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アルスの在り処  作者: 北織 依茶祢 & HN's
-第一章-
4/10

「芸術の国」:02




ーー大陸歴1969年 熾枝(レヴァテイン)の月末日



 フロムは店を出た後、熾枝の月らしい冬の名残のある小風に吹かれながら歩いていた。

 往く宛もなく歩いていれば、皮肉にも大人達の助言通りに火照っていた思考は冷たさを取り戻していた。


 ついで、身の着のまま飛び出しただけにそろそろ寒さが堪えてくる。


「さむいな。せめてコートだけでも、……はぁ…」


 自分の行動を思い出したのか、口にしたことを打ち消すように首を振る。

 吐き出した息は、白く染まった。夏が恋しくなるほどに弱々しい日の光がかろうじて路面を暖めている。


 民政時代、もとい"アルス民主国"時代に産業革命を経て、街全体で整備された道路はここの住民ならば誰しも記憶しているだろう。


 では空はどうだろうか。


 フロムはふと、空へと顔を向ける。

 澄みきった大気は、工業事業に特化した都市ではないからこその賜物だが、それを享受する住民に意識されることはない。


「……はっ…」


 やるせない、とは誰が造り出した言葉なのだろうか。


「オーナーもエリオさんも。行くのを許してはくれないだろうな」


 手にしていたあの新聞とは別に、もう一つ握り絞めていたビラを広げる。

 もうまもなく少年から青年へ変わるフロム。それ相応の握力で潰された薄っぺらな紙は、大半の部分が不規則な折り目で霞んでしまっていた。


「……」


 代わりといってはなんだが、視線を上げた先の路地の壁に打ち留めされた大判紙があった。

 ビラだったものを仕舞いつつ、冷めてしまった思考で、即席のポスターに仕上げられた大判紙に目を通す。



『今こそ"芸術の国"の名を取り戻そう!』

『非道にして不法、悪逆な法と政治をただときだ』『芸政不干渉の法は即刻撤廃すべき』『ここに我ら決集せん。祖国の名に誇り、そして自由を愛する心を持つ同志ら、その総力で以て変革をもたらそう!』『民意に重きを!』『邪を抑え、暴君の乱政を防ぐために!』『絶対王政に抗え!』『善性なる民主制を取り戻せ!』『アルスに希望を!』



 『我らに真なる自由を!』




 芸政不干渉の法に異議を唱える個人や組織は、法施行時から存在していた。

 今回の抗議デモを主導する"芸術の親友会"も、そういった団体の一つだ。

 ポスターには抗議デモ決行前の決起集会の日時と場所も載っている。フロムは数日後に迫ったそれを再確認したが、数刻前の確固たる決意を迷わせた表情をしているようだった。



 その姿を、通行人の一人が見つけた。

 すでに初老を迎え、還暦に至っているかどうかという出で立ちの男性。やや不思議そうに目をしばたかせた後、小さく頷いてフロムへ歩み寄る。


「これはフロム殿、どうされましたかな」

「ああ、マスターですか。いえ、ちょっと…」


 マスターと呼ばれた男性は、その灰銀の髪を押さえつつ、黄金の瞳を柔和に細めて微笑む。

 それだけで、冬の名残が薄らぐように思える。


「ふむ。行きつけの店が近くにありまして、少々寄り道していきませんかな」

「え、あっ……」


 マスターの言葉に、フロムは咄嗟に断りをいれようとした。だが、その言葉は続かない。マスターの絶妙な間の取り方と静かな微笑があるのだから。


「立ち話も悪くないでしょうが、腰を落ち着けて、温かいものでも飲みましょう。体を冷やしてはいけませんし。老体の楽しみに付き合うと思って、どうですかな?」

「そう、ですね」

「では行きましょうか。無論、支払いの心配も要りませんとも」


 マスターはそう言って歩き出す。フロムもその背中を追って歩き出した。




◇◇◇



 心地よくドアベルが鳴り、フロムとマスターは入店する。

 奥のカウンターにたたずむ店主らしき男性がその様子を見て、短く来客を歓迎する。


「いらっしゃい」

「ええ、また来てしまいました」


 マスターはれた様子で男性にあの微笑を見せ、カウンターではなく窓際のテーブル席へと歩みを進める。

 店内には歴史を感じさせる暖炉の火と、日のあたる造りのおかげで寒さはない。火の弾ける音が鳴っている。


「そうですね、当てましょう。フロム殿のお悩みを」

「…マスター、大したことじゃないですよ」


 向かい合って席について間も無く、マスターは口火を切る。

 注文さえする前に本題へと入るマスター。会話の舵取りを掴めないまま、フロムは曖昧に濁した。

 ふっ、と軽やかな笑みを浮かべたマスターは、変わらず余裕を含ませた表情に、ある年長者特有の悟りを混ぜ合わせた。


「なら、私の思うよりデリケートな話題のようだ」

「……どうでしょうね」


 どうも目を合わせ続けられず、一方の視線が外れていく。


「そう固くならず。ただの年寄りの道楽に付き合ってもらっているだけですからな。老いぼれに、いかなる未来だろうと歩みを妨げる役は不相応なもので」

「…たとえ、愚かに思える道だとしてもですか?」


 小さく失笑がこぼれた。

 いぶかしげに、視線が再び交錯こうさくする。


「いや失敬。人に見通せる未来は数少ないのがつねでしてな。…たとえ、若さゆえの選択であっても、私にあるのはお小言(・・・)を告げるか、あとはしわを刻んだ相談役になるぐらいですな」

