61 ダンスレッスン4
「う、うーん」
1時間程休息していた松尾が目を開けると、彼女のすぐ横に央土がいた。
「瑠衣さん! あたしでもあの大変な課題ダンスをほぼマスターできました。すごいでしょ! 3回目で90点ですよ!」
「えっ! 何、どういうこと、ちゃんと説明して」
央土は手書きで書かれたダンスゲームのスコア表を松尾に見せ、軽舞、雨音、葛巻、央土の順で点数を競い合っていたことを説明した。
以下がそのスコア表の結果だ。
1回目 軽舞100点 雨音90点 葛巻88点 央土67点
2回目 軽舞100点 雨音95点 葛巻93点 央土79点
3回目 軽舞100点 雨音99点 葛巻100点 央土90点
軽舞は常に100点だが他の3人も普段からダンスの練習をしているので、回を重ねるごとに上達し、点数も上がっている。
「薫さん! やりましたね!」
3回目のダンスゲームを終えた央土が振り返ると雨音と葛巻がまるで自分の事のように手を叩いて喜んでいた。
「2人の方がすごいわよ・・・でも、うん、うれしい!」
「みんなコツを掴むのが早いねー、それでは速度を上げてみましょう」
軽舞はそう言うと、リモコンでダンススピードを2倍速に設定した。現在はその2倍速モードで引き続き4人で挑戦しているところだ。
「いいなあ、あたしも最初からこっちで習いたかったなあ」
松尾が羨望の眼差しで央土を見る。
2倍速1回目、軽舞が95点、雨音72点、葛巻74点、央土33点。
2倍速モードでも100点近くのスコアを叩き出す軽舞に雨音も葛巻も流石にこの人にはダンスで勝てないと脱帽だ。
「実はこのマシーンにはリミッターというもので速度制限がかけられているの。ねえ、このリミッターを解除してもっとダンススピードを上げてみない?」
限界に挑戦してみたいとニヤリと笑う軽舞。
それとは対照的にお互いに顔を見合わせ、これ以上にスピードを上げるってとあまり乗り気では無い3人。
「あたしはパス!」
と即刻辞退する央土。
しばらくの沈黙の後、
「まあ、1回ぐらいなら」
と葛巻がやらないとレッスンが終わりそうもないので、渋々OKすると雨音も頷き、軽舞はそうこなくっちゃとダンスマシーンのリミッターをこの中で唯一解除できる沢内を呼んだ。
沢内は名前を呼ばれて一瞬ビクッとしながらもいかにも疲労がピークといった様子で仰向けになって顔をタオルで隠している。
「ごめん、とても動ける状態にないわ。口頭で説明するから軽舞ちゃんが・・・きゃあ!」
沢内が話している途中で軽舞が彼女の両足を掴んで無理矢理ダンスマシーンの裏側へと引きずってゆく。
自由奔放なダンスの天才は、一旦脳内のスイッチが入ると誰も止められない。先輩であるはずの沢内も軽舞の暴走の餌食となってしまう。
「・・・たく、人使いが荒いんだから・・・」
沢内はぶつくさ文句を言いながら、マシーンの背後の2重ロックのかかった厳重なふたを開け、リミッターと思しきスイッチをOFFにした。
「ようし、これで速度を上げられるわね」
リモコンを片手にまたニヤリと微笑む軽舞。
「3倍速・・・いや一気に4倍速よ!」
嘘でしょと目を丸くする雨音、葛巻、央土。松尾に至ってはついていけないと再びマットの上に倒れた。
1度は断ったもののやっぱりやってみると最初に央土がチャレンジしてみるものの、4倍速ダンスに全くついて行けず0点だった。
モニターに映っていたモデルダンサーの軽舞は絶えず早送りしたみたいなあり得ない動きで踊っていた。
続いて雨音が挑戦するも25点、葛巻ですら28点だった。
そして最後、軽舞の番。彼女は深く深呼吸をすると、バレリーナのように片足でくるりと横方向に1回転した。彼女にとっても未知の領域の限界に挑むようだ。
開始1/3が経過したところでノーミス。台の上とモニター上の両方の軽舞の動きは、まともに目で追うことができないほどの速さだ。
残りのメンバーは固唾を飲んで見守る。
中盤に差し掛かったところでダンスマシーンがシューと音を立てて煙を出し始めた。
「えっ! まずいんじゃない」
マシーンの異変に気付いた沢内は慌てて緊急停止ボタンを押そうとしたが、間に合わず、マシーンはボーンとすごい音を発して天井方向に爆発した。
「きゃー!」
急いで避難するメンバーと撮影スタッフ。
あまりの負荷でダンスマシーンがオーバーヒートを起こしたのだ。
マシーンの中にいた軽舞も持ち前の運動神経の良さから幸い怪我はしなかったようだ。呆然とその場に立ち尽くすメンバー達。
