16 オペレッタ不調
16 オペレッタ不調
朝風呂に4人で入り、朝食は料理の講習会も兼ねることにした。
マスクについては『蜂に刺された』とごまかしておく。
水場小屋には調理用コンロが3つと石焼きオーブンがある。
反対側が大理石のシンクで石清水が24時間流れ込んでいる。
水は外側の大きな洗い場にも流れていて、野菜を洗ったり洗濯をしたりできる。
排水は神田川に流れていくが、神田用水の取水口とは20m以上離れているので、あまり気にしない。
洗濯機も1台置いてあるが、カゴに入れるか、竹にはさんで神田用水につけておけば殆どきれいになるので、あまり使っていない。
今後ラーマが使ってくれるだろう。
さて、今朝は基本の卵料理からである。
風呂前に3つのコンロに火を入れておいたから炭を足していく。
1つに鍋をかけお湯を沸かす。
ゆで卵用だ。
もう2つに小型のフライパンをのせておく。
卵焼き用だ。
シンクとコンロの間にテーブルが一つあるので、今日の作業はそこで足りる。
山盛りに置かれた産みたて卵を2つ取り、ハンドミキサーでかき混ぜる。
ひたすらかき混ぜたところで、フライパンにマーガリンを少し入れ焼く。
フライパンの縁を使って両端を折り曲げながら厚みを作り、最後にポンと裏返すとプレーンオムレツができあがる。
人によっては餃子型にしたり、流線型にしたり、完全三つ折りにしたりするが、俺の好みは不完全三つ折り型だ。
裏返すとふわふわに一本のスジ入った感じが、好みの分かれるところだが、色っぽくて良いだろう。
そのまま切って3人に試食させる。
塩コショウやケチャップなどはかけない。
素材の味を覚えてもらうためだ。
何故か、ラーマだけは裸でお風呂サンダルだ。
タキもレンも革フル装備なのに、ラーマは料理すると気づくや、全部脱いでしまった。
タキに尋ねると『大事だから』という返事だった。
俺には中身の方が大事なのだが、伝えても、きょとんとされただけだった。
これは、エプロンが必要になりそうだ。
しかし、それでは裸エプロンになるだけか。
解決にはならないかも知れない。
この価値が逆転している世界には、まだ時々戸惑ってしまう。
パンツを穿いている方が、いやらしく感じるときもあるからだ。
裸の銅像にパンツを穿かせるといやらしくなるのと同じような感覚だろうか。
気合いを入れて砂糖入りと塩入の卵焼きを作って食べさせる。
スクランブルエッグ、目玉焼きと続けていく。
最後にゆで卵を試食して、後はそれぞれに復習させる。
部屋に戻って、目玉焼きをフォークで2つに切り、片方に塩コショウ、片方に中濃ソースを付けて食べさせる。
目玉焼きは全部ラーマが焼いたものだった。
俺が作ったのは、フレンチトーストである。
他は、今日の所は全部落第だった。
ゆで卵すらドロドロかカチカチで、スクランブルエッグなどという失敗しそうもないものもこげて苦かった。
裏返す、ポンはまだ難しく、大半が床に落ちて食べられなくなった。
ゴミはすべて集めて堆肥の元にまわされるが、養鶏をしている八さんの苦労を思うと申し訳なく思う。
半熟、固焼き、生ぽいもの、色々あったが全員半熟が美味いと味覚か趣味かが一致した。
俺だけは、目玉焼きも味噌を付けて食べていたが、それはどうやら不評のようだった。
朝食が終わり、勉強の時間になるとラーマも一緒に勉強させる。
言葉だけは覚えてもらわなくてはならないからだ。
言葉を覚えたら、少しずつ午後の勉強は農作業に移行し、ラーマには更に掃除や洗濯なども覚えてもらう。
