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医者の息子

名大生の達彦は母親から携帯を受ける。

「静岡のチャコとかいう小娘が自宅に押し掛けています。なにかしらわけのわからない女みたいね。だけどなんとかうまく取り繕い静岡に追い返してあげます。再度連絡があるまで帰宅しないように。なんでしたら母の祖父の家に行っていなさい」


連絡をもらった達彦は一瞬驚く。

「チャコが自宅まで押し寄せたのか」

どうしても会わなくてはならないか。が、すぐに平常心になる。

「確かに俺はチャコが疎ましく感じていた」

達彦はチャコを思う。チャコとの楽しい出会いから関係を持ったとこまで。それ以外はたいして思い出すこともなかった。

「僕に黙って押し掛けてくるなんて最低だ」


チャコの取った行動は母や父に達彦の許しもなく勝手にやったとなった。許可なしに会いにいったことが不愉快さを増していく。

「なるほどなっ今から帰ってアイツにバッタリ家で出くわすと嫌だからなあ。ちょっと時間を潰すか」

達彦はJR金山駅に出て高校時代の友人を呼び出した。


チャコを追い出した達彦の家は父親と母親が二人揃ってため息をついていた。

「まったく達彦には呆れますわ。あんな馬鹿息子に誰が育てたんでしょうか。全くいつからあんなだらしのない男になってしまったのかしら」


気丈夫な母親はメガネを直しながら父親の院長に愚痴をいい始める。

「まあいいじゃあないか。達彦だって一人前の男なんだから」


父親の産婦人科医院長としては息子の女性関係を微笑ましく思う。

「産婦人科の患者さんには不妊で悩んでいる方が多いというのに。子が出来てめでたいことさ」

倫理の上でなく医学の面からは達彦は大した人物だとなる。

「もうあなたがそんなことですからろくな男になれないの。だいたいねっ私我慢していましたがね」

母親はメガネを吊り上げた。清楚な和服の裾から細い腕をスルスルと出してご婦人独特な立腹をされた。顔には出さないがかなり怒りはあった。

「あなたがいい加減に息子を甘やかすからいけなくてよ」

言われて院長も黙ってはいない。

「俺のせいだと言うのか」

普段から夫婦仲はあまり良好とは言えないところである。

「そうですわっ。あなたはことごとく達彦を甘やかすから。私は厳しく躾て参りましたのよ。全ておいて台無しになさったのはあなたの責任でございますわ。達彦の幼い時いかに素直で可愛らしい子だったことか」

夫婦喧嘩は止まなくなる。

「男がいつまでも可愛らしいなんてあるか。幼い男が成長したんだ。変化があって当たり前だろう」

ひとり息子達彦が原因でどんどん口喧嘩はエスカレートをしていく。


タイミングの悪いことに家政婦が現れた。

「失礼いたします旦那さま」

母親はプイッと横を向いて知らんぷりを決め込んだ。

「あのお嬢さまにそのぉ奥さまからの授かりものをお渡しいたしました。ご報告したします。失礼いたしました」

恐縮しながらと家政婦は夫婦喧嘩の中に入った。


夫婦喧嘩はいつもの様子だなっと探りを入れ遠慮がちに伝える。伝言さえしたらスタスタ早足で退散である。

「そんな喧嘩の中に長くいて録なことありませんから」

戸をバタンと閉めてからは早い早い。アッという間に台所に辿り着く。家政婦さんの唯一落ち着きの場であった。


「おいなんだって。娘にに渡しただと。おまえっ一体いくら包んだんだ」

医院長は怒る顔を更に強ばらせた。女房はソッポを向きながら指をピンと立てる。

「一本でございますわ。あの手の女には相場でございましょう」

ヒステリックな声を繰り返しながら、

「妥当なとこでございましょ。不足はありませんことよ。後はご自分でなんなりとなさいますわ。賢くないあのような女であっても女は女ですから。自分の後始末ぐらいなさりますわ」


