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危なげなく地に降り立った少女は、先ほどの立ち回りでついた埃を軽くはたいて落とす。
「もー最悪! 方向わからんくなったし…」
慣れぬ土地で散々走り回らされたのだから、迷うのは必然というものだ。しかも頭に血が上ったため、だいぶん故郷の言葉が出てしまった……気がする。
故郷を旅立つ際、お国言葉は馬鹿にされるから隠すようにと散々周囲のものに進言された。普段はかなり気を遣っているが、やはり咄嗟の時にそこまで気をまわすのは不可能だ。
幸か不幸か、逃げやすいように人気の少ない道を選んだので、あの衛士以外には聞かれていない事が救いだと思い込む。
いつまでも立ち止まっていたらまた追いかけられかねないーー少女はもう何回目か判らない大きなため息をつくと意を決して顔を上げ、そのまま凍り付いた。
ちょうど先ほど飛び降りた場所からわずかに離れた所で、男がうずくまるようにして座っている。肩が小刻みに震えている所をみると、具合が悪い訳ではないらしい。
「お前、花も恥じらうって……」
笑う合間に絞り出された声は震えている。顔を上げると、それは昼間にセンと呼ばれた男だった。
少女は目をまんまるにして、しばらく青くなったり赤くなったりしていたが、最終的には赤くなる方に落ち着いたらしい。これでもかと言う程、顔を赤くしてセンに噛み付いて来た。
「な、な、何よ! 盗み聞き!?」
「いや、あんだけ大声出して、あげくに塀に上って大見得きってりゃ嫌でも聞こえるよ」
何度も深呼吸を繰り返しながら、どうにか笑いをおさめたセンはようやく立ち上がった。
「……それは、お騒がせしました。じゃあ私、急いでるから」
少女は態勢がわるくなったと見て取ると、赤みの取れない顔に仏頂面を載っけてセンに背を向ける。誰も聞いていないと思っていた発言を聞かれていた恥ずかしさはこの上ない。早い所、この男の前から撤退するのが良策だ。
「へぇ〜、道も判らないのに急げるのか」
「! うるさいな! 探し物があるの! あなたみたいな女の人ぞろぞろ引き連れて遊んでるような道楽息子殿の相手なんかしてられません!」
独り言まで聞かれていたのかと思うと、自分のうかつさが歯がゆくなる。少女は大股で表通りの方へと歩き出した。背後からセンの忍び笑いと共に声がかかる。
「あぁ、それなら大丈夫。俺も子供には興味ないから」
「十・六・歳! 誰が子供じゃ! なし都人ち言うんは真ッ剣はがいいしが多いんな!」
猿といわれ、悪童と言われ、子供と言われ。少女は怒髪天を衝くが如く、面白がるような笑みを浮かべているセンを勢い良く振り返って怒鳴りつける。
叫んでからはたと気づく。自分は今、追われてはいなかったか?
しまった、と歯がみをした所でもう後の祭りだ。
「さっきの田舎猿の声だ! この辺りにいるはずだ。探せ!」
「ああ、うそ、もう! 田舎猿って……進化してるじゃない!」
遠くで衛士達の声がするものの、道に迷って居るためとっさにどちらに駆け出していいのかが判らない。こんな切迫した場であるというのに、元凶の男は再び大笑いときている。
恨むような少女の視線にセンがようやく気がつき、笑いをかみ殺す。
「あー…、探し物するんだろ? 久々に笑った礼って事で道案内してやるよ」
センは少女の返答を待たずに、少女の腕を掴むと足早に歩き出す。彼女が背にしていた大通りの方へ歩き出したものだから、少女は半ば後ろ歩きのような態勢にさせられた。
「はぁ? 久々って…昼間もさっきもずーっとにやにや笑ってたじゃない!」
「そうだっけ? 忘れたな」
少女は状況が今ひとつ飲み込めず、引きずられるように歩き出しながらも反撃するが、男はまったく意に介さないといった風だ。
「それよりお前、名前は? 名乗らないなら田舎者って呼ぶぞ?」
「梓! ついでに田舎者っていうな!」
名前より、田舎者の方についつい力が入ってしまう。
梓はいつまでも後ろ向きに歩くわけにはいかないので、体をひねるようにして進行方向を向こうと試みる。
「そりゃ、ちょーっと遠方からきたけど…ぶッ!!」
上手いこと体をひねったと思ったその時だった。盛大に顔から人に突っ込んだ。ぶつかった拍子にセンの手が離れる。祭りで賑わっている往来で、前を見ていない梓の不注意だ。
「す…すみません…」
謝ったのに返答が無い。梓がおそるおそる視線をあげると、男の背が目の前に有った。聞こえなかったのか、よほど怒っているのかは判らず、顔へと視線を向ける。
男は面をつけていた。面の隙間から見る限り、年若い男のようだった。祭りなので周囲にも面をつけた人間は多いが、明らかに異質な空気をまとっている。仮面の男は一心に一所を見つめ、梓に気づいている気配すらなかった。
梓は何となく薄気味悪さを感じ、男を避けるように左側へ一歩踏み出す。わずかに気になり再度面に視線をやると、白く美しい面の左頬に精緻に刻まれた花が目に飛び込んで来た。満開の図柄にはいささか届かない蕾んだ印象のーー山茶花。
「! あなた…!」
「梓!」
手が離れた事に気づいた扇に鋭く呼ばれた事で、梓の意識が一瞬仮面の男から逸れた。人の波を縫うようにしてセンが近づいてくる。
慌てて仮面の男に視線を戻すが、男の姿は道のどこにも見当たらなかった。
「あれ…?」
「? 賢木の衛士に追いつかれる。こっちだ」
視線がさまよう梓の様子を伺いながらセンが先を促す。今は逃げるのが先、梓は先に歩き出したセンの後を追いかけて灯りの少ない小道へと滑りこんだ。
【補足:作中使用の方言について】
なし→ なんで
真剣→ とっても
はがいい→ 腹立たしい
し→ 人
多いんな→ 多いのよ