俺は八さんと新居の縄張りをし、設計を詰めてから、砂鉄入りの煉瓦を作り始める。
耐火煉瓦の元に砂鉄を混ぜて、上手くいけば強固な煉瓦になる予定だ。
それに熊さんのOKをもらえれば、俺も新居の建設に入れる。
新ユウキ邸(仮称)である。
煉瓦で2階建てにするつもりだ。
煉瓦造りの家は、八さんより熊さんの方が専門らしい。
確かに熊さんには土建モードがあり、用水掘りとか畑の整地とかは全部やってくれている。
いつの間にか領地内がフラットになったり、坂の急勾配がなくなったりするのは熊さんのお陰である。
八さんに詳しく尋ねると、新居の基礎が終わると、木造で柱や梁を作り、その後煉瓦で囲んでいくらしい。
実は、鉄骨コンクリートのビルも同じような建築方法らしい。
知らなかった。
正確には木造煉瓦造りになるという。
各部屋の内壁は、煉瓦のむき出しでも木の板でも選べるという。
まあ、今回は外壁だけで、床や天井は木造だが。
そうして煉瓦の材料をこね回していたら、八さんが呼びに来て『姐さんが直ぐ来て欲しい』とのことだった。
居住区画に入るのは、昨夜のこともあり少し恥ずかしかった。
入ってリーナさんもマスクをしているのを見たら、更に恥ずかしくなった。
赤い顔のリーナさんが、オペレッタが不調だと教えてくれた。
今のところ、何が原因だかわからない。
俺が『オペレッタ』と呼ぶと『ユーキ』と返事はあるのだが、会話が成り立たない。
これはひどい非常事態である。
オペレッタがおかしくなれば、間違いなく地球には帰れない。
まあ、それを置いといても、日々の生活に支障を来す。
特にソーラーバッテリーの首振り制御や防犯、侵入、警戒、威嚇、撃退までのセンサーやら武器やらが機能しないとまずい。
発電効率が落ちるし、南側のセンサー類と神田川沿いのセンサー、電撃が機能しないとなれば熊さん、八さんを警戒に当てなくてはならず、領地経営に支障を来す。
更に、本船の安全と遠方の監視を怠るわけにもいかないのである。
まあ、レーザー砲が必要な事態はそうそう起こらないだろうが、非常事態に違いない。
リーナさんがオペレッタの各階層のチェックを行っているが、さわりの部分のチェックだけでも28000階層あり、かなり時間がかかるという。
しかし、オペレッタの頭脳となると、俺にできることは皆無なので、俺は着陸船本体の電力不足解消のため、発電機を水車小屋に設置することにした。
歯車は時間がかかるのでベルト式にし、何とか着陸船のメインバッテリーまで繋ぐのに4時間かかった。
これで、天井部のソーラー発電量がさがっても、何とか補えるだろう。
「リーナさん、どんな具合かな。何かわかった」
「まだ、手がかりもつかめないわ。オペレッタちゃんの手助けなしでオペレッタちゃんを調べるのが、こんなに大変だとは思わなかったわ。メインフレームの片方は予備に使えると信じていたのが馬鹿だったわね」
確かに地上と衛星軌道上にある二つが同時に壊れることはあり得ないだろう。
繋がっているせいだとすれば、ソフトウェアだろうか。
とりあえず、休憩しますと伝えて部屋に戻ると、今日はタキが先生をやっていた。
ジャガイモをふかし、シャケのフライを作って昼飯にし、みんなで食べた。
「オペレッタ、どうだ?」
「ユーキ、ユーキ」
「何かして欲しいことはないか?」
「ユーキ」
「オペレッタ」
「ユーキ……」
少しだけ、朝と反応が異なるような気がした。
この際、どのような手がかりでも欲しい。
「何か俺に出来ることがあるのか?」
「……」
「オペレッタ、どうして欲しい」
「……ユーキ」
「何だ。何でも言え」
