表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

坂本石仏ツァーに行こう


挿絵(By みてみん)


   坂本石仏ツァーに行こう


JR比叡山坂本駅で下車すると、観光寺院の案内図が目に入ります。

多くの人々は日吉大社の門前町として栄えた道筋に向かいますが、このツアーでは湖西線に沿って北側の道を進みます。

しばらく行くと主要な駅でよく見かける比較的大きなスーパーがあり、日中は駐車場への車の出入り、買い物客でその近辺は賑わっています。


その店の前から立体駐車場に通じるスロープを渡ると、6体ほどの石仏が石垣の上に置かれています。

注意深く見ないと目立たないのですが、石を彫り仏様の姿に似せられた立像で、幾体かに赤いタスキと白いエプロンが着せられています。

私は何か謂れがあるのだろうかと考えながら、注視していると、徐々に周りの騒音が収まっていくように感じました。

やがて、波の音が耳に入ってきました。

ここからは琵琶湖岸は離れた位置にあるので、妙だなと思いながら目を上げると、不思議なことに見渡す限りの湖面が広がっていました。

そこには普段見られる車や買い物客の姿はありません。


『その彫り物はこの土地の、かつての繁栄の証と没落を供養するために置かれているんじゃ』


突然背後から声を掛けられびっくりして振り返った。

目の前に頭に尖った藍色の帽子を被り、紺色の和装の年老いた男性が立っていた。

今時風変わりな衣装のように思いながら尋ねた。


「あなたはいったい誰?」


彼は幾分見定めるような目つきで答えた。


『私か、私は人麻呂と言って、歌詠みをなりわいにしている者じゃが』


私は訳のわからないままに、彼の姿形から連想して思い出して言った。


「まさか、あなたは万葉集で有名な柿の本人麻呂その人じゃあないですか?」


『ほう、そなたは和歌に詳しいのかな。私の作品を挙げてくれようかな』


「それなら百人一首に出てくる (あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし尾をひとりかも寝む) でしょうね覚えやすい歌ですよ」


『ふむ、それは私が作った歌ではないのじゃ』


「え、じゃあなぜ選ばれたのですか?」


『それはな。百首を選んだ藤原定家の思惑があったからじゃ。彼の時代は華美で技巧的な歌が好まれたようでな、詠み人知らずの作品を私が作ったものとして組み入れたようじゃ。そして私の名前を入れることで秀歌撰の価値を上げる狙いもあったようだの』


「するとご自身としてはどのような作品を気に入られているのでしょうか」


『しいて挙げれば次の二首かの。 (近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ) (もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも)』


「どちらも有名ですね。いずれも昔のことを懐かしんだ歌ですね」


『その通りなのだが、いずれもこの地で古に起こった事実を踏まえておるのじゃ。今私がここに現れたのはそのことに起因しておる』


「それはいったいどのようなことでしょうか。教えていただけませんか?」


『昔この地は近江大津の名称で都が置かれていた時期があったのじゃ』


「え、そうなんですか。かなり昔なんでしょうね」


『天智天皇の頃じゃ。皇位に就かれて当時の都のあった飛鳥からこの志賀の地に都を移されたのじゃ。皇族方、有力な豪族ほとんどが付き従った。のちに天皇となられる大海人皇子、鸕野讃良王女および、皇位継承者であられる大友皇子、私が歌を学んだ額田の王女もそのひとりじゃ。じゃが、大津宮は5年しかもたなんだ』


「それは、短かったのですね。なにがあったのでしょう」


『後継者争いが原因じゃな。天智天皇がお亡くなりになり、弟君の大海人皇子と御子であった大友皇子の間で天皇の地位を巡ってそれぞれを味方する皇族、豪族等を巻き込み各地で戦乱が繰り広げられた。のちの世では壬申の乱と呼ばれたのがそうでな、結局大海人皇子が勝利し、天武天皇となったのじゃ。そして、それを機に都を飛鳥の地にもどされたのじゃ』


「ではほんの束の間の都だったんですね。もっと続いていればこのあたりの様子も変わったのでしょうね」


『その通りじゃな。もう少し都として長ければここも栄えて様々な普請があったのに残念じゃった。先に挙げた二つの歌はそのころの近江大津京を懐かしんだ思いとその後に起こった戦乱の跡を綴ったものじゃ』


「なるほど。それで人麻呂様にとって特別な二首となっているのですね」


『わかったかのう。私がここに現れたのはそれが理由じゃて。おっと、もうそろそろ戻らねばなるまい。これから先も古人と廻り遭うと思うがの、心するが良いぞ』


そう言い残した後、不意に老歌人の姿は消えてしまった。

そしていつもの買い物客や車が行き来する光景が騒音とともに蘇った。


***


再び歩き始めスーパー横の細い坂道を登っていく。

以前は両側に稲田が広がっていたが、片側は時代の波に呑まれて住宅が連なっている。

しばらく行くと右手に小川の両側に数か所石仏群が見えてくる。

いずれも白や赤のエプロンが着せられ思わず見惚れてしまった。

そのある意味では愛らしい姿を見ながら佇んでいると、突然大声が耳に入ってきた。


『どけどけどかんか小童。わしは急いでおるんだ』


振り返ると景色は一変し、辺り一面に草が生い茂っており、正面に一人の大男が立っている。

いきなり怒鳴られ面食らったが、その身なりにも驚かされた。

顔や頭に白い被り物を巻いており、黒っぽい肩から足先まで伸びた袈裟を着用していた。


「あなたは見たところお坊様では?」


『わしか、わしはな向こうに見えるお山のてっぺんにある延暦寺の僧なのだ』


「お山というと比叡山のことですね。確かに延暦寺は伝教大師最澄が創建した日本有数の仏教寺院であることは知っています。そちらに向かわれるのですか」


『その通りだ。わしはこの近くの宿坊から日吉社に向かい、そこから仲間たちとともに神興を担いでお山に登るのだ』


「日吉大社のことですね。そこのお神輿をなぜあの高い場所に運ばれるのですか」


『うむ。あれには神威が宿っておる。我々僧侶は天台座主の号令で訴えを朝廷に認めさせるために、京の都に仲間の僧兵たちとともに繰り出すのだ。神輿を担いでいればあやつらも震え上がるんでな』


