15 貝の審判
15 貝の審判
その夜、女3人に夕食を作り、上のベッドでレン、下のベッドでタキとラーマが寝るように指示すると、俺は工作船で縫製機と格闘していた。
リーナさんが隠れて顔を見せないせいだ。
「やっぱり黒い革がいいよな」
「ユーキ、股洗い、儀式化してる」
「儀式じゃない。公衆衛生だ」
「人類史にない公衆衛生」
「儀式にだってないだろ」
ないよね?
「若旦那、これが一番黒に近いと思いやすが」
八さんが、革を持ってきてくれた。
黒か茶かといえば、黒に近い。
「八さん、そのジカタビの底のゴムなんだけど」
「やだなあ若旦那。これは若旦那が作った樹脂じゃありやせんか」
「そうだったの? でも一日じゃ乾かないよねえ」
「1mシートにして、いっぱい作ってありやすよ」
「そうか良かった。一枚都合してよ」
「がってんでさあ」
直ぐに板状の樹脂シートを持ってくる。
「へえ、サンダルで?」
縫製機の表示を見て、八さんの目が輝く。
「ぬげやすいのが欠点なんだけどね。急ぎだから」
「なら、踵にこうして輪っかを作れば…… バネホックなら簡単に止められて、女物としてはまあまあでさあ」
すいすいデザインを進めていく。
「大工はこんなこともできるんだ」
考えてみれば、お風呂サンダルは八さんが作ったのだった。
いや、ジカタビのほうが凄いのか。
「草鞋を編んでれば思い付くことでやすよ。ほんじゃあたしゃ仕事がありやすんでごめんなさいよ」
嵐のようだ。
お陰で一番イメージできなかったサンダルの目処がつき、巻きスカート、チョーカーと次々に作業は進んでいった。
「これ、アピールじゃなく反逆」
オペレッタの指摘は正しい。
しかし、引くわけにはいかない。
戦士長をぶっ飛ばしラーマを攫ってきたのだ。
ここはカカを悪者にしてでも乗り切らねばならない。
「ただ、駆け込み寺にされても困るんだよなあ」
「駆け込み寺。儀式いっぱいできる」
「しないからね」
翌朝、俺が眠らずに作業して、朝風呂で目を覚まそうと歯磨きしながらシャワーを浴びていると、女三人が入ってきた。
「ユウキ、ラーマの歯ブラシ」
まったく、こいつら俺を何だと思ってるんだ。
ええと、俺が青で、タキが赤というかピンクで、レンが黄色だから、残りは白か透明か緑だけど。
俺はちょっと思い付いた。
ラーマにイーとさせて歯をみると、根本は少々黄ばんでいるが健康そうだ。
青い歯ブラシで磨き方をまねさせていると、タキが泣きそうな顔をしている。
おそろい、とかは思い付かなかったんだろう。
レンがきょとんとしているが、これが正常な反応で、タキは頭が良すぎるのだ。
とりあえず、徹夜明けなので恒例の『うおおー』はしないで済んだ。
ラーマに、どん引きされたらつらいし。
部屋に戻ると三人の食事だ。
色々ありそうだから重たくても軽くても良くなさそうだ。
パンケーキを8枚焼き、バターはないので合成のマーガリン、メープルもないので八さん印の蜂蜜(養蜂は農業の基本だそうだ)をかけまわした。
2枚重ねに右手でナイフを入れ三角に切り、左手のフォークで食べてみせると、3人とも『おおっ』という顔をしたが、まねできずに悪戦苦闘していた。
味よりも食べ方に感心されたのは、初めてだったかもしれない。
食事を終えてからが本番だ。
3人に徹夜の成果を身につけさせて仕上がりをみる。
3人とも革のチョーカー、革の巻きスカート、革製のサンダルだ。
色は全部黒だが、革の縁取りがラーマは全部赤、タキとレンは青にしてある。
サンダルの足首の所もだ。
チョーカー中央のガラス玉もそれぞれの色にした。
冬場なので艶出しのリップクリームを塗れば完成だ。
いや、ラーマの戦化粧が残ってた。
化粧箱から絵の具のパレットみたいなものを取り出す。
赤系統だけでも30色ぐらいある中から鴇色を選んで細い筆で涙の痕跡のようなラインを描く。
赤と金を混ぜた髪の色の印象が、鮮やかな鴇色に近いのだ。ピンクに少々紫を混ぜてキラキラにした感じ。
額の赤丸もべた塗りではなく鴇色で小さく円を描く。
