18
春の終わりかそれとも本格的な夏の始まりのせいなのか、今日は陽光がいつもより自己主張が激しく、またあるところでは年中氷に覆われた冬しかない場所にその陽光は容赦なく照りつける
常冬の国。国土の半分以上を凍土で覆われたそこは独自の文化が根強く残されている。国土の半分以上をを氷、雪で覆われているせいで、遥か昔から資源に乏しく貧しい暮らしを余儀なくされていた。
終わらない冬。それはまるで悪夢のようだった。
そこはいつもの夏と変わらない光景。半袖の少年少女がひたすらに剣を交え会う光景。照りつける陽光が体の水分を奪っていく。少年少女の額に汗がにじむ。
「ちっ、何でこんな暑いんだよ」
偉丈夫。その言葉が彼を表すのに適切な語だった。大の大人を越える高身長、鍛え上げられた鎧のような体。彼の身に付ける黒のシャツは今にもはち切れそうだ。
今日は年に数日の猛暑。常冬の住民達は日常的に着るコートをしまい、いつもなら考えられない格好をする。夏と言っても差し支えない。が、この夏は一週間。長くて二週間で終わる、ほんの一時の夢のような季節。
彼の周りには誰も寄り付かない。他の少年少女が剣を交え会う隣で一人、取り残されたようにポツンと存在する。彼はそんなことに気にした様子はなく、一人剣を振り始めた。
ブッン!ブッン!
音さえもが雄々しい。周りの人間はそれを見ると剣戟を中断し、また遠くに向かう。
それは彼にとっては都合がよかった。彼はその空いたスペースに走り出した。
何もない空間を横に薙ぐ。耳を劈く真空の音。周りはまた剣戟を中断せざる終えなかった。
彼はすぐにその場を飛び退いた。そして、また先程空間を薙いだ場所に肉薄し、斬りかかる。普通なら剣は雄々しい音を立て振られる。が、剣は完全には空間を斬らなかった。
剣は受け流されたように振り下ろした場所とは違う場所に、更に言えば鋭さのなくなった剣が地面と当り、甲高い音を響かせる。直ぐ様、体をひねり剣を体の前に構える受けの体勢をとった。そして、彼は後ろに後退する。
否、後退ったのではない。目の前のナニカに飛ばされたのだ。
周りの人間から見れば、彼は何もないところで動き回り、後退る変な人だ。だが、彼の目にはナニカがはっきりと見えている。
それは人の形をした黒いモヤ。その黒いモヤが繰り出す剣筋は疾く、鋭く、雄々しい。まるで、彼の繰り出す剣術の完成形。
そんな相手に不完全な彼が勝てるわけもなく、また弾かれる。
『そんなもんか、小僧』
黒いモヤが挑発するように彼に問いかける。彼は心外といった表情で唾をはく。
「そんなわけないだろうが、糞野郎がっあ!」
そのモヤに肉薄するや否や、二人は同時、まったく同じ動作で剣を振るう。甲高い音は聞こえない。手に伝わる振動、圧力もない。再度これが現実ではないことを実感させられる。
それなら……現実でないのなら……
「おぉっらぁ!」
ガキンッ!もし現実であればこの音が響き渡っていたはずだ。
鍔迫り合う剣を叩き斬り、そのまま黒いモヤを薙いだのだ。現実では決してあり得ない。黒いモヤにとっては現実であろうが、彼にとっては現実ではない。
だが、それでくたばるほどこの黒いモヤは甘くはない。咄嗟に短くなった剣を引き寄せ、追撃を防ぐ。両者近づきすぎたせいか、後ろに跳んだ。着地と同時に黒いモヤは腰を低くする。
『ふっ!』
短刀ほどに短くなった剣を振るい、先程の動きとはまったく別物の動きを繰り出す。短くなった剣で繰り出されるトリッキーな動き。防戦一方だ。
何か勝機を見つけなければ。そればかり考えるせいで、自身の稚拙な部分がどんどん露になってくる。そして、黒いモヤはそれを見逃すことなく、急所をつくかのようにそこを的確に狙う。
その鋭い一撃はそのまま彼の体に肉薄する。寸前に近づく刃。彼はそれを見て驚くこともなければ怖がることもない。逆に、その表情は笑っている。