あの娘という表現にチャコに対する嫌悪感を露骨に現す。母親は態度に現してよりヒステリーになっていた。父親の医院長はその点は冷静であり大人であった。


困ったことをしでかしたなと首を横にプルとやる。ソファに腰掛けなんとか冷静になろうとした。

「考えてみたら」

院長は外を眺めた。医院の庭先に雀がチュンチュンと飛んでいた。

「別にああまで邪険にしなくてもよかったんじゃあないか。第一腹の子は俺らの孫だぞ。そうだろなっ。一人息子が孫を作ったんだぞ。むしろ喜びだ。慶事じゃあないか」

孫と言われ母親はピクリと頬が動く。40台の前半で孫だとは。


母親は昨年出世をした女学校の同窓会を思い出す。

高校を出てすぐに結婚された方に孫が出来たのと話題になったことが浮かんだ。女子高生時代には目立つこともなく地味な存在だった女の子。その彼女が同級生の中で一番早くに結婚。一番早くに未成年で母親になってしまった。同級生の大半は女子大生で恋だ勉強だと騒いでいた時。彼女が20過ぎで同窓会に来た時には英雄扱いだった。

「私も羨ましいなあと思ったわ」

その彼女は初孫も一番だった。しかしそちらはちゃんとした結婚の両親である。

「達彦に嫁が決まらないのに孫だとはお笑いでございますわ」

母親はリビングの呼び鈴を鳴らした。家政婦さんを頼む。あまりに興奮したから喉がカラカラになってしまったのだ。

「御呼びでございますか奥様」

院長は水割りを母親はオレンジジュースを頼んだ。


お互い一服やりながら再度夫婦喧嘩を始めた。トコトン言い合いしたから後に腹には残らないという理屈であろうか。


達彦は時間を潰しながら金山の友人に転がり込む。ポケットの携帯はちゃんと電源を切ってもおく。

「なんだい達彦久しぶりだなあ。珍しいな」

突然に達彦が現れたから驚くのも無理はない。

「なんかあったんか。まあ深くは聞きはしないけど」

言われて達彦は答え難そうに、ああっとだけ答えた。

「そういゃあっおまえ学校そろそろ卒業じゃあないのか。のんびりと2浪もしたんだから。ご卒業は待ちどおしいじゃあないかアッハハ」

友人はパッと見て達彦のなにやら良からぬ様子事情を感じ取っていた。

「どうにも態度に不審なものがあるな。長く会いもしない旧友をいきなり訪ねてきたことから疑問は浮かんでしまう」

達彦は出されたオレンジジュースをちょっと飲む。

「そうだよいよいよ卒業だ。2年余分だったからな。長いというと長いな」

達彦はぶっきらに答えた。

「名大の文学系の院の進学を考えているよ。そろそろ院の入試対策をしないといけないかな」

ぼんやり思うと答える。


達彦のうろ覚えな返事は変であった。友人の問掛けにはなんとか応じはするが間の抜けたような生返事ばかりを繰り返していた。どうもその場をシラケさせていく。

「おい考えたらさ久しぶりじゃあないか。ちょっと付き合えよ。俺は達彦と違って社会人だから金は一応はアッハハあるんだけどな」

雰囲気を変えたら沈痛な達彦の気分も変わるだろう。

「俺とさっ外にいかないか」

達彦を試しに誘ってみる。乗って来たら儲けもの。断りならば次の手を考えたらいい。

