第八話 妖精とのお約束
家に突然やって来た異形の神々は、様々な姿形をしていた。
顔と手足が何本もある者。
象のような長い鼻と牙をもっている者。
昆虫のような姿形をしている者。
それらの神々が代わる代わるに戸を叩き、窓から中の様子を覗き、喚き立て煽り立て、そして足を踏み鳴らしているのか地響をさせていたので、ボクはもう、生きた心地がしなかった。
怯えて震えるボクを見かねたのか、竈の中からサラマンデルが這い出てきてボクの足元まで走ってくると、
「しー、怖くない怖くない。黙っていれば大丈夫。
アイツらに家の結界は壊せないし、そのうち衛兵がやってきて追い払ってくれるよ。」
と、教えてくれた。
衛兵?
そんな者がこの家にいるのか?
ボクがそんな疑問を持った時、家の外から異形の神々以上に恐ろしい咆哮を上げながら、何やら大きなものが地響を立てて家に近づいて来るようだった。
そして、それを見た異形の神々は震え上がって逃げ出すのだった。
「おのれ、おのれっ!
バンギトグルスの大龍のお出ましかっ!」
「逃げねば口から吐く炎で焼かれる。
冷たい爪で引き裂かれ、硬い牙で噛み砕かれる。」
「生娘よっ!
覚えておれよ! 必ずお前を喰ろうてやる。
その柔らかい乳房に噛みつき、そそり立つ怒りの肉をお前に突き刺して、我らの子供を何人も産ませてやるから、そのつもりでいろ!」
異形の神々はサラマンデルが言った衛兵を見て恐れをなして無念の言葉を吐いた。
そして去り際に口々にこういうのであった。
「7階7番目の部屋の主に我らのことを知られてはならん。」
「7階7番目の部屋の主に今日の事を知られてはならん。」
「ああ、恐ろしい。恐ろしい。」
やがて、その声が聞こえなくなると、家の外は、シーンと静まりかえっていった。
「あ、アイツら逃げたのかな?
もう、大丈夫かな?」
ボクがサラマンデルにそう尋ねると、サラマンデルは親指を立ててニッと笑った。それでボクは安全だと思って、フーっと深い溜息をついた。
それから、先程起こった出来事を思い出して、怖くなってしばらくの間は、その場から立ち上がることも出来ずにすすり泣いてしまった。
これでボクは迷宮ジジィが「誰が来ても家に入れてはいけない。」と命令した理由を理解したのだった。
あんな恐ろしいモノがこの迷宮の中にいたのか。
見たことも聞いたこともない存在を間近に見て、この迷宮の恐ろしさの深淵を見た気がする。
多くの優れた冒険者達が何度徒党を組んで挑もうが、人間の身の上でこの迷宮を攻略するのは不可能なのだろう。そう悟った。
でも、そんな連中を寄せ付けない結界や追い払ってしまう衛兵を配下に従えている迷宮ジジィとは、本当に何者なのだろう?
ボクの頭は恐怖と謎に包まれて、混乱状態だった。
しばらくの間は、何も出来なかったんだ。
しかし、そんなボクにさらなる恐怖が襲いかかる。
急に家中が振動し始め、家の中に隠れていた妖精達が恐ろしい声を上げて騒ぎ始めた。
「何ということだ!
新しいエイルは約束を守らないぞっ!」
「バンギトグルスの大龍に対価を支払わないっ!
命を救って貰ったクセにっ!!」
「慰めてくれたサラマンデルにも対価を支払わないっ!」
「なんたる事だっ!
なんたる事だっ!
新しいエイルは我らのことを軽んじているぞっ!」
「可愛い見た目とは裏腹に腹黒い女だっ!
我らをタダ働きさせるつもりだっ!!」
家中に妖精達の恐ろしい喚き声が響き渡り、バンギトグルスの大龍は、家の壁を叩いたり、揺さぶったりしながら、恐ろしい咆哮を上げ始めた。
さらに異形の神々が来た時にはボクの足元で優しく慰めていてくれたはずのサラマンデルの顔まで険しく恐ろしい顔になって怒り始めるのだった。
「なんたる事だっ!
なんたる事だっ!
我らに対価を払わぬなら、契約は終了だ!
我らはお前を引き裂き、犯し、殺さねばならんっ!!」
サラマンデルがそう叫ぶと、他の部屋からも妖精達が走り寄ってきた。
ボクは何のことか分からない。彼らが何を言っているのかも分からない。
「待って!
対価って何のこと?
ボクはどうしたらいいの?」
怯えながら尋ねるボクに向かって、妖精達は容赦がない。やがてワラワラとボクの体に登ってきて、服の上から噛み付いたり、服を引き剥がし始めた。
「や、やめてっ!
教えてっ! ボクはどうすればいいの?」
あっという間に服を引き裂かれ、全裸にされたボクは怖くなって妖精達を手で払いのけると、隣の部屋に逃げ込んでドアに鍵をかけた。
「ああっ! ボ、ボクはどうしたらいいの?
助けてっ! 迷宮ジジィっ!!」
泣き言を言いながらドアに重しをするために自ら背もたれ座り込んだ。
いくら妖精達が沢山いてもこれならば、開けることが出来ないはず。この間にどうすれば妖精達に許して貰えるのか考えるしかない。
そう思った次の瞬間、ドアの外から「新しいエイルはドアに閂をかけた! せーので突き破るぞ!」と妖精達の声が聞こえたかと思うと、信じられないことに妖精達の体当たり一つでドアごとボクの体は跳ね飛ばされて、妖精達の侵入を許してしまった。あんな小さな体なのに、人間など足元にも及ばない怪力をしている。
跳ね飛ばされたボクは慌てふためき、思わず
「支払うっ! 支払うっ!
対価を支払うっ! 何が欲しいっ?」と叫んだ。
するとサラマンデルがボクに向かって指差しながら訴えた。
「惚けるなっ! ○×◆★Z□から聞いたはずだぞっ!
見たはずだぞっ!
美味しい美味しい角砂糖はどうしたっ?」
か、角砂糖?
そ、そういえば迷宮ジジィは妖精に仕事をさせた後には必ず角砂糖を渡していたな。
ボクは藁にもすがる思いで立ち上がると、テーブルの上にある角砂糖が入った瓶を開け、中から一つ角砂糖をとってサラマンデルに渡した。
すると恐ろしい顔をしていたサラマンデルは破顔一笑。
「はははっ!
砂糖だ、砂糖だっ!!」
と大喜びして角砂糖に抱きついた。
ボクはサラマンデルの急変に呆気に取られていたけれど、すぐに家の外にいるバンギトグルスの大龍にも角砂糖をあげねばならないことに気が付き、窓を開けて角砂糖を一つ差し出した。
すると、窓の外からボクの体よりも大きな手が伸びてきて、角砂糖一つ受け取ると、歓喜の咆哮を上げて何処かへと立ち去っていくのだった。
その様子に呆気に取られていたけれど、しばらくしてから家の中を見渡すと、家中に湧いて出ていた妖精達は、すっかり姿を消して静かになっているのだった。