出立
目が覚め、むくりと起き上がる。昨日は確か、アンに最低限修復をしてもらって新しくなった床に毛布を引いて皆で雑魚寝をしたんだっけ。見回すとまだ皆夢の中のようだった。起こさないようにとこっそりと抜け出し、屋敷の外へ出る。
壊れた結界壁の向こう側が明るい。どうやらこの世界は無事に朝を迎えられた。もしかしたら寝静まった頃に襲撃があるかもと思ったが、こちらの手の内をある程度理解しているイブキさんは今は敵わないと安全策を取ったのか、それとも僕達がここについた頃にはとっくにこの森から何処かに行ってしまったかのようだ。
少なくとも今は争わずに済みそうだと軽く伸びをする。今のうちに結界壁の残骸を取り除いてしまうか。その後に新しく張り直して、入り口の所だけは僕達がここを出る時に繕おう。慣れた動作でMAPの障害物の項目を開き、過去に出したものを消していくと、設置した後に壁へと生い茂っていた苔や草がドサドサとその場に落ちていく。……アンの仕事を増やしてしまった気がするが仕方あるまい。
続いて新しく壁の設置をする。以前と違い今度は住人を残しての設置なので、ランスボアが間違って突っ込んできたとしても貫けないほどの強固さで仕上げないと。ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返し、最終的にはねずみ返し的に外に剃る形の壁になった。これで外の魔物はやり過ごせるだろう。
しかし、そうか。こう考えるとつまり、僕にとっての帰るべき場所ができたのか。立地的にはやや不便ではあるものの、自分の家があり、アンという待っていてくれる存在がいるとなるとなんというかホッとした気分になった。昨日アンに話したように、いつかは腰を下ろせる場所としてこの屋敷があると考えれば今まで以上に旅に対する心持ちが楽になれた。
<現在MAPには拠点が登録されていません。拠点を設定して下さい>
お、久々のアナウンスだ。なんだか見計らっていたかのようなタイミングと内容だ。迷わず現在地点を拠点と設定する。
<拠点を登録しました。現在の追加登録可能件数は残り29件です>
はてさて、今のがどう影響をしていくのか。時々説明不足でわからない機能がこのMAPにはあるから困る。そう考えてると屋敷の方で物音。どうやら皆起きたようだ、戻るとしよう。部屋の入り口に手をかけるとクロムが毛布を片付けていた。
「あ、キルヴィおはよう。姿が見えないからどうしたかと思っていたよ」
「おはようクロム。今のうちに結界壁の張り直しをしておいたんだ。昔は何度も魔力切れしかけていたけど慣れた今なら撤去込みで半分程度の魔力消費で済んだよ」
「おお、すごいなぁ。なんというかキルヴィは物理も凄いけど、魔法が格段上手くなったよね」
そんな会話をしていると着替えていたと思われるラタン姉達が顔を出した。軽く食事を取り、今後の方針を決める。因みにアンちゃんはおそらがみえる!と屋敷の外にかけていった。
「最初立てた予定通りスフェンに戻ろう。旅をするには心許ない荷物だというのもそうだが、イブキが何処に行ったか見当もつかないからな。ヒカタやナギなら何か知っているかもしれない」
ツムジさんの発言、これが話し合いの末に出た答えである。
「もういっちゃうの……?」
出立できるように準備を進めていると、アンちゃんがこちらに戻ってきた。その顔は寂しそうに見え、少し心が揺らぐ。
「またそのうち、きっと戻ってきますのです。それまでに屋敷が綺麗になっていたら、ボクはとっても嬉しいな」
ラタン姉のやや突き放すような発言、だがその言葉はアンちゃんの心に火を灯したようだった。つぎくるまでにピッカピカにしてみせるです!と言ってこちらに背を向け屋敷の奥へと行ってしまった。彼女が走って行った先から淡い光が漏れている。早速取りかかったようだった。
「ラタン姉、今思ったんだけどあの子は連れて行けないの?」
健気さを感じ、やや気の毒げにそういうスズちゃんに、ラタン姉は静かに首を振る。
「家憑き妖精は家の敷地外へは出ることができません。もし出てしまえば、妖精のあの子は存在が維持できなくなり、たちまち消えてしまうことでしょう。あの子を連れては行けないのですよ」
家に憑いているため、決められた場所にしか存在できない故に出会う事は稀なのだという。精霊のあり方とはなかなか難しいものだ。
「しかし、心配だな。そんなに儚い存在であるならばヒカタや婿殿にもたまに様子を見にきてもらうか……」
