81 奇跡的な出来事
国民的アイドルが目の前にいる―
にわかに信じられない事だ。
何かテレビ番組のドッキリでも仕掛けられているのかと一瞬思ったが、それなら次に彼女達の方から近くにいる一般人に話しかけたりするはずだが、待てど暮らせどその気配はない。
番組スタッフが出て来たりとかどこかでカメラを回している様子もない。彼女達3人だけで完全にプライベートを楽しんでいるように見える。
僕が今日学校を休んでここに来なければこんな間近で見れることなんてなかった訳で本当に奇跡だ。
確率に換算するとたまたま買った宝くじで100万円を当選するくらいじゃないだろうか。
そんな風に思っていると彼女達は手に持っていた雑誌を棚に戻し、書店を出ようとしている。
ここでお別れ―
それも何だか名残惜しい。
神様、お願いです―勉強やら家での手伝いやら、今まで嫌がってやらなかったことをこれからは自ら進んでやるようにします。
そう祈りながら、有名人につきまとうなんてアウトだろうという罪悪感とこんなチャンスもう一生ないだろうというもう1つの感情を天秤にかけ、後者が重くなってしまった僕は彼女達の後を足早について行った。
幸い今日は制服ではなく、半袖のポロシャツにジーンズという恰好だったので、仮に彼女達が振り返ることがあってもあまり目立たない。
駅ビルの2階から外に出ると彼女達は仙台駅東口の駅前広場から地上に降りるための階段の方へと向かった。
釜井、雨音、平良の身長順に並んで歩いているその後ろ姿はまるでスマホの右上にいつも表示されている3本のアンテナのようだ。
階段で地上に降り立つとすぐ傍にある商店街のアーケードの中へと入って行った。
僕は彼女達に気付かれぬよう細心の注意を払いながらゲームセンターでUFOキャッチャーやダンスゲームを楽しんでいる3人の姿を眺めた。
多忙なスケジュールの合間の憩いを雨音もにこにこしながら楽しんでいる。
彼女の屈託のない笑顔を見ていると雨音だってアイドルしてない時はよくいる普通の16才の高校生なんだなと思ってしまう。
ゲームセンターを出た3人は、次に何十年も前から営業してそうなレトロな喫茶店の中へと入って行った。
店内は節電のためか照明を暗くしており、店主の趣味なのだろうか洋画や置き物などアンティークな物でちりばめられていて落ち着いた雰囲気でまさに隠れ家といった様相だ。
おまけに月曜の午前中ということもあって20人程入れる店内で客も2,3人ほどしかいない。
彼女達は人目につきにくい奥の4人掛け用テーブル席に着いた。
僕はそれを確認するやいなや、自然を装って彼女達に背を向けながら隣りのテーブル席に滑り込むことに成功した。
これで彼女達の会話を聞くことができる。しかし、まだ課題は残されていた。
店内に響き渡るBGMである。本来は他の客に気兼ねなく話をするためのものだが、今の僕にとっては彼女達の声を妨げるものでしかない。
そこで僕はある作戦を遂行しようとスマホを取り出した。
アルバイトらしき若い女性店員が彼女達の注文を受けた後、僕の横へとやって来た。
僕は蚊の鳴くような小さな声でメニューを指差すことによりレモンスカッシュを注文し、それから自身のスマホ画面をその店員に見せた。
画面には大学受験生向けの英語リスニング動画が流れており、僕が天井を指差し、聞こえないと手を振るジェスチャーをした。
それが上手く伝わったらしく彼女はわかりましたとうなずくとカウンターの奥へと消えた。
間もなく店内のBGMがほとんど聞こえなくなり、僕の作戦は上手くいった。
おかげで隣りの3人の声がとてもクリアに聞こえてくる。
毎週欠かさず聴いているエウレカのラジオ番組「エウレカネットワーク」が僕の直ぐ真横で公開生放送してくれていると思ったら、途端にとてつもない感激が胸にこみ上げてくる。
「……ライブでもなかなか東北に来る機会が無かったから、あーちゃんにはほんっと感謝」
「うんうん、牛タンもさいっこー」
聞き取れたのは釜井と平良の会話の途中からだったが、エウレカの5大ドームツアーが明後日の札幌を皮切りに始まるので、昨日から新幹線の移動の途中でここに滞在しているらしい。
ちなみに昨日は、3人で雨音の実家にも立ち寄ったようだ。平良が雨音の部屋を女の子の部屋にしてはあまりかわいらしいものを置いてないと言うのを釜井が東京にも部屋を持ってるのよとフォローしていた。
「高校は普通科の高校に通ってるの?」
「うん、そう」
「共学?」
「そう」
「うらやましー、あたし女子高だからさ」
釜井が都内の有名私立女子高に通っているのは、ネットで噂にはなっていた。ここまでプライベートな話は流石にラジオでもできないだろう。
さっきの店員さんが雨音達に3人分のクリームソーダを運んで来た。
どんな学校行事があるとか、部活はどんなものがあるとかメンバー達が僕自身も通う仙宮高の事を話題にしてくれるのもなんだか嬉しい気持ちになった。
「あーちゃんは何か部活やってるの」
「ううん、帰宅部だけど」
こんな地方の高校で国民的アイドルが部活なんてしていたら部員になりたい人が殺到して大変だろうなと僕は心の中で想像した。
「じゃあ、学校にイケメンとかいる?」
う~ん、どうかなと平良の質問にはっきりとは答えない雨音。
平良は都内の某高校の芸能コースに通っていたはず。自身の高校でも誰と誰が付き合っているとか日常的に話題になっているのだろう。
店員さんが僕の席にレモンスカッシュを運んで来た。
僕は平良をこれまで映像で何度も見ているので、あの小柄ながらつぶらな瞳で興味津々に雨音に尋ねている姿が目に浮かぶ。
僕はもちろん彼女達に背を向けた状態で声だけ聞いているので実際のところは分からないが。
平良の声のトーンが下がった。
「ここだけの話。絶対に口外しないから。今、学校でつきあってる人とか気になってる男子はいないの?」
何というド直球な質問だ。僕は飲み物で咳き込みそうになったが、後ろの3人に怪しまれてしまうと口をおさえて呼吸を止め、必死に耐えた。
雨音にこんな質問はよほど仲のいい人でもできないだろう。雨音の好きな人、聞きたくないけど……やっぱり気になるから聞きたい。
無邪気で天真爛漫な平良にグッジョブと心の中で呟きながら、どんどん高鳴る胸の心拍数とともに雨音の回答を待った。