36 領地への道のり
36 領地への道のり
翌日、崖の上に猪を見つけた。
ヨリに言うと、彼女は250m先の猪を一発で仕留めた。
「いやあ、大した腕だな」
「自分は、毎年家族で狩りに出かけてますので」
二人で獲物をさばきながら話をした。
カナとリンでさえ、気味悪がって嫌々のお手伝いだったから、他のお嬢様方は近寄りもしなかった。
今日はみんなジャージ姿で、昨日みたいに目のやり場に困ることはない。
「ヨリは軍人の家系なのか」
「ホエール警備隊の幹部です。祖父が司令部に、父はゲート母艦の運用責任者ですが、兄がSASに派遣されていまして、そのせいか軍人のまねをするようになりました」
「SASか、コジャクスという祖父さんの知り合いがいたなあ」
シーン・コジャクス爺さんはインド人だったが、SASに入るためイギリス国籍を取得した変わり者で、国籍取得時にインド系の名前をイギリス風に変えたらしい。
インド人の名前は先祖から引き継ぐ色々なルールがあるので、故郷には帰れないとか行ってたっけ。
退役後はオーストラリアでサバイバル学校を開いていた。
現役のSASも訓練に来るようなところで、俺は年に一回はコジャクスの学校でもまれていた。
「今年は自分もコジャクス学校で訓練してきました」
「えっ、シーン爺さんはまだ生きているのか?」
「いいえ、今はミランダ・コジャクス退役少将の教室ですよ」
「ミランダだって。孫の? 泣き虫でいつも夜中に俺のベッドに入ってきてはおねしょをされたんだが」
「今は本人にそんなことを言えば2秒とかからずに殺されますよ。皆殺しのミランダと呼ばれるほど恐ろしい将校ですから。確か今年は66歳になられるとか。ユウキ様に食べさせられたコロコダイルの味噌ステーキが不味くて忘れられないと仰ってましたよ」
いや、あいつ全部食ってから不味いって言い出して、いつかは自分が美味いステーキを作ってやるって威張っていただけだ。
「ヨリ、俺のこと知ってたのか」
「はい、ミランダ教官の部屋で写真を拝見しました。今より少し若く見えましたが、一目でわかりました。不思議ですね。ミランダ教官を肩車されるユウキ様が、今では私たちと同年代など」
「すまんが俺の素性は内緒にしておいてくれ。俺にはわからんところで大変なことになってるらしい」
「了解しました。自分を信じて下さってありがとうございます」
「まあ、かたっ苦しいのはやめにしよう。ここは軍隊じゃないし、俺も民間人だし」
「多少の規律は必要かと思いますが」
ヨリの目線の先にはチカコがいる。
レンのスープに文句を言ってるようだ。
俺が成り行きをじっと見ていると、レンは素直にスープの味付けを見直しにいった。
俺よりずっと大人である。
「何、自分の女にケチつけられるのが嫌なの、野蛮人のお兄さん」
まったく、やれやれだ。無視しよう。
しかし、チカコは喧嘩を売りに近づいてくる。
剥いだ毛皮の端を掴むと、ヨリに視線をおくる。
ヨリは直ぐに反応して毛皮を持ち立ち上がる。
二人で広げた毛皮を持ち、川へ向かった。
むせかえるような臭気に、チカコは逃げていった。
昨日の事故直後に出発した熊さんは、馬車3台に武器と食糧を満載して100キロ北上していた。
しかし、100キロを越えた辺りで湿地帯につかまり、難儀しているようだった。
湿地帯じゃ馬力があっても難しいか。
帰りはルートを見直す必要がありそうだ。
オペレッタにスキャンしてもらおう。
ミサコとタケコはリーナさんの処置が上手くいき、回復したそうだ。
今はラーマが世話をしてくれている。
領地にはこれといった問題はないようで、タルト村もいつもどおり農作業に励んでいるとのことだった。
ミヤビたちに、ミサコとタケコの状態を説明してもらい、全員の安堵を引き出せた。
夕方には、見たことのない部族が事故現場に現れ、散乱した物資や日用品をあさっているようだった。
バイザーで暫く監視していたが、こちらに来る気配はなかった。
レンが言うには、多分、東の部族のどれかだろうと言うことだが、会ったことがないので危険性がわからない。
だが、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。
複数の部族に狙われたら、何人かは攫われかねない。
信用できるのはサンヤぐらいだが、サンヤはこの時期、西の山の方で狩りと採取を行っているのは確実らしい。
チカコは一時間おきに『救助はまだか』と聞きに来るが、殆ど嫌がらせに過ぎない。
