第一話 婚約破棄
フェリシアの心は嵐のように荒れていた。
なぜならたった今、目の前にいる婚約者……王太子であるエドワードから婚約破棄を言われたからである。
(どういうこと。え、嘘よね。私が婚約破棄されたの……? 今までの人生全てを王太子妃になるためだけに捧げて来たのに?)
フェリシアがそう思うのも無理はなかった。
なぜなら、文字通りフェリシアは生まれたときから王太子妃になるためだけに生きて来たからである。
というのも、今は亡きフェリシアの両親は現国王とそれはそれは仲がよく、幼少期からとても仲睦まじかったらしい。できれば国王はフェリシアの母と結婚したかったそうだが、王太子だった時代に既に婚約者がいたため泣く泣くフェリシアの父に譲り、その代わり自分の子供達は結婚をさせるという約束をしていた。
そのため、フェリシアは生まれてすぐからあらゆる教養や勉学を叩き込まれ、エドワードの補佐をするためだと彼以上の知識を詰め込まれた。数年前に両親が事故で亡くなったあとも、後ろ盾がないフェリシアの支えは王太子妃になることだけ。
王太子妃になるという約束があったから周りのやっかみがありながらも今の地位から引き摺り下ろされることなく過ごしてきたというのに、それが呆気なく当人である婚約者から反故にされるとはフェリシアは夢にも思っていなかった。
「エドワード様。ご冗談はおやめください。もう婚礼もあと半年ですよ? 今更そんなワガママが通るわけが……」
「いや、冗談ではない。これは決定事項だよ」
「どういうことです? 両親の約束を反故にする気ですか? 国王陛下はお許しになったのですか?」
現在、エドワードの父であるオズワルド国王陛下は隣国ヘリオンでの戴冠式に出席しているために不在である。
だからこそ、なぜこのタイミングで婚約破棄を言い渡されるのかも理解ができなかった。
「いや、まだ父さんには言ってないよ」
「はい? なら、そんな勝手が許されるわけが……っ」
「でも、もう決めたんだ。いや、決まったんだ」
(話が通じない)
思わず頭を抱えたくなるフェリシア。
言語は同じはずなのに、言葉が通じない。
ときおりエドワードはこういう意図してるのかしていないのか、はぐらかすように論点をズラして会話が成り立たないことがままあった。
「決まったってどういうことです? いったい、何の話をしているんですか?」
「占いだよ!」
「……うらない、ですか……?」
なぜか目をキラキラと輝かせながら言い放つエドワード。
その反応とは対照的に、呆気にとられるフェリシア。
(バカなの? ねぇ、バカなの……?)
つい口から出そうになるのをグッと堪える。
けれど、フェリシアがそうも言いたくなるのも無理はない。
まさか婚約破棄の理由が占いとは誰もが想像できないだろう。
あまりにも呆気にとられすぎて言葉を失くしていると、それを了承とでも捉えたのかエドワードはニコニコとし始めた。
「そうだよ、占いだよ! 我が国きっての占い師であるマリーンをキミも知っているだろう? ほら、百発百中の!」
「それは、存じ上げておりますが……」
マリーンという占い師がいることは知っている。もちろん、よく当たるという噂も聞いたことがある。
フェリシアは現実主義なので一度もそういった類いのことをしたことはないが、好きな人は好きだということも理解はしている。してはいるが……
「その彼女がね、絶対にフェリシアとは結婚してはいけないと言ってたんだ!」
「占いで?」
「そう、占いで!」
(バカなの? 信じられない。この人バカなんじゃないの!?)
疑うことを知らない無垢な瞳でこちらを見てくるエドワード。
あまりにも純真な顔をしているが、もう彼は二十五才。純真無垢でいられる年齢ではない。
「占いでそう言われたから婚約破棄をすると?」
「そうだよ! それで、もう新しい相手も決まっているんだ!」
「……ちなみにお伺いしますが、新しい相手とはどなたでしょうか?」
「エミリーだよ! 男爵令嬢のエミリー・エーベルだよ。キミもよく知っているだろう? 確か、幼馴染みだったよね?」
「エミリー、ですか。そうですね、確かに幼馴染みですし、彼女のことはよく存じております」
言われた通り、エミリーとは幼馴染みで彼女のことはよく知っている。
同い年で身長が低く、可憐で庇護欲をそそる可愛らしい見た目。控えめで謙虚な性格。誰が見ても可愛らしく、つい守ってあげたくなるような彼女はフェリシアとは真逆の存在だった。
(よりにもよってエミリー……)
幼馴染みだからこそわかる彼女のこと。
表向きはみんなから愛される存在であるが、本質の彼女は自堕落だった。常に依存体質で、周りのことを振り回す性格。ハッキリ言ってしまえば、ワガママで傍若無人だった。
自分の意に沿わないことは決してしないし、か弱く見せて他人の力に頼りきりで最後はいいとこ取りをする。
以前も想い人に手作りの菓子をあげたいからと言われ、フェリシアが一緒に菓子を作ったことがあるが、そのときもエミリーはそばで「こんなのできない」「手が汚れる」「もっと見た目可愛くできないの?」「案外フェリシアって不器用なのね」とひたすら文句を言う始末。
フェリシアは散々好き勝手言われながらも一生懸命言われた通りに菓子を作ったのだが、完成するなりその菓子は根こそぎエミリーに奪われた。
そして、エミリーはフェリシアに感謝することなければ詫びることもなく、「手作りだから不恰好だけど、貴方を想って頑張って作ったの……食べていただけると嬉しいわ」とさも自分が作ったかのように慎ましげな様子で想い人に渡してしまう。エミリーはそんな人物だった。
「エミリーと僕は相性抜群なんだって!」
「そうですか」
「随分と反応が薄いなぁ。ほら、そういうところ! エミリー嬢だったら、いつも可愛らしく喜んで聞いてくれるというのに、キミはいつも冷めた態度を取っているよね。エミリーとは大違いだ」
エドワードの口ぶりに、彼らが密かに会っているのだと気づいて心が冷える。
いつのまにそんなに二人は親しくなっていたのか、蚊帳の外にいたのは自分だけだったのかとフェリシアは胸が苦しくなった。
「別に、冷めてなんて……」
「キミはいつだってそうだよ。僕と話すときは小難しい政治とか社交の話ばかり。エミリーとは違って、フェリシアと話しててもつまらないんだよ。会うたびにあれを覚えろこれを覚えろって押しつけてきてばかり。僕はもっと庭園の花の話や流行の菓子の話をしたいのに、キミとは趣味嗜好が全然合わないんだよ!」
(そんな風に思われていたの?)