それから1分も経たない内に大きな爆発音を聞いて、先程の一ノ瀬グループの社員達がレッスン場へと駆け込んで来た。
その中で一番偉いと思われる人が、状況を見て顔面蒼白になっている。そして、沢内と軽舞に1枚の書類を見せた。
「あのー、大変申し上げにくいのですが、このマシーンに実はこれだけの開発費がかかっています」
「げっ! こんなに0がいっぱい」
莫大な開発経費を見せられて、倒れそうになる沢内。
「もーう、知らなーい、知らなーい!」
錯乱し、レッスン場からダッシュで出て行こうとする軽舞。
「ちょっと! 軽舞ちゃん! ずるーい! 待ってー!」
無残に破壊されたダンスマシーンとともに残された雨音達をカメラは最後に映し、この日のダンスレッスンは終了した。
後日談―
「うわー、すっごい嫌だわー、怒られるの」
ダンスマシーンを壊してしまった翌日、沢内と軽舞の2人は事務所の社長室、つまり一ノ瀬 騎械の部屋の前にいた。
「あなた達! わたしがいない間にとんでもない事をやってくれたわね! これでエウレカももうおしまいよ! 今からこっちに来なさい、騎械もカンカンよ!」
とつい数時間前に大船 時枝から電話で呼び出されたのだった。
「軽舞ちゃんが調子に乗って滅多に設定しない4倍速にまで上げたりなんかしたからよ。一緒について来てあげただけ感謝してよ」
こういう時だけは2人の立場が逆転し、沢内は先輩らしさを取り戻せるのだった。沢内は言葉には出さないが、今回のダンスマシーンの企画から携わっていてマシーンの中の構造にも熟知しているだけ、軽舞を止められなかった責任も感じているのだろう。
一緒について来てあげただけ・・・とは言うものの彼女はダンスレッスンで足を痛めてしまいながらも軽舞だけに責任を負わせまいとこの場にやって来た。
2人はお互いに顔を見合わせて頷くと軽舞が恐る恐るドアをノックし、社長室の中へ入った。
社長室には騎械氏と大船 時枝がいた。2人とも神妙な面持ちで黙ったまま腕を組んでいる。
「ごめんなさい」
がっくりと肩を落とし涙目で反省した様子の沢内と軽舞。
「沢内 梢、軽舞 真希・・・君達に見せたいものがある」
騎械氏がプラカードのようなものをゆっくりと掲げ、ひっくり返した。そこには"ドッキリ 大成功"と書かれていた。以前の肝試しの時に雨音が持っていたやつだ。あの時の"逆ドッキリ 大成功"の"逆"の部分が白いテープで隠されている。
騎械氏はいつもの穏やかな顔になった。
「2人とも大丈夫だよ。元々あのマシーンは一ノ瀬グループの新規事業への投資予算の範囲で製作されたものだから。設計図も残っているし、修理にもそれほどお金はかからないよ」
隣りの大船も微笑む。
「よかったわね、これに懲りて今後は軽率な行動は慎むことね。今回のゲームとダンス、あなた達2人の可能性にはみんな期待してるのよ」
それを聞いて安心し、泣き笑いの沢内と軽舞。2人とも大船に抱きついて、今後いっそうエウレカの活動に励むことを約束した。
「思ってたより体の調子はいいみたい。あと5日あるでしょ? あたしも握手会で課題ダンス一緒に踊りたい」
松尾のSNSの報告によると、彼女はダンスレッスンの時には自身の体が限界で握手会は他の4人でお願いと言っていたが、いつものように大袈裟に言っていただけで、実際は2日で体の痛みも消えたようだ。
結局、彼女の課題ダンスのレッスンに他のメンバーが協力することになった。松尾と向かい合って見本ダンスを踊るモデルダンサーは軽舞が務めた。モデルダンサーは鏡に映ったように踊る、つまりいつもと左右対称に踊る必要があるため、そんな芸当ができるのは、軽舞だけだった。
雨音と葛巻は松尾が軽舞の動きと合っていれば、〇の札を掲げ、合っていなければ×の札を掲げる審判員を交替で担った。
そして、央土がその〇の数を集計し、ノートに松尾の点数を書き込むという超アナログ的なダンスマシーンを4人で実践した。
そのおかげで松尾も課題ダンスを覚え、握手会は5人で披露し、大成功に終わった。
その握手会当日の午前中に時を戻すと、沢内は秋葉原にいた。変装し、芸能人オーラは完全に消えている。彼女はまだ足を痛そうにしながらも列に並び、無事、E・ワイズ・ミーフィギュアをゲットした様子が自身のSNSに動画でアップされている。
その時に足を負傷していた彼女の移動の際には時折、手を貸す人物がいて、それが軽舞であることが動画の最後に判明した。
沢内と軽舞は今回の件で、2人の絆が一層深まったようだ。