私を殺したのはあなたですか?〜死に戻りの人質姫はそれでも冷酷夫とやり直したい〜
(どうしてこんなふうになってしまったのかしら)
ユレイヤは小さくため息を吐く。
王子妃とは思えないほど埃っぽい小さな部屋に、みすぼらしいドレス。ユレイヤが声をかけたところで侍女も使用人も、ひとりも駆けつけてはくれない。
頼みの綱であるはずの夫リヴェルトはというと、ユレイヤとは別の棟で暮らしており、顔を合わせることすら滅多になかった。
(仕方がないわよね。私は所詮“人質”に過ぎないのだし)
窓の外を眺めながら、ユレイヤはそっと胸を押さえる。
ユレイヤは元々、隣国ウクレヴィヌの末姫だった。ウクレヴィヌとここトゥワイリヒは長年に渡って激しく争っており、昨年ウクレヴィヌの敗戦が決まった。これによりウクレヴィヌは多額の賠償金を支払うことになったのだが、トゥワイリヒはそれだけでは納得しなかった。平和への担保が必要だと――そのため、ユレイヤが第三王子であるリヴェルトに嫁ぐことになったのだ。
妻とは名ばかりの人質の姫君。元敵国の王族なのだから、当然大切にされるはずがなかった。
『リヴェルト様が体調をお崩しになった! ユレイヤ様が毒を盛ったに違いない!』
『ユレイヤ様ったら、自分のことぐらい自分でできないのですか? ウクレヴィヌって、本当につまらない国ですのね』
『もし万が一リヴェルト様と寝室を共にしたら、眠っている間に刃物で刺し殺そうとするに違いない!』
『あなたさえ……! あなたさえいなければ、あたしがリヴェルトの正妃になれたのに!』
これまで浴びせられてきた数々の罵詈雑言を思い出しながら、ユレイヤの目頭が熱くなる。否定も抗議も、どんな言葉も、この国の誰にも届くことはなかった。
「ユレイヤ、準備はできたのか?」
と、リヴェルトがユレイヤの部屋へとやってきた。
眩い銀の髪に、神秘的な紫色の瞳。女性と見まごうほどの中性的な美しい男性で、年齢はユレイヤの四つ年上の二十一歳の青年だ。
「いいえ。申し訳ないことに、公務に適した着替えがなく、なにも準備ができておりません」
「……そうか」
リヴェルトはため息を一つ、使用人たちを呼び寄せる。すると、不機嫌な表情をした侍女たちが数人、ユレイヤの元へとやってきた。
彼女たちは無言のままユレイヤの身支度を進め、終わると同時にため息を吐きながら去っていく。
「ありがとう」
ユレイヤがそう声をかけたものの、振り返るものは誰もいなかった。
「ユレイヤ、行くぞ」
「はい、リヴェルト様」
準備が終わると、ユレイヤはリヴェルトに連れられ馬車へと乗り込む。
人質に過ぎないとはいえ、二人は夫婦だ。このため、ユレイヤはリヴェルトに割り当てられた公務に同席する必要があった。
「その後、変わりはないか?」
「……はい。リヴェルト様もお元気そうで何よりです」
馬車の中で、二人は当たり障りのない会話を交わす。互いのことをほとんど知らないから、どうやっても会話が弾まないのだ。
(もっと仲良くできたらいいのに)
自分は人質で、形だけの夫婦だとわかっている。だが、リヴェルトはユレイヤにとってこの国で唯一頼れる男性なのだ。普通の夫婦のようにはなれずとも、せめてもう少し仲良くなりたい。
「……少し寄り道をしてもいいか?」