エドワードに言われて絶句する。
フェリシアはフェリシアなりにエドワードを愛していた。決められた婚約とはいえ、自分にはその道しかないのだからと彼を愛そうとして彼のために尽くしてきた。
だからこそ、エドワードのぶんまで知識を詰め込まれても文句一つ言わずに頑張ってきたのに。
(今まで僕のぶんまで勉強をしてくれてありがとう、僕も覚えられるだけ覚えるよ、とか言ってたくせに。私だって、できることならたわいない話とかくだらない話とかしたかったわよ。でも、そんなこと言ってられなかったじゃない)
そもそも、エドワードはあまりにも物覚えが悪かった。というより、自分が興味のあること以外覚えようとはしなかった。
だから代わりにフェリシアが未来の王太子妃としてエドワードのぶんを必死に覚えてきた。
帝王学、語学、心理学、社交術、他国の情勢や各国主要な人物の詳細に至るまで。
なまじフェリシアが賢すぎたゆえに周りもフェリシアに期待して、どんどん知識を詰め込んだ。フェリシアも期待に応えるために、エドワードの代わりに社交ができるほどのスキルを身につけていた。
全ては、エドワードのために。
(私は、何のために今まで頑張ってきたの……?)
エドワードが指摘した部分も、彼と情報を共有するため。まさかエドワード本人からそんな風に思われているとは夢にも思わなかったが。
エドワードを愛しているからこそやってきたあれこれが、どれも無意味だったと知って目の前が真っ暗になる。
「とにかく、そういうことだから。父さんも、マリーンの占いで出た結果だと知ったら僕の言うことを聞いてくれるはずさ。というわけで、フェリシア今日までどうもありがとう! あ、ちなみにマリーンの占いで、フェリシアがこのまま王都に留まると危険だと言われてね。キミは色々と知識をつけすぎた。あまりにも知りすぎてしまったから、王太子妃にならない状態で放置するには危険らしい。ゆくゆくは国家転覆を狙う可能性もあるらしくて、キミには申し訳ないけど明日処刑することになったから」
「……………………は?」
ぺらぺらぺらぺらとご機嫌に話すエドワードの内容があらぬ方向に話が進んでいっていて、思わず低い声が出る。
(今、私のことを処刑するって言った? この人)
たった数分前までは婚約者だったはずの相手に処刑を言い放つ品性に、フェリシアは立つのもやっとなくらい眩暈に襲われた。
「え、聞こえなかった? 処刑だよ、処刑。斬首刑……いや、ギロチンと言ったほうがわかりやすいかなぁ? 大丈夫、罪状については適当に理由をつけるから。それと、僕も鬼畜ではないから今夜は特に捕縛や投獄などせずに自由に過ごさせてあげるよ。どうだい、優しいだろう? この機会に両親の墓参りにでも行ってあげるといい。あ、もちろん処刑後はキミもそこに入れてあげるから、事前の挨拶をしておくのもいいかもしれないね」
ニコニコと、とんでもないことを悪びれることなく言ってのけるエドワードに背筋が凍る。
まるで悪魔にでも取り憑かれたのかと錯覚してしまうような言動。こんなことを言う人のために今まで頑張ってきたのかと、自分の愚かさを嘆いた。
「ふざけないで! ご自分が何をおっしゃってるのかわかっているのですか!?」
「ほら、やっぱり占い通りだ! この話をしたらキミが怒るって占いでも言われていたからね。やっぱりマリーンの占いは当たるなぁ」
「そりゃ、誰だってそんなことを言われたら怒りますよ! そんなこともわからないんですか!? 占いなんてバカバカしい! そんなものに騙されるだなんて……!」
「あーあ。やっぱり、フェリシアは占いを信じていないんだね。それから、そうやって毎回毎回上から目線で物事を言われるのにもいい加減飽き飽きしていたんだ。やっぱりキミと僕は合わないようだね。ま、これ以上ここで話しても埒があかないから、今日はもう帰っていいよ。あぁ、でも明日は陽が登った時間に処刑だから、それまでには城に出頭してきてね。物分かりのいいキミなら、ちゃんと来ないとどうなるかはわかってるよね?」
「っ! ………………わかりました」
絶望的に噛み合わない会話。
そもそもエドワードは一方的に話しているだけで、フェリシアに答えなど求めていないのだろう。
求めているとすればただ「イエス」という返事のみ。それがわかっているからこそフェリシアは大人しく頷き、それ以上会話することを諦めて何も言わずにただ帰宅するしかできなかった。




