恋人岬伝説
恋人岬。
新潟・四国・九州・愛知と日本各地の海岸には若い恋人たちの物語が残っていたりまた作られている。
もっとも有名なのは西伊豆にある恋人岬であろうか。
その昔のことである。伊豆の若い漁師福太郎は山をひとつ越えた村に行き娘およねと知り合う。村祭りの夜ということから解放的な雰囲気に包まれ恋仲となった。
ふたりの住む村は遠距離で会うためには険しい山を越えなければいけなかった。丸一日歩くに等しい道なので簡単に会えることはない。
村娘およねには老親もいて、なにかと世話をしなければと大変な生活をしていた。
そこで、およねは神様に日々願をかけた。
「なにとぞ神様お願いします。大好きな福太郎さまにいつも逢えますように。私は福太郎さまが好きでございます」
およねの願かけは朝に夕にと続き熱心なもので、けなげであった。
とある日のことであった。村娘およねは神様に柏手をうち目を閉じて熱心にお祈りをしていたら、
「おやっ」
神様から
「およね、およね」
なにやら後ろから声がする。
「およねよくお聞き。鐘をふたつあげよう。ひとつは福太郎に持たせるがよい」
およねはハッとして後ろを振り向く。
とそこには寄り添うように鐘がふたつ置かれていた。
およねは驚いた。
「この鐘は神様からの授かりものだわ。わかりました神様」
村娘およねは喜んで鐘を持ち帰える。時期が来て福太郎との逢瀬を楽しみに待つ身となった。
およねは福太郎と逢い、わけを話して鐘をひとつ渡した。言われた福太郎は、
「本当かい?神様にいただいた鐘なんだね。大切にしないといけないね」
村娘およねはふたつの鐘に幸せを感じていく。
それからは福太郎は小舟で漁に出ると鐘を舳先につけコンコンコンと三つ鳴らす。
海岸近くの岬に好きな村娘およねを見つけたら鐘をコンコンコンであった。
波の静かな海に優しく鐘は優雅に響きわたった。海のカモメもついつい聞き惚れてしまう。
舟に同乗の漁師たちも若い福太郎と村娘およねたちの恋を知り、
「おーい福太郎。ほらっ、およねが来ているぞー早く鐘を鳴らせ。あんなに待ち焦がれているぜ」
最初は若い福太郎はからかわれ恥ずかしいと思っていた。がみんなが知ってることだからとコンコンと村娘およねに向けて鐘を鳴らす。
「恥ずかしくないや」
村娘およねはこちらは大変だった。よいしょよいしょと険しい山を駆け上がり海がよく見渡せる峠に上がらなくてはならなかった。
峠から福太郎の小舟を見つけて鐘のコンコンコンを聞き返事に三つ鳴らす。
コ〜ンコ〜ンコ〜ン
お互いの鐘の音が岬に鳴り響く。
波と波の間に漁師の福太郎と村娘およねの鐘は美しく鳴り響いた。
ふたりはお互いの鐘音を聞き愛を確かめて安心をするのであった。二人のむつまじさはお互いの村人も知るところとなり、早く一緒にさせましょうと恋は成立する。
めでたし、めでたしの恋人岬であった。
純情物語は時間を経て語り継がれ恋人岬伝説と呼ばれる。
現在は鐘を三つ鳴らすと恋は成就しますよの観光名所になっている。
西伊豆は恋人岬で恋人証明書まで発行している。
「新潟佐渡の恋人岬伝説」
新潟の柏崎に若い船大工藤吉がいた。藤吉は佐渡ケ島の船宿に仕事のためにたまたま泊まる。
その佐渡の船宿にはかわいらしい娘お弁がいた。
佐渡の大工仕事の期間に大工の藤吉と船宿娘お弁は恋仲になる。
船宿娘のお弁はハンサムな大工藤吉にすっかり夢中になってしまう。
「藤吉さまは格好よい男でございます」
やがて柏崎の船大工藤吉は島の仕事も済み佐渡を発つことになる。ふたりはここで別離をする。
ところが佐渡の娘お弁は別れても離れてもハンサムな大工藤吉に逢いたい気持ちは変わらない。藤吉の住んでる柏崎に行きたいどうやっても会いに行きたいと日増しに思うようになる。