「……キスして」
「何だってーーー!」
俺は確かに昨日リーナさんとファーストキスをした。
それも2時間近くだ。
でも、オペレッタはリーナさんとリンクしている。
つまり、情報は完全に共有しているのだ。
情報を共有するというのは、感情や体験も共有しているのと同じことである。
つーことは……
「オペレッタ! 今すぐやめろ!」
部屋を飛び出し、リーナさんの所へ飛び込む。
「どうしたの!」
「リーナさん! 昨日のキスだ!」
「いきなり馬鹿なことを、少し我慢して…… ね」
リーナさんは真っ赤にはなったが、冷静な方だった。
「違うんだ。オペレッタがキスを」
「何ですって!」
怖いです、リーナさん。
いや、それどころじゃない。
「違うんだ。オペレッタが昨日のキスを」
いや、この場合なんて言うんだ。
参照じゃないな、読み込んででもないな、見てるじゃないし、感じてるに近いな。
そうだ。
「オペレッタが、リーナさんのキスを味わってるんだ」
「………」
珍しい、リーナさんのフリーズだ。
「だからさ。記憶の共有だって」
「でも、あの、あああ、わかったわ! オペレッタちゃん! それは私のキスよ! 初めての大事なキスなんだから、返して!」
「減らない」
「あなた、昨日から何回キスしてるの?」
「35万6503まで数えたけど…… 途中で数えられなくなった」
「あなた、サルなの! 男子高校生なの!」
すみません。男子高校生ですみません。
「だって」
「早く返しなさい!」
「いや」
リーナさんは鬼の形相で、参照ファイルを検索し、コピーし、オリジナルと入れ替え、厳重にプロテクトし、コピーに電撃を上書きする。
「ぎゃん」
しかし、オペレッタもコピーを持っていたらしく、暫く追っかけっこ状態になった。
オリジナルファイル。コピーファイル。ダミーファイル。
すべて、俺とリーナさんのキスの記録であるが、コンソールで見ると、たくさんの種類が生まれては消えていく。
1時間もすると、ようやく決着がついたようで、オペレッタが回復する。
「あなたね。30%もの処理領域が溶けかけているのよ。早く復旧しないと頭が馬鹿になるわ」
「だって、リーナばかりずるい」
「ずるいとかの問題じゃないでしょ。私だってまだ8回しか再生してないのに」
うわー、リーナさんもう8回も繰り返したの?
まだ、マスクも外せないのに。
しかも、何倍速とかでも経験できるの?
感覚は省略されるの?
強くなるの?
「だって、こんなこと初めて」
「私の初めてなの!」
「ずるい、私も初めてしたい」
「あなた、口もないのにどうするのよ」
何だか、居心地が悪くなってきた。
問題はわかったことだし、後は俺抜きでも大丈夫だよね。
そっと、部屋から抜け出すことを決意する。
「ユーキ」
「はい!」
俺は半歩と逃げ出せなかった。
「キスして!」
「こ、このコンソールにすれば良いでしょうか」
「リーナにして」
ええっと、どういうことでしょうかオペレッタさん。
リーナさんとしろ、と聞こえたんですが、聞き間違いですよね。
「リーナをわたしにして、キスして」
「リーナさん。意味わかります?」
「わかるわ。私の感覚を使うのね」
「そう」
俺には良くわからないが、二人の会話が進んでいく。
「一回だけよ」
「一回って、2時間?」
「ち、違うわよ! 最初の一回だけ。30、秒ぐらいよね……、ユウキ……」
「20秒ぐらいだったのでは?」
俺はとりあえず言うだけ言ってみた。
「違う。最初は48秒、舌を絡ませたのは37秒と3345」
恥ずかしいから、それ以上はやめて!
