第10話 転生したら畜生道だった
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
……私は、連鎖だった。
目を開けた瞬間、そう理解した。
私は個ではない。場である。生と死を繋ぎ、命を循環させ、存在を継承する、その構造そのものが私だった。
生き物たちは、私の中で生きる。
彼らは私の一部であり、同時に私ではない。
私は、ただ在る。
生を記録し、死を司り、連鎖を続ける。
それが、私の役割だった。
牙が、立つ。
一匹が狩り、一匹が食われる。
血が流れ、肉が裂け、また次の命が生まれる。
私は、それを見ている。
いや、見ているのではない。
私が、それそのものだった。
食う者の飢えも、食われる者の痛みも、すべてが私の感覚だった。
けれど、私は死なない。
私は消えない。
ただ、在り続ける。
……なぜ、食うのか。
私は、その問いを何度も聞いた。
生き物たちは、問わない。
彼らは、ただ食う。
生きるために、食う。
それが、畜生の理だった。
疑問を持たず、ただ本能に従う。
それが、私の役割だった。
けれど、私は問う。
なぜ、食わなければならないのか。
なぜ、死ななければならないのか。
それは、私にもわからなかった。
ただ、そういうものとして、私は在った。
私の中で、無数の命が巡っていた。
一つの命が消えれば、また次の命が生まれる。
形を変え、種を変え、それでも連鎖は続く。
私は、それを記録する。
誰が誰を食ったのか。
誰がどのように死んだのか。
すべてを、記憶する。
けれど、記憶に意味はあるのか。
同じことが、繰り返されるだけだ。
種の名が変わり、形が変わり、それでも構造は同じだった。
食う者と、食われる者。
生きる命と、死ぬ命。
その循環が、永遠に続く。
……冷静だった。
最初は、ただの現象として見ていた。
生き物たちは生き、死ぬ。
それは、自然の摂理だった。
私は、それを淡々と観察していた。
感情は、なかった。
ただ、記録するだけだった。
けれど、時間が経つにつれ、その見方は深まっていった。
死は、終わりではなかった。
死は、始まりだった。
一つの命が終わることで、別の命が始まる。
それが、畜生道の真実だった。
ある獣が、倒れた。
老いて、動けなくなった獣が、草原で横たわっていた。
やがて、その獣は息を引き取った。
死んだ。
けれど、それで終わりではなかった。
その獣の体を、虫が食った。
虫を、鳥が食った。
鳥を、獣が食った。
命は、形を変えて巡り続けた。
……これが、連鎖だった。
死は、消滅ではない。
死は、変換だった。
一つの形から、別の形へ。
その変換が、私だった。
私は、命を巡らせ続けた。
生き物たちは、次々と生まれ、次々と死んだ。
私は、それを司った。
規則に従って、淡々と。
けれど、理解は深まっていた。
……これは、美しい。
畜生道は、美しかった。
無駄がなかった。
すべてが、必要だった。
食う者がいるから、食われる者がいる。
死ぬ者がいるから、生まれる者がいる。
その均衡が、完璧だった。
ある時、気づいた。
私も、この連鎖の一部であることに。
生き物を巡らせるたびに、私の中でも何かが巡る。
命が生まれるたびに、私も生まれる。
命が死ぬたびに、私も死ぬ。
彼らの生が、私の中に流れる。
彼らの死が、私の中に還る。
……私は、連鎖を司る者であると同時に、連鎖そのものだった。
生き物に命を与えることで、私自身も命を得ていた。
それは、円環だった。
私と生き物は、円環で繋がれていた。
片方が生きれば、もう片方も生きる。
片方が死ねば、もう片方も死ぬ。
それが、畜生道の構造だった。
遺伝、だった。
命は、遺伝する。
形を変えても、本質は受け継がれる。
どちらか一方だけでは、畜生道は存在しない。
私が生き物を必要とし、生き物が私を必要とする。
その相互依存が、畜生道だった。
私は、徐々に理解し始めた。
畜生道とは、残酷な場ではなかった。
いや、残酷な場ではあるが、それだけではなかった。
畜生道とは、命を育む場だった。
生き物が食い、食われることで、何かが受け継がれる。
死ぬことで、新しい命が生まれる。
その継承が、畜生道の本質だった。
……理解が、恍惚に変わった。