「ええ、もちろん」
ユレイヤに許可を取ってから、リヴェルトが御者に声をかける。
二人が立ち寄ったのは、古い小さな神殿だった。どんな神を祀っているのか、どうしてここに立ち寄ったのかはわからないが、空気が澄んでいて神聖な感じがする。
リヴェルトはユレイヤと一緒に礼拝堂に入ると、静かに手を合わせ、何かを熱心に祈りはじめた。よほど大事な願いなのだろう。ユレイヤも彼にならって手を合わせる。
(私の願い事)
なんだろう?と考えた時に、リヴェルトの姿が目に入った。
(――最初から、やり直せたらいいのに)
こんな冷え切った夫婦ではなく、互いを思いやれる温かな夫婦に。
姫として、王子妃として扱われたい、敬われたいだなんて贅沢は言わない。ただ、リヴェルトだけはユレイヤを妻として認めてほしい。叶わぬ夢だとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。
「……行こう」
「ええ」
リヴェルトに促され、ユレイヤは馬車に乗り込む。……と、リヴェルトを乗せぬまま、唐突に馬車が走り出した。
激しい揺れで座席へ頭を打ち付け、ユレイヤの瞳に涙が浮かぶ。
「なっ……! 馬車を止めて!」
そう叫んだものの、馬車の運転席には人が乗っておらず、馬は暴走する一方だ。進行方向の先には崖が待ち構えており、ユレイヤから血の気が引く。
(嫌……)
ふと見れば、リヴェルトはユレイヤが馬車に乗り込んだ位置から微動だにせず、冷たい表情でこちらを眺めていた。これは彼が仕組んだことなのだろうか? 事故に見せかけて、ユレイヤを殺したかったのだろうか? それほどまでにユレイヤが邪魔だったのだろうか? ユレイヤはやり直したいと願っていたというのに。
(こんなの、あんまりだわ)
ユレイヤがギュッと目をつぶる。大きく体が揺れ傾き、ついで浮遊感に襲われた。
(ああ、私死んじゃうのね)
ガシャーンと馬車が地面に叩きつけられる大きな音とともに、ユレイヤは意識を失った。
***
「ユレイヤ様……ユレイヤ様! 到着しましたよ」
「……え?」
誰かに声をかけられ、ユレイヤの意識が浮上する。
(到着した? あの状態からどこに着いたというの?)
待ち受けているのは天国か地獄か……ユレイヤがおそるおそる目を開けると、目の前に幼馴染の騎士チャールズがひざまずいていた。
「あなた……どうしてここにいるの?」
「寝ぼけているんですか? 道すがら、ずっとお側にいたでしょう? もっとも、ここから先はお供できませんが」
チャールズは申し訳なさそうに表情を歪める。ユレイヤが視線を上げると、そこはトゥワイリヒの王城の入口だった。
身につけているのは真っ白な花嫁衣裳――母国で用意した美しいドレスだ。ユレイヤがこのドレスを着たのは一年前の輿入れの際が最初で最後。
(もしかして私、過去に戻ったの?)
ドクン、ドクンと心臓が鳴る。体にはまだ、先程感じた恐怖が強く残っていた。
「ユレイヤ様、大丈夫ですか?」
チャールズが尋ねる。よほど顔色が悪いのだろう。なんと返事をすればいいかわからず、ユレイヤはギュッと胸を押さえる。
「ユレイヤ」
と、城の方から自分を呼ぶ声が聞こえた。聞き慣れた声音――リヴェルトのものだ。
(どうしてここに?)
