トリコ
まさかイブキさんに囚われている隙に殺されてしまったのではないか、と嫌な考えが過ぎる。が、MAPを見ると確かな生命反応がある。静かにしていると呼吸音が聞こえ、それにあわせて胸も上下に動いていた。
よかった、息はあるようだ。そこでようやくあたりを見回してみる。
散らばった骨と鎧に見覚えがある。どうやらここは黒い水の後に辿り着いた砦のようだ。僕達の近くにはスズちゃんが命の灯火を施したはずの兵士が、しかし回復された様子もなく下半身が無い状態の亡骸になっているのを確認することができた。
馬鹿な、確かに失敗こそしたが心以外全て修復できたはずだ。まさか、あの段階から現実と幻が替わっていたというのか。あの魔法の行使も、転移も。せいぜい、オスロとの再会あたりからだと思っていた。
ともかく、立て直そう。ひとまずはここから離れるべきだ。「スズちゃん起きて」と呼びかける。反応はない。肩を揺する。抵抗をみせず、揺らした通りに身体が動く。悪いとは思ったが、少し強めにはたいたものの、一向に目がさめる気配を見せない。
背中に嫌な汗が伝う。MAPを確認し、スズちゃんが生きている事を何度も確認する。
いや、確かに生体反応を示すが、本当にこれは正常に機能しているのか?目に見えているこれは正しいのか?わからない、わからない……
「ダメだダメだ!一旦落ち着こう。夢かどうか確かめるすべがないのであれば、ひとまずは見えているものを信じるしかない!」
言葉に出して頭を働かせる。そうだ、落ち着こう。スズちゃんの悪戯である可能性だってあるのだ。疲れがたまっていて、深く寝入ってしまっただけかもしれない。
この砦の中という空間だからダメなのかもしれない。抱きかかえて外に向かって縮地する。空を見上げると時間は経っていたのか、既に日が傾きかけていた。
大規模なアンデッド化こそ予見できていたものの、黒い水、そしてイブキさんのあの幻術……一度、本格的に立て直しを考えてもいいかもしれない。相手が想定していたよりもずっと強大だ。それに、僕を狙ってのイブキさんの行動を見るにこちらの情報はとうに割れてしまっているのだ。僕の意識から作戦だって筒抜けになってしまっただろう。はたして、他の隊は大丈夫なのだろうか?
視線を落としてかかえたスズちゃんの顔を見やる。そこに転がっている男があの幻の中でなっていた、心壊状態になっていないか、不安になってくる。そうなっていたらどうしよう。治すことが、できるのだろうか。
優しく頭を撫でたところでようやく、スズちゃんがその手に何かを握っているのに気がついた。どうやら古ぼけた本のようだ。スズちゃんはこんな物を持っていただろうか?少し悪いとは思いつつ、スズちゃんの手からその本を抜き取り中を改める。中の文面が縦横無尽に動き、次々と入れ替わっていく様を見せた。どうやら魔道書の類のようだ。
数頁パラパラとめくっていくと、主文を書いているのとは違う、見慣れた筆跡のものがいくつか点在しているのに気がつく。これは、スズちゃんの字だ。こちらに気がついているのかスズちゃんの字が反応する。
『時間はかかりましょうが、ご心配なさらぬよう。私は必ずキルヴィ様の元へ戻ります』
そんな文を書き加えてみせた。
彼女の意識が生きている。それだけでさっきまで抱えていた不安が一気に和らぐのを感じる。
「スズちゃん、どうしてそんなことに?」
『今は、まだ。本を、私の体の近くへ』
その内容を答えることができない、と言うことか。それに、こちらの言葉は聞こえているようだ。意思疎通ができただけで、ここまで安心できるとは。言われるがままに、元のようにスズちゃんの手の中に納めさせる。直後、スズちゃんが浮いたかと思うと、本を残してどこかへと消えてしまった。慌てて本を拾い上げる。
『あれではかさばってキルヴィ様の妨げになるので回収を。本となってしまいましたがこの身、貴方のお側へと寄り添わせて頂きたく』
「ああ、もちろん。もちろんだよスズちゃん」
愛しくなり、その本を抱きしめる。スズちゃんの体こそ見えないがMAPの生体反応は間違いなくこの場に感じられる。それからそっと、手荷物の中へとしまい込む。
彼女がいつでも戻って来られるように、整えねばなるまい。その為には早くこの不確定で危険な状態を終わらせなければ。立て直しを図るよりも、どうせイブキさんにはもう包囲作戦はバレてしまったのだから、強行軍として片っ端から削り取ってしまおう。
そうと決まれば善は急げ。僕は縮地でこの場を後にしたのであった。