「そうだなっ行こうか。どことなりとも付き合うよ。連れて行ってくれるかい嬉しいね」


達彦の自宅では母親が幾度か携帯を鳴らしていた。

「まったくあの息子ったら。繋がらない。携帯の

電源を切ってしまっているわ」

達彦の居場所がわからないとなると躍起になって探していく。


母親の祖父宅にいるかもと聞いてみるが、

「いないな。バアサンに聞いてもみるが。おい達彦になんかあったんかい」

籔蛇(やぶへび)になってしまった。

「達彦がおじいちゃんのワシを訪ねたら連絡するよ。なんか怪しいぞ本当になにがあったんだかわからないが」

実の父親(祖父)に隠しておくことは難しかった。

「困ったわ。いないなあ。どこに行ったのかしら」

母親は立ち寄りそうな場所を2〜3電話したが見つからない。

「打つ手がないわ」

この段階で達彦探しを諦めた。


産婦人科医院のひとり息子達彦は国立大学の医学部を目指す優秀な生徒だった。


親の期待は大きく中高6年の進学中1年から名大医学部を目指し医学学生を家庭教師につけた。万全なる受験体制を敷く。


達彦の学業成績は家庭教師の尽力もあり大変よかった。全国規模の模試はトップ5%を誇った。第一希望の名大医学は常にAかB判定にカテゴリされた。それ以下はまず記憶にはないほどの安定感であった。


模試判定も学校の評価も名大医は合格であろうで受験をする。


見事に落ちてしまう。


滑り止めの私学医学部は合格した。だが受験馴れの意味合いから合格しても入学手続きは取らなかった。


父親と同窓になる名大にこだわりもう1回受けることにする。

「なぜ不合格なのかよくわからない。数学がミスっていたのか英語が思ったより加点されていなかったのか」


春からは浪人となり医学専門予備校に通う。スタート学習は基礎から始まったので達彦には興味がない勉強となった。たまに真面目に小テストをやってもだいたい満点であった。ここからついつい油断をしてしまう。


成績順位は春は全予備校でトップだったが医薬特進クラスの医学系ではすぐに下位をマークしていく。

「医薬特進クラスなんて馬鹿ばかりだなんて思っていた」

達彦はびっくりする。特進で下位の成績だとはなんたることか。

「真剣に取り組まないといけない」

どうしたことか一度緩んだ(たが)は簡単には戻らなかった。


次月の医学系模試もまたもや特進クラスでは下位をマークしてしまう。子細に見たらケアレスミスが目立つ。夏休みの少し前の出来事だった。


達彦は焦りを感じ本腰を入れないといけないかなと感じるが焦りになっていた。


予備校の夏休み前。気持ちを入れ替え医薬特進クラス(15名)エリートの意地を見せてやると机に向かう受験生達彦になる。(ねじ)りハチマキ状態に自らを追い詰めていく。

「特進15名で14位だなんて恥ずかしくて親には言えない。トップを取らないと」

予備校では気合いが入った。


そんな夏休み前の達彦を待っていたのは学習意欲ではなく女だった。

「達彦さんてお勉強がよく出来るのね。よかったら私にも教えてくださらないかしら。初めまして私女子高の出身で薬学部を目指していますの。親しくする男の方がいなくて寂しいのグスン」

