7.
まさか、本当に毎朝律儀に花を届ける甲斐性がこの男にあるとは、予想だにしていなかった。
ノアは返す言葉に詰まり、手持ちぶさたなのをごまかすためがぶがぶとお茶を飲む。
「……それで」
「あ、はい」
水を向けてきたのは、ファウストだった。
「次は、どうしたらいいだろうか」
「次?」
「この間言われたことはすべて実行した。ヘンリーも、最近は会話をしてくれるようになった。……だから、次はどうしたらいい?」
事情はだいたいわかった。お友達レベルのスタートを切って順調に行っているから、今度は恋人への階段を昇りたいということだろう。
昔で言うところの、恋のABCというやつだ。
「じゃあ、そうですね……軽いスキンシップを解禁してみましょうか」
ノアは、スコーンをかじってみる。とてもおいしい。アレクスの料理は何を食べてもいつだって美味だ。
「手を繋ぐレベルは、もういいと思いますよ」
「それ以上は?」
「状況に応じて、ですね。突然そんなことしたらびっくりされて終わりだってことは、肝に銘じておいてください」
「うむ……」
先回りして忠告してみたものの、前回相談を受けてから二週間でそこまでヘンリーとの関係を再構築できたという事実は、ノアにとっては嬉しい驚きだった。
自分を取り巻く環境すべてを壊された兄が、立ち直ってくれたことが。
弟の視点から見ても、ヘンリーは強い人だった。冷酷な父親からかばってくれ、いつも気を配ってくれた。ノアとセシルは、ヘンリーに育てられたようなものだ。
だから本心では、ルイに彼を選んでほしかった。
「ファウスト」
目の奥が痺れて痛い。何度も瞬きをして、ようやくごまかせた。
「今……兄さんは、笑っていますか?」
ノアは兄の笑顔を、思い出せない。
記憶がおぼろげなのではなく、兄は滅多に心からの笑みを見せてくれなかったから。
「兄さんに、幸せになってほしいんです」
「ああ」
ファウストは、立ち上がった。
「わかっている」
髪を撫でていったのは、風だったのだろうか。
それとも。
ノアが顔を上げたとき、銀髪の悪魔はすでにどこにもいなかった。