一年前、彼は自分を迎えになど来なかった。初めて顔を合わせたのは夕食の席のことで、そこでユレイヤはリヴェルトに毒を盛った疑いをかけられたのだ。リヴェルトが体調を崩したといっても、軽い腹痛によるもので、毒のはずがない――完全ないいがかりだった。けれど、ユレイヤはそのせいで一年近くもの間、離れに幽閉されていたのだ。忘れられるはずがない。
「ユレイヤ……だよな?」
「そうですが」
初対面だから、ユレイヤの顔を知らないのは仕方がないことだが、まるで化物を見るような表情をされては悲しくなる。リヴェルトはユレイヤの手を取り立ち上がらせると、ギュッと力強く抱きしめた。
「え?」
「よく……よく来てくれた」
あまりの出来事にユレイヤは戸惑う。
おかしい。リヴェルトはこんなことをする人間ではない。
というか、彼は前世で自分を殺した張本人ではないか。ユレイヤはやんわりとリヴェルトを押し返しつつ「歓迎いただけて嬉しいです」と返事をする。
リヴェルトに促されるままに、ユレイヤは城内へ入った。
「ここが君の部屋だ」
「私の? ……ここが、ですか?」
ユレイヤは驚きのあまり息を呑む。
案内された部屋は、リヴェルトの暮らす棟にある大きな一室だった。調度品も上品で美しく、母国にいた時と同じかそれ以上に豪華だ。
「けれど、私は敵国の姫なのに」
「だが、今日からは俺の妻だ」
リヴェルトはそう言ってユレイヤの手を握る。
「君は王子妃だ。なんの引け目も感じる必要はない。ユレイヤにはここで、何不自由ない生活を送ってほしい。それに、俺たちが仲良くしていると思われたほうが、両国の平和につながるだろう?」
「リヴェルト様……」
ユレイヤは思わず涙が滲みそうになった。
前世でかび臭い小さな部屋に案内された時、自分は幸せになってはいけないと感じた。敗戦国の姫君として、惨めに生きなければならないと、現実を突きつけられた気がしたのだ。
「ありがとうございます」
「いや、当然のことだ。俺達は夫婦なのだから」
リヴェルトが言う。ユレイヤはリヴェルトに見つからないよう、そっと涙を流した。
ユレイヤの待遇は前世とはまるで違っていた。部屋に加え、世話役の侍女が三人つけられ、ドレスや宝飾品が定期的に贈られてくる。
最初の食事でリヴェルトが体調を崩すこともなかったため、二人は毎日食事を一緒にとることになった。
「なにか不自由していることはないか?」
リヴェルトは毎日、ユレイヤに向かってそう尋ねた。主人であるリヴェルトがユレイヤを気遣っているのに、使用人が冷遇できるはずもなく。誰かにひどい言葉を浴びせられることも、放置されることもない。
「いいえ、なにも。本当に満ち足りた生活を送らせていただいております」
「……そうか」
ユレイヤの返事を聞いて、リヴェルトはホッと胸を撫で下ろす。
(もしかして、神様が私の願いを叶えてくださったのかしら?)
前世とのあまりの違いに、ユレイヤはいつの間にかそんなことを考えるようになっていた。亡くなった日に訪れた神殿で願ったこと――もう一度やり直したいという切なる願いが叶ったのだとしたら、神に感謝せずにはいられない。
しかし、前世で最後に見たリヴェルトの表情を思い出すと、ユレイヤはやりきれない想いに駆られてしまう。
(あの日、私を殺したのはやっぱりリヴェルト様なの?)
もしそうだとしたら、今世でも同じことが起こらないとは限らない。
それに、ユレイヤを取り巻く環境のすべてが変化したわけではなかった。
「あなたがユレイヤ様? ……なによ、貧相な女じゃない」
先触れもなくユレイヤの部屋にやってきたのは、リヴェルトの従姉妹である公爵令嬢のチェリーヌである。
彼女は前世でも度々ユレイヤの元を訪れ、暴言を吐き、リヴェルトと離婚をするよう求めてきた。『あんたさえいなければ、自分がリヴェルトと結婚できたのに!』と何度も泣き叫ばれ、その度にユレイヤは対応に苦慮したものだ。
「チェリーヌ様、おやめください。このような対応をされては、私どもまでリヴェルト様に叱られてしまいます」
「なによ! リヴェルトの結婚相手が見たいと思うのは当然でしょう? それに、どう考えたってあたしのほうが格上。リヴェルトの相手にふさわしいじゃない! あなたたちもそう思うでしょう?」