お坊っちゃんの達彦の知り合った女は19歳の浪人に毒にはなれど他に価値のないものとなった。


「いいですよ教えますよ。何がわからないの。数学・化学ですか。英語はちょっと僕も苦手だから無理だけど」

うぶな浪人生はすっかりセクシーな女に夢中になっていく。

「あん数学ですの。私苦手で苦手で。この解法なんですけどねわからないの。私一晩考えたんですのよ」

女は達彦と予備校で逢う時にはタンクトップにミニスカートである。図書館や食堂で会う際にはわざと胸を強調し見せつけた。


食堂では達彦と対座に座り、

「あっいけないスプーン落としたあ」

人のいい達彦は、

「ああ僕が拾うから」

テーブルに頭を沈めた。前に座る達彦に拾わせた女はニヤリと笑う。タイミングを見計らいミニスカートの足を開いてみせた。達彦はなかなか頭をあげては来なかった。


「まあ達彦さん天才だ。数学なんか簡単にわかってしまうのね私尊敬します」

図書館で問題を達彦が解法している時にはわざわざ胸を押し付けた。さらに甘ったるい声を出していく。

「達彦さん素敵ね。教えてもらったお礼です」

女は胸を達彦に押し付けながら、


チュ〜


達彦のほっぺたに真っ赤な口をつけた。

「あっごめんなさい。口紅がついちゃった」

女はごめんなさいと言いながら達彦の顔を拭く。達彦の視線の先にはたっぷり揺れた巨乳(オッパイ)があった。


この女のお調子者から達彦は夏休みを棒に振ってしまう。

「達彦さん今日一緒に帰りたいなあ私。お願い」

女は甘えながら達彦と予備校を後にした。学校から離れたら女は達彦の腕に絡みついてきた。

「ねぇ達彦さん聞いてもいいかしら。私のこと好き?嫌い?」

甘えながら女は達彦の顔を覗く。達彦は女の肩を抱きしめながらこっくりと(うなず)く。

「好きだよ」

達彦は顔を赤らめながら(ささや)いた。

「まあよかった。私も達彦さん大好きです。本当に偽りのない気持ちですから」

達彦もまんざらでない顔であった。

「ねぇ達彦さん。私からのお願いがあるの」

達彦はなんだろうかと女を見た。


「抱いてくださるかしら。体が疼いてたまらないの」

二人で歩いた道に達彦の前いつの間にかファッションホテル街があった。女は達彦の手を引いた。

「私の全てを達彦さんにあげる」


すべて女の指導権で進んだ。達彦は勉強は得意であったが恋は奥手であった。


女との逢瀬は夏休みずっと続く。達彦としては女に溺れてしまった。


「ねぇ達彦聞いてちょうだい」

女からの告白は秋の終わり頃であった。

「私ね出来ちゃったみたい。達彦の赤ちゃんよ」


19歳の達彦はなんだろうか。わけがわからないまま話を聞いた。

「赤ちゃんが。僕の赤ちゃんだって。冗談はよしてくださいよ」

お坊っちゃん達彦はやんわり否定した。この一言に女の態度が豹変する。

「達彦お前の子だって言っているだろう。赤ん坊はお前か作ったんだ。おい責任ちゃんと取るんだろうな。ええっ返事しろ」


態度の変わった女の言いなりになるしか手はなかった。

「子供が腹に宿るのか」


季節は秋から冬になる。受験のために少しでも机に向かわなければならない大切な日々である。


達彦に近づいた女はあらかじめ予備校や高校の名簿から医者の息子を弁護士の息子を調べた。金のあることを知り予備校に通う達彦に抱かれた。


達彦には妊娠をちらつかせた。が達彦の態度か煮え切らずグズグズしていることを見越しどこからか情夫(ヒモ)まで巻き込み陳情(ユスリ)を始めていく。

「達彦あなたどう責任を取るのよ。早くしないと子供ば卸せなくなるわ。あなたじゃあダメね。父親に会わせなさいな。院長の父親にさ」


達彦の父親に妊娠を知らせたのは女の仲間であった。

「院長先生ですか。困りますねお宅のお坊っちゃん。大変に困っています」

電話を受けた父親はこの手のユスリや脅迫には馴れていた。素性の怪しい妊婦はいつの時代も医院には現れた。

「息子がしでかしたというのか。事情はわかった。話を聞こう。医院まで来てくれ」

父親の医院長は普段は患者のトラブルにちょくちょく遭遇はしていたが、

「まさか息子が加害者の当事者になるとは夢にも思わなかった」


妊娠をしたという女は情夫を連れて現れた。

「院長さん困りますなあ。ウチのやつを孕ませてくれちゃあ」

女はハンカチで顔を隠して涙を流してみせた。夫だという男は態度が横柄で不快だった。

「わかった。診察室に来なさい」

院長は腹心のベテランナースを一人呼んだ。

「すまない急患なんだ」ベテランナースは阿吽(あうん)の呼吸で患者はわけのひとつふたつあるなっと察知をする。

「わかりました院長先生。直にオペの準備を致します。患者さんは内診致しますから下着を脱いで私について来てください。付き添いの方はリビングでお待ちください。すぐに手術をいたします」


