夏祭り
『第1回なろう文芸部@競作祭『キーワード:夏』投稿作品』
企画で作ったものですが、まあまあの仕上がりだと思うので、是非ご覧ください。
「あのさ、明日ヒマか?」
勇気を振り絞って、なんとか約束を取り付けた昨日。
自分でも小学生かと突っ込みたくなるけど、本当に楽しみで眠れなかった。
学校が終わるのも待ち遠しくて、夜になるまでがすごく長く感じた。
そして、約束の時間まで一時間を切った。……さすがに二時間前から待っているのは早すぎると思ったけど、何かじっとしていられなかったんだよな。
女の子を誘うなんて初めてのことだから勝手がわからなくて、でも少なくとも遅刻だけはダメだと思った結果ではあるのだけど。
そんなことを思いながら、残り時間をどう過ごすか考えていると。
「え……? 村上くん? 何で……もしかして私、時間間違えてた……?」
件の少女、倉橋千代が、驚いた顔で声をかけてきた。
「えっと、約束って八時だったよね……? まだ七時……だよね……?」
恐る恐るといった様子で、質問を投げかける倉橋さん。まさか、倉橋さんがこんなにも早く約束の場所まで来るなんて、予想外すぎた。
本当は、約束の時間十分前ぐらいに、適当な場所に隠れて、あたかも今来たところのようにみせる予定だった。こっちがあまりに早く来すぎていると、気を遣わせてしまうかもしれないと思ったからだ。
しかしこれは予想外。やばい、引かれてるかな……。何か言い訳をしないと。
でも、どんな言い訳をすればいいのだろう。
言い訳その一。
『いや、今来たところだよ!』
だめだ。今っていったって、約束の一時間前だ。どんだけ楽しみにしてたんだと思われる。これは引かれるだろうからNG。
言い訳その二。
『たまたまここを通りかかってさ。ついでだから寄ったんだよ』
これもだめだ。このあたりには、それを目的に歩くような場所はない。コンビニですら近くにないのだ。どう考えたって怪しい。却下。
言い訳その三。
『時計が壊れててさ。遅刻しちゃまずいから先に来てたんだよ』
……苦しいな。しかも、時計が壊れててって、もしも直前まで気づかなかったらどうするつもりだったんだと、咎められるかもしれない。これもアウト。
あれでもないこれでもないと考えを巡らせる。これらの思考を終えるまで約一秒半。俺の灰色の脳味噌は、最適な答えを導き出した!
「いや、俺も時間を間違えててさ。早く来すぎたんだよ」
俺が笑顔で言った後、時が一瞬止まる。
俺は今何を言った? 『時間を間違えてた』? ありえない。約束を取り付けた本人が時間を間違えるなんて論外だ。
顔に滑稽な笑顔を貼り付けたままの状態で、だらだらと嫌な汗が流れる。まずい。これはまずい。怒って帰られてしまうかもしれない。
このまま土下座の移行するべきか? いや、余計に引かれる。ひたすら謝り倒す? 必死すぎてバカに見えるな。どうするどうする……!
「あ、そうだったのね。よかった……。私が時間を間違えて、遅れちゃったのかと……」
俺の予想とは裏腹に、安堵したような声でため息をつく倉橋さん。
「え? 怒らないのか……?」
「? 何で?」
「だって、約束した張本人が時間を間違えてたって……」
「あ―……。うん、別に怒らないよ。むしろ待たせちゃってごめんね」
なんて優しいんだ……!
