84 Before Long
「おみーもたしかソフトだったじゃ?」
校内の球技大会ではバスケ、バレー、卓球、フットサルそしてソフトボールの計5種目が行われる。
その中で僕はソフトボールを選んだ。
理由は他の競技に比べるとボールが来なければそんなに動き回らなくて済むし、そんなに大変そうじゃないから。
スポーツを真剣にやっている人からしたら大変失礼な理由だが、僕のスポーツのピークは小学3年生くらいで、その後は真剣勝負といったものとは無縁で軽い運動程度なものになってしまった。
そう、僕はスポーツというものを小学生の時のあの場所に留めたままにしているのだ。
僕がソフトボールをやる事を藍菜が知っていたのは先週金曜日の午後に体育の授業で本日の予行練習的な遊びのキャッチボールをしていて、その時に校舎の窓から藍菜が僕を見つけて手を振っていたからだ。
"おみーも"ということは藍菜もソフトをやるようだ。
「負けねーべ」
「望むところさ」
と強気な発言はしたものの、ソフトボールなんて小学校の体育の時間でちょっとやったぐらいで正直あまり自信は無い。
そんなソフトボールの1試合目は、偶然にも雨音のクラスとの対決だった。
僕等のチームは後攻で、僕はレフトを守りつつもすぐさま相手チームの応援団の中に雨音の姿を探した。
雨音といつも一緒にいるクラスの女子生徒A,Bの姿はあるものの、残念ながらその間に雨音は居なかった。
試合が始まる前に他の競技も一通り見回ってみたが、どこにも雨音の姿は無かった。残念ながら今日も欠席のようだ。
ソフトの試合の状況だが、雨音のクラスに0対1で負けており、2回裏で7番の僕に打順が回ってきた。
小学生の頃を思い出して、初球の球を思いっきりバットを振るも球にはかすりもせずに空振り。
おまけに運動不足の身体でバットを勢いよく振ったため腰が痛い。
2球目はボールを見過ぎて見逃しのストライク。
ボールをよく見て、とうちのクラスメイト達の声。
この場にもし雨音がいたら、どんな感じだったんだろう。
(ねえ、あのホームラン打った人すごくない?)
(かっこいい)
雨音のクラスメイトAとBがいきなりホームランを打った僕の事を雨音に話してくれている。
1塁、2塁を悠々と回り、3塁側で応援している雨音の方へだんだんと近づいてゆく。
そして、3塁ベースを踏んでホームベースに向かう途中、嬉しそうな顔の雨音と目が合う―
「ストライク!バッターアウト」
現実は思い通りにはいかない。全くボールにかすりもせずに空振りした僕は勢いでそのまま初心者のフィギュアスケーターさながらクルリと1回転して地面に倒れ込んでしまった。
ワハハと笑い声だけが虚しく響く。
居たたまれない気持ちから早く逃れたい僕は直ぐに起き上がって、ズボンの埃を払いながらそそくさとベンチへ戻って行った。
(ドンマイ、ドンマイ)
(次だ、次)
自軍のベンチに戻り、クラスメイト達の温かい言葉に耳を傾けつつも、長年のブランクでここまで下手になってしまったのかとショックを隠し切れない。
何とも言えない重たいムード。
現実逃避したい。そう思った僕の脳裏にまた一昨日のエウレカのドーム公演の風景がよみがえってきた。
公演終盤、センターには志波 樹が立っていた。
「最後に新曲を披露します。Before Long―」
この曲は今年のカラオケ大会の優勝者である志波にご褒美として作られたものだ。
ちなみに2列目にはあのカラオケ大会で2位の雨音と3位の葛巻が中央に並び、その両脇には透野と久坂が立つ。この5人がこの曲のメインボーカルだ。
制作時期は志波が休養中の間。
騎械氏が作曲・編曲し、今回の作詞は小説家兼詩人として若い世代から支持されている早池 峰が担当した。
タイトルのBefore Longは"もうすぐ"という意味で早池が休養中の志波と何度もメールでやりとりしながら詞が作られた。
