18.
世界を支え、成り立たせるために必要な法則がある。『世界黄金律』と呼ばれるそれは、ほんの少しでも破損すれば世界そのものを壊しかねない。
だから、天使や悪魔、堕天使のような存在が超常を起こす場合、黄金律を崩さないように代償が必要となる。
いわば、柱のようなものだ。小さな破損なら問題ないが、大きく損なわれると支えるべき世界ごと崩壊する。
悪魔と人間が契約し、何らかの現象を起こす場合に代償を要求されるのも、そこに関わるのだそうだ。
「つまり、君の兄さん……ジェイムスが契約して、世界の有り様をいじるために、その柱からある部分を削らなければならなかったわけだ。それをファウストは、彼から代償として受け取ったもので補填し、黄金律を崩すことなく成就させたということ」
「代償……」
あの最後の日、兄やジェラールの様子がおかしくなったのがそれだったのだろうか。
「たぶん命とか身体の一部とか、そんな大きな支払いではなかったと思うけど。で、問題は、そうやって一度世界黄金律の柱の一部として埋めた部分をまた取り出して、違うものを詰めたことだね」
それは、つまり。
「俺のことを……家族が思い出すために?」
「そう。あと、君と家族との関係性を過去から現在までまるまる書き換えたみたいだから、結構大ごとだね」
ファウストが、療養する理由というのが。
「……そのために、彼は……」
「そういうことだ」
唇を噛み、ヘンリーは魔王の視線から顔を背けた。
もう二度と、あの時間は戻らないと思っていた。当たり前のように、彼らのところへ帰れる日は、許されないと思っていた。
実際、そうだったのだ。だった、はずなのだ。
「さ、着いたよ」
ルシファーは足を止め、目の前の扉に手をかけた。古そうだが、難なくノブは回る。
「ルシファー。ノアも」
彼らが中に入ってから少しして、奥から出てきたのは黒い髪の青年だった。彼もまたこの上なく美しく、瞳が黄金に輝いていることから、きっと普通の人間ではないのだとヘンリーは思った。
「……彼が?」
「うん。兄さん、アレクスだよ。ファウストのお世話してくれてるんだ」
ノアに紹介され、ヘンリーは差し出されたアレクスの手を握る。その温かさと、金の瞳の思いの外柔らかな色に少しだけ心がほぐれる。
「今は眠ってる。すぐに部屋に行くか?」
「……」
躊躇ってから、ヘンリーは。
「……はい」
掠れる声で、そう答えた。
「わかった」
労るように背中に手を添え、アレクスが彼を促した。ノアも一緒に着いてきて、ルシファーはその場に残る。
ヘンリーは、数歩進んでからノアを振り向いた。
「ノアも、休んでいていい」
「でも」
優しい弟は、不安げな表情で首を振った。それを嬉しく思ったが、ここから先へ付き合わせるのは申し訳ない。
「俺と……彼のことだから」
これからどうするのか、いや、今をどうするべきなのか、話し合うにしても決断するにしても、ヘンリーとファウストだけの問題なのだ。
「……わかった」
愁眉は晴れなかったが、ノアはそこで立ち止まる。頷きかけてやり、ヘンリーは正面へ視線を戻す。
とにかく、彼に会わなければ。
何一つ、動かないのだ。