段々『野蛮人のお兄さん』からお兄さんが抜けていき、『野蛮人』と言うようになってきた。
ヨリは俺が我慢できると疑っていないが、カナとリンは相当頭に来ているようだった。
部族を見つけてから、警戒が強くなったので疲れてきているのだろう。
そうした空気は小学生たちにも伝わるのか、次第に焦燥や不安を訴えるものが増えてきて、カオルコとミヤビたちとセルターが忙しくなっている。
甘いものを食べさせられると良いのだが、砂糖は貴重品であんまり持ってなかったし、サツマイモもニタ村で使い切っていた。
飴も分けられるほどの量はない。
見張りの交代に来たヨリが、良いものを見つけたというので見に行くと、ただのカエデの木だったが、ヨリが言うにはメープルシロップが取れるという。
俺は早速ナイフで傷をつけ樹液を味わってみると、確かにメープルシロップの味がした。
大喜びしてヨリを抱きしめてグルグル回っていると、チカコが現れて『ロリコン』だの『変質者』だのと罵声を浴びせてきた。
「ヨリも気をつけないと野蛮人の女にされるわよ」
「自分は、あの、その」
ヨリが赤くなって混乱していると、
「手遅れのようね」
チカコは嫌みったらしく言って去っていった。
ヨリに丁寧に礼を述べて、レンと一緒に樹液を集めるための準備をし、夜まで作業を行った。
その後、寝ずに番をしてくれてたヨリ、カナ、リンにお礼を言って寝かしつけると、レンにもお礼を言って寝かせ、俺はそのまま二晩目の見張りを行った。
翌朝、川で顔を洗っているとヨリが来て、サバイバルナイフで俺の髭を剃ってくれた。
何でも無精な兄にやっていたので慣れているそうだ。
サバイバル教室でも人気があったそうだが、確かに上手だ。
サバイバル訓練では鏡など無いから直ぐに無精髭だらけになる。
自分ではわからないから、そのままの者が多いのは確かだ。
「これなら、野蛮人とは言われないかも知れません」
「ロリコン!」
直ぐにチカコのヤジが混ざった。
しかし、ヨリに出会えたのは本当に助かった。
縁の下の力持ちって言葉があることを本当に実感させてくれる娘だ。
内助の功?
そうなったらいいなあ。
でも、競争率は高そうだ。
SASのお兄さんと仲良くできれば高ポイントもらえるかな。
殺されたりして?
その後、ハインツが走ってきて『ロボットが来ます』と教えてくれた。
熊さんが到着したのだ。
下流から登ってくる熊さんは少し汚れていたが、逞しい味方だった。
早速主要メンバーを紹介し、特にヨリとカオルコの優先順位を上げておいた。
熊さんが持ってきた食糧で、トースト、ハムエッグ、レタスとトマトのサラダ、ベーコンと大豆のスープを作り、全員に配ると、少し文明が戻ってきたような気がした。
熊さんを点検してから馬車を点検すると、軸受けに少し怪しい部分が見つかったので補強することにした。
また、ソーラーがあるので、ハインツとセルターの充電をし、簡易な点検も行った。
体力が残っているうちに移動しなければならない。
カオルコとミヤビに幹部会で俺の領地へ向かうことを検討させた。
案の定チカコがただ救助を待つと言って会議を引き延ばすだけで、建設的な意見はなかった。
幹部会で明日出発と決められたが、チカコだけは一人でも残ると言い張るので、捕まえてジタバタ暴れるのを強引に押さえつけて予備ヘルメットをかぶせ、新たに集まりつつある2部族の様子をバイザーで確認させた。
毛皮に棍棒を持った戦士たちの姿や、裸で薄汚れたまま歩く女たちの姿を見ると大人しくなった。
カオルコたち幹部にも見てもらった。
やはり裸で歩かされている女たちの姿は強烈なようで、誰もが攫われるぐらいなら死んだ方がマシだと思ったようだ。
ハインツはトレインを放棄できないと言い張ったが、乗客の安全が優先だと却下した。
「乗客の安全が確認されたら戻っても良い」
詭弁だが、それで納得してもらった。
セルターは、上位命令者のミサコの所に行けるとわかると協力的になった。
再び班編制を組み、俺はフォーメーションを考えた。
水は全部石清水を汲み直し、余分な荷物は馬車に積んで身軽になるよう指示した。
俺と熊さんは全員分の杖を削り、レンとミヤビとアキにはメープルを煮詰めて、モモクレープを作ってもらった。
その夜の警戒は熊さんとハインツとセルターに任せて、久しぶりにじっくりと眠った。
左右からレンとヨリが毛布を掛けて寄り添ってくれたのは、朝になるまで気づかなかった。
出発前に予備のヘルメットをカオルコとヨリに被ってもらった。
