86 文化祭の1週間前
10月、11月が過ぎ去り、12月の第1週を迎えた。
そして、とうとう来週の週末(土日)には仙宮高の文化祭が開催される。
それは同時に僕と藍菜、石森のバンド"MEtoHANA"の初ライブも意味する。
はたして多くの観客の前で満足のいく演奏ができるだろうか。
毎日のようにギターの弦を押さえて硬くなった自分の左手の指先を見る。
どんなに練習を積み重ねようとも人前で何かを行うことにプレッシャーを感じずにはいられない。
他の演者のほとんどがカヴァー曲を演奏する予定の中、オリジナル曲を披露するのは一部のロックバンドと僕等だけだった。観客は僕等の曲で盛り上がってくれるだろうか。
この迫りくる一大イベントにより頭がいっぱいで、他の事に気が回る余裕がない。最近はエウレカの推し活動などすっかりおろそかでとてもそれどころではなかった。
この2ケ月の間、雨音を学校で見かけることはなかった。ここまで有名人になってしまうと来れば騒ぎになることが必然だからだ。
ましてや学外の人が自由に出入りできる文化祭になんて来ないだろう。
この一週間は、雨音やエウレカの事についてはいっさい頭の片隅にある引き出しに小さく畳んでしまっておくことにした。
金曜日の朝、これから朝のホームルームが始まろうという時―
「塔君、塔君」
廊下の方から僕の名を呼ぶ声がする。
その声のする方を向くと、石森がひどく慌てた顔で手招きをしている。
何か嫌な予感がする。こういうのは決まって当たるものだ。そう思いながら彼に近づいた。
「松島部長と美郷さんがそろって入院した。退院まで2週間はかかるらしい」
「ええっ!」
2人とも数日前から部活で見かけていなかったので何かあったのかと気にはなっていた。
ホームルームの開始のチャイムが鳴った。
詳細は部活でと言い残し、石森は自分のクラスへと走って行った。
ついでに隣りのクラスの方を見ると藍菜が顔だけ出してこちらに首を振っている。僕の直前に石森から聞いたようだ。
その日は授業中もそっちのけの状態だった。1週間後に迫った文化祭の事が朝の件も加わってさらに僕の頭をいっぱいにさせた。
部長と副部長が入院だって。軽音楽部で参加するライブはどうなるんだよ……
(部長も副部長もいないんじゃさあ、軽音部の催しものは残念だけど中止にしよっか)
なんてまさか古川先生は軽々しく言わないよな。
これまでこの文化祭の日ために練習してきたのに、大勢の前で演奏するのも心臓バクバクで不安だが、取り止めになってしまうのはもっといやだ。
そんなヤキモキした気持ちで今日1日を過ごし、最終の授業が終わるチャイムの音と同時に僕は急いで軽音楽部の部室へと向かった。
他の部員達も気になっていたみたいで、不安げな顔でぞろぞろと僕の後から部室へ入って来る。最後に入って来たのが古川先生だった。
「みんな知っているように松島君と美郷さんが今朝病状が悪化し病院に入院した。それぞれの親御さんによればひどい高熱と腹痛で起き上がるのもままならないらしい。他の人にも感染するおそれもあるみたいなので、お見舞いも遠慮してくれとのことだ」
「文化祭はどうなりますか」
石森が皆を代表して質問する。
「うん、みんなも文化祭のために一生懸命練習してわけだし、やろうとは思うんだよね」
僕はほっと胸を撫で下ろした。
「ただ、部長と副部長のペアが演奏する予定だった時間の穴埋めをどうするかなんだよな」
文化祭のライブは軽音楽部の他に吹奏楽部やダンス部、普段は別の部に所属している人達で構成されたアマチュアバンドなどが参加する。
その内、軽音学部は4グループ出演の予定が3グループになってしまった。1グループの持ち時間は15分。この1グループ分空いてしまった15分をどうするか話し合った。
「その時間、休憩時間にしてしまったらどうですか」
3年の男子部員が手を挙げて提案した。
「休憩時間は別にちゃんと設けてあるんだ」
「先生が漫談か手品でもやったらどうだべ」
とは藍菜。
「う~ん、最悪それでもいいが……音楽やダンスの演目の間にそういうのをやって思いっきりすべったらやだな。それに文化祭の主役は生徒だからね。できれば君達に何かやってもらいたい」
「曲の合間のMCの時間を増やすとか、1週間までの間にもう1曲準備するとか……」
石森が神妙な面持ちで考え込む。
「15分を平等に3グループで分けることで、1グループにつき5分間延長でどうだろう。急で悪いが何をするか週末に各自考えて来てくれないか」
古川先生はそう言うと、用事を思い出し部室を後にした。
部員達は、その後通常通り文化祭の予行練習を行った。僕等"MEtoHANA"も文化祭で披露する曲"Aitai" "Strong in the rain" "No Title"を一通り合わせた。
下校は途中まで藍菜と石森と一緒に歩いた。
「おみーら2人で漫才でもやればいいべ。よりうけるようにうちのセーラー服でも着たらどうだべ。貸してやるから」
藍菜がニヤニヤしながら言う。
「いや、それは……」
披露する曲を真面目に聴いてもらいたいので、さっきの古川先生じゃないけど大衆の前で変な感じになるのだけは勘弁だった。
「僕はMCの内容を広げる方向で検討してみるよ。有名なドラマーの逸話とかさ。悪いけど塔君はもう1曲作れないかな」
「もう1曲……」
僕は返事に困った。週末に1曲できたとしても来週の土曜日までに演奏できなければいけない。かなりタイトなスケジュールになることは間違いなかった。
「できなきゃできないでええべ。あたいは知り合いの知り合いまで聞いて回っておみーらの漫才のネタでも考えておくべ」
藍菜がポンッと僕の肩を叩いた。その弾みで多少は肩の荷が下りた。
「そんなことよりよ、部長と副部長は同時に同じ病気に感染なんて、それまで一緒にいったいどんな事してたんだべ」
「どんな事って、練習……」
と言いかけて、藍菜の言わんとすることの意味が分かり、僕は口を閉ざした。2人とも今相当苦しんでいるはずなのに変な詮索はやめて欲しいものだ。
「藍菜はどう思うの?」
残念ながら石森には通じなかったようだ。
これ以上言わせんなこの鈍感ヤロウと藍菜は石森の頭をパシリとはたいた。しかもけっこう強めに。