おおっ、細く描くと上品で美人によく似合う。
アニメの女神様みたいだ。
これでいいかと聞くと、ラーマはおっぱいのあたりを指さす。
そうか、みんなこの辺にも化粧してるんだっけ。
でも、どんなのだったか流してしまって良く覚えてない。
「タキ、模様に何か意味があるのか」
「特にない。きれいなら何でも良い」
俺はおっぱいに何か描くのはちょっと抵抗があったので、鎖骨の下くらいに同色でバラの花を一輪描き、胸の谷間にかかるよう緑でS字型に枝を、葉を二枚描いた。
プリントできるタトゥーみたいなもんだ。
「きれい。本当に花があるみたい」
3人はきゃっきゃっとはしゃいでいた。
これで布がある弥生時代までは無理でも縄文時代後期ぐらいまでは引き上がっただろう。
しかし、どうしてこの星には布がないんだ。
綿花、羊毛、麻、絹、全部定住文化以降なのだろうか。
腰蓑ってのも農耕が前提なのか。
寝床は毛皮と干し草ぐらいしか使ってないしな。
筵や麦わらは燃えやすいから駄目なのだろうか。
酸素濃度が高い弊害か、それとも農耕が前提なのか。
竹カゴがオーバーテクノロジーだしな。
竹カゴは、俺にもオーバーテクノロジーだけどな。
あんな難しいもの良く編めるもんだ。
まあ、今更腰蓑っていうのも恥ずかしいよね。
羞恥心も文化なのかな。
「ユーキ、お待ちかね」
「はいはい、オペレッタさん。一体何が楽しいのかな」
「駆け込み寺」
まあ、そんなことにはならないけどね。
「ところで、女神様はどうしてるの」
「さっきまでお風呂で自分の歯ブラシを…… オフライン」
オフラインになんか、絶対ならないシステムだよね。
いつもの装備を装着しながら、リーナさん対策もしなければならないなと、一応優先順位を上げとくことにした。
「リーナさん、最悪戦争だからね」
ヘルメットで話しかける。
「ハンドレーザー振ってる」
駄目だ。
地球人類にすら戦争を仕掛けそうな人を説得できるわけがない。
3人の女性を並べて点検し、出発。
門の前では熊さんの仁王立ち。
橋の向こうには族長たち、戦士たち、他も全員集まってるか。
「タキ、通訳」
「はい」
「レン、熊さんと見張り」
「はい?」
「熊さんの横にいろ」
「はい」
「ラーマ」
「は・い?」
「信用できる人物はいるか?」
「タルトぐらい」(タキ通訳)
「タルトは族長の親族だろう。信用できるのか」
まあ、タルトは昨日の襲撃にはいなかったし、良識派なんだろう。
「ほか、いない。女は何も言えない」
そうかね、地球じゃ99%ぐらい奥さんの方が偉かったがなあ。
カカと子ジャケはさすがに見あたらないな。
「ラーマ」
「はい」
「俺の隣にいろ」(タキ通訳)
「はい」
俺が熊さんに合図すると、熊さんは一歩だけあけてくれた。
見張り小屋の中に材木が立てかけてあるのは、熊さんなりの戦闘準備だったのだろう。
(今後の展開は全部タキ通訳の上での俺の意訳である。先にお断りしておく)
タキとラーマが姿を現すと、男も女も目を見開いた。
タキはまあ見慣れていても、ラーマまでがこんなに美しいとは思わなかっただろう。
肌の色や髪の色まで知っているわけがない。
本人だって知らなかったのだ。
しかも、レザーのスカートにレザーのチョーカー、レザーのサンダルである。
パリコレクション並みに注目を集めている。
更に見たこともない戦化粧だ。
バラには影を付けたから浮かんで見えるはずだ。
「スルト何の騒ぎだ」
「お、女に毛皮は禁止だ」
「何処が毛皮だ」
「そこの女たちが着ているではないか」
「これは毛皮ではない。女神の服だ」
「女神だと。ごまかすな」
「タキ」
「女神様はちゃんといます。今日は見えないけど、タキも優しくしてもらいました。みんな女神様からいただいたものです」
「信じられん」
「信じないと女神様の怒りが落ちるぞ」
「フン、落としてみろ」
スルト、足が震えているぞ。
変な持病はないだろうな。
俺は僅かに見える海を指した。
「スルト、海を見てろ」
「見ててやる」
「オペレッタ!」
あれ、レーザー砲塔が動いてない?