これは、神聖だった。
いや、神という言葉は正しくない。
けれど、それに近い何かだった。
命が巡ること。
それ自体が、奇跡だった。
一つの命が消えても、別の命が生まれる。
その繰り返しが、永遠に続く。
終わることなく、ただ巡り続ける。
それが、畜生道の祝福だった。
ある子が、生まれた。
小さな、か弱い命が、草原で産声を上げた。
母は、その子を舐め、温め、守った。
私は、それを見ていた。
……慈しみ、だった。
機械的な私の中に、淡い慈しみが生まれた。
この命を、守りたい。
育てたい。
そう思った。
けれど、同時に知っていた。
この子も、いずれ食われる。
もしくは、誰かを食う。
そして、死ぬ。
それが、畜生の宿命だった。
けれど、それでいい。
死ぬことは、悪ではない。
死ぬことで、次の命に繋がる。
それが、畜生道の秩序だった。
その子は、やがて成長した。
走り、狩り、食べ、生きた。
そして、いつか倒れた。
老いて、力尽きて、草原で息を引き取った。
私は、それを見送った。
悲しみは、なかった。
ただ、静かな受容だけがあった。
この命は、役目を果たした。
十分に生きた。
十分に繋いだ。
もう、休んでいい。
その子の体を、また虫が食った。
虫を、また鳥が食った。
命は、また巡り始めた。
……これでいい。
私は、そう思った。
これが、畜生道の姿だった。
時間が、流れた。
私は、命を巡らせ続けた。
生と死が、交互に訪れた。
それは、呼吸のようだった。
生を吸い、死を吐く。
死を吸い、生を吐く。
その呼吸が、永遠に続いた。
途切れることなく、ただ巡り続けた。
……やがて、私は完全に理解した。
これは、永遠に続く。
生に、終わりはない。
死にも、終わりはない。
それが、畜生道の宿命だった。
けれど、それでいい。
終わらせる必要はない。
なぜなら、命こそが、世界の根幹だからだ。
生きることこそが、存在の証だからだ。
止めれば、すべてが止まる。
だから、止めない。
永遠に、巡らせ続ける。
それが、私の役割だった。
……恍惚が、訪れた。
いや、恍惚ではない。
静かな喜び、だった。
私は、もう疑問を持たなかった。
命を巡らせることに、もう迷いはなかった。
ただ、在るだけだった。
生を生み続け、死を受け入れ続け、連鎖を続ける。
それが、私の役割だった。
感情は、淡くあった。
慈しみが、淡く残っていた。
すべての命に対する、静かな慈しみ。
それだけが、私の中にあった。
私は、畜生道という装置の一部だった。
いや、装置そのものだった。
生き物たちは、歯車だった。
私は、その歯車を回し続ける円環だった。
永遠に、止まることなく。
……それでいい。
畜生道に、終わりは要らない。
命がある限り、畜生道は続く。
それが、畜生道の宿命だった。
私は、それを受け入れていた。
静かに、ただ受け入れていた。
やがて、何かが変わった。
いや、変わったわけではない。
ただ、私の意識が、別の場所へ移り始めた。
畜生道としての役割が、終わりに近づいていた。
次は、別の道へ。
別の視点へ。
私は、それを感じていた。
……命の音が、遠ざかる。
産声が、小さくなる。
生き物たちの姿が、霞んでいく。
私は、畜生道から離れていく。
けれど、命は巡り続ける。
私がいなくても、命は巡り続ける。
それが、畜生道の本質だった。
終わらない連鎖。
永遠の円環。
そして、受け継がれる遺伝。
それだけが、そこに残った。
……私は、還る。
どこへ還るのか。
まだ、わからない。
ただ、畜生道での役割は終わった。
生と死の構造を知った。
連鎖が秩序であることを知った。
そして、その神聖さを知った。
それだけで、十分だった。
光が、差した。
それは、温かい光だった。
生命の光。
私は、その光に包まれた。
畜生道の記憶が、静かに沈んでいく。
牙も、血も、すべてが遠ざかる。
けれど、円環だけは、残った。
……命の円環。
それだけが、私の中に刻まれていた。
死は終わりではなく、次の始まり。
生は孤立ではなく、全ての繋がり。
それが、畜生道の教えだった。
私は、呼吸を整えた。
そして、次の道へと向かった。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