この優しさを疑った、さっきの自分を殴り飛ばしてやりたい気分に駆られたが、できもしないことを願っても始まらない。少し、いや、かなり早いけど、祭り会場に向かうことにしよう。
でも、それより……。
「その……ゆ、浴衣……似合ってる……な……」
「! そ、そう? ありがと……!」
そう。倉橋さんは浴衣を着てくれている。
淡いピンクの布に、小さな金魚が数匹プリントされている、とても可愛らしい浴衣だ。足には同色のビーチサンダルを履いている。
倉橋さんの長い黒髪によく合っていて、浴衣を着てくれた嬉しさも相まって、気を抜くと顔が弛みそうになってしまう。
それに対して俺はといえば、白いTシャツにジーパンという、オシャレもへったくれもない、雑な格好をしている。いや、だってまさか浴衣を着てくれるとは思ってもいなかったんだ。
俺も最初は、浴衣にしようと思っていたけど、それだとなんか気合入りすぎてて引かれるかも、とか思ったわけで。だってそんな、祭りに誘って浴衣を着ていくなんて、気合が入りすぎてるというか……。
「? どうかした? 私の顔に何かついてる?」
「っ――!? なんでもないっ! なんでもないんだ!」
まずい。意識せずして見惚れてたみたいだ。でも、やっぱり可愛いよなぁ、倉橋さん。何で俺なんかの誘いを受けたのか不思議なくらいだ。
しかし、まあ、何と言うか……。絶望的なまでに釣り合いがとれてないよな、俺と倉橋さんじゃ。
片や浴衣美人。片やラフな格好の平均顔。人が少ない今はいいけど、会場に行ったらどうなるだろうか。きっと変な目で見られるんだろうなぁ……。
「んー……。村上くんも、浴衣着てくれると思ってたんだけどな……。せっかくのお祭りだし」
はっ!? またも余計な思考に没頭してしまっていた。いかんいかん。
「いや、俺も最初はそうしようかと思ってたんだけど……」
「え、そうなの? じゃあ今からでも着替えてこない? 『時間を間違えたせいで』、予定までにはまだまだ余裕あるし、ね?」
「うっ……」
それを言われると弱い。仕方ない、一度帰って着替えてこよう。
そばに止めてあった自転車に跨り、いざ走り出そうとしたところで。
「あ、私も乗っていい? ここで待ってるのもなんだし」
言うが早いか、こちらの許可を得る前に、俺の自転車の後ろの荷台に、横向きで座る倉橋さん。ちょ!?
「だって、ここで一人で待つのも寂しいし、どうせ行くなら同じでしょ?」
「そ、それはそうだけど……まあ、倉橋さんがいいなら……」
「うん、ありがとう」
後ろに確かな重みを感じつつ、自転車のペダルを踏む。
明度をわずかに落とした空の下を、ゆっくりと進み始めた。
「大丈夫? 重くない?」
「大丈夫。倉橋さん、軽いから」
何気ない会話を少しずつ交わしながら、俺の家に向かって進んでいく。好きなアーティスト、苦手な先生、得意な科目。他愛もない、小さな話題をお互いに振り合いながら、少しずつ、少しずつ。
そんな話をしていると、あっという間に自分の家に着いた。楽しい時間はすぐに過ぎ去るものなのだと、この時に改めて認識した。
「じゃあ着替えてくる。少し待っててくれ」
「うん。待ってる」
軽く手を振り、ドアにかけられた鍵を開け、家の中に入る。
その時の倉橋さんの夕日に照らされた笑顔が、僕にはとても綺麗なものに見えた。
「わかってるって。じゃあ行ってくるから」
母親の激励の言葉を受け、紺の浴衣に着替えた俺は、下駄を履いて、ドアの鍵を開けて外に出る。
倉橋さんは、俺の自転車の荷台に乗って、足をぶらぶらさせていた。
「倉橋さん」
俺が呼びかけると、こちらに気づいた倉橋さんが、柔らかく笑う。
「おかえり。暇だったよ?」
「ごめん。思ってたよりも時間かかった」
着付けに手間取ったせいで、思っていたよりも時間がかかってしまった。そのことについて謝ると、倉橋さんは『冗談だよ』、なんて笑って流してくれた。本当に優しい人だな。
「さ、今度こそ行こう? 時間も、向こうにつく頃にはいい感じになるよ」
「うん。行こうか」
さっきと同じように、まず俺が自転車に跨り、その後に倉橋さんが荷台に乗る。――って、え?