なにやっってんのよ、オペレッタさん。
そう思ったところで海が光った。
どーーーーーーーーーんんんんん。
続いて衝撃波。
ラーマとタキを捕まえておかなければ何処まで飛んでいったか。
族長は石斧と祈祷師が繋がって、何とか飛ばされなかった。
向こうの人々は大半が木々に引っかかって助かったようだ。
上の方の枝にいる奴もちらほら。
海にはキノコ雲が漂っている。水爆?
「大丈夫。最低出力」
オペレッタさん、あなた軌道上から本船のレーザー撃ったの?
「オペレッタ、この……」
言い切る前にドザバーと、大量の海の水が雨に。
「ぎゃー」(タキ)
「きゃあぁぁぁ」(ラーマ)
レンは熊さんに守られ警備小屋の中にいる。
「これって、段取りがすべて台無しってこと?」
「台無し」
「張本人が言うな!」
立ったまま白目を剥きだして気絶していたスルトのことは、見なかったことにした。
武士の情けでござる。
一度仕切り直すことにして、部族はリンゴ園に引き上げて行った。
うちの女性陣は風呂に入って塩水を洗い流してきた。
一応、ラーマの戦化粧も、もう一度描き直した。
娘二人は何だか羨ましげに見ていた。
八さんが『塩害が、塩害が』と言いながら走り回っている。
2時間後ぐらいに部族からの使者が来た。
丁度、豆乳入りドーナツを揚げていたので、紅茶を淹れてテーブルに2人分出すと、保温ポットにも紅茶を淹れて、ドーナツを多めに包んで、シートを持ってタキと一緒に使者に会いに行った。
使者は、タルトだった。
とりあえず、橋を渡った近くの草地にシートを広げて向かい合って座ると、ドーナツと紅茶を振る舞った。
タキは無心でドーナツを食べている。
お前、通訳を忘れるなよ。
タルトは『もう驚かないぞ』と決心したかのような顔で紅茶を飲み、ドーナツをつまんだが、瞬く間に4つ食べて紅茶もおかわりし、ばつが悪そうだった。
「族長の様子はどうだ」
「ああ、あれはもう駄目だな。春に出発するときには、きっと新族長に率いられることになるだろう」
「俺はやらんぞ」
「わかっている。あんたは女神様を守らなきゃならないからな」
「新族長はタルトか」
「いや、俺はただの甥だ。族長はパルタ(真面目くん)が成長するのを楽しみにしていたが、難しくなった。頭はいいのだが、まだ若すぎるからな。モリトがなるだろう」
モリトとは、あの石斧男らしい。
族長の第三夫人の子。
パルタは第一夫人の長女の子。
スルトの初孫だな。
そして、第一夫人と第三夫人は仲が悪いらしい。
お家騒動か。
「カカは駄目なのか」
「あいつは力を付けたら独立するつもりだったがな。このところの騒ぎで女たちの信用を失い、戦士見習いがついてこないだろう」
「そんな簡単に独立できるのか。族長が許さないだろ」
「力と経験があればできるんだ。あのカリモシも見習いのラシと二人で西の部族から独立し、北の部族を荒らし回って大きくなった」
「どうやって部族を増やすんだ?」
「戦士同士の一騎打ちが一番かな。勝つと部下にできる。妻や成人前の子供を連れてくる。若い女を沢山持っていると、戦士見習いまでついてくることが多い。負けたら逆になるが、ラシは負けたことがない。カカよりも強いからな」
「そう簡単に一騎打ちに応じないだろう。カリモシとスルトは川で争っていたじゃないか」
「狩り場では戦争になる。獲物の横取りなんかもそうだ。しかし、普段は普通に挑戦すると応じる奴もいる。駄目そうなら、女を奪い一騎打ちを持ちかける。子供でもいい。子供が奪われると父親が助けに来る。そこで一騎打ちだな」
「そんなことが許されるのか」
「人質を傷つけたりしないからな。女の場合は、子供ができることもあるが」
「もっとひどいじゃないか」
