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My Dear Brother (前編)

作者: さんずい

 冬に入って既に数日が経ち、日が暮れるのもすっかり早くなった。

 藤野和那(とうの かずな)は白い息を吐きながら、ポケットの中で握った鍵を取り出し、ドアの鍵穴に突き刺した。そして、ん?と違和感を感じて手を止める。

 状況を察するとため息をついて鍵をしまい、ドアを開けた。

「貴姉、来てるの?」

 玄関で靴を脱ぎながらそう呼びかけると、

「んー。お帰り」

 居間からそんな返事が返ってきた。

 以前合鍵を持って帰られてから何度かこんな状況もあったので、そろそろ慣れてきた。

 苦笑いを浮かべながら寝室に入ると、スーツから部屋着に着替えて居間に向かった。

「来るなら事前に連絡くれればいいのに」

 スーツ姿のままソファーに寝そべって携帯ゲームをいじっている姉、藤野貴子(とうの たかこ)の姿に、すこし呆れた表情を浮かべながら和那が言う。

「えー。鍵使わずに連絡してわざわざ外で待ち合わせろって? 面倒くさいじゃない」

「こっちに予定あったり、準備が必要な時もあるかもしれないだろ。片付けとかさ」

「今更? あんたの部屋、いつもきれいじゃない。物少ないから」

 そう言ってから、貴子は、あぁ、と何かに気づいたような表情を浮かべて、にやりと笑う。

「そっか。あんたもようやく部屋に連れ込めるような女の子できたの?」

「何だよ、それ。飛躍しすぎ」

肩をすくめた和那の視線が、ソファーの前に置かれたテーブルの上で止まって、和那は渋面を作る。

「俺が楽しみにとっておいた牡蠣の缶詰、食べたね……?」

 意外とショックが大きくて、つい恨みがましい声が漏れる。

「あっ、貰い物の高級白ワインまで!」

 思わず天を仰ぐ和那に、貴子はわずらわしげに一瞥をくれる。

「ちゃんと残してあるでしょ?」

「半分も残ってないじゃん」

「けち臭いこと言わない。っていうか、あんた生意気なのよ。和那のくせにお酒なんて飲んじゃってさ」

 なぜか拗ねたような表情でそんなことを言い放つ貴子に、

「貴姉、俺もう24だよ。法律的に飲酒が認められて4年以上経つんですけど」

 和那は呆れかえってそう答える。

「……分かってるけどさあ。早いなぁ、ほんと。あんなに素直で可愛かった和那がすっかりひねくれちゃってさ。時間って残酷だよね」

 口をとがらせる貴子は、なんだか本当に子どもみたいだ。

「俺、そんなにいい子だったっけ?」

 自由過ぎる姉の言動に思わず笑みをこぼしながら、

「いまいち言ってる意味が良く分からないけど、もし俺が性格変わったんだとしたら、間違いなく貴姉の影響はあると思うよ」

 そんな軽口を叩いて、和那はソファーに腰を下ろした。寝そべっている貴子の頭のすぐそばだ。

 返す言葉がなかったのか、貴子は聞かなかった振りをして、手に持ったゲーム機から視線を外さない。

 そんな彼女を見つめながら、和那は少し昔のことを思い出す。

 こんな風に、貴子が和那に対して傍若無人に振舞うようになったのは、いつくらいからだっただろうか。和那の記憶では彼女が高校生の頃だったと思う。当時、貴子は合唱部の部長だった。後輩の面倒見がよく、成績も学年トップクラスの秀才で頼りがいもあり、学生からも教師からも評判はすこぶる良かった。生徒会長のような役職に就いていたわけでもないのに、2学年下だった和那の周りでも知名度があって人気もあった。そんな彼女が、家では和那に対して一切遠慮を見せることはなかった。けれどそれは和那にとって決して嫌なことではなくて――