孤独だった前世とは違い侍女たちがユレイヤの味方をしてくれたが、チェリーヌはどこ吹く風といった様子。他の待遇は劇的に改善されたが、チェリーヌばかりは仕方がないと、ユレイヤがため息をついた時だ。
「ユレイヤを困らせるのはやめろ」
部屋にリヴェルトがやってくる。チェリーヌはグッと歯噛みをした後、ニコリと微笑んだ。
「困らせるだなんて、そんな……あたしは挨拶に来ただけよ。あたしにとって大切なリヴェルトの妻だもの。仲良くしたいのは当然じゃない?」
チェリーヌはそう言うと、ユレイヤの手をギュッと握る。
「よろしくね、ユレイヤ様」
チェリーヌの爪が喰い込んでとても痛い。ユレイヤは顔をしかめつつ「よろしくお願いします」と返事をした。
その日以降、チェリーヌは頻繁にユレイヤの部屋を訪れるようになった。
チェリーヌはリヴェルトが駆けつけないよう、ごく短時間、表向きは仲のいい雰囲気を装い、ユレイヤだけに聞こえる小さな声で恨み言を吐いていくのだ。
「あんたなんか、リヴェルトにふさわしくない」
「あたしがリヴェルトの妻になるはずだったのに」
「どうして平気な顔してここにいられるわけ? あたしなら恥ずかしくてすぐに国に逃げ帰るけど」
「さっさと消えてしまえばいいのに」
ヒステリーに泣き叫ばれた前世よりは幾分マシだが、聞いていて決していい気はしなかった。
(でも、私が我慢すれば済む話だもの)
リヴェルトは言えば助けてくれるかもしれないが、こんなことで手を煩わせたいとは思わない。もう十分恵まれているとユレイヤは思った。
「それにしても、敗戦の償いがこんな貧相な姫君だなんて、あなたの国って本当に大したことないのね」
ピクリ、とユレイヤが体を震わせる。母国を馬鹿にされ、平気でいられるはずがない。けれど、ここで反論をすれば相手の思う壺。大事にされ、新たな戦争の火種になるかもしれない。
「まあ、そうよねぇ。両国になにかあった時にいつでも殺せる――それがあなたなんだもの。ユレイヤ様はリヴェルトの妻じゃなくて、ただの人質。どうせすぐ死んじゃうの。そしたら、リヴェルトはあたしがもらってあげるから、安心してよね」
ユレイヤの瞳に涙がたまる。こんなことで泣いてたまるか――そう思うものの、悔しくて惨めでたまらなかった。
「――いい加減にしろ」
と、頭上で声が響く。顔を上げると、そこにはリヴェルトがいた。
「え? リヴェルトったら、なんのことを言ってるの?」
「とぼけるな、チェリーヌ。小声でユレイヤのことを罵っていただろう?」
リヴェルトがチェリーヌの腕を掴み、ユレイヤから遠ざける。チェリーヌは忌々しさを押し隠し、無理やり笑みを作った。
「別にいいじゃない? このぐらい、言われて当然でしょう? だってあたし、嘘は何一つ言ってないもの」
「いいわけないだろう! ユレイヤは俺の妻だ。馬鹿にすることは許さない」
リヴェルトの言葉に、ユレイヤの瞳から涙がこぼれる。胸がたまらなく温かかった。
「妻って……待ってよリヴェルト! リヴェルトだって本当はあたしと結婚するのを楽しみにしてたでしょう? それなのに、この女のせいであたしとの結婚が流れたんだもの! 内心ではこの女を疎ましく思っているはずで」
「俺の気持ちを勝手に決めつけるな。言っておくが、俺がお前との結婚を楽しみにしていたことなんて一度もないぞ?」
「え……?」
チェリーヌの頬が恥辱で真っ赤に染まっていく。チェリーヌはわなわなと体を震わせつつ、大きく首を横に振った。
「そんな……この女に気をつかって嘘なんてつかなくてもいいじゃない? 敗戦国の惨めな女を妻にもらったって、なにもメリットがないし、あたしのほうがよっぽど……」
「ユレイヤは惨めなんかじゃない」
リヴェルトが真剣な表情でチェリーヌを睨みつける。チェリーヌは「え?」と呟きつつ、顔を歪めた。
「あはは……リヴェルトったら、変に庇ったらかえって可哀想よ。この女はただの人質。いつでも殺せる哀れな女なんだから」
「ユレイヤは俺の妻だ。そんなことは俺がさせない。チェリーヌ、これ以上侮辱するのはやめろ」
リヴェルトの声音に怒気がこもる。チェリーヌはビクッと体を震わせた後フッと笑い、やれやれといった様子で首を横に振った。
「リヴェルトは優しいのね。きっと誰が妻でも、同じ対応をしたに違いないわ。もしもあたしが妻なら……」
「それはありえない」
チェリーヌの言葉を遮り、リヴェルトが言う。
「なんでよ!?」