オペレッタとアクセスし、認識してもらうと、俺とのリンクも確認した。
レーザーは俺とヨリ、スタンガンはミヤビとアキ、カナとリン、それからチカコにも渡すことになった。
まあ、俺を撃つことはないだろう。
俺は先行して道を確認し、熊さんと馬車がトレースし、カオルコが下級生たちを統率して続く。
左右はミヤビとアキ、カナとリンがかため、最後尾はヨリが守っている。
チカコは指示に従わないから遊撃である。
休憩の指示はヨリが出してくれるので、俺は前方の足場や森の状況把握に専念出来た。
オペレッタのスキャンは1時間に一回行われ、部族の集団ぐらいは発見できるようにした。
今のところ、赤城山に2部族が確認されただけだ。
食糧事情から一日平均20キロは進まなくてはならない。
4キロを5セットである。
しかし、森には馬車が引っかかるので、速度が上がらない。
熊さんが利用したコースを目一杯使う。
その分湿地帯を避けるのに10キロは遠回りを選ばなくてはならない。
予定では4日目あたりで、コース変更になる。
1日目、2日目は順調だったが、水の補給は出来なかった。
3日目にやっと水が湧き出すところを見つけ、補給すると、皮肉にも4日目は雨だった。
降り始める前に小高い丘に樹木を利用してビニールで天幕を張る。
シートを敷いて真ん中には焚き火を作る。
煙がひどいことになったが、身体を冷やされるよりマシだった。
一日おやすみにし、体力を消耗した下級生には荷物を降ろした箱馬車で交代で休んでもらった。
皆は大げさだと思ったようだ。
雨に濡れてはしゃぐ奴までいたが、夕方に雨と風がひどくなると実感したようだった。
乾いた場所がないつらさは、結構堪えるものだ。薪も濡れてからでは遅いのだ。
特に地面が濡れると冷たくて眠れなくなる。
結局、貴重な炭まで消耗して、薪を乾かしながら乗り切った。
レンだけは、木陰に草を敷いて毛布を被ると平然と寝ていたが、誰にもまねはできなかった。
翌日は良く晴れたので、全員に徹底して毛布やシーツ、服や靴を乾燥させた。
その間に、オペレッタのナビで先行し、湿地帯の調査を行った。
そこは驚くほど単純で、湿地か森しかなかった。
湿地も、池か小川か泥沼かであり、一番森の深いところまで行って、丸太で浅瀬を渡るのが一番安全そうなので、そのようなコースを選んでおいた。
森は、まばらで樹齢の低い所を選ぶしかないだろう。
駐屯地に戻ると、全員が裸かシーツ一枚の姿だった。
夏の日差しになってきているので、直ぐに乾くだろうと思っていたのだが、少し早かったようである。
しかし、恥ずかしがるのは6年生の一部で、おっぱいを隠したがるだけだった。
見張りを任せていたヨリ、カナ、リンもシーツ一枚の姿で、マントのように羽織っていた。
3人とも前が開いても気にせず、異常がないことを報告してくれた。
考えてみれば俺も裸を意識したのは久しぶりで、それだけプレッシャーがかかっていたのだと実感する。
彼女たちの命を守るために、裸を意識することはなかったのだろう。
騒いでいたのは、チカコだけである。
しかし、その真っ先に騒ぎそうなチカコは見あたらなかった。
奥に熊さんが見えるが、普通に警戒している。
異常はなさそうだ。
幹部連中が車座でおしゃべりしているところに近づくと、胡座だった連中は急に横座りなどに姿勢を入れ替えた。
はしたないことは、わかっているのだろう。
俺は見ない振りをしたが、レンだけはきちんと正座してスカートを穿いているのがおかしかった。
「森を抜ける道を作るのに2日はかかりそうだ」
「お手伝い出来ることはありますか」
カオルコはまだ少し赤い顔で尋ねてきた。
下半身はむき出しのままなので、やはり裸が恥ずかしかったわけではないようだ。
お嬢様の基準があるのだろう。
ルミコだけは胡座でマッパのままだが、気にしないことにした。
「手伝いはいい。それより作業の間、俺と熊さんが抜けるから守りが手薄になってしまう。奥に進むほど距離が空くし、直ぐには戻れない。ヨリたちの負担も増えてしまう」
「2日ぐらい、私たちは頑張れます」
ヨリがそう言うのはわかっていることだ。
頑張らなくても良いくらいでないと心配なのである。
それに子供たちに2日間も何もしないで耐えろ、と言うのが非常に難しい。
あちこち走り回り、次の日には遙か彼方まで冒険しかねない。
男の子だったら縛り付けるしかないところだ。
