8.
今日の花は、ガーベラだった。
昨日は百合、その前はチューリップ。どこから調達してくるのかわからないが、取り合わせとしてはほぼ予測不可能な取り合わせだ。季節にも合っていない。
節操のない贈り物達は、二週間の間に一輪も枯れることなく花瓶に飾られている。ヘンリーはテーブルからピンクのガーベラを取り上げて、花の群れの中に加えてやった。
少し離れて、眺める。色も組み合わせもとりとめがなくて、やはり見た目がよくない。
花瓶を分けて、飾り直すべきだろうか。せっかくの贈り物なのだから、綺麗に整えた方が送り主も嬉しいに違いない。
そこまで考えて、ほんのり頬が熱くなった。
ファウストは、優しい。初めの頃の傍若無人さが嘘のように。
花をくれるようになってから、彼は変わった。極端な言い方をすれば、ヘンリーの一喜一憂に右往左往するほどだ。
気を遣ってくれるのは嬉しいが、心苦しくもなる。
そこで、ノックの音が思考を破った。
「起きているか?」
ファウストだ。
まだ着替えもすませていなかったので迷ったが、結局ドアを開ける。銀髪の青年は、美しく整った姿でそこにいた。
「起きたばかりか?」
「……すみません」
「いや。今日は食事を採れそうか?」
自分の姿が恥ずかしくて俯いたヘンリーに、どこまでも優しい声が問いかけてくる。
「ええ……少しだけなら」
「昨日よりは食べるようにしろ。無理強いはしないが、いつまでもそれでは」
「はい……」
眷属となったヘンリーは、存在を維持するための力の大半を主であるファウストから供給されているが、だからといって自分でも栄養を摂取しなければ主を消耗させることになる。そうなると共倒れの可能性が出てくるので、基本的には人間だった頃と変わらない生活習慣を必要とされているわけだ。
けれど頭で理解しても、心の方が身体を本調子にさせてくれない。
「ヘンリー」
顔を、覗き込まれた。
銀の瞳は苦しそうで、ヘンリーは息を呑む。
「触れてもいいだろうか?」
「え?」
「不快でないなら、抱きしめたい」
一瞬で、身体に熱が昇る。
面と向かって、何を言うのだろうかこの人は。
「いいだろうか?」
赤いままヘンリーは俯いたが、ファウストは動く気配すらない。ヘンリーが何かを答えない限り、待ち続けるつもりか。
言えるわけが、ないではないか。
喩え本心だったとしても、『抱きしめてほしい』などと。
「え……ぅ」
意味不明な音が口から漏れる。もうどうしていいかわからない。
「……すまない」
空気が、揺らいだ。
ファウストは、踵を返して歩き出そうとしていた。
「無理強いした」
「ぁ……」
背中が、遠くなっていく。
俯いている。傷つけたろうか。
でも、何よりも。
――行ってしまう。
――迷っている間に。
――選べずにいる間に。
――答えから、逃げている間に、
―― は、
「っ、ヘンリー?」
驚いたようなファウストの声は、頭の上から降ってきた。
「どうした?」
目の前が真っ暗だった。身体の平衡が消えそうな気がして手を伸ばしたとき、指先まで震えているのを知った。
「大丈夫か?」
呼吸も、乱れていた。滲む意識でぼんやり感じていたのは、案じるような響きのファウストの言葉と、抱えてくれている腕の温かさ、力強さだった。
「ごめん……へいき……」
果たして、ちゃんと伝えることができたろうか。
気がつくと、ヘンリーは自分のベッドに寝かされていた。