悪い笑みを浮かべている。そう。自分の張った罠に獲物がかかったのを見た狩人のような。
「フッ!」
それは今までで一番しっくり来た。縦一文字に薙いだ刃は黒いモヤを断ち切り、真空を切り裂く。黒いモヤは陽炎の如く消失した。
彼は自らの手を見つめた。先程の一撃。それは黒いモヤを圧倒する疾さと鋭さ。まさに完成形を越えた完成形。偶然繰り出した一撃がそれであった。手にはまだその感覚が残っている。
今ならまだやれる。そう確証もなく思った。自然と笑みが溢れてくる。
嗚呼、早く闘いてぇ。
繰り出す一撃一撃は最高のコンディション。彼の頭のなかはもう、闘うことしか考えていなかった。
彼もまた、人一倍の野心をもって、来月に行われる武闘会に臨む。
時は少し遡る。
春半ば、初夏が近づく影響か、春の陽気から夏のギラギラとした陽射しが顔を覗かせる。木に止まる小鳥たちはそこで囀りを始め、小鳥たちのオーケストラが奏でられる。
そんな感動的な場所で、二人の少年と少女が身を寄せ合いながら、何か話をしていた。
「つまりシリウス様もそれに選ばれたと」
「そう言うこと。って、もってことはメイもか?」
「そうですね。私は断りますが」
二人の間に挟まれるように置かれた一枚のチラシ。そこには武闘会。どことなくオレンジ色の道着の人が出てきてきそうなその大会は、生徒たち、大人たちの一大イベントである。
「大人達はめんどくさいことを考えるものですね」
そのチラシを一瞥しながらそう呟くメイ。そうだな。そう力のない返事を返す。
基本メイはシリウス以外の命令は聞かない。それはつまりシリウスの命令がなければ必要なこと以外はノータッチというわけで、乗り気でない。かく言うシリウスもあまり乗り気ではない。
「出るってことは注目されるわけだよな」
「そうですね。各国の人が集まる一大行事ですから。注目されない方がおかしいですよ」
「そうだよな。ここの人は基本的になにもしてこないけど、他の国の人はこれをどう思うかもわからないし……」
メイはシリウスの瞳を見た。その瞳は鮮やかな紫。ある問題さえなければ美しいと思ってしまう。メイはその瞳に食い入るかのように凝視してしまう。
「どうした?」
「いえ、なにも。それより、その点は目の色を偽装するぐらいシリウス様にとってはお茶の子さいさいだと思いますが…」
「闘うときにそれがちょっとした違和感になるからあまりやりたくないんだよ。もし出るというなら万全の調子で出たいから。もしそれが万全でないなら相手にとって失礼だから」
万全じゃない方が相手は喜ぶと思いますが……。それはなんとか、胸のなかに留めておくことができた。まぁ、乗り気ではないにしても何だかんだで出たそうだ。矛盾してるな~。
「結局出るんですか?出ないんですか?」
「う~ん、どうしようか?」
「いや、私に訊かれても。やりたければやる。やりたくなければやらない。その返答によって私のやることが変わるので」
本気で悩んでいるようで、一人顎に手を添えながら唸っている。出たいが人前に出たくない。それが板挟みとなっているのだ。
メイは悩み耽るシリウスを見て、特大のため息を吐いた。そのあと、その場を立ち上がる。
「はい、もうわかりましたから。出ると返事をしておきますね」
「いや、まだ――」
「ついでに言うと、私は看護係として裏方に就くので安心して致死の怪我をおっていただいても大丈夫です。逆は容認しませんから……では」
きれいに畳んだチラシをもって、そそくさとその場を後にするメイ。一人残されはシリウスはその去り行く背中を見送る。
静かになったそこに、また小鳥の囀りが響く。
それから間も無くして、シリウスもその場を立ち去った。
その顔には子供のような笑みを浮かべて。