「…………」


 沈黙の長さは心の距離を表す。あるいは言葉を受け止める余白の時間か。

 そうしてまもなく。店主自らが二人分のコーヒーセットを運んできた。その無愛想な表情に対して、丁寧な手付きでカップたちがテーブルに置かれる。


「ごゆっくり」


 トレーから全てを運び終えた店主は、これまた無愛想ながら小さな会釈の後、カウンターへと戻っていく。


 フロムに目線でうながしつつ、マスター自身もカップを手に取る。まずは少量で味わうと、静かにカップがソーサーに戻される。


「いつもながら良い腕です」

「……、…おいしい」


 マスターは少量のミルクを追加して、ミルクポットをフロムの方へ流す。

 フロムも少し、マスターよりは多くミルクを注ぐ。


「…もし、もしも(・・・)の話ですけど。どうしても我慢ならないことがあって、でも周りは引き留めようとしてくれるとき。マスターは、マスターならどうしますか」

「おぉ、難しいですな」


 深刻な顔を浮かべる片側に対し、もう一方はむしろ朗らかに目を細める。


「ですが。すでにフロム殿にとっての答えはあるようですな」

「いえ?」


 少年の舌にとってほどよく苦さが中和されたコーヒーを口に含むが、苦味がなくなったわけではない。

 マスターは、セットに含まれる甘味のカップケーキをフォークでつまむ。この二つが至極自然に共和されるのは店主の成す一つの芸術だ。


「引き留めてくれる(・・・)。それはフロム殿を想ってのことだと。相手を、不器用ながらも理解しよう、と。オーナー殿やエリオ殿だからこそ、一辺倒ではなく踏みとどまるのでしょうからな」


 老紳士らしく、お茶を濁すのではなく、珈琲を味わう。その意味は、まだ年若い者に伝わらなくとも構わない、大人のたしなみ。


「その上で私なら。きっと、」


 マスターはするりと手を組んで、あの微笑みを絶やすことなく続けた。


「"誰もが幸せな選択"をしますな」

「…誰もが……。…それは理想論なのでは?」


 暖炉の火は揺れる。その揺らぎに二人の顔が照らされている。

 それでも繰り出される言葉に揺るぎはなかった。


「理想といえど、決して不可能にしてはいけませんな。理想を届かぬ高み故の絶望だと諦めたフリをして、仕舞いには諦めてしまう。そんな大人の()を笑ってやれる人に、なってほしいばかりですよ」


 言い終えて、マスターは壁掛けの時計を見やる。


「どうやら約束の時間には間に合いそうです。すみませんが、一足先に店に戻ります。いつもの仕込みとがあるもので」

「なら、自分も一緒に戻ります。…マスターのおかげでやることが分かった気がします」


 フロムは、マスターのペースに合わせて味わいきる。少々、はやる気持ちもあるのか、和やかさとは違うが、それでも店を飛び出したときとは変わった。


 そうして、二人は店から出る。


「また来ますな」

「…ごちそうさまでした」


 その御礼の言葉は決して、珈琲と甘味へのものだけではないようだった。

 だからだろうか。その言葉は自然に思えた。

 心地よくドアベルが鳴った。








 フロムが店を飛び出して、幾らか時間が経ち。オーナーやエリオの待つ店には、他の従業員らも出勤し始めていた。

 奏者、料理人、接客係、清掃員。誰しもがこの店に必要な存在で足らんと自ら集うのだ。


「オーナー、マスターが戻りましたよ」

「あら。なら…」


 料理長の"ユルド"がオーナーに声をかける。その声に応じて、オーナーは店の扉へ目を向ける。


「これはこれは…お待たせしましたかな。オーナー」

「いいえ、ちょうどいいぐらい。それに」


 マスターが丁寧な手つきで扉を開け、店内に戻ってきた。オーナーが視線を移せば、その背にはくだんの少年がいる。


「…ただいま、戻りました」

「ええ、今日もよろしく頼むわ、フロム」


 皆が働く音に混ざりながら、またフロムも戻ってきたのだと感じる。だからこそ、この場所を守りたいと思う。


「…はい!」


 どうにも、この物語は始まったばかりのようだ。




第一章「芸術の国」:02.<如何なる火でも>

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