カプリブルー
涙の海に悲しみの魚
彼女が泣く
今夜も泣く
きなこの涙はカプリブルー
夜、歌うような妖精の声に起こされた。
曰く、きなこさんがまた泣いているらしい。
僕は、ゆっくりとベットから抜け出して、きなこさんがいるであろう台所へと向かった。
ひんやりとした、台所にきなこさんの背中を見つけて、僕は気付かれない距離でそっと佇む。
きなこさんは、夜中時々こうして泣く。
僕の寝室にと宛がわれた部屋から一番遠いこの台所で、嘔吐くみたいに小さく声をもらしながらきなこさんは泣く。
妖精からそのことを伝えられる度、僕はすぐにでもきなこさんの元に駆け寄りたいのだけど、台所の小さなその背中を見てしまうと、どうしても僕は動けなくなってしまう。
きなこさんが、涙をこぼす度、台所が薄くカプリブルーに染まっていく。
その色はとても綺麗で、儚くて、僕は何時もその色に立ち竦んでしまう。
「ハルトさんっ姉さんっ・・・っ」
きなこさんが泣きながら呼ぶ名前はいつもこの二人。
僕のお父さんとお母さん。
僕の名前は千春って言うのだけど、お父さんの春都から由来する春を、きなこさんは何時も見ないふりをする。
きっと僕の中にお父さんの欠片を見るのが凄く怖いんだ。
チハ君って呼ばれるの僕は凄く好きだけどね。
きなこさんとお父さんが昔どんな関係だったかなんて知らないけど、とっても大きな傷をきなこさんに残したのは確かで。きっと僕もその傷に少なからず関与しているのだろう。
きなこさんと一緒に暮らすようになって最初の頃、ぼんやりと妖精を見ていた時、きなこさんは僕に尋ねた。
『お父さんとお母さんが居なくなっちゃって寂しい?』
そう言ったきなこさんの方がよっぽど寂しそうな顔をしていたから、僕は咄嗟に『妖精がいるから大丈夫』って言っちゃたんだ。
きなこさんがまた少し悲しそうな顔をして僕を撫でた後になって、僕は言葉を間違えたんだって気付いた。
『きなこさんがいるから大丈夫』って言えば良かったって、すごく後悔した。
何時も妖精とばかり喋っていたせいかな。貴女を慰める言葉が咄嗟に出てこない。
きなこさんは、何時でも僕を気遣う言葉を持っているのに。
どうして僕には出来ないのだろう。
どうして僕は子供なんだろう。
きなこさんにとって僕は守るべき対象であって、僕の頼りない身体じゃすり寄ることは出来ても抱きしめることは出来やしない。
きなこさん。
きなこさん笑ってよ。
何時もみたいに何でも無いことで楽しそうに笑って。
僕はどうしたってきなこさんのカプリブルーの海に入れないんだよ。
悲しみの魚が泳ぐその場所は、きなこさんの美しい悲しみだけを受け入れるから。
僕はどうしても、そんな夜だけは、彼女に近づくことさえ、出来ないんだ。
悲しみ丸ごと取り除くなんて無茶言わないから。
せめてその悲しみのブルーに僕を受け入れて。
どうか、一人で泣かないで。