10話 薄眉毛とぴょん
「ねぇロイド。メロリー様の話って何さ? ぴょん」
同日の深夜。
部下たちが各々自宅に帰ったり、屋敷の仮眠室で休んだりしている中、ロイドは帰ろうとするアクシスを「メロリーについて話があるから」と呼び止めて、執務室のローテーブルを挟んだ向かいのソファに座らせていた。
ロイドが大事そうに握り締めているのは、仕事の書類ではなく、午前中にメロリーがくれた薬の小瓶だ。中身は空になっており、一滴たりとも残っていない。
「……ハァ。ぴょん」
苛立ちを滲ませた顔をしているロイドに、アクシスはため息を漏らした。
「あのさぁ、急に呼び止めて機嫌が悪いって何なの? ぴょん。あと、眉毛が薄い時にその不機嫌そうな顔はだめだよ。ぴょん。おっかないよ。ぴょん」
「お前だってぴょんぴょんぴょんぴょん煩い。寝る前に飲めってメロリーが言っていただろう」
「帰って眠ろうと思ってたから飲んだの! ぴょん。それなのに、話があるからって引き止めたロイドのせいでしょ! ぴょん」
メロリーが渡した薬の副作用で眉毛が薄くなった状態で凄むロイドに、同じく副作用により語尾にぴょんをつけるアクシスが文句を垂れる。
端から見れば、二人のこの状況はかなりカオスなのだろう。
「まあいい。それで、薬の効果はどうだ」
少しばかり眉間の皺を薄くしたロイドが、アクシスに問いかけた。
相変わらず眉毛は薄いので、おっかない印象は対して変わらないが。
「これ凄いよ! ぴょん。即効性があって、感覚的に疲れが半分取れてるのが分かる! ぴょん。語尾がぴょんになるのはネックだけど、寝ている間に副作用が消えて身体が楽になるから、デメリットはほぼない! ぴょん」
「そうだろう?」
興奮気味に語るアクシスに、ロイドは当然とばかりに頷いた。
ロイドもここ二日でメロリーが作った薬を飲み、どれも効果は絶大だった。
もちろん副作用は存在するが、薬を飲むタイミングを選べばそれほどデメリットにならないものも多い。
「さすがはメロリーだ。やはり彼女は天才だな……」
何より、メロリーは優しい。
出会ったばかりのアクシスの目の下に隈があることに気付いて薬を手渡したり、ロイドに喜んでもらえると思って薬を手渡したりと、彼女を見ていると自然と心が温かくなった。
「……ご機嫌にニヤついてるところ悪いんだけど、そろそろ本題に入ってもらっていい? ぴょん。まさかメロリー様の惚気話をするために僕を呼び止めたの? ぴょん」
「そんなわけないだろう。メロリーにもらった薬の効果を確かめたかったのはあるが、本題はメロリーと彼女の実家についてだ」
「というと? ぴょん」
真剣な話し合いの場に、やはりぴょんは似合わない。
しかしそうも言っていられないと、ロイドは口を開いた。
「昨日、メロリーのことでルルーシュから気になることがあると報告を受けた。メロリーは用意された部屋をまるで天国だと表現したらしい」
その他にも、湯浴みの話が出た際は申し訳なさそうに庭で水浴びでも良いからと言い、ドレスの裏にはツギハギの跡があったらしい、とロイドは続けた。
「何より、体がかなり痩せ細っていたみたいだ。メロリーには伝えていないが、医師の診断では栄養失調に近い状態らしい」
「……!」
貴族とはいえ、没落寸前であれば平民と同じような生活を強いられることは確かにある。
しかし、シュテルダム伯爵家が困窮しているという話は耳にしたことがない。少なくとも、メロリーに助けられた夜会でメロリーの家族を目にした時、彼らは肉付きもよく、装いも貴族らしいそれだった気がする。
(……つまり、メロリーだけが──)
ロイドは辛そうに唇を噛み締める。
ふつふつと湧き上がる怒りが、止まらなかった。
「それに、食事の際、スープが温かいことに感動していた。メロリー本人はたくさん食べているつもりでいたが、実際は一般女性の半分以下の量しか食べられていなかった。極めつけには、使用人として働けばいいのか、なんて平然と口にしていた」
「それって、やっぱりメロリー様は……。ぴょん」
答えは一つだろう。
メロリーが魔女であることを踏まえれば、それは想像に容易かった。
「家族から酷い扱いを受けていたんだろう。……幸い、身体に痣や怪我はなかったが」
だから、なんだと言うのだろう。直接手を下していなければまだマシだろうなんて、口が裂けても言えるわけがない。