「あ、和那。そろそろ亜希(あき)から連絡来る頃じゃないの?」

 不意にそう声をかけられて、和那はあっと声を漏らした。そして、

「そっか。貴姉がうちに来た理由って、それ?」

 得心がいった、というような表情を浮かべて貴子に問う。

「まぁね。こっちが一緒の方があの子も手間かからないでしょ」

「ま、確かに」

 答えながら、和那はノートPCをテーブルに持ってきて起動する。

 インターネット電話のソフトウェアを立ち上げるとタイミングよく呼び出しのポップアップウィンドウが表示された。

『あ、つながったー』

 応答ボタンを押すと、そんな音声が流れ、少し遅れて映像が表示された。

『和兄、おひさ!』

「ああ。久しぶり、亜希。元気そうだね」

 少女のように人懐っこい笑みを浮かべる妹に、和那はつられたように笑顔を浮かべる。

『貴姉もいるの?』

「いるわよ」

 ひょい、と和那の肩口から顔を出して貴子が答えた。

「ちょっと、貴姉、重い」

 のしかかるように両肩に手を置かれた和那が非難の声を上げる。

『んふ、相変わらず仲良いね』

 じゃれあうような姉と兄の姿に、亜希は微笑まし気に表情を緩める。

「遊ばれてるだけだよ」

 わずかに顔を引きつらせながら、和那は亜希の言葉を否定する。

「それより、そろそろ留学も終わって帰って来るんだろう?」

『うん、あと2週間。1年、早かったなぁ』

 しみじみと、そう答えた亜希の表情には、寂しさと満足感も表れていたように思う。

「で、私たちに話したかったことって何? 日本に帰ってきてからのことで相談したいことでもあった?」

 和那とともに、亜希から連絡を取りたいという旨のメールを受け取っていた貴子が問うと、

『ううん、違うの』

 亜希はそっと頭を振った。

『そうじゃなくて――あ、こっちこっち!』

 亜希が画面の外に呼びかけて手招きすると、男性が一人、少し緊張気味の表情で入ってきた。

「あれ、東條(とうじょう)君じゃん」

「ほんとだ。惣太(そうた)だよね?」

 意外過ぎて一瞬気づくのが遅れたが、和那も、貴子も知っている人物だった。

『や、久しぶり和那。貴子さんもご無沙汰してます』

 画面の向こうで軽く手を挙げてそう挨拶する彼は、和那の高校と大学の同級生だった。

 当時実家暮らしだった和那と一緒に遊ぶことも多くて、貴子や亜希とも面識があった。

「惣太、今アメリカにいるんだ」

『そ。と言っても出張で1週間くらしかいないけど。今日なら時間取れそうだったから話がしたくて。せっかくなら顔を見ながら』

「へー。確かにネット電話は亜希がアメリカに行ってから始めたし、惣太にはこのアカウント教えてなかったよね。それにしても驚いた。出張先の外国で亜希と会うなんてものすごい偶然だよね――痛ッ!」

 すっかり以前の雰囲気に戻って惣太と会話していた和那の頭を、貴子が軽くはたいた。

「んなわけないでしょ」

 呆れかえったような表情を和那に見せる貴子に、亜希はくすくすと笑みをこぼす。

『相変わらず鈍いねぇ、和兄。惣太君がアメリカに来たのは偶然だけど、その後私と会ったのは偶然じゃないよ』

「……? ああ、そっか。お互いの連絡先知ってたのか」

 見当外れなことを言う和那に、隣で貴子がため息をついた。

『あのね、和兄』

 さすがに少し苦笑いを浮かべて。

 そしてわずかに緊張を混じえた表情で亜希が口を開いた。

『私、結婚するの』

 流れを全く読めていなかった和那は、目を見開いて絶句する。

 しかし貴子も、わ、と小さく声を漏らす。

「あ、そこまで行く? てっきり交際宣言かと思ったけど」

『んー、付き合い始めてから、もうそこそこ経つんだよね。そろそろいいかなって』

「へぇ、母さんたちは知ってるの?」

『まだ言ってないんだ』

 貴子の問いに、亜希は痛い所を突かれた、というように頬をかく。

『日本に帰ったら、ママとお父さんにも報告するつもりなんだけど、その前に貴姉と和兄には言っておこうと思って。ほら、反対されたら味方になってもらいたいし、練習にもなるし?』

