リグレット
寂寥の想い
夢と堕ちて
静寂へ
ひとひらの波紋
広がるはリグレット
心揺るがすリグレット
***
耳元で煩わしくも歌を歌われて、僕は眉を顰める。
妖精とは良くも悪くも単純な生きもので、人間のように奥に秘めた感情が存在しない。
つまり何時だって明け透けなんだ。
隠し事も、暗い感情も、嘘も、彼らには無関係。
ただ彼らは人間の奥に秘められた感情というものに、やたらと敏感で興味を持ちたがる。
彼らには無いものだから、だろうか。
人間に纏わり付いては時に楽しげに、時に静かに、時に激しく歌いあげる。
喜怒哀楽。
彼らはそれを見つけ出しては歌いあげる。
「チハくん。どうしてそんな傷をつくったのか、いい加減教えて」
「・・・」
僕の目の前に、悲しいような、怒っているような複雑な顔のきなこさん。
僕の腫れた頬を手当てしてくれながら、痛ましそうに顔を歪める。
そんな表情はさせたくなかったけれど、僕は何も言えずに口を閉ざしたまま。
広がるはリグレット
心揺るがすリグレット
また、妖精が歌う。
ああ、煩わしいな。
僕の感情を汲み取らないで欲しいのに。
彼らは僕にさえも、容赦無いらしい。
僕の感情が揺れるのが、そんなに楽しいのかな。
ちょっと溜息をついたとき、ピンポンと来客を告げるベル音。
インターフォンを取るきなこさん。
相手の言葉に、一瞬声を固くさせて、ちらりと僕を見る。
「はい。今開けますから」
玄関に向かう彼女の背中を見て、今度は深い溜息がもれた。
***
「ですから!おたくの子が先にうちの子に手を出したんです!」
玄関から響く声に、僕の予感が外れていなかったことを知る。
そっと、きなこさんの隣に歩み寄るとクラスメイトの男の子とその母親が立っていた。
クラスメイト(名前は何だったか忘れたけれど)は、一瞬僕をチラッと見てすぐ気まずそうに目を背むけた。
「純一の顔に傷跡でも残ったらどうしてくれるんです!?」
「ちょっと落ち着いてください佐山さん。まず、当人たちの言葉を聞きませんか?」
そうそう。佐山純一だ。
佐山の母親と、きなこさんのやりとりで、やっと思い出す。
学校でいつも、宇宙人とからかってくるのは佐山だった。
僕にとって、そんなことはどうでも良かったので、これまでどんなことを言われようと僕は平気だった。
無視すればするほど、佐山が僕にいちいちちょっかいをかけてくるのが若干、煩わしかったけど。
取り合おうなんて思わなかったんだ。
裏も表もない妖精と心乱れぬ会話を楽しんだ方がずっと、僕にとっては建設的だ。
人間は、難しい。
色んな感情を心に隠して、取り繕う気になどなれなかった。
反抗心さえ僕に芽生えはしなかったんだ。
なのに。
佐山のあの言葉だけは、僕は無視することは出来なかった。
『おい!親無し宇宙人!お前を引き取ったっていうおばさんも、どうせお前みたいなキチガイなんだろ』
何を言われたって、揺らぎもしない僕の心が、ザワリと波打って。
冷静に考えるより早く、佐山を殴ってしまっていたんだ。
***
「ちょっと!何とか言ったらどうなの!」
佐山が黙って立ち竦んでいる横で、佐山の母親の怒りばかりがどんどん激しさを増していく。
黙って聞いている、細いきなこさんの肩を見あげて、僕は僕の馬鹿な行動にどうしようもなく後悔していた。
広がるはリグレット
心揺るがすリグレット
「これだから!親のいない子は!」
とどめとばかりに佐山の母親がそう言った瞬間、目に見えてきなこさんの醸し出す感情がスッと冷えた。
静かな怒りのブルー。
「佐山さん。それは余りにくちさがない。貴女が今冷静でいられないのは分かりますが、本人を目の前に言う言葉か否かくらい、理解できるでしょう?」
貴女は大人なのだから。そう静かに言い切ったきなこさん。
口調も、表情も淡泊なのに、その瞳だけは苛烈に燃えて、佐山さんを据える。
その視線に、声を荒げていた佐山さんも言葉を失った。
いつものほんわりなきなこさんしか知らない僕は、佐山さんに言われたことも忘れて、ちょっと驚いてしまった。
見惚れるぐらいの静かな怒りだ。