ナースが回りを取り仕切り院長は一言もしゃべらなくなった。


堕胎手術はただちに施行された。妊娠3ヵ月の堕胎であった。院長の手で慎重に堕胎をする。


オペが終わり院長は休む間もなく慌ただしく医院のリビングに行く。


女に付き添うわけのわからない情夫が言う額を父親のポケットマネーから支払う。

「院長先生話がわかるなあ。有難いや」院長はまったく話をしないまま一枚の紙を取り出す。チンピラ風情に念書を書かせた。チンピラは書き終わってニヤリとした。

「先生くれぐれも警察にはわかってますな」


術式が終わりベテランナースが患者の体調を看た。体温も脈拍も正常値だと院長に報告をする。カルテも一応簡略ながら作成もした。名前年齢不詳だが堕胎手術完了。母体健康。


院長はナースがの報告を形だけでも受ける。医師の義務である。


手術控え室に横たわり休む患者を見た。大切な患者ならば触診をして回復状態を診たところであるが。


患者をチラッと見ただけで黙ってドアを開けてやる。招かざる客にはすぐに帰ってもらう。堕胎手術後の女がどうなろうが院長は構っちゃいられない。


女と男はスゴスゴと出て行った。


「おい誰かいないか。いたら塩を持って来てくれないか」

二度と見たくない客が出たとして玄関先に塩をバンバン撒き散らした。悪魔とか邪気とかもに厄払いをした。


院長はオペの手術白衣を脱ぎ捨てたら父親となる。


夜遅くこそこそと帰宅をした達彦。誰にも逢いたくはないと黙って部屋に入った。早くシャワーを浴びて寝てしまえだった。


家政婦さんがトントンと部屋をノックした。

「お坊っちゃんお帰りなさいませ。旦那さまが院長室まで来るようにとお言付けでございます」


達彦は渋々と父親の院長の部屋診察室に行く。用件は嫌というほどわかっていた。


ボォーとし青ざめた息子の顔が現れる。


「帰ったか達彦。こんな時間だとは遅いじゃあないか。どこをほっつき歩いたんだ」

達彦は黙って立っていた。反論もなにもない。

「あの女の手術は終わった。どこの誰の子供が堕胎されたかわからないが手術は終わった」

父親はわけにならない理由を述べた。


達彦は父親にはありがとうと言うべきかとタイミングを見図る。

「まったく妙なもんをしょいこんだもんだ」

父親は達彦の前に一歩二歩近くなる。


次の瞬間である。力一杯に息子を殴った。


バシッ!


達彦はこめかみに痛撃を受けた。妙にその痛みは懐かしい昔の父親に触れた気がした。


そこにいた男たちは一言も会話をしなかった。


翌朝から達彦の予備校の勉強をする姿があった。季節は秋から初冬になろうかの頃である。


翌朝の父親は少しめまいがするといい出した。午前の医院長としての診察をすべてキャンセルしてしまう。お昼近くまで眠るために精神安定剤の一番軽いやつを択び二錠飲む。

「こりゃあ歳だな。ストレスが溜まると体が悲鳴をあげるわ」

院長が眠るちょっと前に家政婦から、

「達彦お坊っちゃんがしっかり机に向かっていますわ」

嬉しい報告を受けた。


医院長は父親の顔になり嬉し涙で枕を濡らしてしまう。


早いもので浪人の年が明けた。達彦は新春一番のの実力模試を受ける。恐らくこの時期の合格判定が本番の入試を占うものと言われた。


正月返上して勉強をした達彦はここで名大医学部合格判定D判定をマークする。合格はAかBである。


模試の結果から受験指導があった。予備校の指導教員(チューター)は医学部狙いは理数系科目がまったく武器になっていない。合格は程遠いから文系に志望を変えたらどうかとこの時期に言う。時期が時期だからと。

