スズちゃんの説明
「ごめんなさいね、あの人は疲れて眠ってしまったわ。今ナギがお茶を淹れてるから少し待っててね」
家にあげてもらい応接室で待たせてもらっていると、暫くしてからヒカタさんが来て僕達にそう告げる。その顔は無理に笑っているかのような、悲しい表情であった。
「その、ヒカタさんも無理はなさらずに」
「いいえキルヴィ君。私だってイブキちゃんの親なのに、あの人だけに背負わせてしまったんだもの。今無理をしないと私達はずっと後悔するわ」
そこにナギさんがお茶とちょっとしたお菓子を持って入ってきた。その目もやはり赤く、腫ぼったいものであったがヒカタさんの目と同様に決意で固まっていた。
「さあキルヴィ君、お姉ちゃんの話を聞かせて?その様変わりしてしまった……スズちゃんで合ってるわよね?その姿も気になるし」
そう言ってちらちらとスズちゃんの方へ視線を動かす。突然1年分の成長をした彼女に戸惑いを隠せないのだろう、そう思って見ていると手元がワキワキと動いていた。あ、これはただ単に着せ替え人形にしたいのかもしれない。
それはそれとして、イブキさんの話をする、そう決心していたはずなのにいざ話すとなるとどこから話せばいいのだろうかと悩む。
ナギさんとは時々情報交換していたけれど、ヒカタさんは知らないのだからそこも交えた方がいいだろう。そう思っているとスズちゃんが口を開いた。
「イブキさんだって、かわいそうな被害者なんです。もちろん全部が全部、という訳ではないのでしょうけど」
「かわいそうな被害者?……スズちゃん、下手な慰めはいらないわよ?」
「慰めではありません」そう言いながら僕も知らない事を含めて話し始める。天使像、ウルという名の意味、代償を払い蘇らせ、更に力を与えるために自分の身体をも対価にしていた事。それらを聞いてヒカタさんは惚けたようになり、対照的にナギさんは怒りを覚えたようであった。
「なによ、なによそれ!じゃあ初めから仕組まれていたって言いたいの!?お姉ちゃんの、私達の抱いた恋心すら作られたものだって、そういう事なの!?」
「落ち着きなさい、落ち着いてナギ!」
立ち上がり、自分の感情を露わにしたナギさんにハッとしたヒカタさんが抑えにかかるも、噴き出した想いはとても収まるものではなかった。
「とても落ち着けないよお母さん、今のが本当なら冗談じゃない!この気持ちは、想いは!人に好き勝手に嬲られて良いものなんかじゃないのに!人生もメチャクチャにされて、落ち着いてなんか、いられないよ……!」
ハアハアと肩で息をしながら、大粒で流れる涙も気にせずスズちゃんを強く睨むナギさん。いや、スズちゃんに対して睨んでいる訳ではない。ただ矛先が既になく、やるせない気持ちが暴露されているだけなのだ。
「……ごめんスズちゃん、ちょっと頭冷やしてくる」
ふらふらとした足取りになりながら立ち去るナギさんを、後ろからヒカタさんが支えて歩いて行ったのを見届けると、応接室には沈んだ空気だけが残った。
「……とても本人に直接言えませんが、あの様子なら気づいてますよね。ナギさんだって、イブキさんになり得たんですから」
小さな声でスズちゃんはそう言った。その内容は思い当たる節が多すぎる。ウルと接触したことがあるのもそうだがMAPで表示が怪しかったり、イブキさんの記憶が残っていたり。
ウルの事なので保険をかけ、バックアップ的な物としてナギさんの事も時々蝕んでいたのであろう。その呪縛をただの一般人である武器屋のお兄さんに解かれた事は想定外だったかもしれないが。
「しかし、驚いたな。スズはどこでそんな情報を得たんだ?」
クロムがそう尋ねると、スズちゃんはあの黒い本を取り出した。それを見てついクロムが身構えてしまったのは、無理もない事だろう。
「この書の中、イブキさんは冥府の書と言ってましたのでそれに倣いますがそこで賢人達と共に至った結論です」
「賢人達と?そういえばその書の中であった事をちゃんと覚えているって話だったっけ。その中で何があったって言うんだい?」
「そもそも、書の中に囚われたのは代償の対価として敵にも力を与えるためって理由だったんです。入ってすぐの時にイブキさんからそう告げられました」
既に子を成すこともできない身体であると告げられたと聞くと、女性陣は目を伏せる。男性陣の中でもカシスさんの事があるセラーノさんは鎮痛な表情を見せていた。
「それじゃ何度も僕達の前に現れたイブキさんって……」
「ほぼほぼ外見だけしか取り繕えてなかった筈です。内臓系を悉く代償に費やしていたのですから」
アンデットだからこそできる、執念の奉仕。いや、半ば操られていたのであればこれは奉仕と呼べるのだろうか。聞けば聞くほどにイブキさんは被害者であると言う認識が強くなっていく。
「ああごめん遮ったね。話を続けておくれ」
「うん。イブキさんが去った後覚えるべき魔法を提示されたんだけど、それを習得している最中にアミスさん……冥府の書の主人に会ったの」
冥府の書の主人か。言葉だけで考えると恐ろしく思えてしまうが、スズちゃんの柔らかい表情からしてそれだけの存在ではないのだろうか。
「アミスさんはマ族の人で、現世にいた時は有名だったみたいなんだけど誰か知ってる?犬の頭で腕に白い翼が生えてる褐色な女性なんだけど……」
マ族の事なので自然と僕の方に視線が集まったが、残念ながらメ族の中でそんな名前の人の話は上がってこなかった。といっても疎まれていた僕に対して誰かがそんな話をする訳もなく、もしかしたらただ単に僕が知らないだけかもしれないが。
そんな調子で僕の口が動かないでいると、意外なところから声が上がった。
「うーん……違うかもしれないけど、それって御伽噺に出てきた魔女の特徴に似てるかもしれないですね」
頬に手を当てそう答えたモーリーさんに、「ああ、境界の魔女ですか」と相槌を入れるセラーノさん。どうやらライカンスに伝わる御伽噺にその姿の人物が出てくるらしい。
「あ、たしかそんな別名もあるってリゲルさんも言ってました」
「また唐突に別の人の名前が出てきましたね……ってリゲル?なんか聞き覚えがありますです」
今度はラタン姉が反応する。しかし、僕もなんだか聞いた覚えがある気が……ってああ!