佐渡島の小木港近くの丘に上がり遠く柏崎港を眺めたら常夜灯の篝火がハッキリと見えた。
「あの篝火を目標にヨイショとたらい舟を漕いだら大好きな藤吉さまに会えるのではないかな。逢いたい逢いたいわ藤吉さま」
そう思ってしまうといても立ってもいられなくなった気丈夫な島娘お弁である。
よっこらしょヨッコラショと佐渡の名物のたらい舟を担ぎ出して来る。
海にチャポン。
後は一生懸命にひたすらたらいを漕ぎまくる。
小木港と柏崎港はかなりの距離はあるが潮流の流れに乗ればさして漕がなくとも柏崎港に到着できたようである。
「潮の流れがあるから楽なこと」
篝火の焚かれた柏崎港の番人はたらい舟を見つけそれはそれは驚く。
夜中にお弁のたらい舟は、どんぶりこどんぶりと海を渡り柏崎港に来たんだから。
「なっ何者じゃ。くせ者じゃー」
そりゃ番人は驚く。夜中に柏崎港に来る者は盗賊とお弁ぐらいだから。
こうして気丈夫な佐渡の島娘お弁は柏崎港に着き憧れの船大工藤吉に逢うことができた。
「私お弁は幸せだわ。大好きな藤吉さまにお逢いできたんですもの」
島娘のお弁は柏崎でしばしの藤吉との逢う瀬を楽しみ、また、たらい舟に乗り佐渡の小木に帰っていく。
柏崎の船大工藤吉は、
「やいやい大変な娘だぞお弁は。あんな小さなたらいで佐渡からやってくるんだから」
このたらい舟お弁はそれからは3日と空けず柏崎の藤吉に逢いにやって来た。
「今夜も来たのか。まったく気丈夫な女だぜ。たらいで懲りもせずやって来やがるとはな。たく、もう船大工仲間にはあれやこれやとイヤミも言われしまったよ。オイラにはいい迷惑だな」
と、どうも恋人の藤吉には厄介な女にしかうつらなかったらしい。
船大工仲間からのイヤミはあんな女をもらってしまったら不幸になるぜ。悪いことは言わないから早めに諦めてもらえ。
どうにも気丈夫さが祟るようだった。
とある晩のことである。
いつものように柏崎港に篝火が焚かれこれを小木の島娘のお弁は目標にたらい舟を漕ぎ始めた。
「今夜も大好きな藤吉さまに逢える」
柏崎の藤吉は港に早めに着き愚痴を言う。
「もうなあ迷惑なんだよ、アンタは」
お弁のたらい舟が海路の半ばぐらいだろうの時間をみはかり焚かれた篝火の常夜灯を藤吉は、
ふぅ〜
消してしまう。
「篝火がなければいくら気丈夫な島娘のお弁であろうとダメであろう。目標がなくなり前に進んでいけない。黙って佐渡の小木港に帰っていくだろう」
そう考えて篝火を、すぅ〜と藤吉は消してしまう。その考えが正しいのか島娘お弁は姿を現すことはなかった。
藤吉はホッとした。
翌朝のことである。
新潟は見渡すかぎりの晴天であった。海守りは穏やかな新潟の海を眺め、
「いい天気だなあ。眺めも最高だ」
あたりを見渡す。
青海川河口に目をやる。
ひとつの女の遺体がプカプカ漂着したのを見つけてしまう。
可哀想に女は一晩中暗黒の海をひたすらたらいを漕ぎ続け力が尽きて遭難したらしい。
漕げなくなり海流に流され力が尽き海に放り出されてしまったらしい。
この事件は船大工藤吉にいの一番に知らされた。
「俺がお弁を殺してしまったんだ」
むしろにくるまれたお弁は安らかな、可愛らしい、天使のような死に顔であったという。
島娘のお弁と対面をした藤吉は頭を抱え天を仰ぎ泣いた。誰かれ憚らず大声で泣いた。
「お弁が、お弁が好きだったんだ俺は。なんと愚かなことをしてしまったんだ」
その後の藤吉は風の便りによると船大工をやめお坊さんになった。いや、すぐに姿が見えなくなったから自殺をしたのではないかと噂された。