「ふーん。東條君なら反対されることなんてないと思うけどね」

 会話を進める姉妹に、

「ちょ、っと待って。いや、結婚って。ちょっと早いんじゃない? それに、せっかく留学したのにもったいないっていうか」

 混乱気味に和那がストップをかける。

『平均に比べるとちょっと早いかもね。でも21歳で結婚って、日本でも珍しいわけでもないでしょう?』

 少し神妙な表情に変わった亜希が、静かな声でそう言った。

『それにいきなり専業主婦になるつもりもなくて。もう惣太君とは相談してるんだけど、私の気が済むまで働いていいから、って言ってくれてるの』

 亜希が惣太に視線を向けると、惣太は微笑みながら頷く。

『亜希ちゃんの就職活動はこれからだけど、逆に僕らがお互いにやりたいことが無理なくできる会社を探せばいいよね、って話をしてる。僕の会社も共働きや男性の家事、育児に理解がある方で制度もしっかりしてるし、心配ないと思う』

「そ、っか」

 衝撃が強かったのか、ぼんやりとする頭を振って、言葉を振り絞る。

「でも、惣太さ。本当に亜希でいいの? 惣太なら相手は選り取り見取りだろうに、なんで亜希なの?」

 半ば冗談で、だけど半ば本気で、和那は惣太に問う。

『えー、ちょっとそれは失礼じゃない?』

 頬を膨らませて不満を漏らす亜希の姿に、少し笑いながら惣太が答える。

『やっぱり、明るくて芯が強い所が魅力だよね。周りのこともよく見ていて気を遣うことができるし、その中で自分が言うべきことははっきり言うことができる。しかも、自分の考えを言うべきでないと判断した時にはしっかりと我慢することができる。それに、一度好きになった人には、一途だと思うから』

『……それはさすがに買いかぶりだよ』

 最初は照れたように笑っていた亜希が、少しずつ表情を陰らせる。

『買いかぶりだなんて、少なくとも僕はちっとも思わないけどね』

 それでも惣太ははっきりとそう口にする。

「はい。いちゃつくんなら2人のときにしてね」

 文句を言いながらも、貴子は口元に笑みを浮かべている。

 一方で、和那は腕を組んで目を伏せながら、そっと息を吐いた。

 惣太の亜希評は概ね和那のものと一致する。ちゃんと亜希のことを見てくれているのだと思えたし、亜希の夫として彼以上にふさわしい人はいないのではないか、とさえ思える。

 それでも感情の一部が追いついてこない。

 目を閉じて天井を仰ぐと、最初に浮かんできたイメージは亜希との一番古い記憶。出会った時の記憶だった。

 あの時、和那の新しい母親となる女性の陰に隠れていた、小さな女の子。なかなか目を合わせてくれず、名前を聞いても答えてくれなかったが、なるべく優しく、でもしつこく聞いていたら、最後にようやくか細い声で答えてくれた。

 それから打ち解けるのは早くて、そのうち和兄、と恥ずかしそうにしながらも呼んでくれた。

 自分が遊びに行くときはいつも着いてきたがったし、誕生日やバレンタインにはプレゼントをくれた。その時の照れくさそうな顔が誰かに自慢したいほど可愛かった。というか、多分惣太あたりには実際に自慢していたと思う。

