ウレシイ をたくさん作って
幸せって。
その時のベストを尽くすことだと思うの。
長い人生は課題がたくさんあって、体とかホルモンとか年齢とか、感情を揺るがしてくるものってたくさんある。
私はもう大人だけど、ちっとも完成されてない。
完成される気がしない。
すぐに自信がなくなっちゃうから、ダメだなって何度でも思う。
ちょっとしたことで黒い感情に染まる。
たまにニュースで怖い事件が流れるじゃない。こわいな、なんで?って思うけど、本当はどんな人でも隣合わせなんだろうって思うの。真っ黒く染まってしまったら、そうなってしまうんだと思う。
春都さんを姉さんに取られて、自分の中にあんな黒い感情が芽生えるなんて思いもしなかった。
あんなに人を憎むなんて。
取り返しのつきようもない感情だと思っていた。
憎しみが自分を蝕んで真っ黒になってもどれなくなるんじゃないかって思った。
チハ君。
黒くなったら、そしたら、自分じゃない誰かが私を揺り動かしてくれないとダメなの。
自分じゃどうしようもできないんだから。
外ではたくさん嫌なこともあるよ。
みんながみんな優しくない。
心ってすぐ黒くなろうとする。
だけど、チハ君がいる。
チハ君と今日もご飯を食べる。
姉さんや春都さんにチハ君の報告をする。
それが、私を揺り動かしてるもの。
私を安定させてるもの。
私の心を白く丸くしてくれる。
全然特別な日常じゃないの。でもちゃんと特別なんだよ。
それを知っているか知ってないかじゃ全然違うのよ。
私はチハ君を得て変わった。ううん。気が付くことができた。
この思いをどう伝えればいいかなって、泣くチハ君を見ながら思う。
心の全部を伝えるのはとても難しいよ。
チハ君がこんなに感情を出すのが珍しいことだから、とってもびっくりしてしまって言葉がうまく出せない。
チハ君の肩に触れた時、一瞬こわばって、それからゆっくりとゆるんだ。
それに安心して、ゆるりと摩る。
乱暴に涙を拭う手をそっと掴んで握る。
涙を含んだ猫みたいな目が、瞬きして私を見上げた。
弾かれた涙が水滴みたいに散って、チハ君がこんな苦しんでいるのに不謹慎にも綺麗だなと思った。
しばらくそうしてチハ君を見ていたら、目がウルウルと潤んで、ばっと俯いた。
「僕もう、妖精が見えない」
声変わりの、独特なかすれ声。
「そっか。それは残念だね」
そう告げると、チハ君は唇をぎゅっと噛み締めた。
「きなこさんは、ぼくが妖精が見えなくなって残念?」
「え?」
「きなこさん、僕はどうしたらいいんだろう」
途方に暮れたように見つめられる。
「チハ君、千春」
呼びかけて目線を合わす。
「ちがうよ、残念なのはわたしじゃないよ。チハ君が、チハ君自身が物足りなくなるねって言ったの」
チハ君が、私の言葉を飲み込もうとじっと見つめてくる。
言い間違っちゃだめ。
ちゃんと、伝わってほしい。
「そのかわり、妖精のかわりにはなれないかもしれないけど、私がいるよ。私はチハ君と出会ってちょっと変わったかなって自覚しているんだけど今の私じゃチハ君は残念かな。私は、今のチハ君はちっとも残念じゃないって思うよ。妖精が見えるチハ君が全てじゃないもの。ね、それじゃ駄目かな」
チハ君が大きく目を見開いて息を詰める。
瞳がゆらゆらとゆれていた。
今、気がつかなくていい。
飲み込めなくってもいい。
この言葉が、いつか、チハ君の心に響きますように。
妖精がいなくても、大丈夫って思えますように。
こんな言葉、前の私じゃ言えやしなかったよ。
それでも、私は全然完成されてない。
不完全なままだ。
だけどねえ、それでも一緒にいようよ。
ね、一緒にいよう。
それから、二人でベストを尽くそう。
きっと、妖精がいなくても感じることはできるよ。
特別って、嬉しいって、作っていくものだから。
結構大変だけど、どうにかなるよ。
きっと、大丈夫。
変わっていくのは怖いよ。
でも、きっと大丈夫。
そうでしょう、姉さん。春都さん。
チハ君が唇を噛み締めて、私に抱きついてきた。
私は、それを受け止めながら、「よかった。もう、大丈夫みたい」と呟いた。