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きみとふたりのナイトメア

作者: 千待ユキ

 『よるのゆめ』

 ぼくは夜を走った。さいごまで走った。

 白い光がまぶしくて目をさますと、とてもかなしくて泣いた。

 お父さんとお母さんは、ぼくをしんぱいそうに見ていた。


それは小学校低学年頃のものだろうか。色褪せた作文用紙に筆圧まで残った拙い文字がぎっしりと書かれている。そんな古い作文が押し入れの中から発見された挙句、母に読み上げられた俺はいたたまれない。いたたまれなさすぎる。今の俺の方が夜を走りたいと思っても仕方がないだろう。

 母は劣化した作文用紙を壊さないよう丁寧にたたむと、三十歳にもなって頭を抱えながら唸っている俺を見て笑う。

「あの頃、あんたは『怖い夢を見た』って言うだけで、それがどんな夢だったのかは一切話そうとしなかったね」

「俺だってそんな夢、覚えてねーよ……」

「まあ、何事もなく元気に育ってくれて嬉しいよ」

 母はそう言って少し寂しそうに微笑むと、そのすぐ傍らへと視線を向けた。

 くすぶりを見せる線香の先には漆塗りの仏壇があり、その中央には年老いた父の遺影。そして、幼い少女の笑顔。わずか六歳にして亡くなった、俺の姉だ。

 姉が亡くなったのは小学校へ上がる直前だった。真新しい制服と赤いランドセルを買ったばかりの姉は、それらを身につけることもなくこの世を去った。その理由は当時四歳だった俺には理解できず、今も、その原因を知らない。

 先日、父の葬儀が終わったということもあり母は疲れている。父は闘病の末という人生の終着点だったが、それでも六十二年を生きた。“何事もなく”という母の言葉は幼かった姉の死が大きいところだろう。


 そんな母も、父を追うように半年で亡くなった。


 ◆


「『ぼくは夜を走った。さいごまで走った』……か」

 古い作文を片手に、俺は河川敷に立ち夕陽を眺めていた。

 別に感傷に浸りたいわけではないが、家族に先立たれた独り身としては寂しいものだ。

 恋人は作れど結婚まではいかず、結局両親に孫の顔を見せることはできなかった。そう思えば、先立った姉とは違う意味で親不孝者だったのかもしれない。


――オォン……

「――ん?」

 遠くで鯨が鳴いたような音に俺は振り返り、驚く。

 いつの間にか、すぐ傍に人が立っていたからだ。

 白いワンピースとセミロングの黒髪を風に揺らす少女。その瞳はまるで夕陽を閉じ込めたかのようにきらきらと輝いている。白い肌と紅をひいたように赤い唇。幼いとも、大人びたともとれる少女は俺をまっすぐ見上げ、いきなり俺の手を握った。

「な、何……」

「よるが、くるよ」

「――!?」

 少女の言葉を合図に、空は一瞬で茜色から闇色へと変貌する。

「なっ、なっ……!?」

「よけて」

 ぐいっ、と手を引っ張られて体勢を崩せば、今まで俺が立っていた場所――その足元から大きな“何か”が現れた。俺の影から飛び出してきたそれは闇と同じ色をしており、まるで鯉のように思える。焦点の定まっていない緋色の目玉がぎょろりと俺を捉えてぞっとした。

「はしって」

 再び手を引かれて俺は“何か”から視線を外せないままに走り出す。

「ね、ねえ! あれは何なの」

「むま。つかまると、かえれないよ」

「む……むま? つかまるって……」

 “むま”と呼ばれたものはしばらく立ち止まって俺達の様子を見ていたものの、その体から手足を生やして追ってきた。こんな異様な光景など見たことが無い。


――見たことが無い?

 ふとよぎった思考を俺は疑問に思った。本当にそうだろうか。


 『よるのゆめ』

 夜がきた。夜はいつもやってくる。

 ゆうひ色の白いおばけと、ぎょろぎょろめめした黒いおばけ。

 止まっちゃだめと、おばけが言った。


(“ゆうひ色の白いおばけ”って、もしかして――)

 俺は進行方向へと視線を向けて少女を見る。黒髪の揺れるその後ろ姿からは夕陽を想像できなかったが、先ほど見た瞳の中に、確かに夕陽を見た気がする。確かめようにも少女は振り返らないし、俺も走り出した時に作文から手を離してしまった。

(じゃあ、“ぎょろぎょろめめした黒いおばけ”って……)

