんさ」
ラタン姉の言葉に返答しながらツムジさんはラタン姉の顔を目を細くしながらマジマジと見つめ、そしてフッと笑った。
「なんだかラタン姉、知らないうちにすっかり女っぽくなっちまったな。前は軽口の一つでも飛ばしてきたもんだが」
「失礼な、流石に弱っているあなたにそんな事は数回しかしてませんよ!ほっとけませんしね」
した事があるの!?というスズちゃんからの突っ込みを適度に流しつつ、昔ながらの応酬を繰り広げるラタンさんとツムジさん。
「まだまだこれからやりたい事あるんだろう?私の事など気にせずとも、好きにやると良いさ」
「いえいえ、なんだかんだとやる事もありますし」
そう言って昨日ツムジさんが伏せった後のことを語り出すラタン姉。話の中で結婚の話に照れながら触れた時に、ツムジさんは首を傾げた。
「なんだ、待たずともあげれば良いじゃないか式を」
「ええっ、でもまだ大人じゃないですし」
「あのなぁ、別に法律で定まってるわけじゃないんだぞ?子作りに関しては親になる負担が大きいし、大人になるまでは守ったほうがいいだろうが……うん?どうしたんだ」
「べっ、べべべ別に?なんでもないのですよ!?」
まさかもう子がいるとも言えず動揺しまくるラタン姉に対して、首を大きく傾げつつも改めて話を続けるツムジさん。
「セラーノさんも結婚を考えているんだろう?君達だって、もうお互い以外考えられない状態だ。クロムはおそらく昔私が戯れに言った「主人より先に結婚するものではない」なんてのを律儀に守るつもりだろうし」
昨日モーリーさんへ少し待ってくれと言っていたのはそういう事だったのか。別に僕達の事は気にしなくて良いのだけれど、なんともクロムらしい。
「だからそうだな……春にでもまとめて式を挙げればいいと思うぞ?」
「もう結婚、してもいいのですか?ボクが?」
おずおずとした様子で、何度も何度も確認するラタン姉にツムジさんは「ああ。ああ」と優しく答える。
「春になったら、また来るといい。そうだな、春告げ祭なら有志を集められるだろう。あ、もちろんそれなりの格好をしてだぞ?」
笑いながらそう告げるツムジさんに対して、僕はただただ頭を下げる事しかできなかった。
皆が揃った朝の食事の席でツムジさんが改めてその事を告げると、モーリーさんは「よかったね!」とクロムと喜び合い、反対にセラーノさんはいよいよかと覚悟を決めた顔になっていた。
ツムジさん達にお礼と別れを告げた後、僕達は我が家へと転移する。約1週間ぶりの帰宅だというのにとても長く空けていた感じがし、ただいまと告げながらドアを開ける。
「よう、邪魔しているぞ」
聞こえてきたのは想定していない、何でここにいるのかわからない奴の声であった。




