4話 ロイド・カインバーク
きょろきょろと、メロリーの視線は宙を泳ぐ。
(言い訳が上手くなる薬を作っておけば……!)
後悔してももう遅い。
メロリーは内心慌てふためきながらも、できるだけ冷静を装い、カーテシーを披露した。
「は、初めまして。メロリー・シュテルダムと申します。この度は婚約の申し出、馬車の手配等々、まことにありがとうございます。ここにいたのは、えーっと……」
乳母が解雇されてから、メロリーは誰かとまともな会話をしたことがほとんどなかった(家族や貴族たちに馬鹿にされることはあったが)
そのため、こういう場をさらっと切り抜ける術など持っていなかったのだ。
(ど、どうしよう)
誰の目から見ても動揺しているメロリーの様子に、ロイドは困ったように笑った。
それから腰を屈め、メロリーに話しかける。
「大丈夫。何を言っても受け止めるから。考えてること教えてくれないか?」
「……っ」
いくら書面上では婚約者になったとはいえ、初対面の不審な自分に対してロイドは優しすぎやしないか。
(この人は、本当に冷酷なの……? それとも、何か理由があるのかな? もしかして私を油断させるためとか……でも、そうは見えないしなぁ)
そんな疑問を持ったものの、ここ数年、人の優しさに触れていなかった彼女にはロイドの優しさが心にじんわりと染み込んだ。
この優しさを無下にしたくないと考えたメロリーは、ぽつぽつと話し始めた。
「実は……」
『変態辺境伯』の噂が本当かどうか分からなかったので、念のために離れに子どもたちが囲われてないか調べようとしていたこと。
もしも子どもたちがいたら助けてあげようと思っていたこと。
冷酷という噂については、今は敢えて触れる必要はないだろうと聞かなかった。
メロリーから理由を聞かされたロイドは、片手で目を押さえて天井を仰いだ。
「なりふり構わず子どもを助けようとするなんて……メロリー嬢は天使か……?」
「はい?」
自分に似合わない言葉に、メロリーは目を白黒とさせる。
(天使って言った? ……いや、聞き間違いよね)
そう自己完結を済ませたメロリーは、「失礼なことを言って申し訳ありません」と頭を下げた。
そんなメロリーの肩に優しく触れたロイドは、「顔を上げてくれ」と優しい声色で伝えた。
「私が一部で『変態辺境伯』だと噂されているのは知っている。だが……どうか信じてほしい。その噂は全くの嘘なんだ」
「……!」
それからロイドは、自分が『変態辺境伯』と言われるようになった所以を話してくれた。
ロイドはつい先日まで、三年にも及ぶ隣国との戦争に出ていたが、それ以前も度々国境を守るために前線に出ることがあったようだ。
その度に武功をあげるロイドを国王がえらく気に入り、武功の褒美に自分の娘である王女を婚約者にと勧めたらしい。……そして、その王女というのが現在八歳。
二十一歳のロイドは幼い王女との婚約を断ったのだが、国王は自身が若い妻を娶ったこともあって、良かれと思って何度もロイドに婚約の話を勧めてくるらしい。国王が婚約を命じてこないだけまだマシだとロイドは話す。
しかし、その話が歪曲して広まってしまい、ロイドが幼女しか愛せず、更に幼女を囲っているという噂が流れたらしい。
「そんなこととはつゆ知らず……本当に申し訳ありません!」
「気にしていないから大丈夫だよ。それに、周りにどう思われても構わないからと、噂をそのままにしていた私の責任でもあるから」
(許してくれるだけじゃなく、私が気に病まないようにそんなに優しい言葉をかけてくれるなんて……!)
ロイドの懐の深さに感動していると「どうやって離れに入ったんだい?」と彼に問いかけられた。
正門には鍵がかかっていたため、どのように屋敷の敷地内に侵入したのかを気にしているのだろう。
(それはそうよね。でも、そもそも……)
──ロイドはまだメロリーが魔女だということに気付いていないのだろうか。
メロリーはそんな疑問に駆られる。
しかし、見せるのが早いだろうと、メロリーはフードを取り、顔周りを完全に晒した。
「もしかしたらご存じないかもしれませんが、私は魔女です。過去に私が作ったとある薬を使って、敷地内に侵入しました……。申し訳ありません」
ロイドは一体どういう反応を見せるだろう。
魔女だと分かって恐れるのか、嫌悪するのか、それともラリアではないことに驚くのか。
(何にせよ、優しそうな人だし、いきなり殴られたりは──)
メロリーがそう思っていると、ロイドは自身の口元を手で覆い隠した。
メロリーがびっくりするくらいに、顔を真っ赤に染めながら。
「や、やはり天使だ……!」
「は、い?」
さすがに二回目の天使は、聞き間違いとは思えなかった。
(辺境伯様は独特な天使の概念を持ってるのかな? ……そうね。きっとそうよね!)
