無用の兵
「キルヴィ殿、戻られていましたか」
他の人とは違い、ラタン姉の方を見るまでもなくラドンさんは一目で僕を認識してそう語りかけてくる。
僕を僕と認識する、たったそれだけのこと。しかしそれは共に戦場に立った時間こそ短かったものの僕とラドンさんの間には確かな絆があるのだとなんとなく感じることができた。
「お久しぶりですねラドンさん。ええ、しばらく旅に出てましたがこの冬は実家で過ごそうかと思ってます。……見た所大分疲れているようですが」
その言葉にラドンさんはしまったといった表情になり、顔を拭う仕草をする。
「いかんな、顔に疲れが出ているのか。そりゃ部下に心配されて早く帰されるわけだ。ああそうとも、今私は難しい問題に直面していてなぁ……大いに悩んでいるのだ」
「その声は兵長?」
ラドンさんの声を聞きつけて奥からおじさんが顔を出す。そんなおじさんにため息をつきながらラドンさんは話し始めた。
「うちの中でも腕の立つお前が早々に兵士を辞めると言った時はどうなることかと思ったが、イベリとの戦争も落ち着いた今となるとその選択も正しかったのかもな」
「俺にもようやく、なにものにも代え難い守りたいものってものができましたからね。兵長にゃ迷惑かけましたが嫁と選んだこの道を間違ったとは思ってないですよ」
「ああ、今お前が幸せであるならば私も嬉しいよ。だが、お前みたいに成功したものばかりではなくてな。それこそが今の私の悩みの種なのだ」
「戦友が?一体どうしたって言うんですか」
「戦争の終わった今、平時においての戦力は無用の物となった。もうここで戦争をせずに済むのだと本来は喜ぶべきなのかもしれんのだがな」
「まあ、戦わずに済むに越した事はないですからね」
「それで困ることになったのは義勇兵の方々だ。一度仕事を捨ててまで町を守ろうと立ち上がってくれた人々は、今再び、突然仕事を失うこととなったのだ」
そう言うとラドンさんは頭を抱えてみせた。
「もちろん、私も、彼らもただ流れに任せたわけじゃない。いくらかは町の常駐兵として雇うこともできた。いくらかは町を越えて守るべき人たちがいると他の戦地に赴いた。いくらかは元の仕事に戻ることができた。だが、それでも多くの兵士はお役御免となり職を失ったのだ」
口から絞り出されてくるその声には深い悲しみの色が混じっていた。
「終わった時期も夏の終わり頃というのはマズかった。一年の中で一番人手のいるときの稼ぎ時を逃してしまっているからな。軍から、国から決して少なくはない報償金も出ていたが、越冬のことを考えると十分とも言えない物だった」
「そりゃ本当なんですか兵長……まずい、非常にまずい」
おじさんがラドンさんの話から何かに思い至ったようで顔が青ざめていく。お前にもわかったか、とラドンさんは続けた。
「このまま臨時の仕事のあてを見つけることができなければ野垂れ死にか、生きる為に野盗となろう。この冬は特に警戒しなければならないのだ……いや、この先とも言えんな。既に、盗みに手を汚した幾人か捕らえた」
冬の盗みは重罪だ。加えてかつて守ろうとしたものに牙を剥かなければならない心境はいかほどだろうか。であるのに、生きるためにそうせざるを得ない状況だっていうのか。
そんなのは、間違っている。
この場合、何がどう間違いだったのだろうか?義勇兵がそのリスクを考えずに兵として立ったこと?十分な仕事の斡旋ができない町や国?助けて貰ったのに困っている彼らを救わない人々?
「それと比べ、家族も生活する術もあるお前は幸せ者だ。最もこれまでの境遇を考えるならばようやく手に入れることのできた幸せなのだろう。その手の中にあるものを、決して離すなよ?」
「彼らが生活できるだけの物資は、この町にあるんですか?」
話を聞いているうちにある考えが頭に浮かび、警告で話をしめようとしたラドンさんに尋ねてみる。
「キルヴィ殿?……この町に十分はない。が、周辺の村々から余剰物資をかき集めればあるにはあるだろう。しかしながらこの町にそれを買い取れるお金がないのだよ。ツムジ殿ならあるいは、と思ったがなんの見返りもない損出だけさせるのは心苦しい」
「ようは、お金があればいいのですね?ならばこれでいかがでしょうか」
身につけていた袋の一つを近くの机に置くと思い金属同士の擦れあう、鈍い音が店内に響く。口が開き、黄金色の中身が顔を覗かせた。おじさんとラドンさんは顎が外れるくらい口を開いた。
「……おいおい、こりゃどこから得た金だよ英雄さんよ。この中身全部金貨だっていうのか?もし1人で使おうと思おうものなら余程のことがなければ一生を遊べるくらいじゃないか!」
「足りますか?」
「正直分からん!分からんが、希望は見えてきたぞ!……しかし、本当に使ってもいいのかキルヴィ殿よ。先ほども言った通り、自身に見返りはないのだぞ?」
「見返り?いや、十分ありますよ。さあ、それよりもやらねばならぬことがあるはずです。動きましょうラドンさん!」
「あ、ああそうだな!では失礼させて貰う、話が決まったら改めて!」
「このお金はツムジさんに預けて置くのでそちらにお願いしますね」
入ってきた時とは正反対の、いきいきとした顔でラドンさんは走り去っていった。それを見届けてラタン姉が話しかけてくる。
「人助けですし間違いとは言いませんが、どういうつもりですかキルヴィ?また変な事考えてませんか?」
「家族を守るといってもこの不安定な世界、僕1人ではこの先大変だろうから先行投資したまでだよ」
どういう事ですかとラタン姉は僕の答えに首をかしげるのだった。
心の許せるような仲間を作る。かすかに頭に残っているその言葉に従い、お金を使う事で少しでもその足がかりにできればと行動を開始したのだった。




