63 ドラム音源
3回目のセッションを終え、正午になると、松島部長をはじめ何人かの部員達が部室にやって来た。
実を言うと昨日は合宿での疲労回復の意味もあって軽音部は公には休みという扱いで、今日の午後から部活動を開始する予定になっていた。
僕達は他の部員達が部室にいる時にドラムセットを運び込むことも考えたが、それでは部員達を驚かせられないと前日から準備していたのだった。
案の定、部員達はおお、とかすげーと言いながら石森のドラムセットの前に集まった。挨拶代わりにズンズンチャチャとドラムを叩いて見せる石森。
そんな中、松島部長が1人、腕を組み険しい顔をしている。
「おいおい、こんな大きな物が部室を占有するなんて聞いてないぞ」
部長はやや怒り気味だ。凍りつく周りの部員達。僕も許可も取らずに勝手に運んで来てしまったのかと焦った。
「えっ? いやー、一昨日の晩、部長にお電話で了承頂いて、顧問の古川先生も部長がOKならって・・・」
かなり動揺する石森。すると松島部長は、
「ふふっ、冗談、冗談だよ。この部に楽器が増えるのはいいことだよ」
松島部長は石森の腕をポンポンと優しく叩いた。
「冗談か、ふぁー、びっくりしたー」
石森は座っているドラム用のイスから崩れるように床にへたり込んだ。
その石森の姿に部員達からは笑いが漏れた。
MetoHaNaのメンバーで一番しっかり者の石森だったらちゃんとそこらへんはやってくれてるはずだよなと僕も安堵した。
「ちょっとあたしにも打たせてちょうだい」
美郷副部長は石森が退いたドラム用のイスに座り、タムやシンバルをドタドタガシャガシャと適当にものすごい勢いで叩いた。
「うおおおー、たまんないわね! プロのドラマーみたいにさ、一度こうやって高速打ちをしてみたかったのよね」
美郷さんは今まで一度もドラムを叩いたことがないだろうというのは素人の僕から見ても分かった。まるで3,4才児がでたらめに叩いているようだ。
「美郷さん! そんなに強く叩いたら流石に壊れますよ! 最初はもっとゆっくり着実に打つんですよ」
石森が立ち上がり、美郷さんのサポートに入ろうとする。
「あたしだってゲーセンの太鼓とかだったらやったことがあるのよ! えいっ!」
「あいた! 僕の手まで叩かないでくださいよ! 今わざとやったでしょ、痛いなー」
石森が部員達と遊んでいる間、藍菜がニタニタと薄笑いを浮かべて僕の側にやって来た。
「茜とはあの夜以降連絡を取り合っているべか?」
なんだか意味深な言い方をしてくるが、あの夜とは先日の合宿の事だ。
僕は別に連絡は取ってないと素っ気なく返した。
確かにあの夜は時間も忘れて茜とメールのやり取りをしたが、それはお互いに雨音推しという共通点があったからに他ならない。
藍菜の表情から察するに僕と彼女をくっつけたいと思っているみたいだ。
でもおあいにくさま。
久慈 茜は僕にとってはまだまだ得体の知れない存在だ。
いつも鼻から上が前髪で隠されていて顔の表情が分からない。
先日の合宿でも足の生えた幽霊かと見間違えたくらいだ。
藍菜としては幼馴染の茜の恋愛を期待しているのかもしれないが、流石に相手は僕ではないな。
茜が僕の事をどう思っているかは分からない。
ただ、彼女は聴覚に障害を持っているし、感情面でちょっとナイーブな部分があると藍菜から聞いていた。
変に突っぱねて傷つけたりせずにこれからも今まで通り1人の友人として彼女と接するつもりだ。
午後は再び藍菜、石森と今度は"Aitai"の曲のセッションを3回通して行い、この日の部活動は終了した。
アコギをハードケースにしまい、帰ろうとした際に石森に呼び止められた。
「夏休みの間、もう1曲制作するつもりだよね。塔君ばっかりに負担を押し付けるのも悪いからさ、これよかったら使ってよ」
石森が渡してきたのはプラスチックケースに入った1枚のCD-Rだった。中には石森の演奏したドラム音源が入っているという。
音楽は基本、メロディー、コード(ハーモニー)、リズムの3要素で構成される。その内のリズムに疎い僕にとってこれは次曲の強力なツールになる。
そう確信した僕は石森に礼を言い、そのCD-Rを受け取ると絶対に無くさないようにアコギのハードケースを再び開けて、中の隙間に丁寧にしまって持ち帰った。