「女は強い男の子供を産むのが名誉だ。部族にとっても新しい血が混ざるのは歓迎なんだ。子供が婚姻を結ぶ相手が増えるからな。だが、あんたは相撲により新たな部族交流の方法を教えた。一騎打ちよりも好まれるだろう。特に戦士を奪われるのが損失になる族長たちにとっては、好ましいやり方だ。部族内の婚姻にも有効だろう」
「強ければ奪えるんじゃないのか」
「部族内は違う。掟で妻にしなければならないし、既に妻のものは奪えない」
「ラーマはどうなんだ。カカの妻になってないぞ」
「ラーマが拒んだんだ。カカは族長にラーマを妻にすると言ってある。しかし、ラーマは応じない。未婚の場合や親がいれば説得できたが、ラーマは親がいないし娘持ちだ。本人が嫌だというなら族長も無理矢理は言うことを聞かせられない」
通訳しているタキの心境は複雑そうだ。
「ラーマは何故拒んだんだろう」
「夫のカルキを殺したのが、カカだと思っているからだ」
「殺したのか」
「狩りでの事故だとカカは言っている。二人で出かけた時のことだから、誰にもわからない。カカの言うことを信じるしかない」
捜査とか現場検証なんかできないだろうしな。
でも、ラーマはそう信じてるんだ。
その後、カカに迫られて確信したのかも知れない。
とんだサスペンス劇場だ。
「俺はラーマの味方だ」
「ラーマがカカの妻なら、カカはあんたに負けた時点であんたの部下にされても文句は言えない。だが、妻ではない。取り返す立場の親や兄弟もいない。敵なら族長が取り返す決定をするのだが、娘のタキを巫女として遣わせている相手は敵とも言えない。ラーマが嫁ぎたいと言ってもあんたは部族内の男ではないから許可できない。あんたが別の部族なら女を出してもらって対等の婚姻ができるのだが、それもできない」
タルトは手詰まりだというように、ため息をついた。
「じゃあ、ラーマはどうなるんだ」
「カカが負けた以上、実質あんたに挑戦する奴はいないだろう。ラーマのためにあんたと戦う奴もいなければ、勝てる奴もいない。許しや友好のために娘や息子を与えることはあっても夫や子供のいる女を与えるなんてことはあり得ない。女たちも男たちも納得しない。普通は親か親代わりの親族に戻して娘として送り出すのだが、その親族もいない」
確かに俺が取引できる女はいない。
タキは借り物と同じだから取引には使えない。
レンも同じだ。
カリモシからの借り物だ。
リーナさんを出したら、俺もこの星もおしまいだ。
「俺が奪ったでいいじゃないか」
「それじゃあ、あんたは部族の敵ということになる。出会うたびに戦うのはこっちがごめんだ。むしろあの川でのカリモシとの戦いの時に、あんたがカリモシもスルトも従えて族長になってた方がまだましだったよ」
「今からスルトを滅ぼしに行くか」
「やめてくれ、あんたは部族を率いていくつもりはないんだろう」
「まあ、ないな」
タルトは面白そうな顔をして見ている。
やり方はわからないだろうが、俺が定住することは理解しているのだろう。
「女神様の命令で、タルトが族長になるってのはどうだ」
「勘弁してくれ。今までも族長にはモリト側と疑われ、モリトにはパルタ側と思われ、カカには仲間になれといわれて参ってたんだ。俺が族長になったら部族は4つに割れる。1年でカリモシや西の部族に吸収されてしまうだろう」
「そうか。タルトなら良い族長になれると思うぞ」
「あんたほどじゃないさ。あんたは若くて強いし、いろいろなことができる。カリモシすら孫娘を贈ってよこすぐらいだ。女たちの大半は、きっとあんたに族長になって欲しいと考えてる。男たちも、3つの川を支配する大族長になれると思っているみたいだぞ」