佐渡の恋人岬は悲恋で終わっている。
「現代の恋人岬」
静岡に住むチャコ。駿河湾に面する漁師のひとり娘であった。子供の頃から家の漁師仕事を手伝いよく働く賢い娘さんであった。
家の漁の手伝いは網の修理から干物作り、鮮魚の運送。なんでも嫌がらず率先をして働く。
「だって駿河の海が好きなんですもの。お魚さんだってね大好きなんだから」
駿河の海が好きでありこの海で将来も暮らして行きたいと子供の頃から願い夢を見ていた。
その漁師の娘チャコも女子大生となる。
夏休みのことである。
駿河湾は毎夏海水浴客がわんさかと押し寄せ連日賑わっていた。
チャコの家族は海の家と無料休憩所を浜に作る。海水浴客の憩いの場を提供していた。
「さあいらっしゃいいらっしゃいな。私の作る焼きそばやフランクフルト。取れ立ての蛸がぎっしりのタコ焼き。いかがかしらおいしいわよ。みんな食べていってよぉ」
海の家のチャコ。かわいらしいエプロンを前掛けにかけてチャキチャキとキリモリしていく。
「オネーチャン、タコと、缶ビール、おくれ」
中年の客がビールを注文した。
「ハイいらっしゃい。でもおっちゃん。ビール飲んでいきなり海に入ってはいけませんよ。心臓をあおってしまうからね。それでも入る。あーん、ビールはダメだ。売らないわ、コーラにしておこう。ハイ」
客はコーラを渡された。
「…」
海水客が多く来て海の家は立てこみつつあった。
大学生の団体がワイワイと入ってくる。
「わぁー20人ぐらいいるんじゃあない。一気に来られたらなあ。弱ったなあ。今はお母ちゃんいなくて私だけ。どうしょ、断っちゃうかしら」
団体客の20人の大学生は腹を空かせ思い思いに注文を出す。実際には25人だった。
「あーん、あかんわぁ〜、謝らないと。とてもじゃないが25人もこなしきれない」
チャキチャキ娘のチャコ、
「あのぅ、とてもじゃないありませんが」
頭をさげてエプロン揉み揉みしながら厨房から出て行こうとする。断っちゃうつもりである。
そこに助け船を出す大学生がいた。
「ひとりであれこれ作るの大変でしょ。俺が手伝いましょう」
背の高い大学生がにこにこしながら申し出てくれる。
「えっ〜どっしょ。いいわ手伝ってもらいましょうか。もうすぐ母も帰ってくるからそれまでのお手伝いを頼もうかしら。お願い致します。さあやるぜ」
チャコは気合いを入れ大学生の注文を聞いて回る。
手助けの大学生は厨房経験があると言ってテキパキと焼きそばをジュウジュウ焼き始めた。なんと手際のいいこと。チャコの数倍早くまたうまい焼きそばであった。
海の家はさらに立て込んでしまいほぼ満員になりっぱなし。
チャコの母が所用から帰って来たのはすぐのことではあった。がなんせ女手だけではこなせそうもないお客様の数であった。
手助けの大学生はニコニコしながら、
「僕でしたらいいですよ。お客さんが少なくなるまで手伝いますよ。久しぶりに焼きそばを焼いて楽しくなっちゃった」
結局大学生は最後まで焼きそばを専門に焼いてくれた。評判がよかった。
夕方になるまで引きも引きと海の家は大盛況である。大学生が手伝いをしてくれたおかげでなんとか海の家はお客さんを捌くことができた。
「ふぅ〜、ご苦労さまでございます。すいませんね、すっかりご行為に甘えてしまって」
チャコと母親はお礼と謝礼をする。
「いえいえ、こちらこそ。大学のゼミ仲間と駿河にきたんですがどうもゼミは苦手でした。まだ焼きそば作るほうが楽しいですよ」
そこに母親も出て来て、
「チャコ。学生さんを今夜家にお呼びしたらどうかしら。店を手伝ていただいて何事もおもてなしできないなんて心苦しいわ。どうでしょいらっしてくださいな。夕飯はいかがでしょうか。なにか用がありましたら、無理にはお誘いしません。昨日ねマグロのいいのがとれたんですよ。振る舞いましょう」
