表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルスの在り処  作者: 北織 依茶祢 & HN's
-第一章-
3/10

「芸術の国」:01



ーー大陸暦1986年 熾枝(レヴァテイン)の月末日




 昔々、或いは遥か未来の時代。

 アルス公国はおよそ20年前まで、アルス民主国として、そして"芸術の国"として栄えた。否、栄えていた、が正しいのだろう。


 人は、国民は、アルスという国家は民主主義では存続できなかった。かつてのアルス公国の名を取り戻した王政主体の社会で、アルス公国は再び、緩やかながら纏まりを見せていた。

 それはアルスに限らず、幾つかの民主主義国家崩壊の狼煙にすぎなかった。

 政治史逆流の始点となった地は今、社会秩序の復興とは裏腹に、ある一角においては影を落としていた。


 例えばだ。

 それはこのような、音楽をともにする者達のように。

 音楽を奏でる者と、それに聴き入るお客様の集っていた、街の喫茶と演奏の場を兼ねた店。時には劇団が一時の間、演劇を披露する会場ともなる街の集い場。


 開店前にお客様がいないのは当然だが、関係者がいるのは自然だ。



 開けたホールで、椅子に浅く腰掛けた青年が、ギターを点検している。今日こんにちでもアルスの民は、商売道具、という言い方は嫌う傾向にあるが、そうでなくとも、手入れは何かと必要だ。











 そして、少年と青年の狭間の男子おのこが、心に抱えるものがあるのもまた、なんら不可思議ではない。


「この国は間違えています。芸術の国の名折れです。こんなときこそ芸術こそが人を、世を、心を救えるというのに!」


 背を向けたまま、この場にいるもう一人の女性がやおらに声を出す。

 スタッフルームにて、声は響く。


「はぁ、いいですか。…"フロム"、この国の原則は?」

「"芸術は(まつりごと)に関与されず、又干渉するすべとしてあってはならない"。芸政不干渉の可笑おかしな法です、オーナー」

「…それでも法は法なの。芸術と人の過ちを未然に抑えるための、ね」


 オーナーである女性は、振り向きながら、あえて無色な声音こわねで告げる。

 諭すのではなく、事実として。


 それでも。


「それでもっ、音楽が縛られたままなのは! この店だってこのままじゃあいつかは!」


「それは自分の音楽にのせなさい、というのも今はダメだったわね。…コレドール家の娘として謝罪するわ」

「…いえ、オーナーのせいでは」


 オーナーが軽く頭を下げれば、フロムはやはり感情の行き場を失ったようだ。静かな静寂、しかし裏腹には乱れたままの思いの丈がある。


「……少し、頭を冷やしてきなさい。感情は、ままならないだろうけれど、とりあえず落ち着くのがいいわ」

「…ッ、……、はい、そうします」


 フゥー、とフロムは重い息を吐いてから、失礼します、と告げてオーナーに背を向ける。


 扉が閉まり、一人になるオーナー。

 もとより、そうある他なかった筈の身だというのは知られる必要のない。


 それでも。


「…そうだとしても、ままならないのは想いだけではないのよね」




◇◇◇



 短い廊下を移動して、再度、扉を開いてホールへと移動したフロム。


「おー、フロムか。おはよ……ぉう?」


 ギターケースの蓋と扉の閉まる音が重なる中、普段の彼らしからぬ気配を見て、ホールにいた青年が静かに腰を上げる。


「んー、気ぃ張ってるなぁ」


 微かな陽光のみが射し込むホール。

 青年は大部分の明るさを遮っていた立役者に休みを与えてやる。幾つかのカーテンが開かれ、その内の一つの両開きの窓も開放される。

 春のそよ風というには、まだよそよそしい感触の小風が室内にも吹き入れる。


「まだちょっと寒いが、丁度いいか」


 ほら座れ、とガタガタと音を立てて、青年は少しばかり左手を庇いつつ近くのテーブルから一脚を拝借する。

 並べられた椅子に、フロムはため息を吐きつつ、座り込む。


「ありがとう、ございます。"エリオ"さん」

「ずばり、オーナーに頭冷やしてこいとでも言われたところだろう?」


 エリオは腰掛けながら応じる。

 風のおかげか、少しばかり力を抜いたフロムはゆっくりと口を開く。


「えぇ。…聞こえちゃってましたか」

「いやいやなんとなく、さ。そうじゃないかって」


 いかに音楽や劇の催される場とはいえ、大して距離もない廊下に加え、扉を幾つか挟んだ程度の遮音性能はたかが知れている。

 ましてや己のあの声の大きさぐらい、分かっているのだが、フロムにとってその物言いはありがたかった。


「…エリオさんはどう思ってますか、あの法律のこと」


 気にしないようにしてきたフロムでも、他人の意見を聞かずにはいられない。


「芸政不干渉の法なら、行き過ぎってのが正直なところかな」

「エリオさんも完全には否定派じゃない、…そうですか」

「言論、いや表現の自由かな。ともかく、"人の為にない法とは法ではない"、なんて国王様だって知ってるだろうさ」


 右の人差し指を立てながら、エリオはある一説を引用する。


「じゃあどうして、どうしてこんな非道な法と行いが許されるのでしょうか……ッ…」

 