「先程も言ったが、俺はお前との結婚を楽しみにしていたことなど一度もない。お前にはユレイヤほどの美しさも、強さも、優しさもないだろう? だから、俺がお前を選ぶことはありえない。ユレイヤにするように優しい言葉をかけることもない。わかったら、もう二度とユレイヤの前に現れるな」
「なっ……!」
チェリーヌは顔を真っ赤に染め、強く拳を握りしめる。しばらくそうして反論の言葉を探していたようだが、やがてチッと舌打ちを一つ、ユレイヤの部屋から出ていった。
「気づくのが遅くなってすまなかった」
リヴェルトはユレイヤに向かってそう言うと、ユレイヤをおずおずと抱きしめる。
「俺がもっとしっかりと気を配らなければならなかったのに」
「そんな……リヴェルト様のせいでは」
「俺のせいだ」
そう口にするリヴェルトはとても苦しそうだった。ユレイヤはリヴェルトを見つめつつ、そっと彼の髪を撫でる。
「助けてくださって、ありがとうございました」
「当然だ……俺たちは夫婦なのだから」
先程よりも強く、リヴェルトがユレイヤを抱きしめる。「ええ」と返事をしながら、ユレイヤはリヴェルトを抱きしめ返した。
***
それ以降、チェリーヌがユレイヤの元を訪れることはなくなった。
ユレイヤの生活は平穏そのもので、自分が敵国の姫であることを忘れてしまうほど。
(だけど、もうすぐあの日がやって来る)
ユレイヤは大きく深呼吸をする。
前世の自分が亡くなった日。リヴェルトとともに公務に赴く日が近づいている。
理由をつけて同行をしないという手もあるだろうが、王子妃として手厚い待遇を受けている今、割り振られた公務ぐらい、きちんとこなしたいとユレイヤは思う。
「ユレイヤ、準備はできたか?」
「ええ、リヴェルト様」
ノックとともに、夜会服に身を包んだリヴェルトが部屋に入ってくる。ユレイヤはリヴェルトを出迎えると、満面の笑みを浮かべた。
「リヴェルト様、素敵なドレスをありがとうございました」
「いや……妻にドレスを贈るのは当然のことだ」
リヴェルトはそう言うが、ユレイヤはついつい『当然のことじゃない』と返してしまいたくなる。
前世ではリヴェルトからドレスを贈られることも、侍女たちが自ら支度を手伝ってくれることもなかった。リヴェルトの言う当然は、ユレイヤからすればまるで奇跡のようで、涙が込み上げそうになる。
「行こうか」
「ええ」
微笑み合い、二人はユレイヤの部屋を出た。
今夜は城でパーティーが開かれる。前世ではユレイヤが招待されなかった会だ。
リヴェルトから一緒に出席するよう求められた時、ユレイヤは驚いたが、同時にとても嬉しかった。妻として認められたような気がして、むず痒くて恥ずかしく、幸せな気持ちだ。
会場はとても華やかだった。色とりどりのドレスに身を包むたくさんの貴族たち。中でも、ユレイヤのドレスはとびきり鮮やかで美しく、人目を引いた。
「ユレイヤが一番綺麗だよ」
「え……?」
恥ずかしそうに頬を染めながらリヴェルトが言う。思いがけない賛辞に、ユレイヤの心臓がドキドキと高鳴った。
「あら、リヴェルトたちも来ていたの?」
と、背後から唐突に声をかけられる――チェリーヌだ。チェリーヌの傍らには、普段リヴェルトの護衛を務めている騎士がいる。どうやら彼は、今夜のチェリーヌのパートナーのようだ。
「チェリーヌ、ユレイヤに話しかけるなと……」
「なによ。挨拶しただけでしょう? 大丈夫、あたしユレイヤ様に関わる気はないから」
ニコリと満面の笑みを浮かべ、チェリーヌは騎士の腕を取る。が、去り際にちらりとユレイヤを振り返ると、憎しみのこもった瞳で睨みつけてきた。そのあまりの冷たさに、ユレイヤの体がブルリと震える。
「リヴェルト様、少しお耳に入れたいことが……」
とその時、一人の男性がリヴェルトに声をかけ、ユレイヤはハッと顔を上げる。どうやら内密の話をしたいようで、男性はチラリとユレイヤの表情をうかがってきた。
「リヴェルト様、私はあちらのほうにおりますので」
「……わかった。俺もすぐに行くから」
リヴェルトはユレイヤの手の甲にそっと口づけをすると、ユレイヤからそっと離れていく。
(さてと)
ユレイヤは会場の隅に移動をした。が、その時ふとチェリーヌとパートナーがひそひそ話をしながら会場を出るのが目に入る。
(なにを話しているのかしら?)
