鉄面皮の理由
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プリマヴェーラが催されていた王城から、マルヴァーニャ家のタウンハウスに戻った頃には、王城の喧騒からは離れ、夜の静けさが波打っていた。それと同じように、バーベナの胸中は凪のように穏やかだ。
だが、早めの帰宅になることを家に伝えていない。バーベナは馬車にゆられながら、どうしようかと思案していた。バーベナの両親は、周囲からはバーベナの両親とは思われないほどの感情豊かな人たちだ。何からどう話せばいいのかをゆっくりと整理していく。
(わたくしがアッシュ殿下の婚約者でなくなったら…お父様にもご迷惑がかかるかしら。)
バーベナの父は、王弟かつ宰相でもあるルードヴィンク公爵の元で、財務処理などを担当する行政官だ。議会にも多大な発言権を持ち、領地に帰る暇もないほど王城に出入りしている。
そんな父の仕事の邪魔をしてしまうかもしれないと思うと、それだけが申し訳ない。
バーベナは、お父様への言葉を考えながら、音を立てないように自宅の扉をゆっくりと開ける。
「バーベナ?!」
「お母様?」
すると、バーベナの予想に反して、扉が開くとすぐに母オリビアがまるで嵐のように駆け寄ってきた。さらに、玄関ホールを見渡すと、侍女たちが穏やかでない表情で集まっている。困惑するバーベナだったが、皆の表情で、すでにプリマヴェーラの事件が伝わっていることを察した。
「バーベナ、大丈夫? もう話は聞いているわよ。」
微笑みを浮かべる母の目には、娘を案じる色が滲んでいる。その姿を見た瞬間、バーベナの胸に温かいものが流れ込むのを感じた。
それを察してか、オリビアはそっとバーベナの肩に触れる。
「事情を知った陛下が、すぐにこちらに速馬を送ってくださったの。あなたの馬車とはいくぶんかの差だったわ。お疲れ様。何もかも投げ出して帰ってくるのは大変だったでしょう?」
オリビアは、バーベナのことをすっと抱きしめる。
「お母様、わたくしは大丈夫ですわ。陛下がご存知でしたのね。そういえば…バロン様が急いでホールを後にされたのを見ましたわ。」
オリビアに抱きつかれながら、バーベナは無表情のまま頷く。バロンは、ホールを警備していた騎士団の一人だ。警備の関係上、催しの進行やスケジュールは共有されていたはずだが、あの慌てようを見るとアッシュの独断だったのだろう。
バーベナは、オリビアから離れ、もう一度言う。
「わたくしは大丈夫ですわ。でも、お父様の議会での立場が心配です。」
「チェスターがそんな事を気にするはずはないわ!」
オリビアは、心外だとでもいうように顔を歪ませて言う。
そんなバーベナとオリビアの様子をみながら、侍女のリリーが、震える手でバーベナの外套を脱がせた。
「お嬢様、不敬を承知で申し上げますが、あの王子殿下にはお嬢様はもったいなさすぎます!いえ、もはや過去形でよろしいでしょう!もったいなさすぎました!」
怒りで声と体を震わせるリリーに対し、バーベナは冷静な声で答える。
「リリー、外套がシワになってしまうわ。」
リリーは、バーベナのお気に入りの外套を強く握りしめて、震えている。バーベナは、冷徹に聞こえるかもしれない声のトーンで、慌てて外套の生地をのばす。
リリーは、長年バーベナと一緒にいた侍女だ。バーベナの表情がどうあれ、バーベナがどう思っているかを察することに長けている。リリーは自身のことよりも外套を気にするバーベナに、半泣きになりながら訴える。
「そんなことよりも! お嬢様は悔しくないのですか?!」
「悔しくはないけれど…。そうね、アッシュ様との時間は残念に思うわ。それに、主催した舞踏会を途中で放り出してしまったことには後悔しているし…プリマヴェーラを台無しにされた怒りもあるわ。でもそれだけなのよ。」