「魔女に対して悪い印象を持つ者が多いことは知っている。だから、実家でも多少不憫な思いをしていたのかもと思っていたが……これほどとは」
──実は三年前。
ロイドがメロリーが夜会で出会った頃は、今ほどメロリーの『出来損ない魔女』という悪評は広がっていなかった。
少なくとも、辺境領にはまだ届いていなかった。
しかし、三年間にも及ぶ戦争から戻ってきて、国王に諸々の報告に出向いた時のことだ。
自らの幼い娘を婚約者にどうだと勧めてくる国王に対して、ロイドがメロリーを妻に迎えたいと話したが、その反応はすこぶる悪かった。
国の英雄と言っても差し支えない程の功績を上げたロイドが、何故メロリーを、『出来損ない魔女』を娶ろうとするのかと。
結局のところ国王が折れたものの、説得するのに骨が折れた。
そして、辺境領の屋敷に戻ってきて、メロリーを妻に迎えると部下や使用人たちに報告すると、これまた反応が悪かった。この辺り一帯にまで、メロリーの悪評は広がっていたのだ。
「何故ここまでメロリーの悪評が広がったのかと考えた時に、思い浮かぶのは一つだけだ。おそらくメロリーの家族が、敢えてメロリーの立場が悪くなるように彼女の悪評を流したんだろう」
「そんな……家族なのに……ぴょん」
「しかもデタラメばかりだ。メロリーが作る薬は多少限定的だったり特殊なものはあったりするが、副作用も強いものじゃないし、何より効果がとても高い。それは、アクシス──お前も身をもって感じたはずだ」
それなのに、どうしてメロリーの作る薬を誰よりも知っているだろう家族が、メロリーを酷く扱っていたのだろう。
たとえ複雑な事情からメロリーに愛情を抱けなかったとしても、彼女の作る薬の価値が分かれば、手ひどく扱うメリットなどないというのに。
「…………」
ロイドは顎に手を添え思案するが、すぐには思い付かなかった。
(まあいい。ろくに知らない相手のことなど、考えても無駄だ)
ロイドは出征から戻ってから、戦後の後処理、国王への報告や領地のこと、メロリーへの求婚の手続きに手がいっぱいで、彼女の家族のことまで手が回っていなかったのだ。
「アクシス、頼みがある」
ロイドはちらりとアクシスを見やる。
その視線で幼馴染であるロイドが何を考えているのか、アクシスには容易に想像できた。
「……メロリー様の家族のことを調べてほしいんでしょ? ぴょん」
「任せて良いか?」
「まったく! ぴょん。これでも僕忙しいんだけどな! ぴょん。……でも、薬の恩返しもしなくちゃいけないし、引き受けてあげるよ。ぴょん」
「ああ、頼む」
満更でもない顔をするアクシスに、ロイドはふっと微笑を零す。それから、どこか憂いを帯びた表情で口を開いた。
「それとな、もうひとつ聞いてほしいことがあるんだが……」
「え、まだ何かあるの? ぴょん」
もう帰れると思っていたのか、アクシスは明らかに残念そうに口角を下げる。
こういう時、いつものロイドなら「おい」とやや語気を強めるはずなのだが、彼はふぅ、と小さく息を吐くだけで何も言わなかった。
「本当にどうしたの? ぴょん」
ロイドの様子がおかしいことに気付いたアクシスは、今さっきと違い、親身になって問う。
目を伏せたロイドの睫毛が、ぼんやりと頬に影を差した。
「実は……メロリーがこの屋敷に来た日、彼女に好意を抱いていることを伝えたんだが」
「ぴょん……じゃない、うん、ぴょん」
「アクシス、お前、私が落ち込んでいるからってふざけているのか?」
戦場にいる時かのような凄みのあるロイドの顔に、アクシスは胸の前で何度も両手をひらひらとさせる。
ロイドが本気で怒りを露わにした姿を知っているだけに、アクシスは慌てていたのだ。
「そ、そんなわけないでしょ! ぴょん。それで、それがどうしたのさ、ぴょん。今日のロイドとメロリー様の様子からして、振られたわけじゃないんでしょ? ぴょん」
「……ああ、振られてはいない。振られては」
「何なのさ、その含みのある言い方は、ぴょん」
ロイドは肩を揺らすくらいに大きなため息をついた。
「振られるどころか、そもそも私の気持ちが全く伝わっていなかったんだよ……」
「……ぴょん? じゃない、は? ぴょん」
「今のは絶対わざとだな? もう許さん」
ロイドは身を乗り出し、ローテーブルの向かい側に座るアクシスのこめかみに両手を伸ばす。
