書の中のスズちゃん3
「この大陸の外には大瀑布があり、それより先には世界は存在しない」とは、いったいいつ頃聞いた話であったか。それくらい普遍的な価値観であり、疑問にすら思わなかった事柄だ。
彼女の話が本当なのであれば、海の向こうにも大地は広がっていて、そこに暮らす人もいて、その先にはまだ見ぬ世界も広がっているということになる。
それはーーそれはなんて、素敵な事なのだろう。
「その顔、そしてこの心の声……お主も中々、冒険好きなんじゃのぅ」
なぜかほっこりしたような顔のアミスさんに笑われる。だけどこの気持ちは仕方がない事なのだ。
キルヴィ様に連れられてこの大陸のあちこちを旅し、その度に自分の知る世界が広がっていく、この楽しみ。はじめはそれほどでもなかったけれど、好きな人の、好きな事を支えているうちに自分でもだんだんと好きになっていった。そして、次第に好きの意味が私の中で変わっていったのだ。
「うむ、好いてる者に惹かれて、か。いいのういいのう。青春しておるのう」
うんうんと頷くアミスさん。幼い見た目と違い、なんだか年寄りくさいと言うか……先の話からしてだいぶ昔の話だし、それを知っていると言う事はラタン姉同様に中身は老熟しているのだろう。
「ワシとて、好きでこんなナリではないぞ。歳はいいとうないが、これでも現世にいる頃は子も孫もおったわ」
心を読んだアミスさんにジト目でそう言われるが、見た目的には自分と同じかそれよりも幼いので、いったいどんな嗜好の人がお相手だったのかとさらに思考が逸れていく。
「いやいやいやいや、勘違いしてくれるな!言葉足らずじゃったか!?こんな幼い姿格好になったのはこの本に籠るようになってからであって、現世におる頃は普通にぐらまらすな姿じゃったって!ワシの旦那様を下げるでない!」
「あ、なるほど」
すごく取り乱した様子になったアミスさんに謝りを入れつつ、逸れた思考を戻していく。
そもそもアミスさんが現世にいた頃というのは、いったいいつ頃の話なのだろうか。その頃から存命の存在がいるのであれば、海の向こうに何があるかというのは早々失われる情報ではないだろうし、たとえ生きていないとしても口伝なり書付なりで残る筈だ。ベルスト歴になる前後のことであろうか?
「ベルスト歴……?悪いが知らんな。お主らが住んでおるのがルベスト人民共和国、元はルベスト大国と言うらしいがそれも聞いた事は……あ。いや、まさかのう」
「何か思い当たったんですか?」
言葉を途中で切り、かぶりを振るアミスさんに尋ねる。
「その時は国でもなんでもなかった筈じゃが、最近ルベスとかいう街が賑わっているからいつか一緒に行こうと息子の嫁に誘われた覚えが……」
「あー、なんかそれっぽい話ですね。街って事は国に属していたと思うんですけど、その国の名前ってなんだったんですか?ベルスト歴になる前の資料って、私見たことがなくて」
栄えた街が自治権を得て国となる。それは今も昔も変わらないようだ。ルベスト大国から独立して国となった4国も始まりはそうであったし、ここアムストルも違う未来を行けば国へと発展していったかもしれない。
「なんだかサラッと流すのぅ。い、いや。結局行けずじまいだったから突っ込んで聞かれても困ったけどもな。国名か?ジペト……じゃったかなぁ?暦もジペト暦じゃった」
ジペト。やはり聞いた事はなかったものの、恐らくはルベスト成立の直前にあった国。暦をなぜ変えたのか、それは定かではない。が、何もかも一新したいという表れだったのかもしれない。
「そう取るか。そうかも、しれんなぁ。使徒の存在を、マ族の事を人々の心から消し去りたいのであれば全てを作り直した方が手っ取り早いからの」
アミスさんは少し寂しげに呟く。
「ルベスト国の成立の伝説には人間、エルフ、ライカンス、精霊、アードナーがそれぞれ協力して成ったという教えがあります。だから、そう悲観的な捉え方ではなく、これから新しく絆を作っていこうとした表れだったと考えてもいいんじゃないでしょうか?」
「本当かぇ?そうなら良いのぅ」
過去へと想いを馳せるのになんとか一段落つかせ、今度こそ心聞を受ける。アミスさんは口に出す性分のようで、自分の思い出を他人の口から聞かされる事になったが、なんだか思っていた以上に恥ずかしさを覚えた。
「天使像?お主……天使とは何か、説明できるか?」
突然真顔になったアミスさんの言葉に現実に引き戻される。
天使像といえば、アンジュ様が大事にしていた物だ。一時その息子のウルさんにも渡されていたけど、その時に落として壊れてしまったとも聞いている。しばらくは行方知れずだったけど、実はツムジさんの家にあったのを発見して持ち帰った。アンジュ様が亡くなった時に一緒に埋葬したけれど、イブキさんに掘り起こされて、またも行方知れずになっていた筈……
「それは像のありかの説明じゃな。天使について尋ねておるのじゃが」
アミスさんに突っ込まれる。天使といえば、白くて美しい、羽が生えた人物を象っているイメージだけれど……これは天使像から感じたイメージだ。
思えば、天使という存在について、小さい時に像を見た事で疑問に思わなかったけれど後にも先にもあの像以外では聞いたことがない。
「あやしいな。近くからずっと感じておる同族の気配……其奴にも聞いてみるとするか」
そう言って手繰り寄せるような手つきをして見せると、空から人?が落下してきて地面に転がった。
「いたた……同族がいるとは感じていたが、まさか境界干渉されるとは思わなかったぞ」
その人物は一対の角と竜種の翼と尻尾を持ち、長い耳をした中性的な姿をしていた。目にはやはり、魔結晶が付いている。この人もアードナーだ。
なぜだか懐かしさを覚えた事もあり、その人に手を出して助け起こしてあげる。
「ああ、手荒な真似をして悪かったの?何分事態が事態故許せ。ワシはアミス、こっちはスズじゃ」
「アミス……まさか、本物か!?わ、私はリゲル。リゲル・イレーナです」
アミスさんの名を聞いた途端に身を正した青年の名乗りに、今度は私が驚いたのであった。




