「過ぎ去れど 失せぬモノ」:03
ーー大陸歴1969年 熾枝の月末日
変化の見掛けは劇的だが、現象としては不可分である。
「オーナー、本日ご予約のお客様ですが…」
「うん? 団体のご予約だったけれど、またキャンセルが出た?」
「いえ…。ご予約された方の、ええと予約者の名義変更がありまして…」
ただ一人の事務員、"カウンセル"はリストボードを手に、歯切れ悪く答える。フロムやマスターが戻ってからしばらく。あと少しで夜の開店時間というところ。
特異点は時に歓迎され、或いは。
「珍しいけれど、いったい、どなた、が…」
来訪を告げる音は存外、静かに鳴る。それは店の大扉が開く音。お客様向けの玄関口を開けたのは果たして。
店の従業員たちは、全員が営業開始に向けて忙しなく働いている。奏者たちもバックルームから微かに楽曲が聴こえている。
「あらあら、もしかして私のお話だった、かしら?」
「その声…」
招かれた客人の如く、堂々とヒールの音を鳴らしながら店内に入ってきた女性。ロングスカートを少し整え、たおやかに笑みを浮かべるその姿に一瞬、オーナーを含めた皆が動きを止める。
その女性の後ろに付き人らしきスーツ姿の男性もひかえた。
「…失礼ですがご婦人、本日は貸し切りのご予約がありまして。御労足のところ大変失礼ですがご予約はされていますで…しょ、う、か…」
どうにか体裁を整えたエリオが婦人へと歩みよった。しかし婦人はそのエリオの前を通り過ぎるように歩みを進め、オーナーの正面で立ち止まる。
「やはり"ジェーン"お姉さまなのね」
「ええ、久しいわね、"エリス"」
硬く、しかしそれ故に確かな声で問うオーナー。ジェーンは再会のハグをすることなく、店内を見回し始める。
「ジェーン…、ジェーン・ライセル!? やっぱり"ディラシックの魔女"がウチに…、あっ」
カウンセルはその通り名を思わず口にし、そして慌てて口元をボードで隠す。
その様子をやはり気にもとめず、ジェーンは初見を語る。
「内装、従業員の規律は悪くない。けど教育はしておくべきよ。マナーとモラルの違いは指導して損はないわ」
その言葉を聞いて、オーナーは姉の立場を敢えて知らせる。
「助言感謝します、ディラシック商会 副商会長ジェーン・ライセル様」
「あら、エリス。魔女と呼んでもいいのよ」
「…冗談はよして」
オーナーのその言葉には笑うばかりで返答せず、ジェーンは付き人たる男性に目配せをする。
男性が近くの椅子一脚を引くと、その椅子にジェーンは腰掛ける。
「それで、どうしてここに?」
オーナーは敢えて先制するように質問を投げ掛ける。
「予約主として現地に前乗りしたのと、あとはちょっとした依頼について」
「予約と、依頼…」
カウンセルがリストボードをオーナーに渡す。ざっと目を通し、なおのこと不可思議なジェーンの意図に困惑と緊張を見せる。
「それにしてもこういう、劇場併設の料理店とでも言うのだったかしら。ショーとして見せ物を披露しつつ料理を提供する。こういう形態も悪くなさそうね」
奏者や歌い手がここにいないとはいえ、不躾に商人らしい物言いが飛び出す。
「失礼ながら、見せ物という表現は好ましくありませんな」
店の奥から足音が響くよりも前に、マスターの声が通る。
「ここは誇るべきアルスであり、芸術の国と詠われる文化の芽吹くところですからな」
「…あ、貴方は…どうして此処にいらっしゃるのか、いえ聞かないでおきましょう」
「そうですな。私はただのマスター、白髪の爺やに過ぎませんとも」
ほんの一瞬、ジェーンが眼を見開き腰を浮かせたが、大きく取り乱すことはなかった。
マスターも注目を集めるも、ただ微笑むばかり。
それを見守ることしかできないオーナーだけは唾を飲む他なかった。
「ある依頼を受けてもらうわ」
ジェーンは軽く首を振ると、端的にそう告げた。
「それは、」
「聞いてから考える、は無しね。これは王命よ。あなたたちには"復古祭"への参加及び実施を命じます」
その言葉にオーナーやマスター、エリオらを含めた全員がどよめく。
「王命?」
「はいそうですか、と言うとでも思ってるのか」
「"あの法"を無くさないでよくもぬけぬけと!」
「…やめなさい。本当に公王陛下の勅令なら不敬よ」
オーナーも一呼吸おいてからようやく制止の声をかける。この場にいる多くが"芸政不干渉の法"に少なからず反対する者たちだからこそ、王や政治に関わる貴族らに反骨心を抱いている。
控え室にいたフロムを含む奏者たちも何事かとホールに出てくる。
「いくら民主主義に胡座を掻いていたとはいえ、市民風情が陛下に抗えるとでも?」
オーナーの一声もむなしく、ジェーンの嘲笑いによって熱がぶり返す。
「なんだとッ!」
「コレドールの血筋の者がよくも言えるな!」
「あの法律だって元凶はあんたの家のせいだろうがァ! お貴族サマよォ!」
血気立つ皆の気迫に、ジェーンの付き人の男性が守るように一歩踏み出す。それをジェーンが制するよりも一瞬早く。
「やめなさい!」
オーナーの鋭い声が響きわたる。それは決して怒りの声より大きかったわけではない。それでも聞き慣れないオーナーの大声にジェーンさえも驚きの表情をみせる。
「ジェーンお姉さまがコレドール家だというだけで罪を問われるなら、私だって同罪よ。なぜなら私も"エリス・D・コレドール"なのだから」
あっと言う顔を見せる一同。熱はややしぼんだように感じられるだろう。
そうしてどうにかフロムが口を開く。
「オーナー、それは違います」
「あらどうして?」
「そ、れは…」
言葉にできず、それでもフロムは何かを伝えようとする。
そこに助けの一声を与えるのはマスター。
「ええ、違いますとも。オーナーとジェーンさんももう貴族ではありますまい。コレドール家も改易されて久しいでしょう」
ジェーンも付き人を下がらせると、怯むことなく言い放つ。
「そうよ。10年前のクーデターを企んだのは祖父や父に過ぎない。私はもうコレドールの娘ではないの」
注がれる油に対し、火が灯るよりも早く、オーナーが目線だけで制する。ゆえにまた声が鳴らされることはない。
「どうあれ復古祭は必ず行わなければならない。これは芸術を愛するあなたたちにとっても悪い話ではないはずよ」
「復古祭はかつて、この国で開催されていた芸術の大祭。それがまた見れるとなれば私は勿論、世界も注目するでしょうなぁ」
これは暗にアルスが"芸術の国"の名実を取り戻す機会であるのだと、マスターは仄めかす。
熱が静まるにつれ、また別の熱が灯り始めていく。
ふと、オーナーが壁時計を見やる。
「皆、もうすぐ予約されたお客様もやってくるわ。失礼のないように」
それぞれの返事がされるのを皮切りに、各々が持ち場に戻っていく。
そんな中、フロムは立ち止まったままにホールに残っている。
「オーナーはどう思いますか」
「それは私だけが決めることじゃない。フロムもどう思っているか、自分の中で考えてみて」
そう言い残してオーナー自ら、ジェーンらを案内し始める。
そうして一人残されたフロム。
悩みを隠しきれないままに、またフロムも持ち場に戻っていく。
第二章「過ぎ去れど 失せぬモノ」:03<失せぬ縁>