そして、両手を握りしめ、渾身の力を込めてアクシスのこめかみをぐりぐりと攻撃し始めた。
「イタイイタイイタイィ……‼ ぴょん‼」
「さすがメロリーが作った薬は凄いな。絶叫の後でさえ語尾にぴょんがつくとは」
「感心してる場合じゃないってば! ぴょん‼」
──ここまでやれば、もうふざけないだろう。
そう考えたロイドはアクシスのこめかみから手を離し、ソファに深く座りなおす。
痛みの余韻のせいか、アクシスは頭を抱えている。
帰宅寸前の彼を捕まえて長話に付き合わせた挙句、さすがにこれではあまりにアクシスが可哀そうだろうか。
今度、休暇をやるかとロイドは心の中で思った。
「……で? 何で気持ちが伝わっていないことに今更気づいたの? ぴょん」
落ち着きを取り戻したアクシスの問いかけに、ロイドは日中にメロリーが言った言葉を思い返した。
「メロリーがこの屋敷で世話になる身として、どうしても働きたいと言ってな。使用人の仕事をすればいいかと尋ねてきたから、そんなことはしなくていいと言った」
「それで? ぴょん」
「そこからメロリーは少しの間悩み出して……」
「うん、ぴょん」
「"このままでは、せっかく私の作る薬に惹かれて結婚を申し込んでくださったロイド様にあまりにも申し訳なくて……"と、言ったんだ……」
「えっ!? ぴょんっ‼」
アクシスが驚くのも尤もだ。
現に思いを伝えたロイドでさえ、メロリーに多大なる勘違いをされていると知った時は、体が硬直したほどだった。
(確かに、好きだとか愛しているだとか、そういう直接的な言葉は伝えていないが……)
それらの言葉がなくても、思いが十分伝わるくらいの、言葉を選んだつもりだった。
直接的な言葉を言わなかったのは、メロリーを思ってのこと。
何故自分に縁談を申し込んできたか分かっていない──どころか、妹と間違えているのでは? と思っている相手に、好きだの愛しているだの言われても戸惑うと思ったのだ。
とはいえ、思いが溢れてかなり好意は前面に出してしまったのだが。
天使、というのが、その最たる言葉だろうか。……いや、しかし、メロリーはどこからどう見ても清らかな天使なのだから致し方ないとロイドは開き直った。
「……つまり、端的に言うと、ロイドの恋愛的な意味での好意は、メロリー様に一切伝わっていないってことだよね? ぴょん」
「みなまで言うな。これでもかなりの衝撃を受けたんだ。分かりやすいところだと、午後からの仕事は全く手につかなかった」
「それはやめてくれる? ぴょん。……でも、ははっ、戦場では敵なしで常に冷静な判断ができるロイドをこんなに動揺させられるのは、後にも先にもメロリー様だけだろうね。ぴょん」
「それは当たり前だ」
キリッとした笑みを浮かべるロイドに、アクシスは苦笑した。
「何でロイドが誇らしそうなのさ、ぴょん。……まあ、喜んでるところ悪いけどさ、これからどうするわけ? ぴょん。メロリー様に勘違いされたままでいい訳ないよね?ぴょん」
「ああ、それには少し思うところがあってな」
今日、勘違いをまっすぐな瞳で話していたメロリーから察するに、おそらく彼女はロイドが薬に惹かれたから縁談を申し込まれたと本気で信じているのだろう。……ほんの僅かな疑いさえ持たずに。
つまり、メロリーから見たロイドの印象は、せいぜい『薬に好感を抱いたゆえに優しくしてくれる人』
メロリーがロイドに恋愛的な意味で好意を持っている可能性は、極めて低い。
そんなメロリーに、恋愛的に好意を持っていることを伝えればどうなるか──。
「今の関係性のまま愛していると伝えても、メロリーは信じてくれないと思うんだ。婚約者という間柄だから、そういう体でいてくれるのだろう、とな」
「あー……メロリー様って結構天然そうだし、これまでの境遇を考えたら信じてくれない可能性は高いよね、ぴょん」
「ああ。だから、少し時間をかけるつもりだ。一応婚約してくれるということは憎からず思っているはず……。私の気持ちが疑えなくなるくらい大事にして……メロリーに振り向いてもらいたいんだ」
「なるほどね……ぴょん。いいんじゃない? ぴょん。正直、一筋縄ではいかないと思うけど……ぴょん」
幸いなことに、これから時間はたくさんある。焦る必要はない。
(メロリー……)
愛おしい人の名前を脳内で紡ぎながら、ロイドは再びティーカップを手に取った。