 成長するにつれ、亜希は精神的にしっかりとして頼れる部分も出てきたが、それでも和那にとっては自分の後をとてとてと着いてくる、可愛くて、自慢の妹だった。

「ちょっと、和那」

 黙ってしまった和那を不審に思ったのか、彼の顔をのぞきこんだ貴子が、ぎょっとした表情を浮かべる。

「うわ、泣いてるの? さすがに引くわ」

 本当にドン引きの表情を浮かべて、容赦のない言葉を放つ。

「仕方、ないだろ。こんなの」

 懸命に嗚咽をこらえながらか細い声を漏らすと、

「あんたは亜希の父親か」

 呆れながらも、貴子はぽんぽん、と和那の頭を優しく叩く。

「似たようなもんだよ」

 和那は腕で目のあたりをこすると、赤くなった目を画面の中の惣太に向ける。

「惣太。亜希のこと、よろしくな。亜希はしっかりしてるように見えるけど、本当は寂しがり屋で強がっちゃう奴だから。ちゃんと、見ててやって」

『分かった。和那、僕は君や貴子さんがどれだけ亜希ちゃんのこと大切に思ってるか良く知ってるよ。だから、絶対にそれを裏切ったりしない』

「そう? じゃあ任せるわ。東條君もちゃんと、亜希と一緒に幸せになってね」

 貴子も優しく微笑みながら、けれどやっぱりどこか寂しそうに、そう言った。

『貴姉、和兄。ありがとね』

 亜希も目を赤くしながら、そっと頭を下げた。それで神妙な空気になりかけたが、

『さ、これで私はもう大丈夫だって分かってくれた?』

 そうかと思うと、突然、表情を明るくしてそう言った。

『だからさ、今度は貴姉と和兄の番だよ。もう、私に変な気を遣うことないんだからね』

「亜希、あなた――」

 いぶかしむように眉間にしわを寄せて、探るようにしゃべろうとする貴子を遮って、

『気づかないはずないじゃん。口で言っても絶対信じてもらえないと思ったから今まで言わなかったけど。でも、もう大丈夫でしょ。ちゃんと、自分たちにとって一番いい選択をしてほしいな』

 亜希ははっきりとそう告げる。

「でも、もしかして」

『言っておくけど、そのために結婚するの?とかもしも言い出したら、いくら貴姉でも本気で怒るからね』

 亜希にそこまで言われて、貴子は吐き出そうとした言葉をぐっと飲み込んだ。

『うん、じゃあ伝えたいことは全部言ったし、今日はこのへんで切るね。またそっちに帰ったらさ、一緒に会おう。ママとお父さんへの報告結果も伝えるし』

「分かった。それまで体調崩したりしないようにね。気を付けて帰っておいで」

 もう本当に親の気持ちで和那が言うと、表情を緩めた亜希が、ありがとう、と言って手を振る。

 亜希に合わせて、惣太が手を振って、それに返すように和那と貴子も手を振った。

 そして通話が切られて、映像が映っていたウィンドウも閉じられた。


 その余韻に浸りながら、和那は大きく息をついた。

 貴子も同じような表情で目を閉じて、しばらく沈黙が続く。

「はは、まいったわね。亜希に先を越されるなんて」

 数分後にその沈黙を破ったのは貴子だった。

「今度は私たちの番、だってさ。簡単に言うよねぇ」

 苦笑めいた表情でそうつぶやく。

「貴姉、誰かそういう相手いるの?」

「いないわよ。和那は?」

 思わず、貴子は和那の方を向いて、そう尋ねる。

 そしてじっと貴子を見ていた和那の目と貴子の目が合って、視線が絡まりあって、一瞬身動きがお互いに取れなくなる。

 あ、まずい。そう思って貴子が顔を逸らそうとしたのを押しとどめるように、和那は左手をそっと貴子の右の頬に押し当てる。その手をそのまま撫でるようにずらして、彼女のおとがいに添えると、つっと顔を上向かせて、そっと唇を合わせた。

 時間にして数秒の、短いキスだった。

「ルール違反よ。和那」

 頬を染めながら、それでも悲し気に目を伏せながら、貴子がつぶやく。

「ダメだって、約束したじゃない」

「そうだね。でもやっぱり、亜希が言ってた俺の『一番いい選択』って、これ以外考えられないんだ」

 和那も迷いの深い表情を浮かべながら、そう言葉を振り絞る。

「そ、れは――うれしいけど。それでも私はあの時の亜希の表情が忘れられないのよ」

「それは、俺だって」

 胸の奥から湧いてきた苦いものを堪えるように、唇を噛む和那。

 貴子も、自らの内に生じた整理のできない雑多な感情を抑え込むように、両腕で自らを抱いて、肩を震わせた。


恋愛系初挑戦です。直球を書いてみようかと。

前後編の2編で完結予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 亜希と惣太が幸せそうなところが印象的でした。ただ恋愛を楽しんでいるのではなく、既に結婚を視野に入れているところが良かったです。どうやって両親を説得するかまで見据えているところが気に入りまし…
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