「く、倉橋さん……?」
俺はてっきり、さっきと同じように、横向きに乗るのだとばかり思っていた。
でも、今度は違う。横向きには乗っているけど、さっきと違って俺の腰に手を回しているのだ。
「さっきはちょっと揺れて怖かったから。でも、こうしてれば落ちないから怖くない」
「い、いや、怖かったなら言ってくれれば……。いや、だったら歩いて――」
振り向いて俺が言うと、回された手の力が少し強くなった。
「んーん。自転車がいい。歩くとすっごく時間かかるもん」
ドクン、ドクンと、心臓が早鐘のように脈打つ。鼓動の音が、倉橋さんまで届いてしまうんじゃないかと思ってしまうほどに、僕の胸が鳴り響く。
「だめ、かな?」
上目遣いで、言われてしまう。
空は既に赤く染まり、太陽は地平線に沈みかけていた。
幸い、逆光のおかげで、僕の顔は見えにくくなっていると思う。
今この時、俺は太陽に感謝した。きっと、今の俺の顔は、とても見せられたものじゃなかったと思うから。
「だめ、じゃ……ない。だめじゃない。から……」
「よかった。じゃあ行こう?」
無邪気に笑う倉橋さん。これ以上見ていると、さすがにバレてしまうかもしれなかったので、急いで前を向き、太陽に向かって自転車の車輪を回した。
三十分も漕いだ頃。ようやく祭り会場に到着した。日は完全に落ち、辺りは黒く染まっている。
正直、腰に回されていた手を意識しすぎていたおかげで、ここに来るまでの道のりに何があったのかなんて、ほとんど覚えていないのだけど。
倉橋さんに自転車から降りるように促し、俺も、降りたのを確認してから自転車から降りた。
鍵をかけてから、辺りを見回す。
賑やかな祭囃子が耳を打つ。太鼓のリズムと、笛の軽快な音に合わせて、係の人が踊っているのが、ここからでも見えた。
「賑やかだな。どこから回る?」
「んー……じゃあ、まずは何か食べたいかな」
「そう。じゃあ、行こうか」
「うん」
本当なら、こういう時は手をつなぐのが定番なのだろうけど、俺にはまだそこまで親しくなったという自覚はない。
それに、そういうのは、彼氏彼女の関係の人がするものだと思うから。
一瞬伸ばしかけた手を引っ込め、食べ物の出店を探すことにした。
「何が食べたいとか希望ある?」
「そうだね……じゃあ、暑いからかき氷かな」
「よし、じゃあ……あ、あそこだな。買ってくるから待っててくれ。何味がいい?」
「え、悪いからいいよ。私も行く」
別に気を遣ったとか、そんなつもりはなかったのだけど、倉橋さんは気にしているみたいだ。
だから俺は、倉橋さんのそんな優しさを好きになったのだけど。
「気にしないでいい。俺がやりたくてやってるんだから。何にする?」
できる限り、気を遣っていないということを伝えるために、言葉を選んで軽く笑いかける。
倉橋さんは俺のそんな様子を見て、少し不満気ながらも『イチゴシロップ味』をリクエストしてくれた。
もちろん、断るつもりなど毛頭ないので快諾。『だったらせめて、お金だけでも私が両方出す』と、倉橋さんが譲らない頑固さを見せたのは、俺にとってはかなり意外だった。
この日のために、アルバイト代を貯めていたので、お金は全部俺が出すつもりだったのだけど、倉橋さんはそれを許してくれないようで。
「それだけはだめ。だってそれじゃ対等じゃないもん。村上くんが買いに行くなら、お金は私が出す。これで対等」
正直、ただ買いに行くよりも、お金を出している方が立場的には上な気がするけど、倉橋さんは多分、そんなことは考えていない。『何かをしてもらうなら、何かを返すべき』、みたいな考え方の持ち主なのだろう。気にしなくていいのにな。
「わかった。なら、倉橋さんの分は出してもらおうかな。でも、自分の分は自分で出す」
「だめ。村上くんの分も私が出すの。そうじゃなきゃ対等じゃない」
「大丈夫だって。倉橋さんは、俺の誘いに応じてくれたから、そのお礼ってことで。これで対等だろ?」
倉橋さんが、何かを言おうとして、固まる。
どうだ、言い返せまい。
俺が誘って、それに応じてくれたということは、倉橋さんは、俺の願いを叶えてくれたということだ。
つまり、倉橋さんは既に俺に『与えて』くれているわけだ。そのお礼を返すことには何の不都合もない。論破成功。