3つの川とは関東平野に流れる3本の大河だろう。
隅田川の北に荒川、その北に利根川がある。(俺命名)
「あいにくと、俺には仕えなきゃならない女神様がいて、ここから動けないんだよ」
「知っている。実は女神様を見たことがあるんだ」
「うかつな女神だな」
「か、考え事してたのよ」
「ユーキのお風呂を覗いてた」
「ちち、違うの。オペレッタちゃん!」
やかましいから放っておこう。
「見張りに来たときに、ひと目だけだがな。直ぐに消えてしまった。これでも狩りでは獲物を見失ったことはないんだが、神様なら納得できる。それ以来、俺は族長やカカにあんたとは敵対するなと説得してきたんだが、族長は疑い深く、カカはあんたを付け狙った。結局、二人とも信用を失い、今ではひどい有様だ」
「それで、ラーマはどうなるんだ」
「多分だが、貝の審判を受けることになる」
「貝の審判?」
タキが蒼くなって震えだした。
「砂浜で貝を拾ってきて食べるんだ。食べて何ともなければ自分の好きな相手の所へ行く。腹痛で死ねばおしまい。死ななくても腹痛を起こせば族長の判断に従う。女がわがままを通したいときに下される方法だな。タンゴが言うには神の審判らしい。タンゴの信じてる神だがな」
「焼いて食べてもいいのか」
「焼かなきゃ貝は開かないだろう?」
タルトは不思議そうに言うが、俺が何かを確信している顔をしているのか、ため息をついた。
「どうやらあんたの女神様は、タンゴの神様よりもずっと強いみたいだな」
俺は勝ったと思っていた。
リヤカー2号に簡易コンロと炭、竹カゴに特製の竹熊手、いくつかの食料品や雑貨を積んでリンゴ園に向かった。
蒼い顔をした母娘と、レンも一緒である。
レンはどうも事態がわかってないようだ。
タキに説明する余裕が無かったせいか、それとも知らないのだろうか。
タンゴは、やっと自分の出番が来たことで張り切っているようだった。
大勢の観客? の前でラーマを呼びつけると『貝の審判』を告げた。
食べる数が3個と告げられると、女たちから悲鳴が上がった。
普通は1個で、2個は相当悪質、3個は死ねと言われたようなものらしい。
10個に1個ぐらい毒があるから、3個ならば大体3分の1ぐらいの確率になるのだろうか。
ロシアンルーレットで、2回引き金を引く恐怖といえばわかりやすいかも知れない。
まあ、子供の頃から恐ろしい毒があって死ぬという教育を受けていれば、ひどく怖いだろう。
実際、食べずに許しを請うケースのほうが多いらしい。
食べて死んだ実例を見ている者は、考えるのもおぞましいようだ。
ラーマは俺がハマグリを捕っているときに、もの凄い決心で止めに来たぐらいだし。
足が震えるラーマとへたり込んでいるタキをリヤカーに乗せ、レンを従えて東京湾に向かった。
ギャラリーと宗教裁判長を従えているので1時間近くかかった。
浜辺にくると、レンが事態に気づいたのか逃げだそうとしたが、捕まえて叱りつけた。
仲間のことを考えろと。
レンはタキとラーマを見て泣きながら抱きついた。
まあ、ラーマとはまだ一晩の付き合いだから仕方がないか。
簡易コンロに炭を入れ銅製の金網を置いて宗教裁判長の前に一つセットし、少し離れたところにもう一つセットした。
大きな熊手を持って3人を波打ち際まで連れて行き、熊手で砂浜を掘り起こすと、ジャラジャラと大量のアサリにハマグリが姿を現した。
3人にハマグリを捕るように言うと、ラーマがせめてアサリにしてくれと懇願するが、俺はハマグリにしろと譲らなかった。
毒性は変わらないが大きければ量が違うからだろう。
より重傷になることがわかっているのだ。
しかし、最初から八百長で出来レースなのだ。
でかくて美味い方がいいに決まっている。
