82 続・奇跡的な出来事
雨音のつきあっている人……高校入試の合格発表の時だってここまでの緊張感はなかったかもしれない。
彼女の次の言葉を待つ時間がとても長く感じた。
「う~ん、交際してる人は今いないけど……」
ああ、いないんだ。内心ほっとした。
「気になってる人は……音楽やってる人」
(音楽やってる人!)
僕も一応、軽音楽部に所属してるし、仙宮高で音楽やってる人に含まれるのだが……
でも数秒考えた後、僕ではないと気付いた。
学校で数回すれ違ったぐらいで校内で話したことなんて皆無だ。
握手会では話したが、その時は"東京在住のトーマ"と名乗っていたのだった。
なので雨音にとって今の僕は同じ学校に通っている知らない人に過ぎないのだった。
そんなわけで、もしかして僕に気があるんじゃという淡い期待はもろくも崩れた。
それにしてもいったい誰だ。
真っ先に思い浮かぶのは雨音のクラスメイト。不定期に登校してくる雨音に一番会っているから。
名取とかいうやつが上級生とバンドを組んでてベースを弾いているとか聞いたことがある。
でもなんか見た目がずんぐりむっくりな上にゴリラにベースを持たせましたという感じのやつなので雨音とはどう見ても合わないように思うが……
その後、3人のガールズトークは明後日の札幌のライブに話題を替えて進んで行ったが、僕の頭の中は"雨音の気になっている男子"で上の空状態になった。
実際のところは分からないが、部活はやってなくても音楽教室に通ってる人とか他校の生徒とライブハウスで音楽活動をしている人だっているはずだ。
同学年とも限らないわけで上級生かもしれない。
手がかりがあまりにも少な過ぎて僕の想像力はビッグバン後の宇宙のように広がってゆくばかりだ。
そうこうしているうちに雨音達は席を立ち、会計を済ませるためにカウンターの方へと向かった。
もう少し一緒に……と思ってしまった僕は彼女達が店のドアを開けて出て行くのを見届けた後、会計を済ませて後を追った。
通りに出ると割と直ぐ近くに雨音達がいたので、僕は一瞬焦ったが、努めて冷静さを装い、彼女達と顔を合わせないように背を向けてその場から離れるために喫茶店の横の雑貨屋に入った。
ちょっとだけ顔を出して様子を伺うと、釜井が雨音達に手を振って元来た仙台駅の方へと歩いて行った。
彼女は先ほどの喫茶店内で、せっかくだからもっと東北の名所に立ち寄ってみたいと言っていた。
雨音達とは別行動をとることで釜井の興味の赴くまま、じっくりと各スポットを観光するのだろう。
僕は雨音達の向かう方向へついて行こうとしたが、雑貨屋の主人が訝しい顔でじっとこちらを向いているのに気付いた。
このまま店を出るのも悪いなと思ったので、近くの陳列棚に置かれていた今後僕が使う機会はないだろうと思われる婦人向けの刺繍の入ったかばんを値段も見ずに掴み、レジの前に置いた。
店主に3,300円ですと言われ、思わぬ高額出費にええっとつい声を発してしまったが、背に腹は代えられないと全財産に近い有り金を払ってその店を後にした。
買ってしまったかばんは家に帰ったら母親にプレゼントしよう、母の日でも誕生日ですらないのに驚く母親の顔を思い浮かべながら早足で歩き、なんとか雨音達に追いついた。
彼女達は最近オープンしたばかりの若者向けのおしゃれな眼鏡店の前で、陳列されている様々なデザインのサングラスを眺めたり、手に取ってかけたりしている。
しばらくその光景を眺めていると、いかにも不良という若者2人がどこからともなく現れて雨音達に近づいて来た。
「ねー、よかったら俺らと今からお茶でもしない?」
ナンパされてるようだ。確かにこんな時間帯で小柄な女の子2人だけだとこういうトラブルに巻き込まれる可能性もあるかもとは薄々思っていた。
当然だが、雨音は手を左右に振って断っている。
一方の平良は、この状況下で呑気なものでポケットからお菓子の容器を取り出し、その中に入ってあったグミらしきものを2,3粒食べ始めた。
あいにく近くに交番もなければこういう時に限ってお巡りさんも見当たらない。
「いいじゃん、いいじゃん」
その内の1人が雨音の腕を無理矢理掴んだ。
「きゃあ!」
どうする……出ていくべきか、電柱の陰に隠れたまま、やきもきしていると、
「何すんのよっ!」
ドスッというけっこう大きな音がして不良の1人が膝から落ちて倒れた。
平良が目にも止まらぬ速さでその不良のみぞおちに正拳突きをおみまいしたのだ。
「くっ!おぼえてやがれ!」
2人の不良は僕の前を通り過ぎて、全速力で逃げて行った。
正拳突きを食らった方は大丈夫かと思うくらい物凄く痛そうな顔だった。
「ふんっ、先に断りもなく女性に触って来たのはそっちでしょ。だいぶ手加減してやったわよ」
平良は不良達の方向を見ながらべーと舌を出している。
「たいらちゃんがいてくれて助かったわ。ありがとう。でも、みんな見てる。行こう」
雨音は平良の手を取って駅の方へと一緒に走って行った。
周囲の通行人も一連の騒動が治まると何事もなかったかのように歩き出した。
そう言えば平良は幼少の頃から琉球空手を習っていて、かなり上位の有段者だと3期生の加入時のインタビューで紹介されていたっけ。
あんな小柄ながら頼もしいボディガードが一緒なら雨音も安心だろう。
あー、なんだか解熱剤が切れて熱が出てきた。
仙台駅で雨音達が改札に入るところまでを見届けた後、僕も電車の切符を買おうとしたところで気付いた。
家までの切符を買うお金がない……ということに。
かなりきついが歩いて帰ろう。
手には先ほど買った男子高校生には不釣り合いのかばんを持って。
奇跡的な出来事に幸運にも巡り合えた。でもその代償もそれなりに大きいものだとその時思った。