なぜだか異様に気になり、ユレイヤはそっと二人の後を追った。
「――ねえ、本当に頼んだわよ?」
「わかってますって。そんなに僕が信用できないんですか?」
騎士がチェリーヌを抱きしめる。ユレイヤは思わずドキッとした。
(私ったら、二人はただ恋人同士の会話を楽しんでいるだけなのに)
こんなふうに盗み見をするなんていけないことだ。ユレイヤはくるりと踵を返す。
「リヴェルトから、ちゃんと当日の同行メンバーに選んでもらったのよね?」
「ええ。御者にも『お声掛け』しましたし、なんの問題もありません」
(……え?)
その途端、ユレイヤの心臓がドクンと大きく跳ねた。リヴェルトの同行メンバー、御者という言葉を結びつけながら、そんなまさかと首を横に振る。
「よかった! さっき久々に見て思ったけど、どうしても気に食わないのよね。それに、こうしたほうが絶対に国のためになるんだから。いい? 当日はためらっちゃ駄目。絶対失敗しないでよ」
「わかっております」
騎士が請け負うのを見ながら、チェリーヌはニンマリと笑った。
(やっぱり――きっと私のことだわ)
ユレイヤの全身から血の気が引く。
誰かに盗み聞きをされてもいいように、チェリーヌは直接的な言葉は一切発していない。だが、二人が話しているのはユレイヤの殺害計画だ。護衛騎士や御者を買収し、馬車を暴走させ、事故に見せかけてユレイヤを殺す――前世で起きた事故はすべてチェリーヌが企てたことだったのだろう。そのせいで、ユレイヤは一度、命を落としたのだ。
(許せない)
手のひらに爪が食い込む。
けれど、今出ていったところでなんになろう? チェリーヌはユレイヤの名前すら発していないのだし、白を切られるのが落ちだ。もちろん、公務に同行しないことで事故を避けることはできるだろうが、別の計画を立てられては意味がない。
「大丈夫」
と、優しく肩を叩かれる。見れば隣にリヴェルトが立っていた。
「チェリーヌ」
「――あら、リヴェルト。ユレイヤ様も、こんなところでどうしたの?」
チェリーヌが微笑みながら返事をする。声をかけられたことに、まったく動揺していない。絶対にバレないと高を括っているのだ。
「お前の方こそ、こんなところでなにをしている?」
「見てわからない? 恋人との逢瀬を楽しんでいるの。無粋なことしないでよね」
チェリーヌはクスクス笑ったが、リヴェルトは厳しい表情で彼女を睨みつけた。
「ユレイヤの殺害計画について話すのが、そんなに楽しいのか?」
「……は? なによそれ、意味がわからないわ」
チェリーヌがピクリと眉を上げる。リヴェルトはチェリーヌに詰め寄った。
「先程二人で話をしていただろう? 俺たちが今度出かける公務の際に、事故に見せかけてユレイヤを殺そうとしている、と」
「ちょっと、変な言いがかりはやめてちょうだい! あたしはユレイヤ様のことなんて、まったく話題に出していないわ。あたしはただ、リヴェルトの護衛をするからには、絶対に失敗しないよう釘を刺しただけ。そんなの当たり前のことでしょう?」
チェリーヌはそう言ったが、ほんの少しだけ目が泳いでいる。
リヴェルトは小さくため息を吐くと、ちらりと後ろを振り返った。そこには前世でユレイヤが亡くなった時に御者を務めていた男性が立っており、ユレイヤは思わず息を呑む。
「なるほど……御者の男性に金を渡し、合図をしたら馬車から離れて馬を暴れさせるように頼むことも『当たり前』だと――お前はそう言うのか?」
「なっ……! どうしてそれを」