「医者の息子が文系だっとぉ」

予備校からの通知に院長は握り拳を震わせた。


翌日には予備校に怒鳴りこんだ。

「達彦の父兄だが指導員のチューターはどなたかな」

呼ばれてチューターは父親の迫力に圧倒された。キィっと睨みつける。

「あんたが医学部の合格をなぜ決めるんだ。息子は文系だとぉ。なんでバカが行く文系に進学する」

凄みを出してチューターを罵倒した。チューターは若い23歳だった。怖くなりちじみあがってしまった。

「名大医学部受かりますから。受験されてください」

父親は腹を抱えて笑い帰った。


達彦の医学部受験は始まった。まったく手応えのない試験終了の合図を名大法科教室(医学部受験部屋)で聞く。達彦には名大数学がほとんど解けなかった。自己採点40/100だろうか。あれだけ得意で好きだった数学がまったく解けない。合格の自信は消えていた。


3月名大合格発表がテレビニュースであった。

「受かりました。3浪人したから嬉しいです」

合格者がインタビューを受け喜びを爆発させた。


達彦はテレビカメラのクルーを避けて掲示板には名がないことを確認した。

「ダメだったか」


暗い足で帰り父親に名大不合格の報告をする。滑り止めの私大医学部にも今年は落ちていた。


報告を父親は黙って聞きなにもいわない。ただリビングのソファーに座るのみである。

「俺は医者になれない。お父さんの後は継げない」

達彦の諦めの第一声だった。母親は泣き声になりながら悔しがるひとり息子を見た。

「達彦。あなたはひとり息子なんだから。あなたが医者にならなかったら誰が医院を継ぐというのですか」

母は達彦の手を取り気も狂わんばかりに取り乱す。

「お願いだから。そんなこと言わないでちょうだい。お母さんは泣けてしまいます。来年もチャンスはあるわ。名大だって達彦の勉強を見て合格させてくれますから」

母親は頼みますから2浪人を。父親の母校名大医学部にと願った。

「お父さん申し訳ありません。期待に応えられぬ馬鹿な息子を。どうぞ、どうぞ、お笑いください」

達彦は涙ながらに不合格の釈明をした。


「正直お父さんの進んだ医学の道を僕は歩めない。頭が悪くてダメだとわかりホッとしています。医学部を期待されても頭がついていけないアッハハ」

間違って医学部に入ったら患者さんに迷惑ではないかとまで言い出した。


父親はジッと天井を見つめたまま時間が止まった。天井はかなりくすんでいた。決して我が息子を見ることはなかった。


医学部進学以外に我が息子は選ぶ選択肢などないと父親は自分に言い聞かせた。あってはいけないのだ。

「お父さん不承なことはわかっています。医学部以外に僕には選ぶ道などないことぐらい」


父親は天井を見つめ、

「だったらなにをしたいのだ。達彦に医者以外にやりたいこととはなんだろうか」

喉までこの質問は父親の口から出かかるが言い出せはしない。なんせ怖いのだ。息子が我が息子が医者にならないことを知りたくないのだ。


達彦は絞り出すようなか細い消え入るような声で、

「子供の時からなりたいと思っていたんた。なりたいと思っていたけどお父さんには言い出せない」

息子は喉から絞り出していた。父親はジッと天井を眺め回す。


自分の青春時代を回顧する。自分の父親が医者であるから物心つく頃から医者になるんだと自分にいい聞かせてきた。まわりからも医者になるんだと言われていた。


そこに芽生えたのが医者になりたくない自分の存在だった。


画家になりたいと中学で思っていた。毎日好きな絵を描いて暮らすなんて素敵だと思っていた。


「まさか達彦が画家になりますなんて言わないだろうな」


達彦は偉大な医者の父親に絶望的なことを告げる。

「僕は作家になりたい」


父親は天井を眺めながら気が遠くなってしまった。

「画家と作家の違いはなんだろうか。血筋は争えはしないのであろうか」

父親の目にうっすら光るものが見えた。


