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2.

 時間の流れを意識することを、どのくらいの間やめていたのだろう。

 その日ヘンリーは、目覚めて初めて朝を感じた。

 太陽というのは、こんなに眩しかったろうか。一日の最初の光ですらこんなに鮮やかなのに、それに照らされ続けて自分は本当に今まで生きていたのだろうか。

 そんなことすら、考えた。

 そのうち日を浴び続けるのも飽きてきて、のそのそと寝台を降りる。驚くほど柔らかく肌触りがいい。着ている寝間着も恐らく絹だ。

 眠りは快適であるのが当たり前だろうという条件が揃っているのに、鏡に写った顔は憔悴して、十も二十も年を取ったように見えた。

 かさついて寝乱れたままの金髪は、藁束のよう。肌はそそけ立ち頬の肉はそげ、青い瞳だけが大きくぎょろぎょろとして我ながら不気味だった。

 顔を洗い、櫛通りの悪いくせっ毛を何とかブラシで宥めてバスルームを出ると、ベッドはきちんと整えられて衣服がその上に畳んで置かれていた。どんな原理になっているのかは不明だが、ここでは『そういうこと』がごく当たり前に起きるようだ。

 幼い頃読んだ、童話を思い出す。日常生活を見えない何かが補ってくれる城は、よく物語の中に姿を現した。

 ここはどうやら、まさにそういう場所らしい。

「起きたか?」

 着替えを終えるのを見計らっていたかのように、ドアが開く。

 振り向かずにいると、闖入者はずかずかと入ってきて強引にヘンリーの視線を奪った。

「ひどい顔だな」

 視界すべてを、秀麗な美貌が覆ってしまう。揶揄する光をたたえている銀の目に身がすくむ思いで、ヘンリーは一歩後ずさる。

「食事はできている。来い」

「……いりません」

 促した男に、再度背を向ける。沈黙が落ちてきたが、それは一瞬のこと。

「また意地を張るのか」

 男の顔は見えないけれど、明らかに嘲笑っているのだと口調から知れた。

 唇を噛み、全身で男を拒む。

 近づいてほしくない。触れられたくない。

 ――自分という世界に、入ってきてほしくない。

 なのに男の手はいともたやすく、ヘンリーの腕を掴んで乱暴に振り向かせる。抗議も悲鳴も間に合わず、逃げようとした足はもつれて体勢が大きく崩れる。

「世話を焼かせるな」

 男は。

 ヘンリーという世界を、

 まるで、存在すらしないかのように。

「ゃ――っ!」

 蹂躙。侵略。征服。

 そんな言葉が、頭の中で浮かんでは次々弾けていく。

 背中と、後頭部に衝撃が走る。痛みよりもそちらに驚いて、恐らく叫ぼうとしたのだろうと思う。

 だが開いた唇からは何一つ外へは飛び出さず、反対に男の舌が無遠慮に入ってきたのだ。

 背が、震えた。

 入ってくる。

 入ってくる。

 はいって、くる。

 何かが冒涜的な勢いでヘンリーを満たして、塗り替えようと。染め尽くそうと。

 変えて、しまおうと。

 その瞬間に何を考えたのか、何を思ったのか、何をしようとしたのか、何一つヘンリーは思い出せない。

 記憶として無理矢理刻みつけられたのは、ただ。

「……食わなくとも、こうしてやればお前は生きていけるがな」

 口づけというにはあまりに一方的な行為を、やはり手前勝手に切り上げた男の、居丈高な言葉だけ。

「お前は俺の眷属。主である俺が存在する限り、永劫死ぬことも変化することも不可能だ。憶えておけ」

 壁を滑り落ち、崩れ落ちたヘンリーを助け起こすこともせず、男は足早に部屋を出て行った。

 茫然としていた彼は、やがてゆるゆると両手を持ち上げた。

 傷一つなく滑らかで、指先まで磨き上げられている。

 一体どれくらいの時間がこの身を経過していったのか、定かではない。

 けれど。

 毎朝毎朝目の前でつぶさに観察しても、この手には何一つ変化は訪れない。

 爪の、長さすらも。

 頭が眩んだ。窓からの光が目の中で滲んで、溢れ、何も見えなくなる。

 両の掌で、顔を覆う。指の隙間を伝い光を溶かした滴が、ぽとりぽとりと落ちていった。


京極堂読んだら筆がなぜか進みました。

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