チェリーヌは目を見開き、キョロキョロと辺りを見回す。いつの間にかチェリーヌの周りには複数の騎士がおり、彼女のことを取り囲んでいた。
「たしかにお前は直接的なことはなにも言っていない。けれど、こちらには確たる証拠がある。もう言い逃れはできないぞ」
「あっ……あぁ……」
光った剣先がチェリーヌに突きつけられる。チェリーヌはその場にぺたりとへたり込んだ。
***
夜会から数日が経った。チェリーヌは投獄され、ユレイヤは再び平穏な日々を送っている。
今日は前世でユレイヤが亡くなった日――リヴェルトとの公務の日だ。馬車がガタゴトとほのかに揺れる。しばらくして、ユレイヤはリヴェルトと一緒に馬車を降りた。前世でも立ち寄った神殿だ。
礼拝堂に入ると、二人はしばらく無言でたたずむ。沈黙を破ったのはユレイヤだった。
「リヴェルト様、あなたは――あなたも前世のことを覚えているのですね」
リヴェルトが静かに息を呑む。それから、ユレイヤの手をそっと握った。
「……ああ」
返事を聞きながら、ユレイヤの瞳に涙が滲んだ。
リヴェルトに前世の記憶があったから、馬車の事故を引き起こしたのは誰かを事前に探ることができた。彼は事故を未然に防ぎ、犯人を捕まえるために、ユレイヤの知らないところで動いてくれていたのだろう。
「助けてくださってありがとうございます」
「当然だ……俺たちは夫婦なのだから」
繋がれた手のひらから、じわりと温もりが広がっていく。ユレイヤはゆっくりと首を横に振った。
「けれど、前世の私たちは全然、夫婦らしくなくて」
「わかっている。俺が間違えたから……だから、君にはずっと辛い思いをさせてしまった」
リヴェルトはそう言うと、ユレイヤの肩に頭を預ける。泣き顔を見られたくないのだろう――彼の体は小刻みに震えていた。
「俺が最初から君を大事にしていたら、使用人たちはユレイヤに冷たい言葉を浴びせたりはしなかった。部屋も、侍女も、ドレスも――なんとか待遇を改善しようとしたんだ。けれど、一度凝り固まってしまった偏見を覆すことはできなくて。ユレイヤ、ごめん。本当に、すまなかった」
言葉から、声音から、リヴェルトが心から悔やんでいるのが伝わってくる。ユレイヤは微笑みながら「はい」と返事をした。
「君を死なせてしまったあの日、ここで願い事をしたのを覚えているか?」
リヴェルトが言う。ユレイヤはすぐに「ええ」とうなずいた。
忘れるはずがない。あの日ユレイヤは神に「夫婦としてやり直したい」と願ったのだから。
「俺はあの時、ユレイヤと夫婦としてやり直したいと神に願ったんだ」
「え……?」
リヴェルトがゆっくりと顔を上げる。ユレイヤの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「まさかこんな形で叶うとは思わなかったが……」
「私……私も同じです! リヴェルト様とちゃんと夫婦になりたい。やり直したいと願って」
リヴェルトがユレイヤを抱きしめる。
二人分の強い想いがあったからこそ、ユレイヤは願いを叶えることができたのだろう。
「リヴェルト様、今世ではなにを願いますか?」
ユレイヤが礼拝堂を見上げる。リヴェルトはそっと目を細めると、ユレイヤの唇に優しく口付けた。
「『ずっと仲睦まじい夫婦でいられますように』――きっとユレイヤも同じだろう?」
「ええ。私たちは夫婦ですから……当然です」
二人は見つめ合い、満面の笑みを浮かべる。それから互いをきつく抱きしめ合うのだった。