57 真夜中の訪問者 続き
僕はその幽霊らしきを確かめるべく、すぐさま振り返った。
背格好は女性で夏だというのにニットの帽子を被り、目は髪で隠れ、口にはマスクをしている。
さらに服装はワンピース姿で靴はブーツを履いて・・・と思ったらその背後霊は久慈 茜だった。
何も言わずに黙って僕の方を見ていたのでびっくりさせないでくれと怒ろうと思ったが、茜は聴覚障害があって元々話すことができなかったと気づき、怒りたい気持ちは消え失せてしまった。
いつもそばにいる藍菜も今はいないようだ。
そして、驚いた時にちょっと大きな声を出してしまったが、誰も起こしてないよなと洗面所の入り口から顔を出し、各就寝部屋のドアを確認してみたが、幸いドアを開けてこちらの様子を伺っている者はいなかった。物音1つも聞こえてこない。
僕は隣りにいる茜の方を向き、どうしたのと人差し指を左右に振って手話で尋ねてみた。
手話といってもつい最近TVで観て覚えた簡単なやつで今はこの1つしかできない。
それでも茜は僕の人生初の手話を褒めてくれるんじゃないかと心の奥底で期待したものの、まさかの完全スルーだったので拍子抜けしてしまった。
茜は僕がスマホを持っていないと分かると下を向き、自分のスマホで文字を打ち込み始めた。
そして打ち終えたそのメモ帳の画面を僕に見せて来た。
(なかなか眠れなくて)
彼女からスマホを受け取り、改行後に自分の言葉を打ち込んだ。
(僕はさっきまで寝てて、今起きたところ)
彼女に渡す前に少し考え、以下の文を付け足した。
(うちの課外活動はどう? 楽しめた?)
茜にスマホを返すとこんな返事が返って来た。
(うん、みんな優しいし、なかなかこんな機会なかったから楽しかった)
静寂の中でパタパタと互いにスマホの文字を打つ音だけが流れた。
たまにはこんな夜の過ごし方もいいものだ。
(この間の新曲聴いてみた)
僕が先日制作した2曲目を茜も藍菜を介して聴いてくれていたのだ。
その音源は、僕の弾き語りを藍菜がスマホアプリで録音したものである。
今更ながら茜に聴かせるのはもっとクオリティの良いものに差し替えておくべきだったなと後悔した。
あの曲に対する茜の評価は正直あまり期待できなかった。
ところが、茜からのメッセージは意外なものだった。
(あの曲はどういう経緯で作られたものなの?)
茜も曲作りに興味があるのだろうか、とにかく僕は変に偽ったりせず、正直に答えた。
先日のエウレカの野外ライブ映像を観て、大雨の中で歌う姿、特にセンターの雨音に感銘を受けて、あのイメージと偶然同時期に国語の授業で習った詩が自分の中でリンクされてできたものだとなるべく詳しく伝えた。
雨音については伏せていてもよかったが、茜なら別にいいやと思い、真実をありのままに文字に変換した。
思い返せば、あの雨の中で懸命に歌唱する雨音の姿が今作作詞の全てだったように思う。あの時の雨音がこの世で最も美しいもの、尊いもののように思えて言葉達が湯水の如く自然と溢れ出てきた。
この思いを今この時どういうわけか茜と共有したいと僕は思ってしまった。
(塔君は雨音の事をどう思ってる?)
あまりに直球過ぎて目を覆いたくなる質問に一瞬戸惑ったが、僕が"特にセンターの雨音"と言及したのでこの質問は当然と言えば当然だ。僕は茜達に宮内 理沙を推していると伝えていたのだ。
(雨音はすごいよ、先日のカラオケ大会でも大活躍だったし、地元の誇りだよ)
以降、茜も僕もスマホで速さを競い合うように文字を書き込んでいった。実は茜も雨音を推しているらしくその後は雨音の話題で15分くらい盛り上がった。
「おう、こんな所にいたべか、何話してただ?」
やがて藍菜がやって来た。部屋で茜の姿がなかったので探しに廊下へ出て来たのだった。
茜は僕達の書き込んだ文字の残ったままのスマホのメモ帳を藍菜に見せ、こんな事を話してたと教えた。
「ほう、互いに仲良くなれてえがったな」
茜はちょっと感情表現が下手なとこがあって、あんな感じだから誤解されやすいべ。だけど実際に話すといい奴だべ・・・
前に部活の合間にそんな事を話していた。いつもはガサツな感じの藍菜だが茜の事はとてもフォローする。それだけ藍菜にとって茜は大切な存在なのだろう。
茜を今回の合宿に連れて来て正解だったと藍菜も満足げな様子だ。
もう遅いからと2人に手を振って僕は自分の部屋へと戻った。
翌日、早朝から用事があったらしく藍菜も茜も朝食の時には既に僕等とは別行動で帰っていた。
帰りのバスの中、僕は明日から始まる夏休みのことで頭がいっぱいだった。
MEtoHANAでのバンド練習、そしてエウレカの推し活・・・とは言ってもライブも握手会も今夏にこっち(東北)に来てくれる予定はないし、関東さらに西には行けるだけの金銭的余裕はないな、エウレカのレギュラー番組やメンバーのSNSのチェックがメインか・・・
夏休み、あと40日もある。
もう1曲、新曲作ろうかな。
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