「先ほどから申し上げておりますが、これは当人たちの問題でしょう?先だっては、彼らの意見を聞くべきではありませんか。それと、一つ反論するようですけれど・・・」
と、きなこさんが僕の方を見る。
あ。
冷たかったその瞳が、痛ましそうに歪んだ。
その理由を察して、僕はきなこさんに手当された頬に手を当てた。
「傷つけられて憤っているのは、こちらも同じなのですよ」
きなこさんの言葉に、ついには何も言えなくなった佐山さん。
僕は、何でか分からないけれど、凄く、不思議なほど心満たされていた。
掌の下の、ガーゼに覆われた傷はまだズキズキしてるのに。
変だな。
ちょっとおかしなくらい、心臓がうるさい。
だからだろうか、僕は僕でも予想しなかった行動に出たんだ。
すっと、佐山さんの隣で俯いている佐山に近づく。
僕が目の前に来て、佐山はびくっと身体を震わせた。
何時も強気な佐山はどこに行ったんだか。
「先に手を出したのは僕だし、殴ったのは佐山じゃないんだ」
そう。佐山は僕に殴られたあと、ぽかんと固まってしまって、僕に殴りかかったのは佐山の舎弟みたいな奴らだったんだ。
だから。
「こっち。殴っても良いよ」
殴られていない反対側の頬を差し出すように向ける。
痛いのは嫌いだけど。
いいんだ。
きなこさんにまた、手当してもらうから。
「お、まえ」
するとどうしたことか、佐山は僕に手をあげることなく、わなわなと口を震わせた。
そして、何故かぼろぼろと泣き出したんだ。
「おれのがっ。ずっとっ・・・ずっと!お前に酷いことしてんのに!・・・なんでっなんでっ」
どうしたことだろう。
何時もの強気なガキ大将な佐山がぼろぼろ泣いてる。
僕はよく分からなくて、首を傾げた。
「佐山君は、チハ君に悪いことをしたって思うんだね?チハ君に殴られるくらいのことをした?殴られても納得できた?」
きなこさんが、僕らの視線に会わせるように屈んで、やさしく佐山に尋ねた。
よかった。もういつも通りのきなこさんだ。
佐山は、首がもげるんじゃないかって思うくらいに首を上下に振って泣いている。
「チハ君は?」
今度は、僕にやさしく聞くきなこさん。
広がるはリグレット
心揺るがすリグレット
僕は。
「佐山が言ったこと。あの言葉は許せなかった。だけど・・・暴力をふるうべきじゃなかった」
だから。
僕は、ぐしぐし泣く佐山を真っ直ぐ見た。
「ごめんね。佐山」
「う、うえええええ。おれっぐっおれが、ごめん。ずっとごめんな。ごえんなはい」
ごえんなはい・・・。
佐山の余りの有様に、僕はちょっと笑ってしまった。
そしたら、ずっと泣いていたくせに、佐山がピタリと泣き止んだんだ。
その目を一杯に見開いて、何に驚いてるんだか?
微笑ましげに佐山を見ていたきなこさんが、すっと立ち上がって唖然としている佐山さんに向けてニッコリした。
「当人同士で解決したようですし、これ以上大人があれこれ言うことも無いでしょう」
寂寥の想い
夢と堕ちて
静寂へ
ひとひらの波紋
広がるはリグレット
心揺るがすリグレット
残ったのなぁに?
残したのなぁに?
***
「ふー。よかったねぇ大事にならなくて」
二人が去って、きなこさんがほのぼのと言う。
不思議だ、このほんわりな人が、あんな風に変貌するなんて。
「きなこさんって変」
きなこさんは変。
僕を変にする。
聞き取ったきなこさんが、「言ったなー」と僕の脇をくすぐった。
きなこさんのくすぐり攻撃にめっぽう弱い僕。
「っっやめて、よ」
「あ」
その拍子に手に持っていたカードがパラりと落ちて、きなこさんの動きが止まる。
解放された僕は、それをそっと拾い上げた。
帰り際、何故か佐山に渡された食玩のおまけカード。
カードに描かれた、薄い羽を持つその姿が存外気に入った僕は、よく分からないけど有難く貰っておいた。
「ふふ。妖精さんみたいだね」
そのカードを覗き込んで、きなこさんが笑う。
「佐山くん。きっとチハくんが羨ましかったんだね」
佐山が僕を?なんで?
疑問は残るけれど、
そのカードの絵は、なんだか悪くなくて。
僕はそれをポケットに入れて、そっとその上から掌で暖めた。