「ユーキ、鬼」
「女を泣かせて楽しいの」
俺は3人が拾ってくるハマグリを、海水で洗うふりして毒持ちは海に流す。
3個あればいいはずなのに、30個ぐらい拾わせてしまった。
しかし、毒なのは2個しか無かった。
念のため、リーナさんとオペレッタにも確認してもらったから間違いはない。
カゴいっぱいのハマグリを持って宗教裁判長の所へ行き、好きに選ばせてやる。
例え毒入りにすり替えても俺にはわかるから大丈夫だ。
タンゴはここが見せ場と思ったのか、3個のハマグリを選ぶと何やらまじないみたいなことを始めた。
お前、毒を払うのが役目じゃないのか。
何だか毒であることを願っているようにしか見えないタンゴを無視して、コンロに火を付けていく。
炭は赤くなり、いい感じになってきた。
タンゴの呪い、いや、お祓いが終わったのでラーマを前に連れて行き、ハマグリを受け取って再チェックすると、金網にのせていく。
ラーマは逆に落ち着いてきた。
この砂浜で、カカ以下5名相手に裸で戦った俺のことを思い出したのだろう。
そんな俺が嬉々として死地に送り込むわけがないと信じたのだ。
木皿に良く焼けた美味そうな焼きハマグリを並べ、ラーマに差し出した。
ラーマは何かを言った。
タキは泣き崩れているので訳してくれなかったが、『信じています』か『愛しています』かの二択だろう。
そして、タンゴを見てから、泣き崩れているタキを見て、涙を流す女たちを見ると、微笑みを浮かべた。
きっと、後世に語り継がれる場面になったろう。
見たこともない美しい女が、見たこともない姿で、見たこともないよそ者の男のために『貝の審判』を受けるのだ。
ブロードウェイでのロングランは決定だな。
離れたところの2個目のコンロでハマグリを4個焼き始めると、タンゴが『こいつ、気が触れたか』というような顔をした。
ラーマが一つハマグリを取って食べる。
2個目を取って食べる。
3個目も取って食べると、そのまま目を閉じて待つ。
5分。
10分。
15分。
俺が待ちきれずに次の4つを焼きはじめ、最初の4つをモシャモシャしていると、宗教裁判長がラーマに何かを尋ねている。
ラーマも何かを答えた。
宗教裁判長は頭痛を振り払うように去っていく。
ドッと観衆が沸いた。ラーマの無罪が確定したのだ。
タキがすがりつき、女たちが泣きながら駆け寄っていく。
俺は新たな焼きハマに醤油を垂らして香ばしくさせている。
「ユーキ、鈍感、最悪」
「毒ハマグリに当たって死んでしまいなさい」
周りで騒ぐ男どもの中にタルトを見つけると、捕まえて無理矢理ハマグリを食わせた。
涙目で暴れているのを押さえつけ静かになったら解放してやる。
タルトはすっ飛んで逃げていった。
30分後、小麦粉と豆乳を使って特製のクラムチャウダーを作っていると、タルトが戻ってきた。
無視してクラムチャウダーの味付けを調整していると、近くにドカリと座り込んで何かを言った。
「死ぬかと思った」
コンロの向かい側で、悲しみと喜びで一生分の涙を使い切ったような顔をしているタキが訳してくれた。
レンも、観衆から解放されたラーマもいる。
俺はラーマを見てからタルトを見た。
「俺が殺すようなことをすると思うのか」
ラーマは微笑んだ。
タルトのは苦笑か。
「あんたの女神様は凄いなあ」
「ああ、最高だ。それで、タンゴはどうしてるんだ」
「スルトの隣で寝込んでいる」
みんなで大笑いした。
やがて、タルトの二人の奥さんと三人の子供たちが来たのでクラムチャウダーとマーガリンで焼いたバターロールを配った。
奥さんのひとりはなかなか乗り越えられないようだったが、子供たちは直ぐにおかわりを始めた。