 フロムはそう言って、知らず知らずに握りしめていた新聞を広げた。

 ぴたりと風は止み、薄っぺらな号外紙は飛ぶことなく、エリオに手渡される。


「…ん。これは…」


 芸政不干渉の法施行後に度々、"不適切な"表現をしたとして刑罰が与えられるようになってから10年近く。

 そうして長らく公国に陰を生んできた法律は、この時において、より不穏な前例を歴史に刻み込んだ。


「『かの法施行後、初の重禁固刑』か。ついにというか、ここまでよくもった方か?」


 エリオは、ちらりとフロムを見やるが、怒りが再燃してきたのか、口を固く閉じたままだ。



『……現代画で名高いガラリ伯画。半年前に公開された「民の嘆き」の作画思想に法令違反が認定され、逮捕となった。また刑罰は従来の罰金や短期拘置等の軽い刑罰ではなく、法施行後最長の執行猶予なしの懲役十二年判決となった。今後、取締り強化や厳罰化の可能性もあり、注視していきたい……』



 かの法律に完全反対派でないエリオでさえ、真綿を絞める音を聴いているように感じる。


公国(アルス)は、…芸術の国は変わっていくんだな…」


 エリオは最早、少年でない。だからフロムの怒り、いや本質は不安だろうか。その気持ちには共感はすれど、同感というわけではない。

 いわば大人の酷さ、つまるところは諦めに近い。

 

「まったく、ハハハ、ハハ、…。なにやってるんだろうな、俺たちの国は」


 乾ききった笑いだ。同時に、誰へとも分からぬ誰かへの渇いた願いだった。


「子どもだって分かる話だ。人が一度手にしていた自由は、大義のあるなしに関係なく、奪われる(・・・・)のはヤなもんで、」


 そこでふと、エリオは目を伏せる。


 たった五年(・・・・・)

 目の前の少年(フロム)と、合理性を捨て(エリオ ・ ジ)切れない大人(ュリエーテル)(ちがい)

 エリオは振り切るように、首を横に振って続ける。


「…そして君のように、未来ある若者が苦しみに自ら(・・)飛び込むように強いる。行くつもりだったんだろう? 抗議デモに。でも止められた」

「やっぱりお見通しですか。エリオさんには敵わないなぁ」

「話をすり替えるんじゃあない」


 鋭く声が返され、フロムの愛想笑いが崩れていく。ただただ、哀しみをこらえた顔へと。


「…だって、間違ってるじゃないですか。人の創造性と自由な表現を縛って、抑えつけて。枷さえ甘いと言わんばかりに未来さえ奪う、いや奪い続けていく(・・・・・・・)んです…。それを変えたいと、ただしたいと、間違っていると叫ぶのは、間違いでしょうか」

「……」


 その言葉はまばゆいとも、危ういともとれる。


「…はぁ、…どーして大人って奴はイヤな性格してるんだろうな」

「エリオさん…?」


 幾つもの意味で、見ていられないのだから、自然とエリオの視線はフロムから外れていく。

 心底嫌そうに、言葉を滲ませるように口を開いた。


「一人じゃ無駄さ」

「一人じゃありません。志を同じくする仲間が、トランペットの"トーラン"さんや"ペーター"さんたちだっています!」


 デモに参加する者らは確かに光と熱をもっている。それは紛れもない、エリオの正直な所感であった。


「"あれ"が? 本気でそう思うのか」


 だが、どんなに強い衝動も、役に立たない輝きと燃え盛るだけではやはり、手に負えないとしかいえない。


「あんな烏合の衆にはどんな栄誉も訪れない。まず、やることが間違ってる」

「…っ、もう失礼します! やっぱり自分の信じるところを往くことにします」


 先ほどオーナーにもしたように、フロムは礼節だけは守って一礼をする。そしてエリオに背を向け、振り返ることなく歩き出す。


「あ、おい待てよ、フロム!……まだ話は終わってない、待ってくれ」


 今度は扉が閉まる音だけが響いた。




 まもなくエリオが嘆くよりも前に、フロムが出ていった扉とは逆方向の扉が静かに開閉する。それはフロムがホールへと入ってきた扉で、店の奥につながる扉でもあった。


「相も変わらず、言葉足らずね」

「…オーナー、聞いてましたか」


 後ろ手で器用にドアノブをいじりつつ、エリオへと視線を合わせるオーナー。一瞬、フロムの出ていった扉に視線を向けるが、すぐにエリオの方へ近づいてくる。


「あら、お互い様でしょう?」

「そうですね。…伝わってないんですかね」


 そうね、と同意する声が返ってくる。


「だから言ったでしょう。言葉が足りない、と。それに貴方がまだまだ若いのもあるかしら」

「オーナーだってお若いでしょうに」

「レディに言うことじゃないわね。そういう貴方の無思慮な言動もあるし、あの子に全てと向き合いきれというのも酷な話よ」


 大人と子ども。あるいはそのどちらでもない人。

 この場に残っているのは大人だけだ。


「それに貴方の伝えたいこと、誤解されてる気がする。尻込みと諦めの混じったのが多くの大人たち(私たち)だもの。せめて嫌な後悔だけはしないようにするのがいいわ」

「経験談ですか?」


 エリオは聞いてから、しまったという顔をする。少なくともオーナーに問うべきことではなかった。

 それでもオーナーはそこには構うことなく、淡々と告げる。


「いいえ」


 エリオはほっとしつつ、続く言葉を待った。

 そうして放たれた言葉は、定型文のようで、全く異なる意味をもちえている。


「箱入り娘でも分かる、一般論よ」






第一章「芸術の国」:01.<嘆き>

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