「それってもしかして初代イレーナ?」
「はい、その通りですキルヴィ様。もしかして記憶が?」
その問いに対して「まだ曖昧だけどね」と返しながら首にかけているお守りに触れる。僕はその人に会ったことがある、筈だ。
このお守り……正確にはイレーナ当主の指輪に宿った力で、僕は1年の修行を経て窮地を脱することができたのだ。
「え、でもどうしてリゲルさんがスズちゃんに会えるの?指輪の世界と行き来できる感じなのかな」
「ああそれはアミスさんが無理矢理指輪の世界から書の世界に引きずり込みました」
世界を跨いで引きずり込む!?世界の隔たりを越える術がずいぶん手荒な方法にさらに驚いてしまった。
「で、天使像についてのあれこれを話してるうちにこっち側が結構やばい状況なんじゃないかってなって、本来覚える筈だった魔法の最新版を教わったのです」
「それが、僕達が手も足も出せなかったウルを、逆に完封できるようになった結界?」
僕の言葉にスズちゃんは頷く。
「髪は不足分の徴収ですね、髪にも魔力とかが宿るそうで」
冥府の書から戻ってきたスズちゃんが起点となり、僕達はウルに勝つことができた。闇の力に染まった攻撃をいとも容易く防ぎ、あの場にいたメンバー全員を回復魔法で一気に癒し、自尊心の塊であったウルの心をへし折った。
言うなればスズちゃんは僕達皆の命の恩人なのだ。
「どっちかと言いますと、あれは副産物的な物で場の支配……空間支配上書きの魔法なんです。実際に学んだのは空間支配の魔法でして」
「それは、どう違うのですか?」
「既にその場にあるものを使うのと、一から作らないといけない事の差です。場の分析をして支配権を乗っ取る分には私、自身があるんですけど」
そこまで言うと、スズちゃんは口籠もる。どうしたのか尋ねてみると、
「あれ、マ族ではない私が空間支配の方、場から作ろうとすると魔力も時間もすごく使ってしまうんですよ。なので実用的かと聞かれると……」
と、やや落ち込んだような様子で話した。
「マ族ならアドバンテージがあるの?何でだろ」
つい気になって尋ねてみると「やっぱりそう思いますよね」とうんうんと頷きながらスズちゃんが答える。
「マ族のマって、私はてっきり魔法とかのマだと思っていたんですが。実は間って意味も含まれているんだって聞きました。ほら、キルヴィ様も空間魔法得意でしょう?」
僕も得意な空間魔法、と言われても一瞬ピンと来なかったが。MAPは広範囲の地形把握や空間を対象とした移動が可能だし地形変化や天候操作なんて空間を対象とした魔法に他ならなかった。
「あ、でもそしたらキルヴィに場の形成をして貰えばいいのではないですか?」
「それは私も考えたけど、最初からキルヴィ様に支配までやって貰えばいい話になるんですよね。なので、やっぱり相手が場を形成しているときくらいしか活用の幅がないかなって」
どうやら本当に対天使用……対マ族用の技らしい。でも、やり方さえわかれば僕も場の支配を使えるのなら、スズちゃん個人が無理だとしても僕達としての戦力は大幅に上がったと言えるだろう。
だけど……
「仕方がなかったとはいえ、それでスズちゃんの綺麗な髪を代償に使わないといけなかったのは僕としても悲しいなぁ」
「うぅ、そんなに残念がられると申し訳ない気持ちになります。でも、繰り返しますが代償としては軽いほうなんですよ?」
先程まで話していたイブキさんの事を思い出せば、髪で済むのが如何に軽いものなのかは頭では理解している。理解しているのだが。
「理屈じゃ、ないんだよなぁ」
僕はそう呟きながら、ついついスズちゃんの頭を撫でてしまうのであった。