そのうちタルトの弟分、パルタとその新妻が合流してきた。
「貝をどうやって見分けるのか」
真面目なパルタが、もっともな質問をする。
「女神様が選んでくれたものだけ毒がないんだ。絶対に自分で食べるなよ」
この場の全員に念を押しておく。
俺に強力な女神様がついていることをタルトが説明しているが、パルタは半信半疑というところだった。
タキが女神様は二人いて、言葉や計算を教えてくれると説明すると、パルタは凄い食いつきで、タキとレン相手に足し算や引き算を始めた。
小石で確かめている。
やがて小石10個を小枝1本としてタキが計算し始めると、パルタの方が生徒になってしまった。
宴会と算数の授業は日が暮れるまで続いた。
「とにかく気に入らないの。美人だし、気立てはいいし、料理は上手いし、名前が私の身内みたいだし、おっぱいは小さいし、未亡人だし、お尻がユウキの好みだし、覚えはいいし、苦労してきたし、ユウキに好かれているし、ユウキのことが大好きだし、タキの母親だし、ユウキの子供を産めるし、ユウキとデートするし、ユウキとアーンするし、ユウキと同じ歯ブラシだし、ユウキと一緒にお風呂入るし、ユウキに膝枕するし、ユウキに命を懸けるし、ユウキに、キ、キスするし」
その夜、ようやく捕まえたリーナさんの言い分である。
場所は居住区画の中だった。
しかし、幾つか看過できない内容があった。
おっぱいではない。
「待ってよ、キスなんかしてないよ」
「隅田川でタキと3人で寝た日があったでしょ。相撲の前の晩よ。あの時あの女はユウキにキスしたのよ。それも2回も」
「初耳だよ」
「朝、タキが怒ってたでしょ。あれはタキが起きて見ていたからなのよ」
そんなことがあったのか。
あの時は流行病を発症していたんだよな。
「覚えてません。ノーカウントです」
「ずるいわよ、ユウキ」
「知らなかったんだから仕方がないでしょ」
「じゃあ、私がユウキの知らないとこで、誰かとキスしたら…… ユウキはどうなの……」
「誰かって?」
「……誰かよ」
「地球にいた頃はリーナさん水も飲めなかったじゃない。キスなんかできっこないよ」
「今は、できるようになったの!」
「ほんとに?」
「本当よ」
さては機能追加のために岩戸隠れしていたな。
「でも、ここ禁断の地で男なんかいないし」
「外にはいるわよ」
まるで子供が意地張ってるみたいだ。
面白いから苛めよう。
「誰、タルトとか」
「あんなの猿みたいで嫌い」
「カカとか」
「まるでゴリラよ。もっとひどいわ」
地団駄を踏んでるみたいで可愛い。
「じゃあ」
「何よ」
「俺しかいないみたいだ」
俺はリーナさんの腰を抱いてソファに押し倒す。
「駄目よ、ユウキ…… まだ身体の準備が」
「キスできるようになったんでしょ」
「そう、だけど駄目」
「何故」
「だってラーマが、うっ」
俺は生まれて初めてキスをした。
リーナさんは俺の中ではアンドロイドではない。
人間でもないけど、大切な人なのは間違いない。
「ユウキ、駄目よ、メインプログラムがついていかない」
「じゃあ、早く書き換えないと」
「ううっ」
リーナさんにとって、このキスは永遠である。
情報としてずっと残るのだ。
人間と違って忘れたり、かすんでいったりしない。
「あっ、センサーが半分もおかし……」
更に深くキスして、肩と腰を強く抱きしめてた。
「駄目よ、まだ、ほかは、できてないの……」
「キスだけで十分だよ」
「そんなの、嫌よ」
「もう、わがままなんだからなあ」
「ユウキはそれでいいの?」
「嫌だな。できるようになったら教えて」
「もう、調子がいいんだか、あっ」
その後、2時間近くしていて、翌日は二人ともマスクをして不思議がられた。
16へ