そのような背景もあって、歌詞には"暗闇を飛び越えるまで、あと少し"等、活動休止中の志波の早くみんなの前で歌いたいという思いが綴られている。
早池の狙いなのだろうが、苦しみや辛さを暗闇や壁などの言葉に置き換える事で志波本人のみならず、今の環境に馴染めず苦しんでいる人だったり夢や目標が実現できず諦めかけている人へのエールのようにも感じ取れる。
曲自体が明るくノリの良い雰囲気に仕上がっているため、歌詞に重たい言葉が並んでいても前向きな気持ちにさせてくれる。
今回、一ノ瀬 騎械という曲作りの天才と早池 峰という言葉の技巧者のコラボレーションによってエウレカの楽曲リストにまた新たな一面が開拓されたと言えよう。
この曲は僕にとっても、"今ではない、けれどBefore Long雨音に逢える"と思わせてくれるお気に入りの1曲となった。
最終回、5回の裏、0対2で走者は1,2塁。ツーアウトの状況で僕に打席が回ってきた。
正直言ってこんな大事な状況に直面するのは想定外だった。
そして、そんなに大変そうじゃないからという安易な理由でこの球技を選んだ自分自身を悔やんだ。
他の人に代打をお願いするという選択肢もある。今なら間に合うかも……
そんな時、何故か雨音の顔が脳裏によぎった。
1ケ月以上も続いた過酷なドームツアーで懸命にパフォーマンスをしている雨音の顔が―
僕の前打席の失態から相手チームの面々はもう勝ったという顔をしている。
偶然にもピッチャーはあのゴリラ顔の名取だ。
(気になってる人は……音楽やってる人)
雨音の気になる人って誰だろう。名取じゃなくてもこの雨音のクラスメイト達の中にいるんだろうか―
そう思ったら、これは何だか雨音や彼女のクラスメイト達の僕に対する挑戦状みたいに思えてきて、心拍数は上がって緊張はしているんだけれども絶対に負けたくないと思ってバッターボックスに立った。
1球目はわずかにバットにかすり、3塁側へのファール。
2球目はボールの球筋を見て、踏み止まりボール。
3球目はタイミングが合わず空振り、ストライク。
追い込まれたが、ピンチはチャンスだと自分に言い聞かせる。
この試合のクライマックス― 両チームから歓声が沸く。
4球目。僕の頭の中に何度も繰り返し聴いたBefore Longの歌詞が流れてくる。
"壁を乗り越えた先で みんなが待っている"
僕は飛んでくるボールに向かって勢いをつけて、思いっきりバットを振った。
カキーンという心地良い金属バットとボールの音。
芯を捕らえた打球はセンターを守る外野手を飛び越えてどんどん向こうの方へと転がって行った。
「そうまとう! 走れ、走れ!」
一番驚いてあっけにとられた僕は、クラスメイト達の声に背中を押されるように走った。
「行け! 行け!」
外野手達がまだ僕の打ったボールを追いかけているのが見えた。2塁を蹴る。
1,2塁の走者が立て続けにホームに帰る。これで同点だ。
「大丈夫だ、ホームまで走れ!」
3塁ベースを踏んだ時、相手チームの応援団が視界に入った。
雨音のクラスメイトA,Bの間にちょうど1人分のスペースが空いていた。
あそこに雨音がいるんだ。そう思ったらなんだか雨音も真剣勝負に挑んだ僕を祝福してくれているみたいで嬉しさがこみ上げてきた。
ボールがセカンドの手に渡り、そのボールは捕手の方へと飛んでくる。
僕は全速力で走り、ホームベースを踏んだ。そしてその後に僕の背中に捕手のグローブが当たった。
「セーフ!」
主審の一声に両チームからわーっと歓声が上がる。
逆転勝ちしたんだ。スポーツがこんなに面白いものだったなんて。こんな沸き上がる感覚いつの間にか忘れてしまっていた。
僕は大声で感情を爆発させながら、同じくらい大喜びしているクラスメイト達の方へと駆け寄って行った。