面影
「あっ」
アンちゃん閉じ込め事件、そしてラタン姉からのお叱りから数日後、雪の中に雹が混じり、冬の寒さが厳しくなってきたある日の事だった。特にすることもなく皆で寛いでいたところニニさんが突然立ち上がる。気がつくと足元が血だらけになっていた。何事かとアンちゃんが悲鳴をあげた。
「ど、どうしたんだいニニ?もしかして?」
「トトさんどうしよう……うん、もう産まれそう。わりと、猶予なく」
訊ね返したトトさんへやや青白い顔になりながらニニさんがそう告げる。いつもの間延びした話し方も鳴りを潜めているようだった。
……えっ。
「うわーおどどどどうしましょうここには産婆さんとなれる人はいませんし経産婦もいません!どうすれば、どうすれば!」
屋敷の中が騒然となる。その中でもものすごい取り乱しかたをしているラタン姉。いつもの頼みの綱がこんな感じとなるなんて。
「と、とりあえずニニさんを楽な姿勢へ!ぬるま湯と清潔な布を用意する、はずです確か!」
グミさんが指揮をとり、スズちゃんがそれらを用意するために出て行く。僕達はどうして良いかと右往左往しているとグミさんから睨まれる。
「セラーノ!年長者としてキルヴィさん達を連れて外に出なさい!良いというまでここは男性厳禁です、良いですね?」
「わ、わかった」
「一緒に出て行こうとしてますが貴方はこっちですよトトさん!貴方がニニさんを支えないでどうするのですか!」
「ご、ごめんなさい」
まさにドタバタとしていた。バタンと勢いよく締め出されるトトさん除いた僕等男組。はぁ、と溜息が漏れる。
子供、かあ。子供が出来るって、どんな感じなんだろうか?こんなことを考えるのは自分はまだまだ子供なのかもしれない。何はともあれ新たな住人が増えるのは喜ばしいことだろう。
「出産にはとても体力を使うと聞きます。ニニさんも食べれるようにスープでも作っておきましょうか」
クロムがそう言う。特に出来ることもないし、僕も手伝おう。歩き出したところで色々抱えたスズちゃんとすれ違う。
「あっ、キルヴィ様。すみませんが扉開けてもらって良いですか?ちょっと手が塞がってしまって」
「おいおい、主人を使う使用人がどこにいるんだいスズ」
スズちゃんの些細なお願いにクロムの小言が飛ぶ。普段なら気にもしないような事だし、いいじゃないかこれくらいと思うのだが、今のクロムにはなんか気に入らなかったらしかった。
「こんな事態なんだ、誰も経験したことなくて混乱しているんだよ。何が出来るでもなし、今はいいじゃないかクロム」
なんだかんだクロムだって落ち着いているようで混乱しているのだろう。僕がそういうとスズちゃんに対して途端に申し訳なさそうにした。
「む、そうか……そうだね。止めてしまってごめんよ」
「むー、まあお兄ちゃんの言っていることも正しいから私としてもなんとも言えないけどさ」
扉を開けてあげる。依然として中は騒がしい様子であった。
「あっ持ってきましたかスズ……キルヴィ!戻ってきたならちょっとアンちゃんを連れて行ってあげてください!この子気絶してます」
ラタン姉に指さされた先にいたアンちゃんを見ると白目をむいて呆然と立ち尽くしていた。最初に悲鳴をあげてから静かだと思ったら立ったまま気絶していたのか。ここの所散々な彼女である。僕達は戦場や冒険の中で見慣れてしまったが、生まれてから間もない精霊の彼女には突然の血の海は余程ショックだったのだろう。
「わかった、連れてくよ」
「多分すぐ起きるとは思いますが……この間のこともありますしこの機会にちゃんとアンと触れ合ってみたらどうですか」
曖昧に頷く。小さい子でありながら母さんの面影も感じてしまうこの子にどう接していいのかわからないところが強いのだ。
例によって脇に抱え退室する。あまり時間をかけたつもりはないが、クロム達は既に厨房に向かったようであった。待ってくれていてもいいのにな、と思わず溜息が漏れる。
「……はっ!?びっくりしたの!」
「大丈夫?驚いたよね?」
厨房に着くまでにアンちゃんは起きた。状況を把握できているのか確認する。
「あたらしくひとがふえるのに、こんなにおどろくなんておもわなかったの。ひとってあんまりこうりつてきにふえないのね?」
あー、効率的かと聞かれるとこまるなー。出産で命を落とすっていうのも旅していた中でざらに聞く話だし、一回での多産率も悪い。それでも戦争をするくらい人手を作れているのだから悪くはないのかもしれないが……
「んー、あるじ。アン、じぶんであるけるからおろしてもいいのよ?」
そういえば抱えたままになっていた。言われた通りにおろそうかと思ったがその時僕に悪戯心が芽生え、足がつくかつかないかの位置で浮かせたままにしてみる。
「んー!あるじ、あるじ!もうすこしおろしてほしいの」
バタバタと足を動かして足が着いていないことをアピールをしてくるのでさらに腕を伸ばす。アンちゃんの足はもちろん余計に地面から遠くなる。
「あるじ、あるじ!あげるんじゃないの、おろすの。わかる?」
真剣に理解できていないのかなとジェスチャーを加えて説明するアンちゃんの持ち方を変え、物語の中のお姫様を抱きかかえるような持ち方にする。
「もう、あるじのいじわる。じゃあいいもん、このままはこんでもらうもん」
ここまできてどうやら僕にからかわれているのだとわかり、アンちゃんはむすくれながらも、やや嬉しそうに見えた。
……はぁ、この程度で喜んでくれるような子なのに、今まで何をやっていたんだろうかと我ながら情けなく感じる。
「色々考え過ぎなのよあなたは。もっと気楽に生きなさい?」
すぐそばから忘れることのできない、母さんの少し困ったような、諭すような、そんな懐かしい声。驚いてアンちゃんを見るも、いつの間にかすうすうと寝息を立てていた。……気のせい、か?