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15.

 セシルの傍らにジェラールがいても、思いの外心が凪いでいることに自分でも驚いた。

「お帰り、ヘンリー」

 軽い挨拶のハグ。この腕も、笑顔も、記憶にある感触はあまりに遠くて夢のようだ。

 本当に、かつては自分のものだったのだろうか。

「顔色よくないね。疲れてる?」

「ん……少し」

「夕食まで時間あるし、横になってきたら?」

 俯きそうになるのをようよう堪え、曖昧な笑みだけを返す。きちんと、見ていなければならないのだ。

 すべてを。

「兄さん、座ってよう」

「うん……」

 ノアがそばにいてくれるのが、ありがたい。

 四人でソファーに座り、お茶を飲む。話すのは主にセシルで、ジェラールが優しく言葉を挟む。

 胸が痛むことはない。苦しく感じる事も、ない。

 ただただ、平静だった。

 何の屈託もなく、二人が幸せであるように。願ったのは、確かにヘンリー自身だ。

 でも。

 自分の心までが、こんなに穏やかになっているなんて。

「あっ」

 傍らで、風が動いた。ノアが立ち上がり、玄関の方へ歩いて行くところだった。

「ノア?」

「帰ってきたみたいだよ」

 肩越しに振り返った彼の表情は、嬉しさと一抹の不安が混じり合って。

 案じてくれているのだと、わかった。

 帰ってきた。誰が。

 ――訊くまでもない。

 ヘンリーは、ソファーからゆっくりと降りた。背に掴まって、ふらつかないように気をつけて。

 自分に言い聞かせる。心の中で。

 すべて、なかったことになっているのだ。親友を恋していたことも、兄に想いを注がれたことも。

 誰よりも何よりも、愛していたことも。

 だから。

「あれ、ヘンリー。いつ戻ったんだ?」

 明るい親友の声と。

「久しぶりだな」

 落ち着いた、兄の口調に。

 心が震えて壊れてしまわないように。

「……さっき、戻りました」

 必死で笑って、必死でさりげなさを装って。

 決してルイとジェイムスを視界に入れないように、顔だけを二人に向けたまま遠くを見つめる。

 すべて、なかったことになっているのだから。

「せっかく来たんだ。ゆっくりしていけ」

 だから。

 抱き寄せられたジェイムスの腕の中にも、頬へのキスにも、心を揺さぶらせないように。

「ありがとう……兄さん」

 誰からも見えないところで、滲んだ涙を急いで拭った。



 ヘンリーを見ていられなくて、ノアは晩餐が終わるとすぐに彼を部屋へ連れて行った。

「ごめん……」

 扉を閉めるなりそう言われて、思わず兄を抱きしめていた。

「謝ることなんかない」

 そうしなければならないのは、むしろノアの方だ。

「余計なことした……ごめん」

 連れてこなければよかった。彼の心を未だに占めているものを、知らないわけではなかったのに。

「ノア」

 なのに兄の手は、声は、いつだって優しい。

「いいんだ。今日、来てよかった」

 背中を撫でられて、泣きたくなった。

「みんなが幸せそうで……よかった」

 そのぬくもりがあまりに儚げだったから、ふりほどけなかった。

 だから、見えなかった。

 兄がそのとき、どんな顔をしていたのか。


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