「う〜……。あ! じゃあ、『さっきの浴衣に着替えて欲しい』って、私のお願いで相殺! これでおあいこ!」
「うぐっ!?」
そ、それがあったか……! でも、ドヤ顔する倉橋さんも可愛い……。じゃなくて! どうする……。あ、そういえば。
「前に教科書忘れた時に見せてくれたお礼! これなら――!」
「だったら、私も委員会の仕事手伝ってくれたお礼で――!」
お互いに全く譲らない。やいのやいのと言い合っているうちに、何だかおかしくなって、二人同時に笑った。
そうだよ。そもそも言い争わないで解決できる方法があるじゃないか。
「だったら、二人で行こうか。それならいいだろ?」
「……うん。それならいい」
何のことはない。二人で一緒に行けば、お互いに気を遣う必要もない。わざわざ『片方だけが何かをする』必要はないんだ。
倉橋さんは『イチゴ』を、俺は『レモン』のかき氷を頼んだ。
少し待つと、赤と、黄色のシロップがかかったかき氷が、おじさんから渡される。
僕と倉橋さんで二百円ずつ渡して、それを受け取る。
「うん。美味しそうだ」
「そうだね。いただきます」
近くのベンチに座って、かき氷を食べ始める。
当然のごとく、頭にキーン、と痛みが走ったけど、夏の醍醐味といえばこれだよね。定番だ。
崩したりして、しばらく食べ進めていると、倉橋さんから提案があった。
「ね、少し交換しない?」
倉橋さんから交換の申し出。受けない理由もないのであっさり了承。じゃあ、一口もらおうかな。
倉橋さんのイチゴのかき氷を、ストローのスプーンで掬おうとすると、目の前に赤い塊が。
「はい、どうぞ」
……えっと、これは、まさか、俗に言う『あーん』では?
――って、いやいや、ちょっと待った!
「待った待った! こういうのは普通、恋人同士がするものであって!」
あまりの衝撃に、声がうわずってしまう。いや、そりゃ嬉しいんだけど、恥ずかしいのもあるわけで!
「あ……うん、ごめんね……。私なんかよりも、もっと可愛い子の方がいいよね……」
その僕の反応を見て、倉橋さんが沈んだ表情になる。やば、またマズった!?
「違うって! そうじゃないんだけど……ごめん! あ、あーん!」
嫌がったと思われたのだろう、その考えを払拭させるため、恥ずかしいのを我慢して、大きく口を開ける。う……! これは……恥ずい……!
「……いいの?」
「いいっていうか、むしろお願いしますというか……じゃなくて、はい! 大丈夫です!」
「……ふふっ、変なの。じゃあ、はい。あーん」
少し暗くなっていた表情を、また柔らかくしてくれた倉橋さんから、イチゴのかき氷を食べさせてもらう。
「……うん、美味い!」
緊張で味なんかわからなかったけれど。
「ふふっ、よかった。じゃあ、村上くんのもちょうだい。あーん」
予想外というか、予想通りというか。倉橋さんが、小さな口を開けて『あーん』の態勢にはいる。
やっぱりやるしかないよな……。ええい、覚悟を決めろ、俺!
「あ、あーん!」
レモンのかき氷を掬って、倉橋さんの口に運ぶ。や、やる方も恥ずかしい……!
「……うん。美味しいね!」
にっこり笑う倉橋さん。そ、それはよござんしたね……。俺は多分、耳まで真っ赤だよ……。
「私ね。男の子の友だちとお祭りに来るの、初めてなの。だから、今日は楽しみだったんだ」
「そうなのか。ごめんな、初めてが俺で」
何だか申し訳なくなってくる。最初の思い出を俺にしてしまったのは、断れなかったからだろうか。
「ううん。むしろ、その、さぃ――……」
「ん? 最後の方、何て言ったんだ?」
声が小さくなっていったし、顔を下を向いてしまっていたから、最後の方は何を言っていたのかわからなかった。
「……ん、ごめん、なんでもない。次行こ」
「お、おお」
すっくと立ち上がって、すたすたと歩いて行く倉橋さん。
……顔が見えなかったからわからないけど、もしかして怒ったのか……? だとしたら、後で謝らないとな。
「お、射的か」
ぶらぶらと歩いていると、射的屋を見つけた。懐かしいな。これ、小さい頃にゲームのカセットを狙ったけど、全部弾き返されたんだっけ。