「ハインツとセルターは、はっきり言って見張りぐらいしかつとまらない。奇襲を受けたらヨリたち3人じゃ全員を守れないだろう。馬車3台で防壁を築くとして、その防壁内に子供たちを閉じ込めておけるだろうか」
「皆で出て行かないように見張るしかありません」(ヨリ)
「いや、外を見張るべきなのに、内側も見張るのは効率が悪すぎる。何処に綻びが出来るかわからない。しかも人数が多いのに味方の交代要員が少なすぎる。森の方に入られて迷子になられるのも困るんだ」
「6年生から、見張りか監視役を見繕うしかありませんね」
カオルコの判断がベストのようだ。
「監視役が孤立しないよう、システムを組んでくれるか」
「わかりました。人選は私が、教育はヨリにお願いします」
中1のメンバーは、少し成長したように感じる。
俺が言いたいことも、良く把握してくれるようになった。
年長者の自覚が、成長を促しているのだろう。
「ところで、あのうるさ型はどうしたんだ」
「チカコならトイレよ。見られずに安心して出来るとか言ってた」
ルミコがおかしそうに言う。
「別に覗いたりしてないだろ」
「偶然、見られるのも嫌なんだって」
確かに、女子トイレだけは人数が多いので、場所がコロコロ変わるのだ。
いちいち場所を教えられたりしないから、周辺の哨戒をしているときに、偶然見えてしまうときもある。
いつも川があるわけではないのだ。
「便秘になったら、ユウキさんのせいかも」
「今度、トイレですってプラカードでも作っとくよ」
「それの方が嫌かも」
全員がケラケラ笑う。
別にそんなに嫌がってるわけではないのだ。
偶然出くわしても『失礼』の一言でおしまいである。
離れて攫われる方が怖いのだ。
ヨリたち警備組なんか、俺と交代したりするときには、俺が側にいるうちに済ませるようになっている。一人の方が怖いのだろう。
最前線では、仕方がないと言える。
全員が和んでいるのに、悲鳴が割り込んできた。
いつもの悲鳴ですって感じじゃない。
本気の悲鳴だ。
「ヨリ、警戒態勢」
「はい」
「カオルコは点呼確認」
「はい」
俺は熊さんに防備をかためさせると、棒を持って悲鳴に向かって飛び出した。
50m程度の林を抜けた先に、少し開けた場所があり、そこに悲鳴をあげるチカコがいた。
マッパの手足に4人の毛皮が張り付いている。
チカコが160センチはあるので、とりついている方はやりにくそうだ。
戦士たちは130センチ程度なのだ。
だが、流石に4人もとりつくと、チカコも動けないようだった。
「おい!」
俺が声を上げると、4人は動きを止めて俺を見る。
チカコが恐怖に染まった顔で見る。
「ユウキ、助けて! 犯されるのはいやー」
ひょっとしたら、男性恐怖症とかの持ち主だったのか。
しかし、そんなことは後回しだ。
チカコは股を血で染めている。
生理中だったのだろう。
犯されてから悲鳴をあげるんじゃ順序が違うだろうからな。
俺は飛び込んで、二段突きを何度か繰り返す。
4人の戦士は直ぐに転がった。
右側の林の中から、20人ほどの戦士が現れる。
チカコ以外の獲物を狙っていたのだろうが、警戒態勢になったので、諦めてこちらに来たのかも知れない。
「ヨリ、スタングレネードを使うから、全員に伏せて耳を塞ぐように指示してくれ。5秒後だ」
「了解」
俺はチカコを抱き寄せると、腰のスタングレネードを戦士たちの後ろの林に放り込んで、チカコの両耳を塞いだ。
チカコの顔が目の前にあるが、チカコには何が起こっているのかわからないようだ。
ピカッ!
ドドンと、凄い音がして、お互いの髪が吹き上げられ、衝撃が身体を突き抜けた。
チカコは俺を見ていたから、目も耳も大丈夫だ。
俺は少しくらくらするが、戦士たちほどではない。
林の奥では弓隊がばたばた落ちている。
死んではいないだろう。
「チカコ、暫くここにいてくれ。動くなよ」
チカコを木の根元に座らせる。
チカコが何かを言うが、俺には聞こえない。
「爆発で耳が聞こえないんだ。暫く待っていてくれ」
チカコは驚いた顔をする。
俺はよろめいている戦士たちを鎖骨叩きか、足首叩きで無力化していく。
骨折すれば、暫くは追っ手にならない。
逃げる奴にも容赦なく叩き込む。
ここで無事な者を出して、次があると困るからだ。
20人を片付けると、林に入り弓隊の連中にも鎖骨叩きをお見舞いする。
当分、弓は使えないだろう。
俺はチカコの所に戻り、無事を確認すると、そのまま気絶した。
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