80 最接近
番組を見終えて病院の受付に目を向けると、自分の整理番号がディスプレイに表示されていることに気付いた。
僕はスマホを胸ポケットにしまい、治療費を支払うため急いで会計のところへと向かった。
そして支払いを済ませた後、最寄りの駅へと向かった。
「一応、解熱剤を打ったけど、大事をとって今日は自宅で安静にしてましょうね」
医者からはそう言われたけど、せっかく学校に縛られない月曜の自由な時間を得ることができたわけだし、存分に満喫させてもらおう、そう思った僕であった。
仙台駅で電車を下車すると隣接している駅ビルの中に入った。
エスカレータで3階まで上がり、フロアの4分の1を占めるぐらい広い書店に入った。
ここは市内、いや県内1、本が取り揃えられている。なのでここに来れば大抵の欲しい本は見つかる。
月曜の午前中ということもあって、客の入りはまばらだ。時間は多くあるように見えてあまり無いものだ。
僕は真っ先に奥の棚に陳列されている音楽関連のコーナーへと向かった。
音楽制作というアウトプットばかり続けていけば、いずれ似たような曲しかできなくなってしまう。
たまにはこうして情報をインプットする営みも必要なのだ。そんなわけで学校帰りや土日等、2ケ月に1回くらいの頻度でここに来るようにしている。
数ある中からまずは最近の人気曲のギターコード譜集の1つを手に取る。他の人の作ったコード進行、特に曲の心臓部とも言えるサビの部分のコード進行に着目する。
その中で気になったコード進行を見つけたら、一旦そのコード譜集を閉じて近くにあるコード理論の教本で調べるようにしている。
コード進行の1番有名なものと言えば、C→G→Am→Em→F→C→F→Gのカノン進行だ。
完璧とも呼べるそのコード進行によってこれまで無数のヒット作が世に送り出されてきた。
それ以外にもC→CM7→C7→Fとルート音が半音下がってゆくクリシェ進行やJ-POP定番のF→G→Em→Am(~進行という呼び名は特にないらしい)などをこの場所で学んだ。
こういった情報が作曲する上での引き出しになる。
どう弦を押さえて鳴らすのか分からないような複雑なコードも割と高い確率で見かける。例えばC/Gのような分数コードだったりCsus4と表記されるサス・フォーコードとかだ。
兄貴曰く、1個1個調べていたらきりが無いのでそういう時は至極簡単なコードに置き換えたら良いとのこと。C/GならCだけに置き換える。シンプルイズベストで少しずつ上達していく方が長続きするコツなのだそうだ。
流石にいつも立ち読みでは書店さんに申し訳ない。財布と相談しながらたまには買うようにしているが、買ってしまうと逆にいつでも読めるからと却って読まないものだ。
最近購入したコード進行の解説本は時間ができたらじっくり読もうと思いつつも、1度も開かずに部屋の本棚の一番隅に寂しそうに置かれたままになっている。
もっと知りたい。そう思いながら今度は音楽雑誌をめくっていると僕の背後から同年代かちょっと年上の若い女性達の声が聞こえてきた。
「ねー、あーちゃん、今度こんな髪型してみたら?」
「えームリムリ」
あーちゃんと言ったら、僕にとって真っ先に思い浮かぶのは雨音だ。だが、あーちゃんと呼ばれている人は日本に大勢いるわけで、もちろんそんなはずはないだろう。
「しーちゃんはどう?」
「う~ん、かなりベリーショートじゃない。髪を乾かすのは楽だけど、けっこう勇気がいるわ」
しーちゃんはさっきの学力テストで1位だった釜井 静流。偶然にもこんなことあるのか。この3人組はエウレカのファンなのか。
「そんなに言うなら、たいらちゃんやってみなよ」
しーちゃんと呼ばれる人の声だ。
「えー、ムリ」
たいらちゃん、たいらちゃんとは3期生の平良 泉。えっ……、いや、まさか。でも3人とも声までそっくりだ。
僕は背後の彼女達に気付かれぬよう、何気なく持っていた雑誌を積まれていた場所に戻し、ゆっくりとそこから離れてさりげなく彼女達を真横から見えるよう奥の棚へと移動し、平積みされている全く興味の無い大きめの手芸雑誌の1冊を手に取った。
そして、雑誌を見るフリをしながらそっと彼女達の方を目を凝らして見た。
目立たぬように変装しているが間違いない。
彼女達3人の中で一番背の高い女性―グレーのバケットハットを目深に被り、黒いシャツの上に夏用の白いブラウスを羽織り、ガウチョパンツに靴はブラウン色のローファーという出で立ち。本物のしーちゃんこと釜井 静流だ。
一番小柄な女性―黒のキャップに緑色のTシャツ、紺色のサロペットを着て、靴は黒いサンダル。たいらちゃんこと平良 泉。
そして一番奥に居るのが青いキャップに黒縁の眼鏡、水色のシャツワンピースにクリーム色のカーゴパンツ、赤と白色の合わさったスニーカーを履いている雨音だ。
3人とも色違いでお揃いのショルダーバッグを肩から下げている。
どうしてこんなところに……僕の鼓動はどんどん大きくなっていった。