使用人と森
今回1話クロム視点です
「ふう、ようやく体に力が入るようになってきましたね」
手を握ったり開いたりしながら、1人雪の降る森の中で寝転ぶ。客人であるリリーさんに雪遁走術を教えてもらってから他の稽古もお願いしたはいいが、剣の振り方について二、三言言われただけで才能があると言われた。
しばらく体の動かし型を指導受けたところで調子に乗って手合わせまでお願いしたらまさかひと睨みで体が動かなくなるとは思わなかった。スタスタと近寄ってこられて、手に持ったそこら辺の枝で頭を軽く叩かれたが、戦場なら間違いなく自分は死んでることだろう。
そのまま柔軟運動をしていると、風もないのに近くの木立が騒めき、大きな音を立てた。続いて聞こえる荒々しい息づかい。
「ランスボア、か。それにオーガベアも」
ランスボアが3体編成で3組、親子らしきオーガベアが2体、自分をぐるりと囲んでいる。リリーさんのプレッシャーに当てられて冬眠から目覚めてしまったのだろう。こちらが1人なのもあり、とても気が立っている。ランスボアが突進の準備をしているのを見ながら、自らの手元を小刻みに動かしこちらも戦闘態勢を整える。
こいつらはこの森に来たばかりの頃、怖くて怖くて仕方がなかった魔物だ。父や、村の大人達からは「子供が敵う相手ではない。大人だって命がけで狩るか狩られるかなんだ」と散々言われてきたからだ。尊敬している父が言うのだから、間違いないと思っていた。
それを覆したのは、なんと自分よりも年下の少年だった。一人でも狩れると言ってのけた彼は、仕込みの手伝いをお願いしてきたものの、相手の特性を熟知しており、その言葉通り幼い私やスズを背にほとんど一人でランスボア3体を相手に戦い、撃退してみせたのだ。
過去に想いを馳せていると、オーガベアはまだ様子を伺っているようだが、ランスボアは違う。痺れを切らしたようで時間差でこちらを狙った波状攻撃。特に今回はこちらを囲んだ状態の3組と言うこともあり、避けるのがなかなか難しい攻撃になっている。そう、避けるのであれば、だが。
「ここはすでに私のテリトリーだ」
甲高い声で悲鳴をあげるランスボア達。全部で9体いる内の4体が、勢いよく今しがた私が仕掛けた鋼糸に突進し自らの足を切断したのだ。
私はラタン姉の様に幾多の属性の魔法を扱える様な器用さは持っていない。剣の力を借りれば近くにいる相手を少し吹き飛ばす程度の風圧は放てるが、スズの様に攻撃魔法を遠くに放つこともできない。2人のように回復魔法だってできない。まして、自らの主人であるキルヴィと比べるなどおこがましい実力だ。
だが。
武器に魔力を通して操ることに関しては、うちのメンバーの中で一番でありたい、と思っている。
操糸の術。今回リリーさんに教えてもらって自分のものにできた技の1つで、糸状の物に魔力を均等に通し、動かす事を可能とする。糸の材質と重さによってその難易度は大きく変わるとの話だった。私が操る鋼糸は難しい分類に分けられていたが、半ば使い慣れていたという事もあり難しいとはさして思わなかった。
先ほど指を動かした時に鋼糸を足元に張り巡らせ、大掛かりな罠を作ったのであった。かつて、キルヴィが教えてくれた草結びが効果的であったように、雪が邪魔で足元などろくに見えない彼らは絶好の獲物であった。
「それ、追撃だ」
罠にかからなかったランスボアの背中めがけて今度は魔力を通さずに薙ぎ払うように糸を振る。それだけで大きな鉤爪が通ったかのように通過した箇所を幾重にもえぐり取る。狙ったランスボアは刻まれ、その近くにいた体格の小さいオーガベアをも真っ二つにした。
グオオオオ!
それを見て、残ったオーガベアが発狂する。狩人がオーガベアを狩猟しなければならなくて、大きさの違うオーガベアに合間見えた時、狩人としてやってはいけないタブーがあることを思い出す。小さい方のオーガベアに決して先に手を出してはいけない、という事だ。
オーガベアは熊の魔物だ。矢を通さぬ剛毛、怪力から放たれるナイフのように強靭な爪、名前の由来となった鬼のものにも見える大顎。それだけでも厄介なのに、非常に親子愛が強いということでも知られている。もし子熊を殺そうものなら激昂状態になり体から高熱のガスを噴出して発火、なりふり構わず暴れ狂い、辺り一面を焦土とする危険な化け物なのだ。目の前のオーガベアもまさしく、激昂状態になろうとしている。周りの雪を溶かされ、雪遁走術は無効化された。
危険を察知したのか、逃げ出そうとしたランスボアをオーガベアはその爪でいとも簡単に突き刺した。炙られた猪肉の焼ける良い匂いがしたかと思うと、早くも黒く焦げていく。炭と化した元ランスボアをこちらに投げ飛ばしてくるのでかわしつつ、速攻で首を飛ばそうと鋼糸を放つも、爪と爪の隙間に挟み込んで無効化されたかと思うと強引に引き寄せられた。
「くっ!」
途中にあった木を足場にし、姿勢を整えて自ら飛び込む。オーガベア周辺は熱苦しく、とても長くは持たない。一撃だ。一撃でこいつを仕留めれなければ私はこいつに殺されることになるだろう。
「頼んだぞ、相棒」
高温のガスで揺らめく中に翠の一閃。使い込まれた私の相棒であるこの剣によって袈裟斬りに裂かれたオーガベアの前へと着地をする。1テンポ遅れてドスン、と巨体が倒れる音が森に響く。
「私もとっくに化け物の仲間だ」
かつての猛者の亡骸に背を向けて、幼き日の恐怖を乗り越えだ事を実感し。使用人の青年は屋敷へと戻るのであった。