3話 おかしな薬で不法侵入!
──同時刻。
「し、し、し、失礼いたします……!」
カインバーク邸応接室から、顔を真っ青にした男が後にした。
バタンと扉が閉まると同時に、ロイドはソファに座ったまま何食わぬ顔で紅茶を手に取る。
対して、ロイドの側近であるアクシスはソファの横で目と眉を吊り上げていた。
「なんなの、さっきの奴! 陛下の使いできたくせにあんなにあからさまに怯えてさ」
「アクシス、うるさいぞ。あと唾を飛ばすな」
「ロイドは嫌じゃないわけ!? 冷酷辺境伯って噂を鵜吞みにされて、あんなに怯えた態度をされて……そのうえ、あいつ逃げるようにしてこの部屋から出て行ったんだよ!? 陛下にはもっとまともな人を使いによこしてほしいもんだよ!」
ハァハァ……と乱れた息を直しながら、アクシスはものすごい剣幕でロイドを見つめたが、当の本人であるロイドは涼しい顔をしていた。
「そう怒るな。私が冷酷辺境伯だと噂されるようになったのなんて、昨日今日の話じゃないだろう。あれぐらいさっさと慣れろ。私は気にしていない」
「そうは言っても、あんな態度されていい気はしないじゃんか」
「まあ、それはそうだが。……そんなことよりも、あと三日だぞ、アクシス」
「は? 何が?」
こてんと小首を傾げたアクシスを見て、ロイドは紅茶の入ったカップを置き、勢いよく立ち上がった。
「お前……俺の側近になってもう何年になる? 三日後は、天使のメロリーが我が辺境伯領に着く日じゃないか!」
「あーそうだったね、ごめんごめん」
適当に謝罪するアクシスにロイドは一瞬イラっとしたが、メロリーのことを頭に思い浮かべたら、自然と頬が緩んだ。
「ああ、早く会いたいな、メロリー……」
綿菓子のような甘い甘いその声に、アクシスはため息を一つ零した。
◇◇◇
馬車に揺られること三日。
馭者に到着の知らせを受け、馬車を降りたメロリーの視界に映ったのは、シュテルダム邸の優に三倍はある大きな屋敷だった。
外観だけでも、家族が言っていたように豊かであることが分かる。
(ここがカインバーク邸……。大きい……。確かにこれなら、子どもを何人囲っても手狭じゃないかも)
婚約者であるのロイド・カインバークの噂のことを考え、メロリーは顔を青ざめさせた。
(私は十八歳だから、辺境伯様が幼女好きの変態でも関係ないけれど、噂が本当なら囲われている女の子たちが可哀想じゃない……!)
ここまでの道中、メロリーはロイドが噂通りの冷酷人間だった時のことを考えて、何度も脳内で逃げる方法をシミュレーションした。
その他に、やっと家から抜け出せたことを喜び、新たな地で手に入る素材のことを想像してわくわくしたりもした。
けれど、その度に囲われてしまっているかもしれない子どもたちのことが頭に浮かんだ。
毎日泣いているのだろうか、酷いことはされていないだろうか、今、幸せだろうか、と。
──答えは、否だった。
メロリーは、役立たずの薬しか作れない、出来損ないの魔女だ。
自分にできることなんてたかが知れていることは、誰よりも分かっているつもりだ。
けれど……。
(助けなきゃ──)
メロリーは屋敷を見つめながら、ぐっとこぶしを作る。
(でも、どうやって助けたらいいんだろう。この屋敷の地図もないし、子どもたちがどこにいるかも分からないし……)
それに、今手元にあるのは、一時的に八重歯になる代わりに少しだけ足が速くなる薬に、語尾に『るん!』がつくけれどトイレの間隔が長くなる薬、少し嗅覚が鈍るけれどしばらく爪が伸びない薬などなど……。
確実に子どもたちを救い出せるような画期的なものはなく、しかも薬には多少の副作用がある。
自分は本当に出来損ないなのだなぁ、と改めて思い知らされた。
(ま、噂が嘘の可能性も十分あるから、警戒だけして、その時考えましょ!)