大学生はそうですかじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますと、返事をした。マグロと聞いては心も踊る。
一旦宿に戻り半時ほど後で大学生はチャコの家にやって来る。
「お待ちしてました学生さん。昼はすいませんでしたね。コキ使ってしまいましたアッハハ。チャコ、チャコ。学生さんがらっしゃいましたよ」
チャコは嬉しかった。またこうして大学生に逢えることが嬉しいところである。
大学生は名古屋からゼミ仲間と西洋史の研究会合宿に駿河にやってきていた。静岡の地元の大学との文化交流をはかりながら夏休みに論文を書きあげていくゼミナールだという。
今は大学は夏休みだけれどゼミの中では自由な時間が取れずつまんないやと盛んにこぼす。
それに2浪して名大西洋史だからあんまりゼミ仲間ともシックリいかない。
「年が合わないからね」
チャコのおもてなしは新鮮な魚、魚介類と畑で作った野菜の数々。活きのいい魚が食卓を飾る。名古屋の生活ではまずは味わうことのない新鮮な魚介類ばかりであった。
「いやあーおいしかった。僕は都会育ちだからこんな新鮮な魚を食べることはまずありません。うまいなあ。すっかりご馳走になってしまいました。ありがとう。お腹いっぱいだあ」
チャコと学生は話がすっかり弾み意気投合していく。やがて時間も過ぎて帰ることになる。
「いろいろご馳走さまでした」
礼儀正しく学生はお礼をする。
「いえいえこちらこそ、何もおかまいしませんでたわ。またいらしてくださいね。チャコ。あなたそこまで送ってあげなさい」
チャコは待ってましたとばかり喜んでツッカケひっかけお見送りをする。
浜辺を夜風に吹かれふたりは気持ちよく歩いていく。チャコは幸せを感じていた。
「ひょんなことからこんな素敵な男性に巡り会えるなんて。波打ちそよ風がアチャア気持ちいいわあ。すっかり恋人気分だもんなあ」
ふたりの手がちょっと触れた。そのはずみ、あらっ、いやぁ〜チャコ、手が触れちゃった。恥ずかしいわあと手を引っ込め体のバランスを崩しヨタっとする。
ツッカケだからなあ
それをすかさず見逃さない学生。さっと救いの手が伸びしっかりチャコを抱きしめてしまう。チャコの女の匂いがさわやかな海風に乗って運ばれる。
「危なく転ぶかなと思って」
闇に紛れていてもチャコは恥ずかしくて真っ赤になった。肩を抱きながら大学生は耳元で、
「今夜は離したくないなあ」
肩を引き寄せチャコのブラウスが男の手で押される。
お月さまは先程まで出ていたがじわりじわりと雲に隠され今は見えなくなっていた。
「ちょっと休んで行こう。いいだろ」
チャコは黙って肩を抱かれたまま従う。目の前にある小舟の横にちょこんとアベックは座る。
女は男にしなだれかかりロマンチックな雰囲気に酔いしれていく。
やがてくちびるを求められ嫌なそぶりも見せず、そっと目を閉じる。
チャコは素敵な夏の思い出ができた。
夜風にチャコのブラウスが優しく揺れ甘い時間は流れていく。
「また逢おうかチャコ」
優しい言葉はチャコの恋する心を正確に射抜きもうメロメロであった。
「嬉しいわ。私のことを思っていただけるだけで幸せですわ」
チャコはなにを言われてもウワの空であった。
「夏休みに論文が書けたら駿河はさようなら。もう名古屋に帰ってしまうんだけどね。中々、時間が取れないけど、それまでは、また、焼きそばを焼きに行くよ」
チャコの恋はこうして始める。学生と出会ってからは夏の暑さは吹っ飛んでしまった。