オリビアもリリーも、表情が変わらないバーベナのあっけらかんとした言いぶりに、どう対応していいか戸惑っているようだ。
「お母様、リリー。わたくしは大丈夫よ。今までも本当の気持ちをきちんと話してきたじゃないですか。強がってないわ。」
オリビアがそれを聞いてふっと微笑む。
「そうね、そうだったわね。わかったわ。落ち着いてお茶でも飲みましょう。何があったのか、詳しく聞かせてちょうだい。」
――
タウンハウスの自室は、落ち着いた雰囲気の中に洗練された上品さが漂う空間だった。幼い頃から過ごしてきたこの部屋は、バーベナにとって心から安らげる場所だ。
「お母様、リリー。」バーベナは用意されたお茶を一口飲むと、静かに息を吐いた。
「わたくし、王都では“鉄面皮の侯爵令嬢”と呼ばれているそうです。それにアッシュ様は耐えられなくなったようで、マリーナ・デ・ローザリア男爵令嬢と婚約すると宣言なされたのです。」
バーベナが淡々と語りながら、リリーが息を呑む。
「鉄面皮だなんて、誰のせいでそうなってしまったと…!」
オリビアは溜め息をつきながら、娘の手をそっと握る。
「王太子妃教育…本当に大変だったでしょう? あの厳しさでは、表情が動かなくなるのも当然よ。わたくもチェスターも、あなたに無理をさせていたことに気がつけなかったことを、とても後悔しているわ。」
バーベナは、微かに記憶の奥底を辿るような表情を浮かべた――もちろん、それが他人に伝わることはない。
帝国では幼い頃から厳しいマナー教育を受けることが、“完璧なレディ”への第一歩とされている。
年頃の高位令嬢としてバーベナに白羽の矢が立ったのが10歳の頃だったが、年端の行かない少女が厳しすぎる教育に耐えられるはずもなかった。
その結果――ストレスで顔がこわばり続け、気がつけば表情筋はほとんど動かなくなっていた。
「お嬢様はよく頑張りました。」
「鉄面皮と呼ばれても仕方ないほど、顔が動かなくなってしまったけれど、感情がなくなったわけではないのよね。どうしてもそう思っていただけないけれど…。」
バーベナは静かにため息をつくように吐露する。
「それにしても…ローザリア男爵家のご令嬢なのね?」
「ええ、お母様。」
オリビアは眉をひそめる。
―オリビアの知る限り、ローザリア男爵家は、帝国有数の資産家の家門だ。歴史は浅く、たまたま賜った領地に鉱山が見つかったため、金や宝石を売って莫大な富を築いているとの噂だ。
ご令嬢であるマリーナとは接点がなかったため、どんな人物かわからないが、家門としてはあまりいい噂は聞かない。
陛下は許可するのだろうか。
一通りの話が終わり、沈黙が流れる。すると、オリビアがそっと娘を抱き寄せた。
「バーベナ、婚約は正式に解消しましょう。これ以上あなたを苦しませることはしたくありません。陛下からは考え直すようにとお話があったけれど、もういいわね?」
「ありがとうございます、お母様。」
バーベナは静かに頭を下げた。その姿を見て、オリビアは新たな決意を固める。
「バーベナに新しい婚約者を探さなくてはね。帝国にふさわしい方がまだ残っているかしら。ヘッドフォード公爵の甥ご様が同年代だったかしら?」
「お母様、ヘッドフォード公爵様の甥は、隣国に婿入りされましたのよ。」
「あぁ、そうだったわね。バーベナの方がこの国の貴族に詳しいわよね。」
嫌な空気を弾け飛ばすように、パッと明るい口調になったオリビアの言葉に、バーベナは心が軽くなる。
だが、婚約者探しに張り切る母には一言申しておかねばならない。
「お母様、わたくしの結婚についてですが…王都を離れ、領地に戻りたいと考えています」
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