母親は作家と聞いてヘタッとその場に座りこんでしまう。一瞬にして腰が抜けてしまった。


金山の友人宅から朝帰りの達彦。チャコの交通事故死を翌日のテレビニュースで知る。


朝のニュースでは東名で自動車が大破したことを伝えているだけであったがお昼ニュースにはチャコの顔写真が公開されていた。

「チャコが交通事故に遭ったのか。チャコが死んでいるのか」

達彦はテレビニュースを局を変えて見まくる。

「もうチャコはこの世にいないのか信じられないことだ」

達彦は昼のテレビニュースをすべて食い入るように見る。ネットでも確認をした。


自宅のテレビを見ていたら家政婦が達彦を呼んだ。

「ちょっとちょっとおぼっちゃま大変でございます」

こちらにいらっしてと手招きをする。達彦は首を捻りながら、

「どうしたんだ何かあったのかい」

家政婦さんの指差す玄関を見た。


医院の玄関口には記者が訪ねて来て達彦に話が聞きたいという。

「新聞記者が俺に聞きたい。なんだろう。まっいいや会えばわかるだろう」


記者とは達彦は玄関先で話をすることにした。記者は数人がたむろをしていた。達彦が姿を現すと、

「おい来たぜ。お坊っちゃんご来場だぜ」

ひとりの記者が叫ぶと達彦に群がり矢継ぎ早に質問が飛ぶことになる。

「達彦さんですね。チャコさんが自殺されたことどう思っていますか。車でわざと事故されたんですがどう思ってますか。死因は達彦さんあなたにあるんですか」


達彦はチャコが自殺の一言には抵抗があった。

「彼女ね達彦さんの子供を身籠り覚悟の自殺をしたんですか。父親として手をさしのべてやろうとは思わなかったのはなぜですか」


達彦はびっくりする。

「なっなんのことなのか。自殺?原因?」

達彦には記者の質問が理解できなかった。


チャコは自殺した。達彦の子供を身籠ったせいで。交通事故は自殺って言う話で記者は話を続ける。


記者は遠慮なくこう続ける。

「おいお坊っちゃんよ。しらばっくれていなさんなっ。困るなあこっちはちゃんと取材して足運んでいんだぜ。チャコは医者に妊娠を告げられていたんだぜ。だから父親であるアンタに会いにわざわざ来たんだよ。それをアンタ会いもせずただ逃げまわっていたらしいじゃあないか。おいなんとか言えっ言わないのか。逃げはうまいが都合悪くなると貝なんか」

記者が興奮をして達彦の胸元をつかんだ。

「おいキサマ。彼女をボイ帰したのはなんだい。静岡からわざわざやってきた女になにか渡したんか。こう妙な条件を提示して追い返したとかさ。黙ってねぇで答えろっ」

玄関先で記者がざわざわやっている。医院に通う患者さんにも騒ぎがわかってしまう。さらに騒ぎは大きくなる。診察中の院長の父親に気づかれてしまう。


もう騒ぎは拡大の一途を辿る。患者たちはちょっとちょっとと話を聞き噂を広めていく。

「ぼっちゃんが原因で彼女がなくなったのって何かしら。朝のニュースのあの事故の女の子が関係あるの。東名でガチャーンの事故だけど。あしゃあ」

院長は堪らず玄関先にやってくる。記者の解散を求めてであった。しかしこれがまずかった。


「あなたが父親ですね。こんな立派な医院を経営して全くよゲスにも劣ることやりやがって恥ずかしくないのか」

父親はいきなり罵声で感激された。


記者たちの話を統一するとチャコは体調の変化を知り産婦人科にいく。医院で妊娠がわかり名古屋の達彦に会いに来た。赤ん坊の父親である。


が、なんらかのトラブルで達彦の家から追い返されそれを嘆き東名で自殺する。対抗車線を越えわざと自殺したと推理していた。


達彦には妊娠の話も自殺云々も心あたりがあるものではあった。


記者は達彦や父親にいくらでも罵声を浴びせまくる。

「えってめぇら。なんとか言ったらどうだい。ひとり殺しただけじゃあないんだぜ。対抗車線の事故車も犠牲が出てんだぜ。アンタ、アンタが殺したんだよ。なあ彼女を邪険にしなけりゃあ何もなかったんだぜ」