学生は言葉の通りゼミの合間を縫って海の家にチャコを手伝いに来てくれた。
チャコの母親はひとり娘に素敵なボーイフレンドができたとそれはそれは大喜びであった。
「もう〜お母ちゃんってば。変なこと言わないでよ」
チャコは恋を指摘され赤くなる。
「やだなあ好きでいることがわかってしまうなんて」
楽しく暑い夏休みもお盆を迎える頃には引いていた。海水客もいなくなり海の家は閉鎖をする。
チャコは時間が取れるかしらと学生をいや、ボーイフレンドを伊豆駿河に案内したいと誘った。
「いいですね、行きたいなあ。伊豆半島かあ。チャコとドライブできて嬉しいや。しっかり案内してもらうかな。頼みますよ」
駿河湾から海沿いに車を走らせ西伊豆に渡る。駿河が地元のチャコとしてはぐるりと半島を回れば楽しいドライブかなと計画をしていた。
「あれ?チャコ。あの看板はなに?」
運転しながら前の道案内を見たら。
恋人岬まで3キロ
チャコちょっと赤くなり
「行ってみる?」
恋人岬に道を変え峠を走る。
「この岬はね、昔、漁師さんと村の娘さんが恋人になって」
と、チャコは照れながら恋人岬の伝説を説明し始めた。
「おっと、ストップ!俺、恋人岬伝説は、「知ってるよ。鐘を三つ鳴らしましょう。大好きな貴方に逢えますように。だってさ伊豆半島のガイドブック読んだら書いてありましたハハ」
チャコ、いやーん、知っていたの?意地悪ねぇ、女の子に言わせて。
「ガイドブックにはアベックでない方は岬に近寄らないでくださいと警告マークついているよ」
学生がほらっとガイドブックを見せる。
「えっ!本当なの」
チャコはガイドブックを覗き確認しようとしたら。
いきなり肩をグイッと抱きしめられた。
「嘘でーす」
学生は大笑いをする。
「あん。意地悪ねぇ私本気にしてしまいましたわ」
チャコには幸せな時間になった。恋人ムード満点な時間。
恋人岬に辿り着き、海を眺める。岬にある鐘をコンコンコンとふたりで鳴らしてみればチャコは幸せの絶頂であった。
「恋人だもん。私たちは」
峠を少し降りた茶屋で食事と、
「恋人証明書」
を発行してもらった。
「ハハこんなのを市役所に提出したら役人はどう対処するだろうか。やってみるかな」
本当に名古屋市役所に提出しそうな口ぶりだった。
「僕の名古屋の選挙区は河村たかしだから、おみゃあさん受理したでょと、いいそうだなあハハ」
夕闇が迫る西伊豆は美しい。チャコは助手席でうっとりとし楽しいデートを満喫している。国道を海沿いに走らせ帰路につくふたりだった。
「ねぇチャコ。これでしばらく僕らは会えないね。今度はいつ逢えるかな」
別れても好きな人
「チャコは僕のことが好きか」
ええ大好きよ。
「そうかい」
私も名古屋について行きたいくらい大好き。
「じゃあね。入るよ」
うん、入って
チャコはウワの空で返事をし、道路沿いのホテルにチェックインをする。恋人岬ホテルと書いてあった。
夏休みは終わり。学生は河村たかしの元に帰ってしまった。
それから遠距離恋愛がスタート。メールとブログでお互いの愛を確かめることになる。
チャコは毎日せっせとパソコンネットに、携帯に、想いのタケを書き込む。あれこれ書いていても、逢いたいなあと思う気持ちは日々高まっていく。
メールには逢いたいわね。ブログには私も名古屋に行きたいと気持ちを綴った。チャコは夢中であると感じられた。
名古屋の大学生はどうであったか。
「ちっ、またかい。逢いたいだの名古屋に行きたいだのと」
どうも押しの強いチャコを疎ましく思ってきてしまったようだ。
ある日を境に学生からの連絡はパタっと途絶えてしまう。
