表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

12.

 薬指の、エメラルドを見る。

 契約の印として、ファウストがはめたものだ。

 かつて、この指にこうして愛の証をもらえたらと、無心に憧れていた愚かな時期が懐かしい。

 ベッドから起き上がり、ヘンリーは廊下に出た。

 レマはいつの間にかいなくなっている。この屋敷にファウストの力が満ちているなら心配はないだろうが、様子を確かめておかなければ。

 それにしても、いったいあの子はどういう存在なのだろう。ファウストがここへ連れてくるのだから、もしかして人間の子供ではないのかもしれない。

 そう、そういえば、自分はどうして眠っていたのか。

 いくら何でも、幼児と遊んでいて突然眠気を覚えるなんて、不自然だ。

「起きたのか」

 扉が開く音と、聞き覚えのある声。

 ファウストが、レマを抱いて出てきたところだった。

「レマ」

 ほっとする。レマは男に抱えられてすやすやと寝息を立てていた。

「こいつを送ってくる。少しの間留守を頼む」

「……はい」

 銀の目からは、感情を読み取るのが困難だ。

 でも。

「では、な」

 伸びてきた手が、本当に気をつけながらヘンリーの髪を撫でていって。

 ヘンリーの方が、よほど恥ずかしくてどうしていいかわからなくなる。

 それが、彼の気遣いなのだと、もうわかるようになったから。

 怖く、なくなったのだ。

 俯いてしまったヘンリーを残し、悪魔と幼子は外へ出て行く。

 溜息をついて、薬指のエメラルドを見る。

 美しくも禍々しい、不吉なまでに澄んだ翠色。

 かつて、同じ指にまったく違う輝きがあった。

 深い蒼い色、銀に抱かれて、端然と。


 ――お前の、この指に。――


 そう、口にした人。


 ――指輪をはめる、最初の男になりたかった。ずっと……。――


 優しい人。何があっても、愛し続けていてくれた人。

 ヘンリーが、ずっと欲していた物を、初めて与えてくれた人。

 呼吸が止まった。立っていられず膝をつき、その拍子にばたばたと何かが絨毯の上にこぼれ落ちた。

 涙、だ。

 七日間。たったの七日間。

 今はもう、それすら世界のどこにも残されていない。

 きっと消えていく。ヘンリーの中からも、いつかきっと。

 消えてしまう。

 時は、流れるから。

 自信がない。いつまでも抱きしめて守っていられるなんて。

「ヘンリー!」

 強い力で、肩を掴まれ揺さぶられる。滲んだ視界で、それでも銀色の鮮烈さははっきりと見て取れた。

 この腕、この強さ、温もり。

 世界が揺らぐ。目の前にあるものだけでなく、心が辿ってきた過ぎし時までも。

 あの夜願ったこと。

 月の明るさ、軋んだベッドの音。

 初めて口づけた、あの。

「ころして……」

 喘ぐと、彼を支える手がぎくりと震えた。

「お願い……ここで殺して」

 きっと消えてしまう。忘れてしまう。

 時は、流れるから。

「ヘンリー……!」

 抱きしめられ、声も息も止められる。

 けれど想いだけは、音を伴わないままに、溢れ続けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