 そっと後ろを見る。いまだ追いかけてくる“むま”とやらは意外に動きが鈍いらしい。


 ◆


 “むま”を振り払って俺と少女は路地に隠れて休んでいた。少女は俺の手を力強く握って離さない。細く、白い腕はまるで骨のようだ。

 星一つ見えない夜の中。逃げ回った先に人の姿は無く、これは本当に現実なのかとさえ疑いたくなる。白昼夢とやらを見ているのではないかと。そう、白昼夢だ。

 俺は少女に問いかける。

「きみは誰なの?」

 少女は振り返って俺を見ると、何とも言えない表情を浮かべた。

「みつかった」

「え?」

 ぐいっ、と再び手を引かれる。俺の背後に先程とは別の“むま”が迫っていた。

「あさになるまで、はしって」

――とまっちゃだめ。

 続くその言葉が、作文の一節と重なって俺は何故か胸が痛かった。


 ◆


 それからは息をつく間もなかった。

 “むま”はひとつふたつと増えては四方から俺達を追い立てる。まるで闇そのものに呑み込まれそうな感覚を覚えたが、俺はそれをどこか懐かしく感じていた。手を繋いだ少女が心の支えにでもなっているかのように。

(この少女は、きっと――)

 そんな予感がした。


 “むま”から逃げる俺達は、最初に出会った河川敷へと戻ってきていた。“むま”はすぐ後ろで言語と呼べない叫びを上げている。遠くに見える空がかすかに白んでおり、きっとこれが少女の言う“あさ”だろう。

「ねえ! “あさ”が来たら――」

 少女に向って叫ぶが、その声は届かなかった。

 突然現れた小さな“むま”が少女の腕を千切り、俺と少女は分断された。

「くそ!」

 わずかな焦燥感が俺を苛む。分断されたことよりも、“むま”に襲われることよりも。少女の手を離してはいけないという使命感に駆られ、俺は“むま”をかき分けて少女の許へと走った。

 少女は千切れた個所を反対の手でおさえている。そこから血は出ていない。そんなこと、知っていた。

「――姉さん、手をのばして!」

「――!! うん」

 少女――いや、姉は俺の呼びかけに応えて残った方の手をのばす。しっかりと繋いだ手を見て姉は口を開いた。

「こんどは……はなさないでね……」

 空が明るくなってきた。

 “むま”が苦しみの声を上げ、俺は姉を見る。


 その姿は白い骸骨体。


(――ああ……)

 そうして俺は思い出した。

 幼い頃、姉と一緒にこの悪夢の中を彷徨ったことがあった。


 そして俺は、姉を助けられなかったのだと――。


 ◆


 姉は原因不明の眠り病に冒されており、俺はただ眠っているだけの姉が病気だと理解できなかった。父は医者を責め、母は泣き、俺はただ姉の手を握っているだけの日々が続く。


 そんなある日、俺はこの悪夢に迷い込んだ。

 座り込んで泣いている俺を見つけた姉は、俺の手を引いて走った。姉は幼いながらに“夢魔に捕まると死ぬ”ということを理解しており、この悪夢からの脱出する方法も知っていた。その方法は“誰かと手を繋いで朝を迎える”というもの。

 二人で走り通してようやく光が差し込んだ頃だった。夢魔が、姉を捕まえたのは。

 どれだけ姉の手を引っ張ろうと、四歳の子どもの力ではそこからわずかも動かず、他の夢魔が俺達二人に近づいてくる。俺はとても怖くて、姉の手を離した。

『いかないで! はなさないで!!』

 泣き叫ぶ姉の声を聞きながら、俺は最後まで走った。

 光で目の前が真っ白になるまで。


 俺の目が覚めた時にはもう、病室に姉の姿はなかった。


 ◆


 後日、墓参りに行った俺はその墓前に姉の影を見た。

 姉は俺を見つけると、優しく微笑んだ。

タイトルの響きから書き出した話です。

 1.「きみ」と「ナイトメア」が二人、三人(または四人)の物語

 2.「ぼく」と「きみ」のふたりだけの「ナイトメア」という存在

 3.「ぼく」と「きみ」のふたりだけの悪夢

タイトルの解釈次第で作品の内容も構成が変わりますね。

最初は1で幼女主人公にしようかと思ったのですが筆が乗らず、結局3になりました。

あなたはどの『きみとふたりのナイトメア』だったでしょうか?

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― 新着の感想 ―
[一言] 『細く、白い腕はまるで骨のようだ。』という一文。 さりげなく、広げた風呂敷を綺麗に折りたたむ。 実に鮮やかだな、と感心しました。
2015/11/28 13:24 退会済み
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