メールは返信もなくブログは10日も更新さえなくなっていた。チャコは孤独を感じてしまう。
「どうしちゃったのかな」
チャコは夕方を見計らい今度は携帯電話をかけてみる。留守電ばかりが掛かった。
その後携帯は不通となってしまった。機種変更をされてしまったようだ。
どうしてかしら
秋にならんとする頃になる。チャコ、自分自身が異変に気がつく。
「あらっ」
軽い疑いが頭をよぎる。
「でも。私は遅れることちょくちょくあったから。もう少し様子をみよう」
気になるのは気になるからと本屋でネットで確認をしてみる。
「疑いは疑いです」
2ヶ月目に入った頃には妊娠判定試薬を買いこっそり調べてみた。
陽性反応に青ざめた。
どうしよう。彼に言うべきなのかな。その前に産婦人科に行かないと。ただ疑わしいだけですからね。
チャコは車を飛ばし隣町の産婦人科で診察を受ける。医者は無表情に、
「三ヶ月の頭ですね」
目の前がクラッとした。
産婦人科は、
「あなたは未婚ですね。まあねウチは役所でないから根掘り葉掘りプライバシーは聞きはしないがただ産む意思があるのも中絶するのも父親の承諾がいる」
と言われる。
「ど、どうしょう。彼を訪ねないと。彼に相談しなければいけないわ」
チャコはバタバタとメールや携帯電話で連絡を取る。しかし自宅の連絡先はひとつとしてわからない。
「重大な話があるの。お願いちゃんと出て」
が待てどもなしのつぶてのまま。
携帯はいつも
「おかけになった電話番号は、現在使われて」
メールは、
「デビルメール相手なし」
ブログは閉鎖されていた。
チャコはひとりでベッドで泣きまくる。
「あん。もういや。こうなったら最後の手段よ。大学なり家に押し掛けてやるわ」
行くと決めたら、実行あるのみ。深夜だろうが、なんだろうが、東名を飛ばし名古屋に行く。
「住所がわかってるから簡単につかまえられるわ」
翌日名古屋の住所を探して学生の自宅に行く。
自宅を見てチャコは思わず息を呑んでしまう。
住所先は○○医院であった。
「医者の息子だったの?まったくそんな話しなかったわ」
玄関のベルをピンポーンと押す。医院の広い庭が目に入ってきた。庭でサッカーの試合ができる感じだった。
「うん。猟犬?番犬?かしら」
けたたましく吠えたてて塀越しに近く寄ってくる。
「ハイハイどちら様でしょうか」
声の様子からお手伝いさんだろうか。
「しばらく、お待ちください」
と言われる。門が開き犬の鳴き声が遠くなる。
チャコは来客の趣旨を伝えておく。お手伝いは応接間にどうぞと案内してくれる。静かな応援であった。
「チャコさんですか」
品のいいご婦人が現れる。顔立ちは少し彼に似ているように見えなくもない。
私が母ですとご婦人は名乗る。上品なお茶菓子が出された。銘菓だとすぐにわかる。丁重なもてなしをチャコは受ける。
「さあさあ召し上がれ。ゆっくりとお話を聞かせて頂戴」
と母親に言われる。
「もう少しお待ちになれば、息子も帰って参ります。今連絡いたしましたから。主人も夕方には患者さんが空くでしょうからこちらに来ます」
母親はチャコの話をひとつひとつ丁重に頷きながら聞いていく。聞いてはいるようだがあまり納得はされていない。
「そうですか。それは大変でございますわね。ええ、息子は優しい性格でございます。何事も、いやと言えない性格でしてね。それはそれは大変でございましたわね」
一通り世間話をする。さしさわりのがない話が終わる。
次の瞬間、チャコは心臓が止まるかと思うような敵意を覚える。
キッ
と母親の眼鏡の奥のやや細い目が鋭く光った。
「で、あなたはいくらほしいのですか」
有無を言わせぬきつい口調であった。
えっ!
