旅立ち
それは、突然の出来事であった。
だが、幼心にぼんやりとだがいつか訪れるんじゃないかなとは思っていた。
今、僕の目の前には少しだけ装飾がされた、それでいながら機能性は損なっていないシンプルなナイフが松明の光をうけて薄く光っていた。
「今ここで自らの命を絶つことでその血の誇りを貫くか、明日の日の出前にこの集落を去り我らのあずかり知らぬところで生を全うしようとするか・・・選ぶがよい。そのナイフはせめてもの親心よ、気前の良い私に感謝せよ」
目の前にいる僕の父、この集落における族長はそういって、僕の返事をまっている。その雰囲気からこれが冗談で言われていることでないのは明らかであった。
僕は別段悪いことをしたわけではない。
いや、彼からしたら僕が生を受けたことが罪なのかもしれない。気が付くと僕は額をさすっていた。父には・・・いや、僕以外のみんなには当たり前のように額にあるものが僕にはなかった。
「族長である我の子であるというのに、優れし者である証の第三の目がないとは実に情けない。ジーニアは、お前の兄は一族の中でも格別大きく、鮮やかな色をした目を持って生まれてきたというのに」
そういって、隣で控えている兄の頭をなでる。
兄は――ジーニアは事態がよくわかっていないのだろう。僕が父からナイフをもらったというのを見て僕にもほしいと甘えた声を出してねだっていた。その額には燃える炎のような緋色の結晶がその存在感を主張していた。僕の持たないものがそこにあり、思わず見つめてしまう。そこに見せつけるかのように父はよしよし、お前にはもっといいものを与えようと頭をポンポンとたたいている。
仲睦まじい親子の関係。
僕は一度たりとも経験をしたことがなかった。
物心がついたころから。いや、知らないだけで生まれてからずっと、近くて、最も遠い存在であった。
兄は族長として身なりの良い格好をして、質のいい食事をするのに対し、僕はかろうじて服と呼べる端切れを渡され、食事を用意するときに出た余り物をうけて育った。
ゆえに、兄弟とはこのようなものだろうと誤解をしていた時期もある。
だが、集落に住む年の近い兄弟が、親から与えられた食事を仲良く二人で分け合っているところを見てその誤解は解けた。
その光景は僕にとってはひどくまぶしくて。
なぜ同じ兄弟という関係であるのにここまで差があるのかと嫉妬と憎悪で涙を流した。
「……わかりました。明日の朝と言わず、すぐにでもここを発つとしましょう。幸いなことに、僕には持っていく荷物などありはしないのですから」
憎しみから。僕は拒絶する意味合いを込めて敬語を使うようになり、血がつながっている彼らとも他人行儀で通すようになった。甘えたいという心を捨て、幼いながらに自給自足ができるように狩猟についていったりもした。
「ほう、出ていくというのか。そこまでして生きたい理由など何もないだろうに。それに出たとして遊びでしか外を知らないお前にはこの冬を乗り切ることはできんだろうになぁ?」
「今までありがとうございました。お言葉通り、このナイフはいただいていきますね」
族長の言葉を無視し、挨拶をしながら外に出る。後ろから怒鳴っている声とそれに驚いたであろう兄の鳴き声が聞こえるが気にしないでさっさと集落から離れてしまおう。
しかし遊びか。人目のつくところで遊んだことなんてないから狩猟のことだろう。とれるものは大した量でもなく、さらには同行した大人たちにいつも取り上げられていたため目の前の彼らには無駄な遊びをしているように感じられたのだろう。悔しさから歯軋りをしそうになる。
だけど、僕にはもう関係のないことだ。
ある意味ではこうなってくれることを僕は期待していたのかもしれない。これで僕は負い目を感じることなく生を全うすることができるのだから。