うんうんと頷いたメロリーは、屋敷から少し離れた建物を視界に捉えた。
小さな離れのように見える。
メロリーが十八年間暮らしていたのと同じような作りのそれは、子どもを囲うにはぴったりだ。
(これは……確認が必要ね!)
幸い、現在門に警備の者はいない。
予定よりも少し早めに着いたので、馭者も屋敷の者に到着を伝えるために裏口へと向かっており、メロリーの行動を制限する者はここにはいなかった。
「それなら、少しの時間だけお猿さんの動きができるようになる薬の出番ね! 副作用で少しだけ小指の爪が伸びるけれど、大した事ないものね!」
メロリーは鞄から薬の入った小瓶を取り出し、それを一気に飲み干した。
「相変わらず独特で癖になる味ね……。さて、行きましょう!」
メロリーは直ぐそこの木に猿のような動きで登ると、ぴょんっと塀を飛び越え、敷地内への侵入に成功する。
離れまで急いで走れば、薬の効果が切れていくのを感じた。薬によって効果時間はまちまちだが、この薬はほんの短時間しか効かないのだ。
「……よし、入ろう」
緊張しながらも、メロリーは意を決して扉を開いた。
「あれ?」
しかし離れの中には子どもどころか人っこ一人いなかった。
良かったと安堵すると同時に、メロリーは離れに置かれているそれらに驚きを隠せなかった。
「どうしてここに、乳鉢やすり鉢、漉し器に瓶──薬を調合する道具が揃ってるの?」
「誰だ」
「!?」
疑問を口にした瞬間、背後から冷たく鋭い男性の声が聞こえた。
メロリーはまずいことをしている自覚はあるので、全身にじんわりと汗をかきながら急いで振り向き、深く頭を下げた。
「申し訳ありません……! その、これには理由が……!」
「メロリー嬢?」
「え?」
名前を呼ばれたことに驚いてメロリーが顔を上げれば、目の前の男性は愛おしいものをみるような眼差しで微笑んでいた。
「驚かせてすまない。私の名前はロイド・カインバーク。君に婚約を申し込んだ男だ」
「あ、貴方が辺境伯様なのですか……!?」
「ああ、そうだよ」
スッキリとした輪郭に切れ長のサファイアのような瞳、漆黒の髪に、整った鼻と形の良い口。
紡ぎ出された低い声は心地の良いもので威圧感はなく、穏やかさが滲み出ている。
仕事着なのか、黒い軍服のような装いに身を包んだ肩幅は広く、がっしりしており、反対に手足は長くすらりとしていた。
(こ、こんなに格好良い人、見たことがない……!)
ラリアの引き立て役として何度も社交に参加したことはあるが、こんなに目が離せなくなる人に会うのは初めてだ。
目を丸くするメロリーに、ロイドはふっと微笑む。そして、メロリーの目の前にまで行くと、床に片膝をつけるように跪いた。
「メロリー嬢。ようこそ、辺境伯領へ」
そう言って、ロイドはメロリーの片手をそっと取り、彼女の手の甲に唇を近付けた。
「へっ!?」
社交に参加していたものの、これまで貴族の男性たちにこのような挨拶をされたことがなかったメロリーは驚いた。
当然だ。誰も魔女のメロリーにわざわざ触れる者などいない。
(もしや、私が魔女だって気付いてない……!?)
フードで白い髪は多少隠れているが、赤い瞳はしっかりと見えているはず。あまり魔女について詳しくないのだろうか。
メロリーが頭を捻っていると、ロイドは立ち上がり、口を開いた。
「君が到着したとの知らせを受けて出迎えにいこうとしたんだが、この離れから気配を感じたからここに来たんだが……。メロリー嬢はどうしてここに?」
そうだ、まずはその説明をしなければならない。
メロリーは先程までとは一転して、さあっと顔を青ざめさせた。
(貴方が幼子を囲っていないか確認するために侵入しました……なんて、言えない!)