「息子はあなたに何も申していないのね。気が優しいから言わないでおこうと思っているんでしょね」
母親の語調がきついことにチャコは恐れをなす。
「まだ妊娠しましたの話していないのに。「こんな調子では出直すかな。なんか嫌われちゃったなあ。残念だこと」
母親は呼吸を置いてはっきりとこう言う。
「宅の息子は婚約してましてよ」
婚約だって
チャコは目の前がクラクラとなる。
「だから、だから。あなたのような方がシャシャリ出て来ること自体が迷惑ですの。もうまとわりつくのオヤメにならないこと。妊娠したからとか、金が欲しいとかで来たんでしょけど」
チャコは体がブルブル震え始め止まらなくなる。
私が金目当ての女だと思われてる。悔しいわ。
と、そこに院長の父親が応援に入ってくる。
「おいどうしたんだ。大声出して恥ずかしくないか。外まで丸聞こえじゃあないか」
父親の院長はスマートな紳士であった。怒鳴りはしたが後は何事もなかったように会話に加わる。
「お嬢さんよく聞いてもらいたい。お若いようだがこの手の話はあまり年齢は関係のないものだ。端的にお聞きをするがおなかの子供は」
あんまりがたがた騒げば医学的にDNA鑑定をして《我が家と無関係》だと言ってもいいんだよと産婦人科医の父親に脅迫されてしまう。
堕胎手術には父親のサインがいるがあんなのいくらでも書けるから。例え、息子が承諾したとしても親としては認めることはできない。
チャコは、
「妊娠の話していないのに。どんどん話が悪い方向に悪い方に進んでしまう」
体の震えに悔しさが加えられた。母親は眼鏡を直しながら、
「そうね。手術代込みでいくらにしましょうかしら。内に済ませてもらいましょう。あなたはそれで息子の前を金輪際ウロウロしないでちょうだいな」
チャコは怒りで震えた。
「私、帰らせてもらいます。不愉快でございます」
応援からフラっと立ち上がる。ヨタヨタと足もおぼつかない様子だった。
医院の広い庭を通り気が動転したまま門から出た。
車が見えてちょっと安心をする。
「ふぅー、頭に来たわあ」
車の鍵を探してよいしょと乗り込む。
すると
「お待ち下さいまし。お待ち下さいまし」
家政婦が慌てて走って追ってきていた。
「これをこれを。旦那さまから預かっております。どうかお納め下さいまし」
手渡されたのは菓子箱のようであった。
チャコはエンジンをかけ、ゆっくり車を出す。
しかし今は気が動転している。運転なんかしないほうがいい。
名古屋市街地を通り抜け本郷から東名インターに入る。
名古屋インターに入ると飛ばし気味で浜名湖サービスエリアを目指す。
ハンドルを握りながらチャコは涙が溢れてしまう。悔しいなぜか悔しいのであった。チャコの運転は少しふらつくこともあったがなんとか浜名湖サービスまで辿りつく。
「サービスエリアで休んで気分転換しましょう」
浜名湖サービスエリアに着きリフレッシュしようとソフトドリンクを買いに売店に行く。
「あら。ソフトはソフトでもソフトクリームにしちゃえ。肥ると嫌われちゃうかと食べてないもんなあ」
ソフトクリームを舐めながらチャコは車に戻る。ふともらったお菓子箱を見る。
「なにをくれたのかしら。正直ねなにもいらなかったけど」
ゴソゴソと包み紙を開けてみたらインスタントコーヒーの詰め合わせだった。
「なんだコーヒーか」
箱のふたを開けてみたら。
ギョ
銀行の紙袋が分厚く膨れてすぐにわかるように置かれていた。チャコは手がブルブル震えてくる。
震えながらも中身の金額をお札を確認しようとする。
100万円ある
金額をしっかり数え終わるとハンドルにオデコを乗せた。
「いやんなっちゃうなあったく」
ひとりボヤキが出てしまう。
さらに。
涙が次々とこぼれてしまい頭の中が白くなってしまった。
その夕刻であった。
チャコの家に警察からの一報が入る。
「もしもし。こちらは東名公安パトロール隊です。そちらの所有する車の照合をさせてもらえますか」
東名パトロール隊員は事務的な応答を繰り返した。
「すいませんが確認したいのです。車両番号を言いますから。よろしいですね」
電話に出たのは父親だった。
公安パトロールは対抗車線を乗り越えクラッシュした事故が発生した。
クラッシュした車は車両番号、車検証はそちらのものであると思われる。
運転していた女性と車両がお宅の関係のものではないか。これらを確認のために本署まで来てくれないかと事務的に伝えたのであった。
「チャコが交通事故だって。運転者は死亡している。そりゃあなにかの間違いだ。そんなそんな、うちの娘が」
父親は動転して騒ぎちらす。電話を切るか切らぬかでテレビの速報がテロップで流れる。
同じく母親はウロウロしてテレビの速報を見て涙が溢れてくる。
テレビの速報。
運転を誤り東名の対抗車線に突っ込み大事故発生。第一報には当事者の名は出ていなかった。運転は若い女性だとは伝えていた。