世界の終わり、そして……
短編です。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
高層ビルの一室。
壁一面にガラスが填めこまれた窓際に僕は立っていた。
そこからミニチュア模型のような夜景が広がっている。
街の血管ともいえる国道を車のテールランプが血液のように流れていた。
所々それは滞っていて、動脈瘤を起こした街が死をむかえつつあるようにも思える。
「もうすぐ世界が終わるのね」
僕の目を通して、景色を見ていたかのように彼女はいった。
彼女は片足の踵を座っている椅子に乗せ、紅茶をスプーンで掻き混ぜている。
言葉の内容と違い、柔らかい雰囲気が部屋を包んでいた。
僕は月に目をやる。大きな赤黒い月だった。
こんな夜に世界は終わる。
彼女がいつも言っている言葉だ。正確には彼女の祖父が言っていた言葉らしい。
「世界が終わるとどうなる?」
今夜、僕は初めて訊いてみた。なぜ、今までたずねなかったのか分からない。答えなど期待してなかったのかもしれないし、ただ面倒だったのかもしれない。
たぶん両方なのだろう。
彼女はゆっくり紅茶を一口すする。それがいまできる最善の方法だというように。
「終わるのよ。ただそれだけ。その後に何があるのか、もしくは既にあった残滓を見ることになるのか、誰にも分からない。古代人がかつてみた夢のようにね」
「でも想像する事ぐらい出来るだろ」
僕は彼女に言葉を返す。しかし彼女は首をふる。
「そんなの、無意味よ。想像したところで何かが変わるわけでもないわ」
僕は彼女が言った言葉について考える。
確かに想像したところで何かが変わるとも思えない。
「古代人がみた夢。でもそう言われると、世界の終わりもあまり怖くは感じないね」
彼女は僕を見つめる。
「そう。怖がる必要はないわ。怖がっていても、何も変わらない。事実、こうして事は始まったわけだし、誰にも止める事は出来ないもの」
彼女の言葉に僕は、嘘だ、と思った。
彼女は怖がっていた。
少なくとも、突然夜中の一時に僕のマンションやってくるぐらいには、彼女は脅えていた。
そしてそれは、彼女が赤黒い月を見たからだ、と確信している。
今、月は少し欠けて輝いている。
それが突然、クシャッという感じで潰れた。
割れた卵のように、そこから何かがこぼれた様に見えた。
しかしそれも一瞬だった。瞬きする一瞬前にそのような光景が見え、瞬きを終えた今、相変わらず月は空に浮かんでいた。
なにが起こったのだろうか。分からなかった。しばらく月を見ていたが何も起こらない。気のせいなのだろう、と僕は思った。
視線を部屋に戻すと、彼女はこちらをじっと見ていた。
僕は何か言おうとしたが、止めた。
どんな言葉も意味をなさないように感じた。
仮に、世界が終わる夜にかける、ふさわしい言葉があるとしても、僕にはそれを見付ける事が出来なかった。
何かが遠くで轟いた。雷鳴だった。
それが合図だったように、空がみるみるうちに雲に覆い隠されていく。ぽつりぽつりと雨が降りだし、次第に雨脚は加速する。
何かが僕らの世界を支配しはじめる。
稲光が空気を裂き、地上に足跡を残す。
気温が下がり、部屋の空気を凍りつかせようとする。
今、かつて古代人が見た夢は、大陸とともに光りが届かない海中の奥底に沈んでいる。海底の細かな砂とまじりあい、静かな闇の中で光りが届くのをじっと待っている。
この雷雨は、この世界を同じ歴史の中に閉じ込めようとしているようにみえる。
ふいに寒さを覚え、僕はベッドに入り込む。
目を瞑り眠りにつこうとする。紅茶を飲み終えた彼女も、同じベッドに入ってきて、すぐに緩やかな吐息をはじめる。
しかし僕の神経の一部は、ある種の冷たさを持って、イメージを刺激する。
今、この瞬間にも、古代人が見た夢に追い付き、追い越そうとしているのかもしれない、と僕は考える。
何処からか溢れ出てきた水が、街をゆっくり洗い流されていく。深く落とした闇が、雨の音を吸収する。それに腹を空かせた獣のような雷鳴が覆い被さる。
時間は氾濫を起こした川のように逆流し、ちぎれちぎれとなった僕たちが見た夢片を遥か昔に流していく。
朝焼けとともに今の世界は儚くかき消され、新たな世界が創造される。僕はそんな光景を、ひりひりとした一部の神経で感じている。
いつの間にか僕は眠っていたようだった。
横では彼女が静かに眠っている。
ベッドから脱け出し僕は窓際に近づく。
雨はあがり、月は毒々しい色を吐き出したように、輝きを取り戻している。
僕はそれを見て呟く。
「どうやら、世界が終った後の世界は、それほど悪くないらしい」
雲が月を一部を隠し、音符の形を作っている。どこかから音楽が聴こえる。それは空から聴こえる。
僕にはそれが心地良く響く。
新しい世界をつげる音楽。新しい夢を育む音楽。
音符の月が音を降らすように揺らいでいる。
僕には古代人の夢もまた悪くない気がした。
End
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他にも短編書いてますので、よろしかったら読んでみて下さい。