今回もまた自己完結したメロリーは、「あ!」と声を上げた。
一番大切なことを言うのを、忘れていたからである。
「あの、辺境伯様──」
「ロイドと、そう呼んでくれないか? 私もメロリーと呼んでも?」
「それはもちろんですなのですが……。あの、ロイド様」
「なんだい、メロリー。ああ、メロリー……。君に名前を呼ばれる日が来るなんて……」
感極まるロイドの姿を不思議だなぁと思いつつ、メロリーは疑問を口にした。
「私の妹にラリアという子がいます。美しく、社交界では『麗しの天使』と呼ばれています。確認なのですが、ロイド様はラリアに婚姻を申し込みたかったのではないのですか?」
ロイドは一瞬口をぽかんと開けてから、目をカッと見開いた。
「それはない! 私はメロリーが良くて……君に妻になってほしくて、結婚を申し込んだんだ!」
「えっ」
「私がまだ幼い頃──いや、三年前からそう望んでいたが、先の戦争に出陣することになってそれは叶わなかった……! 断じて、勘違いなどではない!」
「分かりました……! きちんと分かりました……!」
何か言いかけたことは気になったけれど、ロイドのあまりの勢いに、メロリーはコクコクと首を縦に振った。
「ん? 三年前から望んでいた?」
思ったことが口から出てしまったメロリーに、ロイドは落ち着いた声色で話し始めた。
「ああ、そうだ。私が戦争に向かう少し前、とある夜会でメロリーに出会ったんだ。体調を崩し、会場の外で休んでいた私に、メロリーが声をかけ、更に薬をくれたんだよ」
「あっ」
「思い出した?」
そう、あれはいつものようにラリアの引き立て役として参加した夜会だった。
自分の役目を全うしたメロリーは少し休もうと会場の外に出た際、目の下に隈を色濃く作り、ふらふらと歩く男性を見つけたのだ。
メロリーはその男性──ロイドのことを放っておけず、魔女であることで嫌悪されるかもと思いつつも、話しかけた。
そして、体調不良の原因は寝不足と疲労によるものだと話すロイドに、メロリーは手持ちの『一時的に肘がガサガサになるが寝不足を少しの間忘れる薬』と『しばらく声が高くなるが疲労が軽くなる薬』を渡したのだ。
魔女が作った薬は怖いだろうから、無理に飲まなくても構わないからと一言添えて、その場を立ち去ったはず……。
「メロリー、あの時は本当にありがとう。君の薬のおかげで、本当に助かった」
「いえ、だって、私の薬は完全に体調を良くするものではないですし……! 副作用だって」
「そうだね。側近に声の高さを笑われたり、肘のガサつきには驚いたりもしたが……」
「……も、申し訳ありま──」
余計なことをしてしまったかもしれない。
謝罪しようとしたメロリーだったが、その声はロイドに遮られた。
「だが、辺境伯として貴族たちの前で倒れるわけには行かなかった私には、メロリーの作る薬や、思いやりの気持ちが本当にありがたかった。……まるで奇跡の薬だったよ。名乗りもせず、見返りも求めず去っていくメロリーは、心優しき魔女であり、清らかな天使に見えたんだ」
「!」
当時のことをきっかけに、ロイドはメロリーとの結婚を熱望するようになったのだという。
だが出征が迫っていたことと、戦争前後の領地の仕事が多忙を極めていたことから、このタイミングでの縁談になったらしい。
「あの時、薬のことを説明するメロリーの目はとてもキラキラしていた。だから、薬を調合する部屋があったら喜んでくれるかもしれないと思って、この離れを用意したんだ」
「そ、そうだったんですね……」
好意的な瞳と信じられないほどの好待遇。そして目の前にいるのは、変態ではなく、今のところ冷酷の片鱗さえ見えない眉目秀麗の辺境伯。
まるで夢でも見ているのかという状況にメロリーは理解が追いつかないながらも、嬉しいという感情だけは、徐々に胸に広がっていく。
魔女である自分を受け入れたことはもちろん……。
(薬が役に立ったんだ……! 私の作った秘薬が! 人の役に立っただなんて嬉しい……!)
メロリーは初めての調合で、両親の期待には添えられなかった。そこから調合を何度繰り返しても、両親が望むような薬は作れなかった。
文句を言われ、時に目の前で折角作った薬を捨てられたことだってある。
それでもメロリーが薬を作ることを辞めなかったのは、単純に作る作業が楽しいから、新しい薬を生み出すことが楽しいから、ということの他に──自分が作った薬で、人を喜ばせたいという思いが強かったからだ。
(私の作った薬で誰かの役に立てることが、こんなに嬉しいなんて……! あれ、でも……)
高い位置からじっと見つめてくるロイドの顔を、メロリーはじっと見つめ返す。
あまりの情報の多さと、ロイドの容姿の美しさから気付いていなかったが、顔色が悪く、目の下に隈ができている気がする。
見たところ大きな怪我をしている様子はなく、三年前の姿を彷彿とさせた。
「あの、もしかして今日もお疲れでしょうか?」
失礼かとも思ったが、メロリーは思ったことをそのままに口にする。
ロイドは苦笑を浮かべた。
「戦争から戻ってきたばかりで、なかなか忙しくてな。部下たちも頑張ってくれているから、私はそれ以上に頑張らないといけない。……だから多少は仕方がな──」
「っ、でしたら!」
出会ったばかりのメロリーに、ロイドの仕事状況を四の五の言うことはできない。
ロイドの仕事を直接手伝えるような手腕がないことも自覚している。
けれどメロリーは、初めて自分が作った秘薬をありがとうと言ってくれたロイドの助けになりたかったのだ。
「今手持ちに『眠る時間が半分でも睡眠が確保できるけど、いっとき眉毛が薄くなる薬』や『目の疲れをとるけれど、空腹になりやすくなる薬』がありますので、良ければどうぞ!」
満面の笑みで手持ちの鞄から取り出した薬を手渡してくるメロリーに、ロイドは蕩けるように微笑んだ。
「ああ、メロリー。やっぱり君は天使だ」
「えっ、いや、あのっ、私は魔女……」
間違いを正そうとしたメロリーだったが、まあ良いかと深く気にすることはなかった。
(きっと、ロイド様は天使というのが癖なのね。それにしても、私が作る薬に惹かれて結婚を申し出てくださるなんて! なんて私は幸せ者なんでしょう!)
大きな両手でそっと自身の白い手を包み込まれたメロリーは、ロイドにつられるように微笑み返した。