重いから倒れない、なんてことは少し考えればわかることだったけど、その時はムキになって何度も狙って、時にはおでこに弾が当たって、少し泣きそうになったな。
よくよく見れば、端の方に『一等』や『二等』と書かれた板があったから、それを倒せばよかったのだけど。今考えてみても、それを教えてくれなかったおじさんは人が悪いと思う。
どうしようかな、と考えていると、浴衣の袖をくいくいと引っ張られた。
「ねえねえ、あれ可愛いよね」
倉橋さんの指す方を見ると、そこにはくまのぬいぐるみがあった。なるほど、あれがほしいのか。
「とってあげようか?」
「できる?」
「任せて。アルバイト代にものを言わせてやる」
「何それ。射撃の腕じゃないの?」
冗談めかして俺が言うと、倉橋さんが笑ってくれた。まあ実際、俺はそんなに射的は得意じゃないから、それなりのお金を使うことになるのだろうけど。
五百円を払って、代わりに弾を六発もらう。
まずは一発目。弾として使われているコルク栓を装填し、あの時のほろ苦い経験を糧にして、ぬいぐるみ本体は狙わず、『二等』の板に銃口を向ける。
ぽんっ、と気の抜けたような音と共に、コルク栓が発射された。残念ながら、一発目は外れる。でもまだ弾がはある。
気を取り直して二発目。これは掠ったけど、板の向きを変える程度にとどまった。
屋台のおじさんがさりげなく向きを直すあたりに、若干の苛立ちを感じた。一回の勝負の内は、そのままにしておいてくれればいいのにケチだよな。
三発目を込めて、三度狙いをつける。――あ、倒れた……けど……。
「やった、倒れたよ!」
「いや、だめなんだ」
「え?」
そう。この射的屋は、景品を倒したとしても、台の下に落なければ景品は取れないのだ。だから倒しただけじゃ意味がない。このシステムもどこかおかしいと思う。
残りは三発。落とせるかな……。
「結局、千五百円も使っちゃったね」
「やっぱり射的のシステムおかしいと思う」
案の定無理でした。結局あの後追加で千円払って、それでようやく落とせた。まあ、目的の物は落とせたし、良しとしよう。でも……。
「これならもっといいものを、普通に買った方がよかったかもな。ちょっともったいないかも」
千五百円もあれば、あれぐらいのぬいぐるみは、二つは買えたかもしれない。一応副産物にお菓子もとったけど、採算は全く合わない。
そんな意味も込めて、倉橋さんに言ってみた。すると、
「ううん、これでいいの。これがいい」
こう言ってくれた。愛おしそうにくまのぬいぐるみを抱き抱える倉橋さん。
そう言ってもらえるのなら、頑張った甲斐はあったかもな。
「っと、ごめん。ちょっとトイレ行ってきていいか?」
「うん。行ってらっしゃい」
安心したら、急に尿意が襲ってきた。さっきのかき氷のせいだろう。早く行って、早く戻らないとな。せっかくの祭りなんだから。
『お、そこの子、かわいーね! どう? 俺らと一緒に回らない?』
手早く用を済ませ、急いで戻ってくると、チャラそうな男たち三人が倉橋さんを取り囲んでいた。今、倉橋さんに話しかけていたのは、じゃらじゃらしたアクセサリーをたくさんつけている、リーダーらしき男だった。うわ、しまった……。こうなることは予想しておくべきだった……。
「あの、ごめんなさい。友だちを待っているので……」
『そうなの? ならその子たちも一緒に回ろうよ! 女の子だけだと危ないよー?』
『そうそう。それに俺ら強いから、面倒なやつから守ってあげられるぜ?』
ピアス付きの男と、金髪の男が、倉橋さんにそう詰め寄る。その『面倒なやつ』が自分たちだとは気づいていないらしい。あるいは、わかっていてそう言っているのか。どちらにしても、そろそろやめさせなければならない。
「倉橋さん、お待たせ。じゃあ行こうか」
「あ、うん。あの、すみません。私、この人と一緒に回るので……」
俺がさっさとこの場から去ろうとすると、倉橋さんは律儀にお別れを告げてから立ち去ろうとした。
そんなことしなくていいのに、と若干の不満を覚えながらも、これが倉橋さんの優しさなんだと自分を納得させた。
しかし、
『なんだよ、こんなナヨっちいのが連れ? こいつなんかより俺らと遊ぼうぜ。イイコト教えてあげるからさ』