ツムジさんがそう言う。まだ昨晩のアンに対する態度についてやや罪悪感を感じていそうな雰囲気だった。
「イブキちゃんを追うのであれば、長旅になるかもしれません。そうして貰えると安心できるのです」
最後に別れの挨拶をアンちゃんに一声かけ、僕達は屋敷を後にしたのだった。
帰りの旅路は光の定規で昨日作った道のおかげか、比較的楽に静寂の森を抜けることができた。
イブキさんのこともあり、流石にあの村には出せる顔がない。僕達は村を避けるように別のルートでスフェンへと戻ることにした。
道中、少し落ち窪んだ場所と枯れた木に寄りかかるようにして仲良く白骨化している3人分の遺体があった。……もしかしてこの人達、ずっとここでそこの落とし穴らしきものに何かが引っかかるのを待っていたのだろうか。なんというか、色々と哀れに感じる。
特に脅威と感じるようなものも道中には感じず、僕達は無事にスフェンまで辿り着くことができた。……この町もよく来るから、拠点といっても間違いではないだろう。MAPに拠点として登録しておこう。
ツムジさんの家に着くと、ヒカタさんが笑顔で出迎えてくれた。……これからイブキさんのことを話すと思うと心苦しく、躊躇ってしまう。
「ちょっと、家族で大事な話がある。悪いがナギだけを連れてきてくれないか?」
胃のあたりを押さえながら暗い顔でそうツムジさんが切り出したものだから、何か悪いことが起きたのかとヒカタさんの顔色が変わる。すぐに呼んできますとかけていった。
ここまで戻って来るまでに何があったかの事情を話すと、2人は最初何を言われたのかわからない様子だった。言葉を繰り返し、自分で理解できる様に噛み砕いていく。そして、理解した時ヒカタさんはワッと泣き出し、ナギさんは「お姉ちゃんは夢を叶えたんだね」と頷いた。
比較的無事に見えるナギさんに、イブキさんが行きそうな所に心当たりがないかツムジさんが尋ねる。
「それを知って、どうするつもりですか」
ヒカタさんが泣いていた顔を上げ、そう尋ねてくる。ツムジさんが苦い顔で禁忌を犯した罪を償ってもらうつもりだと言うと、それだけはやめて下さいと懇願される。
「心当たりはあるよ。……というかさ」
そんな空気を壊す様に、ナギさんが2人に割って入る。
「お姉ちゃんが死者蘇生をしたとして、それを知らない他の人がお姉ちゃんをみて死者蘇生の実行犯だってわかるものなのかな?まだ目撃者も被害者も表立ってないんでしょ?」
その疑問に対する答えは持ち合わせていなかった。ただ漠然と世間では悪いことであるという認識で追いかけ、捕まえようとしているが果たしてこれは正しいことなのだろうか?
「犠牲になった子には確かに悪いし、これがもしうちのおチビだったらと思うとゾッとするけどさ……多分、あの日から止まったままだったお姉ちゃんの時間はようやく動き出せたんだよ。やっと幸せになれたんだよ」
だからもしこのまま害がないようであれば、触れずにそっとしてあげてほしいかなとナギさんは言う。心当たりの場所を教えるには少なくとも、それが交換条件だと。
「……口約束となるがいいか?俺とて好きで娘の不幸を見たくはない。だが、状況判断では処さなくちゃいけないんだ。わかって、くれるな?」
「他の人なら知らないけどお父さんなら口約束でも安心かな。うん、少なくとも世間では悪いことなんだし、その時は悲しいけれど仕方がない」
そう、仕方がないの。とまるで自分に言い聞かせるように呟きながらポロポロと涙をこぼす。ナギさんだって無事なわけがなかった。どんな理由であれ、血を分け合った姉が処罰されるなど本当は嫌なのだ。嫌だけど、そう言ってはいけないということもわかっていて、余計に苦しんでいる。そんな感じであった。
ごめんね、とこちらに謝り裾で涙を拭く。
「以前一緒に巡回していた時、もしウル君が生きていたら一緒に来たいなと思っていた場所があるの。お姉ちゃんは多分、そこに向かったんじゃないかな?」
地図を広げるよう促され、巻物上に展開させる。印が打たれた場所は、なんとアムストルの町であった。ここでイブキさんと再会したことを考えると偶然という言葉で片付けることはできなさそうだ。
数日後、ヒカタさん達にアンのことを話して時々でいいから様子を見てほしいとお願いし、出立する。次の目的地はアムストル。また1ヶ月程の旅路となるだろう。その間にイブキさんに対してどうするべきか、よく考える旅となりそうだった。