「ああ、思い出しましたよ。いわゆる強訴と呼ばれる実力行使のことですね。昔絶対権力を握った白河法皇でも制御できないものがあったそうです。賀茂川の水、双六の賽、そして山法師」


『その通り。天皇家、朝廷にとっては源氏や平氏等の武家たちを手なずけても、我々僧侶を思い通りに操ることは不可能だ。神仏のご加護によって行動しており何人も止めることは出来ぬ。おお、まだまだ話足りぬがもう行かねばなるまい。さらばだ』


そう言いながら僧侶は向きを変え歩み始めた。

その瞬間彼の姿は忽然と消え、目の前には行儀よく並ぶ石仏があった。


***


私はなだらかな坂道を歩いて行った。

しばらく行くと右手にテニスコートがあり、ボールの跳ねる音が聞こえてきた。

突き当りを右折し信号まで行くと、2車線の車が頻繁に行き来する道路に出た。

そこを左に曲がり、山の手に向かって延々と進む。

かなりの急坂で息が切れだしたとき、西教寺の石塀に突き当たった。

天台真盛宗の寺院だが、今は桜、紅葉のシーズンに賑わう観光名所となっている。

そこには入らず前の車道を左手に向かって進むと、途中で千体地蔵尊と書かれた標識が立っており、その方向の山野辺の小道に入る。


そして目的の石仏群が右側に見えてきた。

無数の顔と胴体を象った石塊が並べられている。

すべてが異なった外見で、横倒しになったものも目に付いた。

圧倒的な石仏の集合に魅入れていると、背後から声が掛かった。


『もし、あなた様はここで何をなされておるので?』


もう二度経験していることもあり、驚かなかったが、振り返ると髪を長く垂らし、着物姿の女性が立っていた。

言葉遣いが昔風であったため多少違和感があったが、なんとか答えることが出来た。


「私はこの地の歴史を少しでも知ろうと思っています」


『そうですか。それならあの湖の方を見なさるがよい』


振り向くと、今まであった建物が消え、遮られていた湖が遠く見通せた。

さらにその湖岸に豪壮華麗ともいえる天守を供えた城が目に入った。


「このようなところにお城が建っていたんですか。ちっとも知りませんでした」


『あれは坂本城といって、わたくしが明智の奥方様にお仕えしていた城。大層見事な普請でございました』


「明智というと、本能寺で当時の天下人であった織田信長を裏切り自害に追い込んだ明智光秀のことですね。戦国時代でもっとも有名な事件だったと思いますが」


『その通り、その謀反に至ったわけはここでは申し上げませぬが、わたくしにとりましては、殿は申し分なくご立派な御仁でございました。一族の皆がそのご意思に忠実に従い申したのはご主君を敬っていたからでございます』


「ただ、その後で同じ信長の部下であった豊臣秀吉の軍勢に敗退し命を落とされたとか。ご家族の方はどうなされたのでしょうか」


『あの当時の秀吉は羽柴と名乗っておって、わたくしどもは猿、猿と呼んでおって蔑んでおりましたが、殿がその猿に討たれたと知り、奥方様をはじめ残された一族はあの城で自刃致しました。わたくしもその一人でございます』


「それは大変お気の毒なことだったでしょうね。心からお悔やみ申し上げます」


『そう、あの折は戦国のならいとはいえ、無念の思いを抱きましたが、われらの亡きあと縁戚にあたる娘が、後に天下を治めた徳川家に仕え、三代将軍になられるお方の乳母となって声望を得るに至ったことが慰めでございます』


「三代将軍というと徳川家光のことでしょう。その乳母というとあの大奥を取り仕切った春日局では。徳川幕府を開いた家康公に家光を後継者になるよう直談判した人物として名が知られていますよ」


『家光公はその恩に報いるために、局の親族を優遇したそうです。また、局が京の地に赴いた際にわれらのことも忘れず、ここからすぐ近くの西教寺に墓碑を建てるよう進言頂いたのでございます。深く感謝致しております』


「ああ、先ほど前を通って来た寺院ですね。中には明智光秀の供養塔と一族の墓があるそうですね」


『ええ、わたくしもそこに入れて頂いており、毎日様々な方がお参りに来ていただいております。大変うれしく存じております』


「そうですか。私も後ほど伺うことにしましょう」


『どうぞいらっしゃってください。お待ち申しております。ああ、もうわたくしも戻らねばなりませぬ。この一帯にはまだ数多くの言い伝えがございます。体験なさってくださいませ。それではごきげんよう』


そう言い残して女性はふっと消えてしまった。

また、城も見えなくなり、元の建物が蘇った。

振り返ると無数の石仏が名残をとどめていた。


私は再び歩き始めた。この先は日吉大社があり、その門前にも幾つもの石仏が見られる。

それぞれに謂れがあるのだろうか。

次にどのような人物が現れるのか、その思いを抱きながら歩を進めた。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