医院の玄関先の騒ぎは近所に騒乱と思われたらしい。


通報がなされ警察を呼ばれてしまう。サイレンを鳴らしパトカーが来た。


「先生どうかしましたか。通報がありました」


達彦は騒ぎの張本人は自分にあるのではないかとその場に平伏した。

「すべては、すべての責任は」

事情がよくわからないのは駆けつけた警察だった。

「とにかく事情は署で聞きましょうか。記者の皆さんはご同行願います。院長先生もお願い致します」

達彦も連行される。部屋からカーデガンを取りそのままパトカーに乗ることにした。


警察ではベテランの刑事が取り調べをする。達彦の担当刑事はこう諭した。

「なるほどな。記者の話を繋いでみたら彼女のチャコさんは自殺をしたのかもしれない。だがなぁ警察は『〜たら』『〜だろう』で君を逮捕するほど暇ではないんだ」

机を軽くドンと刑事は叩く。

「後君のやることは仏さんの仏壇に手を合わせ冥福を祈ることだ」

ベテラン刑事に諭された達彦だった。夕方署から開放され達彦は自宅に戻る。


「そうだなチャコのお葬式に行こうか」


達彦はチャコの家に電話をかけようとアドレス帳を探した。


静岡の駿河チャコの家。


がやがやと雑誌記者たちがチャコの両親を取り囲みなにやら相談をする。

「ねぇご主人。我々も協力しますから達彦を訴えましょう。娘さんは自殺したんです。自殺の原因はちゃんと裏が取れているんですよ。訴えてくれたら我々は記事になるし娘さんも浮かばれますよ」

父親は記者の強引な意見をさんざん聞かされたが。

「まだ達彦が悪者になってくれたらと思うが。恨みの対象となればどんなにか気が晴れそうなんだがな」

なかなかそんな気にはならないと答えていた。


「あの野郎とかは思わない。しかし娘のチャコはもう帰らない。記者さんいろいろ教えていただきありがたいがワシャア今ひとつあの達彦を恨むまでいかんのですよ。恨み切れないというべきか」

記者たちは事件にしてくださいよとまだまだ頼む。

「事故と事件じゃあ扱いが違うからなあ」


記者にあれこれ言われた父親は、笑顔を見せてた。

「到底事件にはなりませんやアッハハ」

娘もそうだが、おおらかな父親だった。

「それに明日は娘の告別式だ。チャコの冥福を祈って欲しいのさ」

朝採れたばかりの鯛やさわらを記者たちに振る舞っていく。

「さあさあ遠慮なくどうぞどうぞ。ウチの娘も好きでしたからなあ。もうアイツが食べてくれないと思うと切ないや」

あくまでも気丈夫に父親は振る舞っていた。


そこに電話がかかる。

「よっこらしょ。ちょいとごめんよ。電話だから」

よれよれしながら立ちフラフラと父親は廊下を歩く。土間にある旧式ダイヤル式黒電話に出た。


「あーもしもし。はいワシだが」


記者たちには電話の話はわからない。誰からの電話かわからない。父親はなんだかんだと電話の応対であった。


バッキャロー


いきなり怒鳴り声が狭い家いっぱいに響く。

「テメェ〜コノォ。娘をけぇーせ。バッキャロー。テメェ〜人の娘を殺しゃあがたなあ」


父親は激しく罵った。興奮しながら受話器を置くと廊下を早足で走る。


記者たちのいる居間に戻ってくる。物凄い剣幕でこう捲し立てた。


「事件だ事件。オリャアな最初からチャコは事件で殺されたと言っていたんだ。なあチャコは殺されたんだ。娘は殺されたってのに犯人はのんびりと電話を掛けてよこしゃあがる」

周りにいた記者は全員手元のレコーダー(記録)を取り出した。父親の話をひとつも漏らすまいと耳を傾けた。

「おやっさん最初からお話をお願い致します」


魚料理の鯛とさわらは誰も手をつけないままだった。

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