この男たちの目に、下衆な考えが透けて見えた。
男たちの声を無視して、一刻も早くこの場から立ち去ろうすると、男が倉橋さんの腕を掴んだ。
「やっ……! 離してください……っ!」
明らかに嫌がる素振りを見せているのに、男たちはニヤつくだけで、手を離そうとはしない。
『いいから来いよ。こんなガキよりも絶対に楽しませてやるから――』
「離せ」
『――あ?』
「嫌がってるだろ。離せよ」
いい加減、我慢の限界だ。そろそろ退散してもらいたい。
しかし、男たちは不機嫌を隠そうともしないで、俺に詰め寄ってきた。
『おいおいおーい兄ちゃん。何ナメた口きいちゃってんの? 痛い目に遭いたくなけりゃ帰りな。この子は俺らがちゃあんと面倒見るからよ』
『そうそう。お前みたいなガキより、大人な俺らの方がこの子も安心だろうよ』
不愉快な笑い声があがる。人通りは結構あるけど、誰も関わろうとしないし、それどころか避けるように歩いていく。まあ、俺だってできればこういうことの関わりたくはないけれど、いざその場に立ってみると、人の心は冷たいんだな、と感じた。
チラリと倉橋さんの方を見ると、誰が見てもわかるぐらいに怯えていた。……仕方ないかな。
「あんたたちが倉橋さんを離すなら何もしない。そうじゃないなら実力行使だ」
「――あぁ!? こっちが優しくしてりゃつけあがりやがって! そんなに殴られたきゃやってやるよ!」
激昂したピアスの男が俺に拳を振りかぶる。それを半歩横にずれて避け――
『――なっ!?』
腕を掴んで、一本背負いの要領で地面に叩きつけた。幸い、下は地面だし、大怪我することもないだろう。
「次、誰がこうなる? 今度はそこの柵に叩きつけて、骨をへし折るけど」
できるだけ威圧を込めて睨みながら吐き捨てた。実際に投げ飛ばしたのが効いたのだろう。金髪とアクセ付きは、乱暴に倉橋さんを離し、ピアスを起こして毒づきながら去っていった。
「大丈夫? 怖くなかった? っていうか、怖かったよな。ごめん」
「あ、うん、大丈夫だけど……。村上くんって強いんだね。柔道やってたの?」
目を丸くしながら、倉橋さんが尋ねてくる。
「昔にちょっと、な」
昔に悔しい思いをしたから、もうそんなことにならないように。きっかけはそれだったけど、今はそれに感謝してる。おかげで倉橋さんを守れたから。
「それより、もうすぐ花火が始まるから行こう。穴場知ってるから」
「……うん。行こっか」
夜空に大きな花が咲く。一瞬の輝きを放っては消えていくそれは、儚く、それでいて力強かった。
「きれいだね」
「そうだな」
色とりどりの花が夜空を彩り、大きな音とともに散っていく。
微笑みながら空を見上げる倉橋さんの顔に、空と同じ色が映った。
「きれいだ……本当に」
横顔を見ながら、誰にでもなく呟く。もし、今のを聞かれていたら、恥ずか死する自信があるが、幸い花火の音のおかげで聞こえていないらしい。
「……さっきはありがとう。助けてくれて」
「いや、お礼なんていいよ。俺がしたいからそうしただけだからな」
「ううん、するよ。また助けてもらったから」
「……また?」
倉橋さんの言葉の中に、引っかかるワードを見つけた。
また、というのはどれのことだろうか。まあ、どれのことだろうと、倉橋さんが気にすることじゃない。
「……そっか。覚えてないならいいの。忘れて」
ただ、俺の反応に、少し悲しげな笑みを浮かべたのは気になった。
「……ねえ、村上くん」
「ん? 何――っ!?」
突然、俺に寄りかかってける倉橋さん。待って!? 何で!?
「ちょっ――! なっ――!?」
「また、来年も一緒に来てもいいかな?」
混乱する頭の中でも、その言葉だけはしっかりと認識できた。もちろんだ。むしろ、願ってもない。
「ももももちろん! いつでも大丈夫!」
イメージではかっこよく返せていたというのに、なんとままならないことか。
「ありがと。……それとね、もう一つ」
寄りかかっていた体を起こし、倉橋さんがこちらに向き直った。
ポッ、と着火音が、風に乗って聞こえた。
何事かと、俺も倉橋さんに向き直る。
花火がヒュルルと空へ昇っていく。
すると、倉橋さんの顔がこちらに近づいてきて――
夜空に、一際大きな華が咲いた。