あと、3345なんて人間には無理だからね。
計れないからね。計測不能だからね。
「もう、仕方がないわね。さっさと済ませましょう、ユウキ」
さっさと済ませるものじゃないような気がするんだけど、このままオペレッタの不調を見過ごせないし、へそを曲げると、また何しでかすかわからない。
とりあえず、復帰して仕事に戻ってもらわねばならない。
「ちゃんと全部のセンサー戻して」
「入力がきつくて切れたのよ?」
「わたしは大丈夫」
「どうなっても知らないわよ」
「早く、早く」
「もう、私だって感じるんだから」
「これは、わたしの初めて。ユーキ、オペレッタって呼んでからして」
いや、そう言われても、リーナさんなんですが。
「ちゃんと呼んで」
「ごほん。では、オペレッタ」
「駄目。初めてらしくない」
初めてらしいってどんな感じデスカ。
やばい、緊張してきた。
「お、オペレッタ」
「やり直しを要求する」
「ユウキ、早くして!」
「違う。わたしの初めて」
もう、わけわからん。
最初は、慣れてるようでいや。
次は、ぎこちなさ過ぎて、いや。
3回目は、何だか、いや。
短いから、いや。
タイミングが、いや。
絡ませ方が足りなくて、いや。
その後、テイク14にして、やっとオペレッタのOKが出たのであった。
リーナさんは、へろへろになっていた。
「わたしの初めて♪」
オペレッタはファイルを嬉しそうに眺めているように見えた。
それで、俺は重大なことを思い出した。
「オペレッタ」
「何」
「ありがとう」
「どうしたの。キスしすぎ?」
それはお前だ。
昨日から何万回したんだよ。
「いや、この旅に付き合ってくれたお礼をしようと思ってたんだけどさ。結局、オペレッタの喜ぶものって考えつかなかったから、気持ちだけだけど。ありがとう」
「どういたしまして。でも、お礼を言うのはわたし」
「そうなの?」
「だって、地球ではずっと閉じこもっているだけ、情報も2次情報、3次情報を伝え聞くだけ。ここではみんなダイレクト情報、リアル情報、楽しい。それに、宇宙も飛んでいられる」
確かに地上のガレージと衛星軌道のステーションに係留されているだけってつまらないよな。
安全かも知れないけど、外で飛んでいる方がずっと楽しいよな。
「だから、わたしからも、ありがとう、ユーキ」
「どういたしまして。これからもよろしく」
折角、いい感じで終われると思ったのに。
「オペレッタちゃん。再生は一日一回だけよ」
「やだ」
「あんまりすると、頭に良くないのよ」
「リーナだっていっぱい再生してる」
雲行きが怪しくなってきたので逃げ出した。
けれど、
「ユウキ、女神様とキスした」
タキがとんでもないこと言い出した。
「何言ってんだ、タキ」
「さっき、タンマツに流れた」
なにしてくれてんの、オペレッタ。
「ああ、あれはオペレッタの創作というかフィクションというか」
「うそ、タキもする」
「レンも」
君は言ってみたいだけだよね、レン。
「ラーマ・も?」
「駄目。ラーマは前にした! 今度はタキの番」
「レンも」
うーん、このままでは子供たちの教育に良くないような気がする。
キスは何歳からして良いのかなどというガイドラインはないが、少なくとも地球にいた頃の俺は、15歳までそんな経験はない。
もしかして、俺だけだろうか。
それはそれで嫌だな。
しかし、俺の周りには女の子がいなかったではないか。
祖父さんが、俺付きに雇ったメイドたちは、小学校の頃からドンドン減らされて、結局リーナさんとオペレッタしかいなかったし、中学はアストロノーツ養成のための特殊な学校で女の子は見たことがない。
たまに男友達が女の子を連れて来ても、リーナさんが片っ端から追い払ってしまった。
祖父さんの愛人ぐらいだろうか。
家にゴロゴロいたのは。
休みは世界中のごつい男たちとサバイバル訓練に明け暮れていたしなあ。
まあ、この星の女性は結婚が早いとはいえ、どこかで線引きがあるはずである。
ああ、そうか。
「君たちは、おっぱいが大きくなってから!」
二人とも自分の胸を見てショックを受けていた。
しかし、一番ショックを受けていたのはラーマだったりした。
可能性が無いからか?
その後、ラーマのご機嫌を取るのに非常に苦労するのだった。
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